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 九頭零士は、やけに開けた庭園に案内された。そして白髪の雌犬に問う。


「レイニーちゃん。きみは御門とどういう関係なのかな?」


「それを知ってどうする」


 御門の側近らしく、レイニーは冷たい視線を飛ばしてくる。


「そりゃあ御門は俺の幼馴染みだからね。友達の色恋事情は気になるってもんでしょう? あとほら! 零士とレイニーって似てるし!」


「貴様はここで息絶える身。この会話に意味はない」


「まぁまぁそう言わないでさ、これから殺し合うんだから、お互いの人となりくらい知ってみようよ。俺も包み隠さず答えちゃうよ?」


「必要ない」


 頑なに心を閉ざすレイニーは、スッと抜刀し、極細の刀身をこちらに向けた。


「命でも救われたってところかな?」


 レイニーの目元が、かすかに震えた。ほんの一瞬、ほんの数ミリの痙攣。だが、それを見逃す零士ではなかった。


「あらま、図星かな?」


「構えろ」


 短く鋭い命令が飛ぶ。それでもなお、零士は武器を取らない。


「御門、変わったよね。簡単に人を殺せるような性格じゃなかったっしょ?」


 構えるどころか、零士の手は未だポケットの中にあり、肩の力も抜けていた。


「あそっか、きみは昔の彼を知らないのかな?」


「…………知っている。貴様よりも遥かに」


 構えは崩さないものの、レイニーはわずかに声を震わせた。


「それならきみは、いまの彼と、昔の彼、どっちがいいんだい?」


「いまも昔もない。私はヴェルマ様につき従う。それだけだ」


「アハハッ! ずいふんと調教されちゃってまぁ」


「揺さぶっているつもりかは知らないが、無意味だ。さっさと構えろ」


「ところでレイニーちゃんは、菫って組織の頃から御門と一緒にいるのかな?」


「貴様と話すことはもうない。構えぬならこちらからゆくぞ」


「菫のことは俺もあんまり教えてもらってないんだけどさ、そんなに悪い組織じゃない気がするんだよねー。ほら、震災が起きた時さ、被災地に物資届けたり、炊き出しとかもしてたらしいじゃん?」


 相変わらず戦意を見せない零士に、しびれを切らしたレイニーが動き出した。苛立ちのせいか、燃え盛る真っ赤なオーラが揺らいでいる。

 零士は眼前に迫ったレイピアの剣先を悠然と避けた──二撃、三撃と、とめどなく凄まじい速度の刺突を繰り出してくる。


「そんな組織のボスに忠誠を誓ってた御門と、いまの御門は、別人なんじゃないのかな」


 レイニーから放たれる無数の突きを回避しながらも、零士は問い続ける。


「そんな彼に、戻って欲しいって思ってないの? 俺は思ってるよ」


「慎め、口を……!」


 レイニーの剣速が徐々に上がっていく。


「彼は無意味に他人を傷つけるような男じゃない。そう思わないかい?」


「うるさい! 戦え……! 戦わぬのなら、立ち去れ!」


 そう言って放たれたレイニーの一突きが、零士の眉間に迫った。


 ガキンッ──!


 あまりの速さに、零士は十手を引き抜かざるを得なかった。レイピアを弾き返し、二歩後退。


「やっと抜いたか」


「だいたい分かったよ。きみのこと」


 ここで零士は、ようやく戦闘態勢に入った。レイニーに十手の先端を向け、見据える。


「きみから御門を説得してくれないかい? そうすれば無駄な血は流れないよ」


「戯れ言を。勝機がないのだな」


 二人の間に、風が抜けた。

 燃え滾るオーラと、それを前にしても微動だにしない静寂。対照的な気配が庭園の空気を歪ませている。


 レイニーが重心を落とした瞬間、零士は十手を逆手に構えた。お互い、無駄な牽制など必要ない。先に気を抜いた方が命を落とす。


「手加減しないよ」


 零士の挑発が終わるよりも早く、レイニーの影が地面に吸い込まれるように縮んだ。

 踏み込みが鋭い。視野に捉え続けるのがギリギリの速度──だが、見えている。零士の目には、彼女の突きが緩やかに映っていた。


 右へ半歩。肩をわずかにずらす。それだけで、レイピアの一撃は空を切る。

 だが、彼女は止まらない。すぐさま横薙ぎの返し、続けざまに下段突き──高速の連撃。

 常人ならば反応すらできまい。


「速いな……でもまだまだ」


 そうは言うものの、零士は驚いていた。追撃を繰り出すレイニーの軌道は、まるで時間を巻き戻したかのように無駄がない。


 十手が一閃し、レイピアの柄元を弾き上げた。

 しかし、レイニーも体を捻って受け流す。隙がない。互いに、視式の読み合いの中で呼吸すら計算されている。


 そして、距離が開く──。


「お互い苦労するね。視式が相手だと」


「ふんっ。百も承知」


 レイニーの声は変わらず冷たい。だが、零士には分かる。ほんのわずかな焦燥が、彼女の動きに、言葉に、滲んでいるのを。


「剣士が持っていてはいけないものってなにか知ってる?」


「…………」


 レイニーからの返答はない。


「迷いだよ」


 一拍沈黙。

 わずかに動いたレイニーの眉が、言葉の刃が届いた証だった。


 間もなく、彼女は音もなく地を蹴った。さらに剣速は上がり、次々に切っ先が迫りくる。相変わらず零士は余裕をもって避けるが、感嘆せざるを得なかった。

 これまで何度か、視式──それも動体視力が向上している相手と戦ったことがある。しかしそのほとんどが、視式という強力なアビリティに頼りきりで、技術面はお粗末なものだった。


 だが目の前の女は違う。

 基礎的な身のこなしはもちろん、速さが段違い。くわえて、零士が反撃の素振りを見せていないにもかかわらず、彼女は警戒心を微塵も解かない。

 いつしっぺ返しを食らっても回避できるよう、踏み込み過ぎず、絶妙な間合いを保ちながら、高速の攻撃を実現している。


 強い──。

 相手がレイニーだけなら、少し卑怯かもしれないが強制的にフリーズを引き起こし、一打で片付けただろう。

 ただしそれをすれば、脳への負担が大きすぎるため、その後の戦闘に影響がでかねない。おそらくワイラーも控えている。ましてやオーバーアビリティを持つ京鹿も相手にしなければならない可能性が高い。

 となればやはり、その荒業は愚策であり、無責任。それに、視式同士の戦いである以上、零士のプライドが許さない。目には目を。歯には歯を。視式には視式を。

 同じバーストアビリティ同士の維持の衝突──それこそが矜持。


 またもや零士は、逆手に持った十手でレイピアを弾いた。今度は力を込めて。


「──っ!」


 その衝撃に耐えられなかったレイニーは、息を漏らしながら重心を浮かせた。

 零士はグイッと踏み込む。


「甘いよレイニーちゃん!」


 十手を振るうと見せかけ、レイピアの刃に鉤を引っかける──これこそが十手の真骨頂である。

 武器を固定され、わずかに硬直したレイニーのみぞおちに、前蹴りを叩き込む。


「ほいやっ!」


 だがレイニーは空いている手で受け止め、衝撃を緩和。レイピアは手放したものの、ほぼ無傷のまま退いた。


「いい判断だね」


 零士は取り上げたレイピアをブンブン回しながら称賛すると、レイニーは血相を変えた。


「か、返せ……!」


 動揺しているのは明らかだった。


「え? あ、はい」


 あろうことか零士は、取り上げたレイピアを彼女に投げ返した。難なくキャッチしたレイニーは、美しい手さばきで流れるように構え直す。


「なんの真似だ」


 レイピアが自身の手に戻ると、彼女の目から焦燥が消えた。どうやらよほど大事らしい。


「それがないと戦えないでしょう?」


「安く見られたものだ」


 零士は高揚していた。

 これほどの相手をするのはいつぶりだろう。これほどまで、戦うことに酔うのはいつぶりだろう。

 雨津に稽古をつけてもらった時以来だった。


 体が熱くなる。

 全身の細胞が活性化している。


「アハハ。楽しいね」


「笑止」


 依然として冷徹なレイニーだが、零士の目には彼女も楽しんでいるように映った。


 ──再び間合いが詰まる。

 高速の刺突。避ける。弾く。


「ほっ」


 間の抜けた声を漏らしながら、淡々と回避し続ける零士。だがその声は、余裕の表れというわけでもなかった。

 レイニーが放つ剣撃は、いまだ速度が上がり続けていることに驚きを隠せなかった。


「ハァッ!」


 覇気を孕んだレイニーの一撃が、零士の頬を掠めた。

 ここでようやく、零士は反撃の一打──十手を振り上げる。

 だがレイニーは体を反り返し、白髪を羽ばたかせるようにして十手を躱した。


「どうした。焦りが見えているぞ」


 刀身を地面に目掛けて振り下ろし、剣先に付着した零士の血液を払ったレイニー。


「いたた。これは一本取られたね」


 頬を伝う血を、親指で拭った零士。


「そろそろ本気を出さねば、悔いを残して死ぬことになるぞ」


「おっほほ。怖い怖い。お手柔らかに頼むよレイニーちゃん」


 まだまだこれからだと言わんばかりに、零士は十手を胸の前に添え構えた。すると、それに倣ってレイニーも顔の近くでレイピアを握り直し、剣先を空に向けた。


 数秒間の静寂──。

 舞台が整うのを待っていたかのように、二人の呼吸がぴたりと重なったその瞬間、時を断ち切るように同時に踏み出した。


 白銀の閃きが空を裂き、鈍く燻る黒鉄がそれに応じる。

 十手とレイピア。打突と刺突──軌跡の異なる二つの武器が、互いを理解し合うかのように、同じ時間軸を疾走する。

 視線すら追いつかない。音は後れ、匂いは消え、感覚さえも置き去りにされる。残るのは、純粋な殺意と殺意のぶつかり合いだけだった。


 剣戟の応酬、連撃、回避、接近。そのすべてを寸分の誤差なく繰り返すなか、零士はほんのわずかな隙を捉えた。

 レイピアを弾き返し、レイニーの構えにかすかな揺らぎを生じさせる。そして十手を振るい、その顎を正確に狙った。むろん、彼女の視式があれば、回避することは容易いだろう。


 しかし──。


「くっ……!」


 乾いた衝撃音と共に、レイニーの仮面に亀裂が走り、破片が宙を舞った。

 平静を保っていた彼女の目に、再び焦燥の色が浮かぶ。砕けた仮面の一部を手で覆い、彼女は二歩、三歩と後退した。


「おやおや? どうやら予想通りべっぴんさんのようだね」


 なにが起きたのか。レイニーには理解できなかっただろう。


 ──時は江戸時代。

 岡っ引きたちが腰に差していた十手。その柄には、派手な色糸で編まれた飾り紐が巻かれていた。所管の区別や身分の象徴ともされたそれは、目印の役割しか果たしてこなかった。

 零士が使ったのは、その歴史の中に埋もれた可能性。

 彼は、十手を振るう、ほんの一瞬だけ柄から手を離し、代わりに飾り紐を握った。その動作が、たとえ数寸の差であろうと、十手の間合いを伸ばすことを可能にしたのだ。


 視式を持つ者は、その能力の特性ゆえ、届かぬはずの攻撃を無意識に捨て置く。

 レイニーも例外ではなかった。回避の必要なしと判断したその一瞬──彼女の視野ではなく、思考の死角から、零士の一撃が命中したのである。


「さぁて、そろそろ降参してくれてもいいんだけどね」


 そう言った零士は、完全な本心ではなかった。

 ここまでの手練れを相手にする機会は滅多にない。楽しむというわけではないが、自分の成長に繋がることは明白。さりとて、このまま熱を帯びていけば、殺傷能力の低い十手と言えど、殺めかねない。


「貴様は、なぜここへ来た」


「お! やっと話す気になってくれたのかな!」


 レイニーからの急な話題提起に、零士は歓喜する。

 うるさい。とでも言い返してくれると思ったが、レイニーは無表情のまま動かない。


「はぁ……」


 肩を下げた零士は、しょんぼり。


「そりゃ御門を助けるためだよ」


「助ける?」


「友が道を違えたなら、正す。そういうもんでしょ?」


「ふん。傲慢極まれり」


「そうかもね。でも俺なりの懺悔なんだよね」


「懺悔だと?」


「俺には、なにかできたはずなんだ。彼がああならないために。タイミングはいくらでもあったんだ」


 やるせない様相の零士を見て、レイニーは、やや間を空けた。


「いまさら変えられると思うのか。貴様に」


「さぁね」


 肩を上げてきっぱりと答えた。


「人の思想を変えるのは簡単じゃない。そんなの俺だって分かってる。でもね、それは変えようとするか否かの判断材料にはならないってことかな」


「言うは易し」


 切り捨てるように言ったレイニーは、再びレイピアを構えた。だが彼女の目は揺らいで見えた。


「レイニー。きみも手伝ってくれないかな」


 零士の突飛な依頼に、またもやレイニーの瞳が波打った。


「立場の違う貴様の言葉など信ずるに値せん」


 そうして、超速の戦闘は再開された。

 先刻与えたダメージなど意に介さず、レイニーの剣撃はいまだ速度が落ちない。また、互いの攻撃は掠めることはあれど、致命傷に値する一打はない。


 が、零士は一瞬の隙を突かれてしまう。いや、隙ではなく、生理現象と言った方が正しい。


 まばたき──それは眼球の潤いを保つための生理現象。言い換えれば、約0.3秒の失明とも言える。

 むろん、零士はその一秒にも満たない一瞬でさえ、抜かりなくコントロールする癖はつけていた。敵との距離が近ければ近いほど、まばたきをせぬよう意識を集中させ、死角を極限まで排除することを当然としていた。

 しかし、レイニーの繰り出す音速にも近い刺突と、その手数の多さに、眼球の乾燥が限界を迎えたのだ。そして無意識のうちに、瞑目してしまった。


 瞬間、銃声が鳴り、左横の腹部に痛みが走った。


「いっつっ……!」


 顔を歪ませた零士は、素早く十手を振って牽制し、すかさず後退した。


「どうした。さきほどまでの余裕は」


 レイニーの白いコートのポケットに、ポッカリと空いた穴から、硝煙が立ち上っていた。そして、ゆっくりとポケットから抜かれた彼女の手には、拳銃が握られている。


「さてはきみ、俺以上に慎重派だね」


 ただでさえポケットの内側から撃てば死角をつけるというのに、彼女は零士のまばたきのタイミングを待っていた。なんたる抜かりのなさ。

 さすがの零士もその一発は食らった。肉体的にも精神的にも。


「貴様が油断しただけであろう」


「アハッ。それもそうだ」


 あわよくば話し合いで終わらせられないかと初めは思案していたが、もはやその余裕は油断でしかないと痛感した零士は、十手を強く握り直し、気を引き締めた。


「それじゃ、そろそろ本気を出してみようか。お互い」


「元よりその心づもり」


 白いスリーピーススーツから覗くネイビーのネクタイをわずかに緩めたレイニー。


 双方、瞳には一片の躊躇もなかった。

 重心が低くなる。十手を構え、まるで猛禽が翼を畳むように、零士の気配が沈み込む。レイニーもまた、それに応じるようにレイピアを水平に構え直し、目元に薄ら笑みを浮かべた。


「来い」


 レイニーのその言葉が号砲となった。


 激突──。

 金属と金属が火花を散らす。視線が追いつく限界を越えた応酬。

 零士の十手が左から、右から、或いは下から唸りを上げて襲いかかる。それに対して、レイニーのレイピアは蛇のごとく柔らかく、かつ的確に全てを受け流していく。

 白いコートの裾が空を裂き、零士のスーツの袖が風を裂く。

 撃たれた横腹からは、じくじくと血が滲んでいる。だが、零士の顔はそれを痛みではなく、興奮で塗りつぶしていた。


「これこれぇぇえええ!」


 もはや声には、理性よりも昂揚が先立っていた。熱を帯び始めた零士の瞳の奥で、獣が目を覚ます。

 一方のレイニーも、ひび割れた仮面の隙間から、眉を吊り上げたのが見えた。無表情だったはずの彼女が、いまや怒気と興奮を混ぜた感情を剥き出しにしていた。


「小賢しい……!」


 刺突、連突、跳躍──レイニーの攻撃がさらに激しさを増す。だが、そのすべてを零士は、見切る。


 互いの視式が限界を迎えつつあった。

 網膜の動体視力がほぼ完璧に研ぎ澄まされ、秒間数十の攻防が明瞭に映る世界。そこは常人には理解しえぬ、異常の領域。


 だが、零士はそのさらに先へと踏み出した。

 十手が風を裂くたび、鋭さと速度を増していく。磨耗していくのは相手の防御。レイニーの剣閃は確かに冴えている。だが、わずかずつ、確実に削られていた。空気が連続して鳴り、刃風が彼女の頬をかすめた瞬間、細く赤い線が一筋、肌に刻まれる。


「ぐ……ぅっ!」


 体勢が崩れる──零士は見逃さない。

 わずかに開いた間合いに踏み込み、迷いのない突き。十手の一撃がレイニーの左肩を叩き、次いで右脇腹、さらに顎先へ。まるで意志を持った生き物のように、十手が縦横無尽に空間を舞い踊った。


「視式同士の戦いで決着をつける方法を知ってるかい?」


 苛烈な連撃の中で、零士は問いを放つ。余裕というよりも、それは一種の美学だった。戦いの中に会話を織り交ぜることで、自らの冷静さを刻みつける。


「知らぬ!」


 レイニーの声が返る。荒い呼吸の奥に、まだ戦意が見える。


「視式で向上した動体視力の限界を!」


 問いの続きを、十手と共に叩きつける。


「先に迎えた方が!」


 連打。十手が残像を残すほどの速度で打ち込まれ、レイニーは防御に追いやられ、後退してゆく。


「負けるって!」


 その一言が、決定打になった。鋼のようだったレイニーのガードが、ついに砕け散る。


「ことだよぉぉおオオオオッ……!」


 零士の咆哮と共に放たれた最後の一撃は、十手ではなく、握り込んだ左拳だった。

 拳は一直線にみぞおちを貫き、肋骨を圧壊させながら、レイニーの身体を浮かせる。鋭い衝撃音──背中が鉄柵に叩きつけられ、反動で弾かれた身体が、レイピアが、力を失って地面に落ちた。金属の鈍い音が、勝負の終焉を告げたのだ。

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