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 黄昏時に開かれた府上刑務所での報告会議には、実のところ続きがあった。

 一時は、碧がブラックドッグの内通者であると断定されかけていた。だが、零士の問いを機に陽暈の記憶がよみがえったことで、状況は思わぬ急展開を見せたのである。


「そういえば、陽暈くんって爆発が起きたことの伝達を任せたよね。東エリアで碧のこと見かけた?」


「あぁ! 見た!」


「だとすれば……局に着くのは、ちょいと早い気がするかな」


 府上刑務所から局までは車で30分ほどかかる。陽暈が全力で建物の屋根や屋上を走っても、15分強かかった。

 13時半に起きた爆発の約15分後──13時45分に碧が局に到着したとなると、少し違和感があるのだ。


「確かに早すぎるな。爆発が起きた直後か、それ以前に動き始めてなければおかしいということか」


 柳生の口からポロリと述べられたその考察に、陽暈の身の毛がよだった。

 東エリアには、いたのだ。爆発直後か、それ以前に姿をくらました人物が。


「嘘だろ……いや、そんなことは……」


 ひとりでにあたふたし始めた陽暈。もちろん、彼の様相を柳生が見過すはずもない。


「なんだ天若。なにか思い出したのか」


「はい……俺は碧と会った時、少し話したんすよ。あいつ、尋芽といつも一緒にいるんすけど、あの時は一人だった。だから尋芽はどこだって聞いたら、変な音が聞こえたからって塀の中に飛び込んだって……」


「なるほどね。碧が生きて帰れば、カメラの映像が自分ではないことも、ヒロメンが途中で抜け出したことも発覚する恐れがあるから、口封じのために命諸とも葬ったってとこかな」


 零士は顎に指を添え、冷静に事実を整理していく。まるで感情を交えぬ機械のように。


「死人に口なしということか」


 柳生もまた、頷き、納得を示している。


「いやでも! 尋芽がそんなことするはずないっすよ! こんなこと、ここで言うことじゃないっすけど、あいつら最近付き合い始めたばっかなんすよ!?」


 陽暈の声には、信じたいという強い気持ちが滲んでいた。だが、その必死の反論も、柳生の論理には通じなかった。


「それなら、入局用のカードを盗むことも造作もないな」


 事実のみを突きつけるような柳生の言葉が、陽暈の胸を鋭く抉る。希望の糸が少しずつ、着々とほつれていくのを感じた。


「それに、碧の遺体を見つけたのは、ヒロメンだよね」


 第一発見者が疑われる──殺人事件のセオリー。

 そんな常識を陽暈も理解している。理解しているからこそ、認めたくなかった。


「それは……」


「とにかく、一旦仁志の件は他言するな」


 納得できない陽暈を置いていくように、柳生が区切りをつけた。するとしばらく黙っていた凱亜が、鋭い目で差し込む。


「姉御、捕まえへんのかいな」


「むろん、見過ごすつもりは毛頭ない。だからこそ、奴が内通者であると仮定して、利用する」


「利用する?」


 凱亜がきょとんとした表情で問いかけると、柳生は頷いた。


「拠点制圧作戦は、明日の夜に決行するつもりだったが、今夜に変更する。だが、他の捜査官らには明日の決行と偽る」


「なるほどな。仁志に偽の情報を掴ませるっちゅーことか」


「そのとおりだ。いずれにしても、朝顔の救出を急がねばならん。それに、FRCとやらが完成して、敵戦力が強化されるのも避けたい」


「尋芽が内通者じゃないかもしれないっすよ……」


 言った瞬間、自分でも笑えるほど声が震えていた。

 掠れたその調子は、信じようとする気持ちと、すでに裏切りを疑ってしまっている自分との、狭間に立つ声音。


「それならそれで問題はなかろう。仁志には監視をつける。奴に不審な動きがあれば、すぐに共有しよう」


 相変わらず、陽暈の悪足掻きには耳を傾ける素振りも見せずに、柳生は方針を決定した。


 ブラックドッグ本拠地制圧作戦を急いたのには、月乃の救出やFRC完成までの猶予を与えないという目的は当然ながら、真の理由は尋芽が敵である可能性を憂慮してのことだったのだ。

 裏切りの芽を摘むのなら、欺くのなら、抑え込むのなら今夜しかなかった。


 しかし──彼女はそこにいた。


 和室の中央に鎮座する桃色の髪の女と対峙した陽暈は、憤りで全身が震え始めていた。


「どうして連絡がないのにきみがここにいるのかな」


 相変わらず乱されることのない零士が、首を傾げる。


「あぁ~うちに貼り付いてた捜査官のことぉ? 三人くらいでうちを拘束できると思われてたとか心外なんですけどぉ」


 その口調はあまりにも軽薄で、場違いなほどに飄々としていた。殺意も緊張も感じていないかのように、尋芽はいつもの調子で、他人事のように言い放つ。


「そんなことはどうでもいい」


 陽暈には、いろいろと問い質したいことはあった。だが、いまとなってはどうでもいい。

 確認せねばならないことは、ただ一つ──。


「碧を……碧を殺したのは、お前なのか……?」


 すぐ傍まで近づき、座する尋芽を見下ろしながら問う。


「えぇ~、うちがそんなことするわけなぁいじゃぁ~ん」


 従来通り、緩い口調の尋芽。しかしその行為は、陽暈の堪忍袋の緒を刺激するだけだった。


「尋芽。もうその喋り方やめろ」


 震える拳を静かに握り込みながら、陽暈は低く、刺すような声を絞り出した。威圧でも、怒りでもない。

 それは、必死に感情を抑え込んだ末に滲み出た、哀しみと拒絶の声だった。


 心の奥で、まだ信じたくなかった。尋芽が裏切者であるはずがないと、何度も何度も否定し続けてきた。

 碧を抱き寄せて、声を上げて泣いていたあの姿──血に濡れ、震えながらも誰よりも痛みに染まっていた彼女の涙が、すべて演技だったなんて、思いたくなかった。


 だが──。

 こうして、敵の本拠地の、ど真ん中に座する彼女の姿を目にしてしまった今、どれだけ言い訳を並べても、答えは、もう出てしまっているのだ。


「あの涙は嘘だったって言うのかよ」


 陽暈の問いに、尋芽はふっと大きく肩を落とし、心底うんざりしたようにため息を吐いた。

 その瞬間、彼女の身体から放たれたのは、赤と緑が交じり合う、不規則に脈動する奇怪なオーラ。見たこともない異質な光に、陽暈の心が一瞬だけざわめく。だが、それでも言葉をぶつけた。


「碧を殺したのは、お前か」


 尋芽はゆっくりと立ち上がり、その瞳で陽暈を下から上へとねっとり舐めるように見上げた。双眸に浮かぶのは、情など一滴も感じさせない、冷ややかな光。


 そして、声を低くして、はっきりと言い放つ。


「だったらなんだよ」


 柔和な微笑みなど消え失せ、残されたのは鋭い目つきと、深く刻まれた眉間の皺だった。


「女の涙は信じるなって言うでしょ? なに真に受けてんだよマジ笑える」


 まるで別人。語気も面差しも声色も、なにもかもが尋芽ではない。いや、本当の彼女はきっとこうなのだろう。


「あたしが殺した。あいつもあたしに殺されて幸せだったんだろーね。刺した時は涙流して喜んでたよ」


 陽暈の脳裏に、血に染まった碧の顔が蘇る。

 確かに彼は笑顔だった。それが愛する人の腕の中で息絶えたことへの歓喜だったと知った今、陽暈の胸には、耐え難いほどの熱が込み上げていた。


「なんで……殺した…………」


「はぁ? そんの決まってんだろ? 口封じのためだよ」


「ふざけんなよお前。碧がどんだけお前のことが好きだったか、分かってんだろ」


「知らねぇよそんなの。てゆーか、鬱陶しかっただけ」


「尋芽……お前はなにが目的なんだ…………」


 低く押し殺した声で、陽暈が問う。その瞳にはまだ、わずかに未練が残っていた。どこかで、彼女の真意を知りたいと願っていた。


 しかし──。


「目的? 別にそんなのないよ。うちは御門様と一緒にいられればそれでいいの」


 無邪気な声色。

 それは理想も理念も持たぬ者の言葉だった。何かを壊すことに意味など要らず、ただ従属し、盲信し、破滅を喜ぶ狂信者の声。


 その瞬間だった。


 ドンッ──!


 鈍い衝撃音と共に、尋芽の身体が宙を舞った。乾いた音を立てて木材が軋み、砂壁に亀裂が走った。空気を裂いた一閃──零士の蹴りが彼女の腹を捉え、背後の壁へと吹き飛ばしたのだ。


 すぐさま陽暈の前に立ちはだかり、零士は一つ息を吐く。


「さて陽暈くん。もう彼女が黒であることは確定した。じゃ、分かるよね?」


「うっす……」


 陽暈は唇を噛み、頷いた。まだ対話で解決できると思っていた自分が、滑稽に思える。

 ここは法廷でも教室でもない──戦場だ。情を抱く暇があるなら、刃を研げ。敵を屠り、月乃を救い出す。それだけが、この場に立つ理由だ。


「いったいなぁ……」


 飄々とした声。

 壁に叩きつけられたはずの尋芽が、砂を払うように立ち上がった。その姿には、血の一滴も、傷のひとつさえ見られない。

 彼女の背後に、再びあの異様なオーラ──赤と緑が複雑に絡み合い、ねじれ、うねる色彩が浮かび上がる。


「見間違いじゃなかったのか……陽暈くん。あのオーラの色、どうやらヒロメンは視式と聴式の二つ持ちだね」


 零士が冷静に告げる。目の前の異常に、さすがの彼も眉をひそめていた。


「そんなのアリっすか!?」


 陽暈が思わず声を上げる。常識から外れた現実に、肩がわずかに強張った。


「聞いたことはあったんだけど、俺も見るのは初めてだ」


「マジかよ……」


 静かに頷いた零士の声が、不穏な現実を確かなものにする。

 陽暈は拳を握った。迷いを振り払い、感情を一つにまとめ上げる。


「とにかく、戦いづらいのは分かるけど、情けはかけちゃいけないよ」


「分かってる。碧の仇は俺が討つ」


 短く強く応じ、陽暈は構えた。拳に込めるのは未練ではなく、決意。

 隣では零士が十手を抜き、すっと腰を落とす。


「あぁあーやっぱり零士さんは冷たいなー。初めて会った時からそんな気はしてたけどー」


 尋芽の口調が耳障りだった。ピンクの髪をくるくると弄びながら、彼女は笑顔のまま陽暈に歩み寄る。挑発そのものの態度。だが、陽暈はその歩幅すら見逃すまいと身構えた。


 距離が十メートルを切った、刹那──尋芽の姿が視界から消える。直後、耳元に生ぬるい息が触れた。


「まずはお前」


 鼓膜をかすめた囁きに、陽暈の心拍が跳ね上がる。同時に、視界の下から彼女の手が胸元を狙って伸びてきた。


「くっ……!」


 次いで横合いから、零士の十手が鋭く閃いた。尋芽の頬を狙った一撃──しかし当たらない。体を逸らして躱される。

 だがその一瞬が隙となった。陽暈は前へと踏み込み、渾身の拳を振るった。


「うぅらぁぁぁあああ!」


 その拳もまた、空を裂いたのみ。尋芽は身体を反らした勢いでそのままバク転し、陽暈の間合いから逃れる。

 間髪入れずに零士が再び十手を構え、彼女に詰め寄った。陽暈も蹴りを交えながら、遅れまいと続く。

 二人がかりで押し込むも、尋芽は翻弄するように舞いながら避け続けた。


「ぎゃははは! ほらほら当たんないよー!」


 陽暈と零士のコンビネーションを回避できるほどの立ち回りから察するに、彼女が持つ視式は動体視力の向上であると考えられる。くわえて聴力の飛躍的向上。


 仮に彼女のバーストアビリティが視式だけであれば、致命傷を与えることなど造作もなかっただろう。なんと言っても視式の弱点は死角からの攻撃。零士と連携すればいくらでも死角を作れる。

 逆に、視式でなく聴式のみだったとしても、特執でも最強と謳われる零士の猛攻を回避できるとは思えない。指折りの実力者である真壁が、零士には白旗を挙げているのがなによりのエビデンスだ。

 とどのつまり、なぜ陽暈と零士の攻撃を、尋芽が容易に回避できるのかというと、視式の弱点である死角を、聴式が上手くカバーしているからなのだ。


 尋芽はひとしきり攻撃をいなし終えると、跳ねるようにして距離を取り、大きく後退した。


「やっぱり二対一はずるいよー。一人ずつなら負ける気しないのになー」


 軽口を叩く尋芽に、陽暈は奥歯を噛み締めた。息すら乱れていないその様子に、彼女の本気はまだ底を見せていないと悟る。


「一対一の勝負なら、逃げずに戦ってくれるのかな?」


 零士も冷静だった。焦りどころか、どこか楽しげですらある。きっと彼なりに勝算があるのだろう。


 そのとき、引き戸が音もなく開いた。

 現れたのは、白い犬の仮面をかぶった女。


「あー! レイニー様ぁ! もー遅いよー!」


「なにを悠長にしている。尋芽」


「手厳しいなー。そこにいる二人、強さで言うとたぶんいまの局でトップツーなんだよー?」


「それがどうした」


「もーヨーチューブのコメ欄みたいなこと言ってないで手伝ってくださいよー」


 くだらない掛け合いに陽暈が苛立ちを覚えたその時、零士が割って入った。


「ではここで一つ提案!」


 その笑顔には悪戯心すら滲んでいる。


「レイニーちゃんは俺と、ヒロメンは陽暈くんと、一対一の勝負をするってのはどうかな!」


 言葉の意味を理解した瞬間、陽暈の顔が強張る。


「ちょ、なに言ってんすか!?」


「おぉー! いいねぇそれぇー! レイニー様レイニー様! いいよね?」


「いいだろう。九頭零士、ついて来い」


 レイニーが冷たく睨みつけたあと、踵を返した。


「御意!」


 零士は一言残してその背に続く。


「零士さん!? マジで言ってる!?」


「マジマジ。きみなら勝てるよ」


 ふざけたような笑顔が、背中越しにちらりと見えた。


 そうして陽暈は、その場に取り残され、尋芽と二人きりになった。


「陽暈くん。あたしらの仲間になる気はないの?」


「あるわけないだろ」


「そっかー。あたし、碧くんより断然陽暈くんの方が好きだったんだけどなー」


 そんな言葉で心が動くはずもない。尋芽の甘ったるい声は、陽暈の耳には不快でしかなかった。


「罪を償う気はないのかよ」


「知ってる? 罪って償っても意味ないんだよ」


「はぁ?」


 思わず眉根を寄せる。だが尋芽は構わず、ぺらぺらと喋り続ける。


「例えば~、人を殺して刑務所に入って、ちゃんと期間満了してシャバに出たとするじゃん? でもそのあともずっと、人殺しだからってみんなから避けられるし、社会は受け入れてくんないわけ。だったら刑務所に入ってた時間はなんだったのって話じゃん? どうせ一生罪を背負って生きて行かなきゃいけないんだから、償おうが償わまいが一緒なんだよ」


「なに言ってんだお前。それが罰ってもんだろ」


「だったら全員死刑にすればいいじゃん。一生罪を背負って生きていかなきゃいけないんだったら、死んだ方がマシでしょ? それなら再犯による被害もでないし、受刑者のご飯代もかからなくていいじゃん! そうだ! これで減税にも繋がるかも! あたし、選挙出馬しちゃおっかな!」


 陽暈は黙って聞いていた。心に渦巻くのは怒りだけではなかった。悲しみ、虚しさ、後悔、それらがない交ぜになって胸に詰まっていく。


「罪を背負って、ちゃんと社会に復帰した人も大勢いる。それを目指してたやつもな……だからお前の考えは、ただの甘えだ」


「そんなのごく一部の恵まれた人だけだよ。あと、罪の重さ次第。どうせ社会は受け入れてくれない。そうやってあぶれた人を、いままでたくさん見てきた」


「だったら尋芽は、この社会に報復するためにブラックドッグにいるのか?」


「だからあたしは違うって」


「だったらどうして──」


「好きなの。御門様が。誰よりも愛してるの。だからあたしは、死ぬまで御門様と一緒にいたいの」


 誰かを好きになるということが理解できない陽暈には、到底共感できる言い分ではなかった。


「くだらねぇな。そんなことのために、人を殺すなんて許されていいはずがない」


「陽暈くんは子供だから分からないんだよ~。愛っていうのは、時に凶器になるんだよ~」


「分かりたくもないな」


「あ~つまんない。もうそろそろ殺していい?」


「あぁ。そうだな」


 陽暈の中で、何かが静かに切れた。目の前の女は、かつての尋芽ではない。それがはっきりと分かった。もう迷うことも、惑うこともない。

 碧が受けた痛みを、この女にも味わわせなければならない──それが、陽暈に与えられた役目だ。


 そうして、戦友との殺し合いの幕が上がった。

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