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 ひとしきり泣き、静かな時が流れた。本当はもっと、胸を借り、泣き続けたかった。なんならそのまま安らかに眠るのもいい。

 しかしグッと堪え、男の胸から離れた。

 そして決心する。


「私は……一度死にました。新しい人生を生きたい」


「名はなんと言う」


「珀象戦祇、です……」


「そうか。よい名だ」


 よく聞く社交辞令のフレーズだった。しかしそれさえも、戦祇には嬉しかった。

 男は戦祇の両肩に手を添え、しっかりと目を合わせた。思わず彼女の心拍数が上がる。


「戦祇。第二の人生を、私に捧げてみるか」


 思いがけない提案がなされた。というのも、戦祇から同じ内容のお願いをしようと思っていたからだった。

 命の恩人である彼に、全てを捧げたい。今度は強制されてではなく、自分の意志で。

 むろん、戦祇は即答した。


「お願いします……! 私、あなたのためならなんでもします! どんなことでも!」


 傍から見れば、そんな作り話のような展開と笑われるようなことかもしれない。命の恩人に一目惚れし、その後の人生を捧げるなどと。

 だが戦祇には、微塵の抵抗感もなかった。

 むしろそれこそが最適解なのだと、心から直感した。


「そう力むな。肩の力を抜け」


「は、はい!」


「だが、うんざりかもしれないが、一つだけ試験を受けてもらう」


「試験……ですか?」


「安心しろ。いまのお前には、容易いものだ」


「なんですか……?」


 訝しげな面持ちで聞き返すと、男は淡々と答えた。


「お前を苦しめた元凶。母、父、姉、全員を殺せ」


「え……?」


 おぞましい試験内容に、鼓動が波打った。


「お前は一度死んだと言ったが、まだだ。復讐を果たし、これまでの自分と、家族を殺すのだ。そうしてやっと、お前は第二の命を享受できる」


「でも……人を殺すなんて…………」


 躊躇う戦祇の肩をギュッと握り直した男は、顔を近づけた。再び戦祇の心拍数が高鳴る。


「もし、このまま復讐を果たさぬなら、お前は生まれ変われない。この先もきっと、地獄のような人生が待っている」


 地獄。その言葉に、戦祇は震えた。

 家庭の虐待、学校の虐め。またあの日々に戻るのは絶対に嫌だ。


「それにお前には、特殊な力がある」


「特殊な力……?」


「そうだ。これから私に全てを捧げるのなら、私を信じろ」


 吸い込まれそうな青い目で、男はそう言う。

 戦祇は、ゆっくりと頷いた。


 そうしてその足で、飛び降りたばかりのタワマンに戻った。当然、鍵など持っていなかったため、エントランスにて自室のインターホンを鳴らす。


「鍵も持たずにどこ行ってたのあんた。さっさと帰って来いゴミ」


 心ない言葉と引き換えに、ようやく自動ドアが開く。カメラに映らぬよう隅で存在を消していた男が、風のようにドアをくぐった。

 エレベーターで上がっている際、男は拳銃を差し出してきた。


「必要なら使うといい」


 戦祇はそれを受け取りながらも、もしかするととんでもない悪人に命を救われたのではないかと憂いた。しかし、どんな人間であっても、ついて行く。ついて行きたいと思う自分に、従うことにした。


 自宅の扉の前に立つ。


「戦祇。自分の力と、私を信じろ。扉の向こうにいる三人は、いまのお前にとって敵ではない」


 その言葉が、ただの気休めでしかないと思っていた戦祇。いまだ脳の制限の解除に成功したことを理解していない彼女には、仕方ない話だった。


「あんたなにしてるのよ。勝手に外へ出るなっていつも言って……誰あなた…………」


 気だるそうに扉を開けた母は、戦祇の隣に佇む見知らぬ男に気づき、眉根を寄せた。

 しかし男は、相変わらず固まった面持ちのまま、返答することはない。


「戦祇、この方は?」


 戦祇もまた、硬直していた。

 男に指示された、家族の殺害。目標の一人が、目の前で無防備なまま立っている。殺すならいまだ。

 しかし戦祇の体は動かなかった。

 無性に腹が立った。どうしてこんなクズを殺せない。これまでの恨みを思い返せば、すぐにでも撃ち殺せるはずだ。だが体が言うことを聞かない。いまだに恐れているのだろうか。

 眩暈がするほどに思考が巡るなか、背中に温かい手が触れた。


 隣に佇む男を見上げると、いつしか白いオーラを見に纏っていた彼は、まっすぐに母の顔を見続けていた。

 その時、パッと思考の雲が晴れた。

 後ろに隠していた銃を構え、一切の躊躇もなく、母の眉間へ銃口を向け、引き金を引いた。耳をつんざくような、激しい銃声音は鳴らなかった。サプレッサーが装着されていたのだが、もちろん戦祇にはそんな知識がない。

 強烈な反動で体勢が後方に揺らいだが、依然として男の手が背に触れていたため、それが支えとなって倒れることなかった。


 母は、ボーリングのピンのように、真後ろに倒れた。四肢を伸ばしたまま、身動ぎ一つ取らない。

 その瞬間、戦祇のなかでなにかが弾けた。同時に、肩の荷が軽くなった気がした。


 玄関の騒がしさを聞きつけた姉が、奥の方からひょっこり顔を覗かせた。

 戦祇は無意識のうちに、姉のこめかみを撃ち抜いていた。じっくり狙ったわけではない。ただ銃を構え、直感的にトリガーを引いたら、見事に命中した。


 褒めてほしかったわけではないが、男の顔を見上げ、様子を窺った──やはり彼は、ロボットのように表情を変えない。


 土足のまま上がり、父を探した。いつもならリビングにいるはずだが、どこにもいない。

 母と姉の死体を見て、逃げ出したのかと思ったが、トイレの電気がついていた。ノブに手をかけると、「入ってるぞー」と呑気な声が返ってくる。

 間取りは広いが、トイレは一般的な家庭と広さは変わらないため、戦祇は扉越しに撃とうと銃を構えた。

 すると初めて、男に待ったをかけられた。


「だめだ。顔を見て撃て」


 いまの行いは、ある種けじめをつけるという意味合いもある。これまで自分を苦しめた相手の顔をしっかりと認め、殺める。それこそに意味があるのだ。

 戦祇はその意図をすぐに理解し、ドアノブに手をかけた。


 力を込め、引っ張る。

 鍵がかかっていたものの、どういうわけか、力づくで開けられる気がした。案の定、木材が軋む音を伴いながら、接地面の金具もろとも引きちぎり、ドアをこじ開けられた。


「な、なんだ!?」


 ズボンを下ろし、トイレットペーパーを手に持つマヌケな父が驚愕の表情を浮かべていた。すぐさま銃を構え、今度は額を撃ち抜くと、父は局部を露出したまま、ぐったりと項垂れた。

 薄汚い光景を消し去りたかった戦祇は、ひん曲がった扉を改めて力づくで閉ざす。


 その瞬間、緊張の糸がプツリと切れた。どういうわけか、意外にも罪悪感はなかった。いや、この時、本当に生まれ変わる前兆だったのだと思う。

 まるで自分が自分ではないような、奇妙な感覚に包まれていたのを覚えている。


「合格だ」


 頭を撫でられた。

 これまで不合格を突き付けられ、叱責され続けた人生が蘇り、また涙が溢れ出した。

 第一の人生を歩んできた自分と、新たに第二の人生を歩もうとする自分が、入り交じっているようだった。


「京鹿御門だ。これからよろしく頼む」


 ずっと名乗らなかった男はそう言って手を差し伸べてきた。戦祇はその手を握り返し、本当に認められたのだと実感する。


 そうして、京鹿に付き従うこととなった戦祇。

 菫という組織にて、彼の行いを間近で見続け、支えた。その組織は、一般的にイメージするヤクザに近いものだったが、理不尽な商売は少ないように思えた。


 一時は極悪人かと憂いていたが、やはり彼は心優しい人物だった。

 戦祇以外の部下にも、一見、冷たいような言動が多いと思えたが、そのほとんどが他を想ってのことだった。

 ただ、裏切りに関しては人一倍厳しかった。仲間を出し抜き、傷つけた者がいれば容赦なく報復し、その罪の重さを知らしめることも多々あった。

 さりとて、殺すことはなかった。どれだけ重い罪を犯しても、仲間である以上見限ることはなかった。

 彼の中には、信義という言葉が深く根を張っているのだと、戦祇は次第に理解していった。


 初めのうち、戦祇に課せられていたのは、京鹿の身の回りの世話だった。衣服の管理や予定の調整、報告書の整理、食事の手配まで──まるで執事のような役目だったが、戦祇は一切の不満を口にせず、黙々とそれをこなした。むしろ京鹿の傍にいられるだけで嬉しかった。


 だが、ある晩。京鹿が血の気を帯びたまま戻った日、戦祇はついに口を開いた。


「もう……見送るだけなんて嫌です」


 低く、けれどはっきりとした声だった。


「私も、あなたを守れるくらい強くなりたい」


 静寂が落ちた。窓の外では雨粒が壁面にぶつかる耳障りな音が鳴り続けていた。

 京鹿はソファに腰を下ろし、やや間を空けて答えた。


「そうか。考えておく」


 数日後、彼から一本の細身の剣──装飾のない、機能美に満ちたレイピアを手渡された。


「殺すためじゃない。護るために使え」


 そう言って、京鹿は戦祇に稽古をつけ始めた。剣術だけではない。立ち回り、射撃、急所の見極め方、心理。

 彼の教えは容赦なく、過ちには鋭い叱責が飛んだ。しかしそこには愛があることを知っていた。だからこそ、戦祇は一度たりとも背を向けなかった。流血しても立ち上がり、歯を食いしばって食らいついた。

 同時に、彼がとんでもなく強いことも知った。真偽は不明だが、未来が視えるのだとか。


 その頃、ようやくリリースやバーストに関することを教えられた。薄々気づいていたものの、これまでに感じたことのない筋力の正体を知り、戦祇は納得した。

 しかし同時に、なぜいままで教えてくれなかったのかと問うと、彼はため息を吐いて答えた。


「争いに巻き込みたくなかった」


 その言葉を聞き、彼女は内心飛び跳ねた。自分のことを大事に思ってくれていることが、心底嬉しかった。


 稽古が始まってから半年もせぬ間に、戦祇は組織の中でも一目置かれるほど強い存在となった。

 当然、雑用係にとどめておくのは惜しいため、護衛という名の任務を授かり、京鹿が外に出るときは必ず隣に立つようになった。白いスーツの内にはレイピアの柄が収まり、視線は常に彼の周囲を捉えていた。


 数年後、彼が父上と慕っていた、菫のボスが殺され、亡くなった。

 戦祇は、あまりボスと関わる機会がなかったため、それほど悲しむことはなかったが、京鹿は泣いていた。それは彼と出会って、初めて見た涙だった。

 不謹慎ながら、京鹿も涙を流すことを知り、嬉しく思っていた。

 しかしその頃から、彼は変わっていった。

 父上の仇を討つことを最優先とし、視野が狭くなっているようだった。


 菫は解体され、ブラックドッグという新たな組織を立ち上げた。

 元々菫のボスの護衛を任されていた屈強な男を引き入れ、黒い犬の仮面と、ワイラーという名を与えた。ほかにも、菫にいた優秀な部下を集め、仮面を渡していた。

 なぜか戦祇は、白い犬の仮面を渡され、レイニーという名を与えられた。その意味を問うたが、答えは得られなかった。

 もちろん、戦祇は彼に付き従うことを即決。


 それからの日々は、血塗られたものだった。

 京鹿が初めて、部下を手にかけたのは、菫が解体されて一ヶ月をほど経った頃。復讐を果たすべく相手の足取りがあと一歩で掴めるといった状況で、部下の一人が初歩的なミスをしたのだ。

 初歩的といっても、相手が一枚上手で、その部下には手に負えず、逃がしてしまったという致し方ないことだった。

 しかし京鹿はいつも以上に冷徹な目で、部下の首を握りしめ、そのまま喉仏を千切った。


 その時、戦祇が止めるべきだったのかもしれない。いや、絶対にそうだった。

 ほかに彼に進言できるような者はいなかった。説得できる可能性があるとすれば、ワイラーくらい。しかし彼も、余計な口出しはしない性格のようで、静かさを保ったままだった。


 部下を殺した京鹿は、戦祇と二人でいる時、後悔の念をこぼしていた。


「父上……私は……」


 その先、なにを言おうとしたのかまでは、戦祇にも分からなかった。だが、彼女はそんな京鹿を、「あなたは間違っていない」と肯定し、優しく包み込んだ。出会った時、彼がそうしてくれたように。

 しかしそのタイミングこそが、最後だった。京鹿を元の心に戻してあげられる機会は、それ以降、訪れることはなかった。

 叱ってあげられる人が一人でもいれば違った。戦祇がその役を担うべきだった。


 だがしかし、彼女にはできなかった──。


 風が止み、血の匂いだけがその場に漂う。


「ぅっ……」


 肺が押し潰されているような感覚で、息苦しい。

 目を押し開くと、そこには腹を押さえた男がこちらを見下ろしていた。


 九頭零士──。

 自分と同じ視式を持つ彼は、格上だった。


「まったく……タフだね、きみは」


 その声は穏やかだった。いや、彼は元からそういう性格なのだろう。

 レイニーは潰れかけた仮面の奥で、その瞳が揺れていた。悔しさが溢れだしたのだ。


「殺せ……」


 か細く、しかし確かな憎悪を帯びた声。零士は首を横に振る。


「まさか」


 肩を上げて嘲笑した零士。


「ならば……ヴェルマ様を…………」


「んー? なんだーい?」


 相変わらず憎たらしい余裕ぶり。しかしもう、レイニーには彼に託すしかなかった。


「御門様を、救って……ほしい…………」


 零士はニカッと笑った。


「合格! よく言えました!」


 そう言って、頭を撫でられた。

 これまで殺し合っていた相手を子供扱いするのかと、一瞬苛立ちを覚えたが、同時に、懐かしさも感じた。目の前の男は、ヘラヘラと常に笑っている胡散臭い人間だが、どこか似ていた。京鹿御門と。


 この男なら、本当に託せるのかもしれない。


 そう思った。

 そう、思えた──。

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