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 天若陽暈は、凄まじい風圧をまとった尋芽の回し蹴りを紙一重でかわし、その勢いを借りて右のストレートを彼女の腹部めがけて繰り出した──が、尋芽はそれすらも軽やかに躱し、弾むように二、三歩後退した。

 やはり、視式と聴式の両方を操る彼女に、一撃を当てることは容易ではない。まるで攻撃の意図すら読まれているような、そんな感覚がつきまとう。


「やっぱセンスないよねー、陽暈くんってー」


「なんの話だよ」


「そりゃー殺し合いの話だよー」


 笑っている。嘲るような色を帯びた笑み。


「別にそんなのいらねぇよ」


「そーかなー? 人を守るためにはあって損しないと思うけどー」


 その言葉に、陽暈は目を伏せたのち、真正面から見据える。


「尋芽。もうやめとけ。お前、本当は碧のこと殺したくなかったんだろ。京鹿の指示で殺すしかなかったんだよな」


「は、はぁー? そんなわけないじゃん。あたしが殺したくて殺しただけー」


 瞬間、尋芽の瞳に小さな揺らぎが走った。だが次の瞬間には、子供じみた笑顔でそれを塗りつぶす。


「俺は人を好きになったことがないからよく分からんけど、お前はたぶん碧のことが好きだった」


「ば、バカなこと言わないでよ! あんなダサい男、好きになるわけないでしょー! あたしが愛するのは御門様だけなのー」


 語尾を跳ねさせるその声音が、どこかひどく空々しい。まるで自分に言い聞かせるような、否定の連呼。


「いいや、俺には分かる」


「勝手に分かったつもりにならないでもらえますー?」


 尋芽の声が低くなる。刺々しくも、どこか脆い。陽暈は小さく首を振り、決然と告げた。


「尋芽。これで最後。罪を償え」


 拳を構えず、仁王立ちのまま──まるで、彼女の言葉を信じたかった過去の自分と決別するように。


「無理」


 その一言には、余分な感情すらなかった。冷ややかに、凍てついた言葉が宙に落ちる。


「そうか」


 希望は潰えた。

 陽暈は、ゆっくりと拳を握り込み、覚悟をこめて、再び戦闘態勢へと身を沈めた。


 ──両者、ほぼ同時に動き出し、一瞬にして肉薄。

 拳を振りかぶり、注意を惹き付けた陽暈は、咄嗟に尋芽の足を払おうと試みた。しかし軽くジャンプして躱されるや否や、彼女に胸ぐらを掴まれてしまう。


「やべっ……!」


 陽暈の焦りなど無意味で、胸元に尋芽の両足が捩じ込まれ──凶悪な痛みを感じたと同時に、後方へ吹き飛んだ。勢いそのまま壁を突き破り、庭へ転がり込む。


「うぶゥぐッ……」


 口からまろびでそうになった臓物を必死に飲み込み、かろうじて意識を保つ陽暈。

 触式は、相手の攻撃に対して反対側にオートで回避するが、衣服などを掴まれ、固定されてしまうと避けようがない。

 そんな触式の性質を、彼女は理解している。どうやらそう簡単に倒れてくれそうにない。


「ほらほらーその程度じゃ御門様の足元にも及ばないよー」


 無惨に破損した木製の壁を通り抜け、尋芽も庭に降りた。


「お前……俺との訓練では手抜いてたんだな」


「当たり前でしょー。だって陽暈くん、弱いもーん。ほーら次いくよー。いないなーい──」


 ふざけているように見えるが、尋芽の動きは異常だった。零士に匹敵するほど、いや、もはや零士をも越える俊敏さであった。

 軽やかなステップから、一瞬にして姿を消したと思いきや、陽暈の視界下部からひょっこり顔を出す。


「ばぁ!」


 陽暈は反射的に拳を振るうが、容易に避けられた。そして空を切ったその腕を、掴まれる。


「飛んでけー!」


 グワンと視界が揺れ、気づくと体が宙を舞っていた──中庭の岩に衝突。


「たはっ……!」


 脳が揺れ、意識が定まらない。

 触式という強力なアビリティでも、使い手によってはこれほどまでに弱体化するのか。そんな悔しさを覚えながらも、陽暈は必死に反撃の糸口を模索していた。

 そしてふと過去の記憶がよぎった。それは、ワイラーと零士の攻防で垣間見た、対視式の戦術。


 地面に転がる石ころをこっそり手に備え、立ち上がる。


「強いな……」


「えへへーそれほどでもー」


 尋芽の余裕の表情が癪に障るが、ここで熱くなっているようでは勝てない。

 口からこぼれる血を手の甲で拭った陽暈は、二歩で拳が届くほどの間合いまで尋芽が近づくのを待った。


「んー? なんか怪しいなー」


 歩みを止めた尋芽が、眉根を寄せた。

 平静を装ってはいたものの、陽暈の心に動揺が走っていた。よく考えてみれば、彼女は視式だけでなく、聴式も扱える。となれば、石ころを拾い上げた時の音を聞かれているかもしれない。

 いや、仮にそうだとしても、魂胆までは理解できないはず。


 そう考え至った陽暈は、体勢を落とした。そして全力で地面を蹴ると同時に、手に握った石ころを斜め上に放り投げる。浮遊する石ころに、尋芽の視線が吸い寄せられている隙に、地面を抉るように拳を振り上げる。つもりだった──。


「甘いよ陽暈くーん」


 眼前に尋芽の膝が迫っていた。体勢を落としている分、的になりやすい。

 とはいえ、陽暈には触式がある。時の遅延が起き、回避することは容易いだろう──と思ったが、時の流れは変わらず、目の前に迫る尋芽の膝がピタリと静止。その刹那、後ろ首を鷲掴みにされてしまう。

 尋芽の膝蹴りはフェイントだったのだ。


「クッソ……!」


 焦りの声を漏らすが、尋芽が加減してくれるはずもなく、握られた後ろ首を起点に、地に叩きつけられた。

 しかしすぐさま身を捩り、ブレイクダンスを踊るように尋芽を振り払った陽暈。蹴技は空振りだったものの、尋芽は後方へ跳躍して間合いを取った。


「おっとっとー! まだまだいくよー!」


 直後、間髪入れずに尋芽が目の前に迫り、猛然とパンチやキックを繰り出してきた。

 このままでは勝てないと判断した陽暈は、一旦防御に全振りすることを決意。凄まじい攻撃の嵐を、触式を活用して躱し続けた。

 こちらから下手に攻めない限りは、尋芽に衣服や腕を掴まれる様子はないため、危機的状況に陥ることはなかった。


「どうしたのー。逃げてばっかりじゃつまんないよー」


 防御に徹する陽暈にうんざりしたのか、尋芽は強烈な蹴りを放ちながらも、気だるそうに言う。


 その後も、尋芽の猛攻は止む気配を見せなかった。ただでさえ目で捉えられない速度に加え、彼女の一撃には確かな殺意が宿っている。

 陽暈はその一手一手を掠めるように回避するばかりで、いまだ活路を見出せていない。


 反撃の狼煙を上げるには──なにか、状況を一変させる革新的な打開策が必要だ。

 考えろ。戦術でも癖でもいい。奴の一瞬の隙を探せ。

 陽暈は、攻撃を受け流しながらも、観察の手を緩めなかった。


 そして、気づいた。

 尋芽の身体を包む、緑色のオーラが、ごく稀に──霞のように薄れては消える瞬間があると。

 視式特有の赤いオーラと重なっていたため、最初は錯覚かと思った。だが、繰り返し観察するうちに確信へと変わった。


 最初に緑のオーラが消えたのは、強い夜風が吹き抜けた瞬間だった。もちろん、ただの風で吹き飛ばされたという単純な話ではない。もしそうであれば、赤いオーラも同様に霧散するはずだ。

 だが、消えたのは緑だけ。

 つまりこれは、彼女自身の意思による制御。


 陽暈の脳裏に、過去の訓練がよみがえった。

 あの時、真壁が教えてくれた言葉──聴式は雑音が聞こえる状況では、本領を発揮できないどころか、注意が散漫になるため、余裕があればアビリティを制限するのだと。

 ただ、アビリティを解除したり制限したりする技術は至難であり、そう簡単に成せる業ではない。それはバーストに成功した陽暈自身も理解している。

 いまとなっては、アビリティを解除する際「バーストリミット・オフ」と口に出さなくてもコントロールできるようにはなっているが、出したり引っ込めたりと器用に操るまでには至っていない。


 尋芽にはその技術があるのだ。

 しかしそれこそが光明。

 とどのつまり、雑音や大きい音が鳴ることを察した時、彼女は聴式を制限する。さすれば、ほんの数秒だけだが、視式対触式の戦いに持ち込めるということ。


「なるほどな」


 そう呟いた陽暈は、一時、尋芽から大きく間合いを取り、ジャケットの内側に手を滑らせた。むろん、尋芽は構え、次の展開に備えている。

 数秒間の静けさが空間を支配した後、陽暈は駆け出す。距離を詰めつつ、拳銃を構えると、尋芽が纏うオーラから緑が消えた。

 それを確認した直後、発砲はせずに銃そのものを空中へ投げ捨てる。なぜなら、もし弾丸を撃ち放った際に、視式によって尋芽側に時の遅延が発生する恐れがあるからだ。


 陽暈の目論見どおり、わずかながら尋芽の視線が銃に吸い寄せられた。その隙を突き、懐に飛び込む──渾身の右フックを捩じ込んだ。


「おらぁああああアアアァッ!」


 尋芽のスリムな腹部にヒット。

 しかし手応えが浅い。上手く身を捩らせ、致命傷を避けられたか、或いは、共に過ごした日々を想い、体が勝手に加減をしているのか。

 さりとていまは陽暈が優勢。半歩下がった尋芽に追随し、二手、三手と攻撃を繰り返す。


「いまのは悪くない戦法だったねー」


 いつしか緑色のオーラが息を吹き返しており、不意を突いた一発目のフック以降、攻撃が当たらない。そうして尋芽も黙っておらず、反撃に転じ、またもや形勢は均衡状態に。


「ちょっぴり焦っちゃったけど、あたしには通用しないよー」


「くっ……!」


 尋芽から繰り出される止めどない攻撃に、再び押され始める陽暈。

 あの一撃で全てを終えるつもりだった。だが、決着の刃は空しく宙を舞い、運命の天秤は静かに傾きを拒んだ。


「まーた避けてばっかりー」


 猛威を振るいながらも、尋芽の息は一切乱れていない。


「それじゃいつまで経っても勝てないよー」


 度々、時の遅延が起きることで、かろうじて攻撃を避けているが、彼女の言うとおり、このままでは進展がない。

 なにか手立てがないかと、思考を巡らせ続けていると、今度は零士の言葉が脳裏によぎった。彼がレイニーについていく前、「きみなら勝てるよ」と言っていた。

 そもそも、なぜ零士は、ああも容易く戦力の分断を許容したのか。自分がレイニーとの戦いに勝機を見出だしていたとして、後輩に負け戦を強いるようなことをするとは思えない。

 だとすればやはり、陽暈が尋芽に勝利すると見越しての行動。あの零士が信じてくれるなら、期待に応えねばならない。


 思考の海に潜り込んでいた陽暈は、ここで初歩的なミスを犯してしまう。


「うぉあッ……!」


 砂利を踏み外し、体勢が揺らぐ。


「チャーンス!」


 言わすもがな、尋芽はその隙を見逃してくれない。体勢を維持すべく浮き上がった片足首が掴まれ──凄まじい勢いで空中に体が引き上げられた。

 かと思いきや、急降下。


「ばファっ……!」


 地面に叩きつけられた陽暈は、ボールのように何度か跳ねたが、気合いで受け身を取って勢いを殺した。


「クソ……集中しろ…………」


 集中。とにかくいまは集中するべきだ。砂利に足をすくわれている場合ではない。

 体の節々が痛むが、陽暈はとにかく雑念を、邪気を捨て去ろうとしたその時、なによりも重要なことを忘れていることに気づいた。


 それは彼が小学生の頃、師から教わった合気の道における哲理。

 勝つべく気を張ったところで、なにも視えない。愛をもって全てを包み、気をもって流れに身を委ねた時、はじめて自他一体の気、心、体の動きの世界が広がり、より悟りを得た者が、必然的に勝利をおさめる。


「そうだ。正勝(まさかつ)吾勝(あがつ)勝速日(かつはやひ)……」


 勝たずして勝つ、()しく勝ち、()に勝ち、かつ一瞬の機のうちに()やかに勝つ。

 これまで、互いの命を奪い合うというおぞましい行いがゆえに、体の力が抜ききれていなかった。そのせいで、体に染み込ませてきた合気道の心得が、蔑ろになっていたのだ。


「ふぅ……」


 大きく息を吐き、陽暈の目つきが変わった。くわえて、総身の力は脱力しながらも、その体軸は地に根を生やす。


「んー? そんなのでいいのー?」


 陽暈の心持ちが大きく変貌したことなど知る由もない尋芽は、拳を握り込もうともしない構えを嘲笑った。


「あぁ。これでいい」


 合気道の基本姿勢──半身。

 右足を正面に、左足は少し引き、外側へ向ける。右手は胸の少し前に、左手は腹のすぐそばに添える。この時、双手共に握らず、フラットな形で開いておく。

 ここで重要なのが、ボクシングなどとは異なり、腰は正面に向け、相手を見据えること。


「もー飽きたよー陽暈くーん。遊びもここまでにしよう……なんてねー」


 相変わらずおちゃらけた尋芽は、再び陽暈の目の前から姿を消した。やはり桁違いの緩急。

 次の瞬間、陽暈の右肩が掴まれた。だが焦らなかった。脱力したまま左手を回し、腕を掴む尋芽の手の甲に添える。

 が、ここで時の遅延が起きたが、右腕を掴まれているせいで、思うように体が捌けない──みぞおちに強烈な鈍痛が走った。


「ぐッ……!」


 尋芽の拳が叩き込まれた。後方に突き飛ばされたが、陽暈は受け身を取って立ち上がる。


「ふぅ……」


 再び脱力し、構える。この時、陽暈には、なにかが掴めそうな気がしていた。


「なになにー? さっきより弱くなってなーい?」


 煽ってくる尋芽などどこ吹く風と、陽暈は集中を途切れさせない。


 その後も彼女は、単調な打撃は一切行わず、体の一部を掴み固定し、そこでようやく打撃を繰り出す、という戦術を繰り返してきた。触式の対策は怠らないらしい。

 何度も何度も殴られ蹴られ、陽暈の体は悲鳴を上げ続けた。

 しかし当の本人に、その声は届かず、ただただ集中し続けた。


 合気道は、基本的に自身から攻撃を放つことはしない。あくまでも相手の気の流れや力を受け入れる。そしてそれを利用し、制す。

 体のどこかを掴まれる度、陽暈は身を委ね、反撃の機を模索し続けた。


 依然として、尋芽の動きは常軌を逸していた。速さだけではない。正確さ、そして緩急。ここぞという時の力の入れ方に、一切の無駄がなかった。

 陽暈はボロボロになりながらも幾度となく立ち上がり、全身の皮膚、そして体毛一本一本に意識をのばす。


 そうして高め続けた集中が極限に達した時、奇妙な感触が全身を包み込んでいることに気づいた。くわえてその感覚は、時の遅延が起きる以前から、迫る攻撃を気取っているようだった。


 触式特有の青いオーラとは別で、全身に薄い膜が張り巡らされている感覚。その膜により、自身の周囲に流れる風が可視化できている。


 気流──それは、動く者すべてが無意識に残す痕跡。目には見えずとも、確かに存在し、空間を揺らす微細な波。風のようで、しかし風とは違う。人が歩けば、空気は押しのけられ、足を踏み込めば、重さに応じて気流が跳ね返る。拳を振るえば、その速度に比例して空間が引き裂かれ、渦を巻く。

 目に映らない力の残響が、陽暈の体毛から皮膚へ確かに届いてくる。


 鼓動が静かになっていく。騒音のようだった思考が沈殿し、ただ感じることだけに意識が研ぎ澄まされていく。


 その瞬間だった。


 胸のあたり──空気がわずかに沈み、薄い膜が反応した。まるで水面に小石が落ちたように、気配が波紋を描いて迫ってくる。

 まだ触れられていない。だが触れられる寸前の空気圧を、陽暈の全身が先に察知した。

 気流の乱れは、確かになにかがそこにあることを告げていた。しかも、それが自分に向かってきていると。

 思考ではない。理屈でもない。身体が先に答えを出していたのだ


 陽暈は一切の反射を排除し、スッと後ろへ退いた。といっても、元々半歩後ろに下げている左足で、体を引き寄せただけ。そして気がつけば、胸の前にのびてきた尋芽の手の甲を捉えていた。


「──っ!?」


 ようやく焦りを見せた尋芽。

 その後、流水のごとく滑らかな体捌きで彼女の腕を巻き込み、肘に逆の手を添え、一瞬にして地に突っ伏させた。

 一秒もかからぬ間に、形勢が翻った。貨物船の上で、ファウンドの腕を捻り千切った時のような、無意識に近しい感覚だった。

 もはや尋芽の異常なスピードは問題ではない。自分に触れる前に風が語るのだ。


 とはいえ、陽暈にはその理屈が理解できなかった。いや、そもそも理解する必要がなかったと言えよう。


「ふぅ……」


 極限の集中状態にあった陽暈は、大きく息をついた。そしてあろうことか、彼は捻り上げていた尋芽の腕を、なんの未練もなく手放した。

 むろん、すかさず尋芽は立ち上がりながら距離を取った。


「な、なによ! どういうつもり……!」


 彼女が動揺するのも至極当然。というのも、地に伏せさせた後の一秒ほど、尋芽は身動ぎひとつ取らなかった。いや、おそらく取れなかった。

 それは二人の間にある、筋力の差が原因。

 つまり、陽暈が手を放さず、インヒビターを装着するなり、トドメを刺すなり、如何様にでもできたはずなのだ。


「尋芽、もう諦めろ。俺はお前を殺すつもりはない」


 合気道は、敵を打ち倒す武道ではない。あらゆる人々と調和、一体し、和合するための道。

 己を生かし、他を生かす。その愛こそが、全。

 ゆえに、いまの陽暈には殺意などありはしない。あるはずがないのである。


「ふんっ! バカじゃん?」


 尋芽には到底理解できることではない。なぜなら合気道歴十年以上の陽暈でさえ、いまこの瞬間、ようやく辿り着いた境地。

 逆に言うと、陽暈は少し、自分を恥じていた。合気を心得てきたはずなのに、これまで相手を倒すことばかり先行し、浮き足立っていたことに。


「ふぅ……」


 依然として、説得に応じる気配のない尋芽を見据え、陽暈は改めて構えた。そして極限の集中に達した彼は、瞑目する。


「マジで舐めすぎ」


 戦いのさなか視覚を捨てた陽暈の余裕に、尋芽が憤っている。そんな彼女の憤怒など意に介さず、陽暈は集中力を高め続けた。


「チッ」


 舌打ちが聞こえた直後、またもや陽暈は風の流れを感じた。今度は背後から。

 相変わらずその感覚の正体が、いったいなんなのか、彼には理解できなかった。ただ、触式による影響であることだけは確信していた。


 カッと目を開き、体をわずかに横にずらすと、左の脇から尋芽の手が顔を出した──すかさず右手でそれを掴む。

 腰に納めた刀を抜くかのようにして尋芽の腕を引きながら、左手を彼女の首へ添える──クルリと体が反り返った尋芽を、今度は仰向けの状態で地にねじ伏せた。

 眉根を寄せ、睨み付けてくる尋芽と視線が合う。


「もうやめとけ」


 首筋と、左手をおさえつけながら、陽暈は諭すように忠告した。

 しかし尋芽に降伏する様相はなく、自由が利く方の手で、首に巻きつく陽暈の手を引き剥がそうとする。


「はぁ……」


 陽暈は溜め息を吐きながら、またもや両手を放し、尋芽に自由を返還した。


「……バカにしてんでしょ、あんた」


 ゆっくりと立ち上がり、左腕をマッサージしながら尋芽が言った。


「いいや。でももう俺たちが戦う意味はないよ」


「はぁ? そんなのいくらでもあんでしょー? 仲間の仇討ちなり、裏切りに対する報復なり!」


「俺はもう怒ってない。いまはなんだか、気分がいいんだ。京鹿のことも、ちょっとは許してもいいかなって思えてる」


「なに偉そうなこと言ってんのよ。あんたはそれを決める立場にいないことも分からないの?」


「尋芽。本当にこれで最後。もう京鹿のことは忘れて、罪を償え」


 正真正銘、最後の忠告。

 やや間をあけて、尋芽は大きく肩を落とし、息をついた。


「はぁ……分かった。本当はあたしも殺したくはなかったの。ごめんなさい。陽暈くん……」


 ようやく陽暈の想いが、彼女の心に届いた。同時に、合気道の心得が、身に染みて理解できた気がした陽暈は、喜ばしかった。


「よかった。それじゃ俺を京鹿のいる場所に案内してくれ」


「うん。でも陽暈くん。ひとつだけ約束して。御門様には手を出さないで。あたしが説得するから」


「……できるか?」


「うん……頑張る」


「分かった。なら頼む」


 陽暈はそう言って、尋芽に背を向けた。不用意に背中を見せたのは、彼女を信じたいという陽暈なりの願望が込められていた。


 しかし──。


 背後で銃声が轟く──後頭部になにかが触れ、時の遅延が起きた。むろん、首を捻り、難なく回避した。

 ただ、陽暈は嘆いていた。やはり対話だけで戦いを終わらせることができないと、証明されてしまったからだ。

 銃弾が目と鼻の先を通過した直後、視界の左端に尋芽が認められた。

 そして、予想だにしなかった展開。

 触式を警戒し、これまで一度として使わなかった単純な打撃──その封じ手を解き、尋芽の左拳が振るわれた。


 当然、いまとなっては、気流が手に取るように分かる陽暈は、時の遅延が起きる以前に、わずかに体を回転させて強烈な左フックを躱した。

 空を斬った拳──その左腕を逃さず掴み取り、捻る。合気道における小手返しという技だ。筋組織が軋む感覚が手のひらを通じて伝わってくる。

 だが、倒れない。尋芽は食いしばるように踏みとどまっている。その姿に、陽暈は迷いなく力をこめる。靭帯が断ち切れる鈍い感触に続き、骨が擦れる痛ましい軋みを伴って、手首の関節を外す。


「あ゛あ゛あああァッ……!」


 尋芽の口から凄絶な悲鳴が迸ったが、陽暈は止まらない。

 翻した彼女の手を持ち替え、逆手にして反転──足を払い、肘を押し込む。後ろに反り返っていた尋芽は一転、前に折れ曲がる。


 その瞬間を逃さず、陽暈は肩を押し込みながら彼女を地面にねじ伏せる。そのまま腕全体を捻り上げ、肩の靭帯を裂き、脱臼させた。

 再び尋芽の叫喚が耳をつんざいたが、陽暈に罪悪感はなかった。

 その後、生気を失った腕を手放し、もがく彼女の脛椎に、容赦なく手刀を叩き込んだ。

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