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 深波(しんば)茉菜(まな)は、どこにでもいる普通の中学生だった。ただ、一つ周りと異なるのは、重病患者である兄を持つこと。


 拡張型心筋症──心臓は収縮と拡張を交互に反芻し、総身に血液を送り届けるポンプの役割を果たしているが、筋肉の収縮する能力が低下し、左心室が拡張してしまう病気である。

 自覚症状として見られるのは、動悸、息苦しさや易疲労感。慢性進行性であり、心肺機能の低下が進むと、やがて不整脈や心不全により死に至る。


 茉菜の兄、健太(けんた)は、進行速度が異常に速く、進学予定だった高校にも通えないまま、闘病生活を余儀なくされた。とはいえ、入院生活が続いたわけではない。かかりつけ医が定期的に診療に来るのと、家族の補助が必要だったものの、自宅で療養していた。

 両親からは、自分の家でゆっくりできる方が治りも早いのだと聞いていた茉菜は、そういうものなのだろうと疑問に思うことはなかった。

 しかし実際は、両親が経営していた飲食店が立ち行かなくなり、多額の借金を抱えていたことから、入院費用を支払うことができなかったため、病院側には無理を言って自宅療養に切り替えていたことが、後に判明する。


 飲食店を閉めた両親は、夜間帯に共働きするようになった。そのため、夕方から朝にかけて、健太の介護は必然的に茉菜の役目になった。通っていた吹奏楽部も退部し、中学校からはどこにも寄らずに帰宅するのが日課。

 介護を担う茉菜に対して、健太は毎日かかさず「ありがとう」とお礼を言って、微笑んでいた。家族だから当然だと答えたが、「親しき中にも礼儀あり」と言って、感謝の気持ちを言葉にし続けていた。

 誰よりも苦しいはずの彼は、誰よりも人を想える優しい心を持っていた。そんな健太のことを、茉菜は心から尊敬していた。


 彼が患っている拡張型心筋症の明確な治療法は、いまだ見つかっておらず、あらゆる薬の服用や、塩分制限、運動制限などで、症状の悪化を軽減させることしかできない。唯一完治する可能性があるとすれば、心臓移植。

 ただ、当然ながら臓器は、居酒屋のスピードメニューのように、希望すればすぐに提供されるものではない。

 この世には数えきれないほどの病気があり、様々な臓器の移植希望者が大勢いる。健太が必要とする心臓の移植希望者は数が多く、待機期間の目安は、約三年半。

 茉菜も、両親も、その期間まで、家族みんなで健太を支えようと団結していた。


 しかしある日、健太の容態が急激に悪化し、緊急搬送され、そのまま息を引き取ってしまった。医師曰く、入院していればなんとかなったのかもしれないのだとか。

 それを聞かされた両親は、泣き崩れた。

 父と母が取り乱す中、現実を受け入れられそうになかった茉菜は、呆然と立ち尽くしていた。そんな家族を尻目に、そそくさと退室しようとした医師が持っていたファイルから、なにかのメモが落ちた。

 たまたまその紙切れが茉菜の視界に入り、彼女はふと我に返り、拾って医師に渡そうとした。見ようと思ったわけではなかったのだが、メモの端に文字が見えた。


『……出必須臓器 骨髄 腎臓』


 その時は、なんのメモなのかは分からなかった。しかし、なにか妙な悪寒を感じたため、茉菜はメモをポケットに忍ばせた。

 疲弊した両親が、諸々の手続きをしている間に、茉菜は外のベンチに腰かけ、さきほど拾ったメモを開く。


『深波健太 拡張型心筋症 余命九ヶ月 移植希望申請不要 助成金案内不要 摘出必須臓器 骨髄 腎臓』


 なんの感情も感じられない、冷たく並んだ単語。その全ての意味が理解できたわけではないが、医師に問い質さなければならないことはいくつか見えた。

 どう考えても、なにか裏があると確信した茉菜は、健太が病死したのか、それとも殺されたのか、突き止めることを決意。ただ、両親にそんな話をすると、かえって混乱を招きかねないと考え、一人で行動することにした。


「ケンちゃんって余命宣告とかされてたの?」


 帰宅してすぐ、両親に確認したところ、どんよりした空気のなか、父親が答えた。


「全く聞いていない。それどころか、順調だって聞かされた」


「そっか」


 家族の会話は、弾むはずもなかった。

 しかし茉菜にとっては、一歩前進。自分はまだ子供であることから、余命宣告のことを隠されていたという可能性を否定できなかったのだが、父親から言質が取れた。

 つまり、医師が意図的に余命を告げなかったということだ。


「私たちがもっと働いて、稼いでいれば。入院できて、健太が死ぬことはなかった……」


 キリキリと奥歯を噛みしめながら、母親が悔やんだ。


「借金さえなければ……」


 涙ぐむ母に共鳴し、父も後悔の念をこぼした。

 それらの会話を聞き、茉菜はメモに書いてあった『助成金案内不要』という文字を思い出した。

 淀んだ空気のリビングからエスケープしたかったということもあり、すぐさま自室に籠り、ノートパソコンで血眼になって調べた。


 医療費に関する助成金は、様々な種類が存在し、政府の公式ページでは小難しい言葉ばかりが並べられており苛立ちを覚えたが、必死に感情をおさえ、マウスを走らせた。

 どうやら、兄が患っていた拡張型心筋症は正式には、突発性拡張型心筋症と呼ばれており、国が定める難病に指定されているらしい。二千人に一人の確率で発症するのだとか。

 そしてその難病に指定されている病気を患っている場合、医療費助成制度とやらの対象になるとのこと。複雑に記載されており、確証はないが、おそらく申請が通れば入院費は月額一万円で済む。それくらいならたとえ借金があったとして捻出できるはずだ。

 となれば、やはり助成金の案内はなかったのだ。もし案内されていたら、健太は自宅療養ではなく入院できていたし、いまごろ息をしていたのかもしれない。

 しかしあれこれと終わったことを考えても意味がない。とにかく前へ進むべきだと、茉菜は自分の尻を叩いた。


 次に確認すべきは、『移植希望申請不要』の文字。助成金の案内がなかったことを鑑みると、単純に臓器移植希望の申請がなされていなかったということになるが、そんなことありえるのだろうか。

 初めは懐疑的だった茉菜だが、調べていくうちに、寒気を感じていった。


 まず、移植希望者は、JOT──日本臓器移植ネットワークという社団法人に登録するのだが、患者や家族が直接登録できるわけではないらしい。まずは医師に診断しもらい、そして適応審査、移植に備えた採血を行い、ようやく登録に進めるのだ。

 そして登録も、同意書に署名し、医師を通じて行うため、申請を行ったことを装うのは容易いのである。もはやいまとなっては微塵も信用できないあの医師なら、やりかねない。


 なにか調べる術はないだろうかと思い至った茉菜は、JOTの問い合わせ番号を見つけ、早急に電話をかけ、健太の登録の有無を問うことにした。

 だがしかし、現実はそう簡単ではなかった。たとえ家族であっても、重要な個人情報を開示することはできないという回答だった。むろん、医師が申請をしていない可能性があることも訴えたが、回答は変わらなかった。


 スマホ下部に表示された赤い受話器のマークを押下し、大きくため息を吐いた茉菜の視界に、緑色のレインアプリが飛び込んだ。


「そうだ! タカなら!」


 彼女が口にした名は、同級生の男友達。ただの友人ではない。医者の息子という高価な肩書を持つ男だ。


 早急にタカに連絡した結果、彼は父親に相談してくれたらしく、それっぽい返信が来た。『セカンドオピニオンをしてみたらどうだって父さんが言ってたぞ』とのこと。

 セカンドオピニオン。それは現在診療を受けている担当医とは別の医療機関の医師に意見を求めるということ。さりとて、他界した健太の症状などを診てもらうことはできないため、どうすることもできないのではなかろうかと、考えあぐねていた茉菜のスマホに、追いメッセージが。


『うちの父さんなら、登録の照会くらいならできるかもしれないってさ』


 渡りに船とはまさにことのこと。茉菜は秒で返信し、タカの父親との面会の約束を翌日に取り付けた。

 一旦、移植希望者申請の件は置いておき、メモの最後に記された『摘出必須臓器 骨髄 腎臓』という文字について調べることにした。

 といっても、茉菜にはなんとなく予想はついていた。


「グラム二百万!?」


 あくまでも都市伝説的な意味合いが強いが、登録者300万人越えのヨーチューバーが、人間の臓器の値段について触れている動画を視聴した。彼女が驚愕の声を上げたのは、人間から採取できる骨髄の値段だったのだ。


 延長線上の話になるが、もっとも背筋が凍ったのは、ダークウェブと呼ばれる裏のネット空間では、まだ生きている人間やその臓器までもが商品として出品されている、という事実だった。

 そして、恐ろしいことに──それが落札されたあとに、標的となった人物が実際に拉致されるのだとか。

 つまり、今日もどこかで、平和に暮らしている誰かの体が、未来の在庫として闇の市場に出回っている可能性があるのだ。

 しかもその誰かが、自分でない保証など、どこにもない。


 話の路線を戻すと、兄の骨髄や腎臓を摘出した医師が、ブローカーに売りさばいていたとすると、メモ書きの内容も理解できる。というより、それ以外に考えられない。


 翌日、早速タカの父を訪ねた。

 健太が患っていた病名や、日々の症状をこと細かく説明したところ、難病であることから、移植希望登録は間違いなく可能だと言われた。

 その後すぐ、JOTに照会をしてもらったところ、回答は予想通りであった。


「登録されていないみたいだね……」


 予想してはいたものの、やはり衝撃は大きかった。余命が分かっていながら移植希望登録もされていなかったとなると、ただ死ぬのを待っていたようなものだ。

 それはつまり、病死したとは到底言えない。殺されたのだ。あの医者に。


 取り乱しそうな感情を落ち着かせ、タカの父親には面倒ごとにならないよう、照会してもらったことは口外しないことを約束し、茉菜は帰路についた。

 その夜、茉菜は寝ずに考え続けた。どうすればあの医師を追い詰められるのかを。

 警察に相談するか。相談したところで信じてもらえるのだろうか。実害が出ていないと動けないなんて言われるのではなかろうか。

 そもそも、もし全てが予想したとおりだったとして、臓器売買などという凶悪な事件に、子供が首を突っ込んでよいものなのだろうか。


 思考の海に溺れ死にそうになっていると、母が部屋の扉をノックした。


「茉菜。明日健太の葬式だからね……」


「……うん」


 葬儀という現実を突きつけられ、茉菜は思わず寂しげな返事をした。そんな様子を見て、母はなにかを言いかけたが、そっと扉を閉めた。彼女もいろいろと思うところがあったのだろう。


 翌日、葬儀を終え、火葬に立ち会った。

 すっかりと原型を失くした兄の骨を、壺に納めている時、茉菜は重大なミスを犯したことに気づいた。


「あぁ……!」


 咄嗟に声を荒げてしまい、みな驚愕したため、茉菜はすぐに平静を装った。父も母も、声を上げた理由を聞いてくることはなかった。中学生の子供が、家族を失って冷静にいられないなんてことは、なにもおかしい話ではない。そう思ったのだろう。

 だが茉菜の心は、焦燥感に満ちていた。


 彼女が気づいた初歩的なミス。それは、兄を火葬する前に、骨髄や腎臓が摘出されているか確認すべきだったということ。

 それさえ確認できれば、全てが進展していた。警察だって動かざるを得ないはずだったのだ。


 後悔先に立たず。次の手立てを考えるしかない。

 しかし彼女には、妙案が思いつかなかった。

 そして結局、辿り着いた答えは、れいの医師に直接問い質すという手段だった。たとえ犯罪者だったとしても、彼は医師。話し合いができるだろうと考えていたのだが、それはあまりにも甘い見立てであった。

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