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九頭零士は、刑務所の中央に設置された、高さ百メートルにも及ぶ監視塔の頂点に立ち、刑務所全体を見渡して状況把握に徹していた。
房からは、巣から湧き出る蟻のごとく受刑者が雪崩れ出ている。それも全員、漏れなくランペイジ状態であることが、紫のオーラにより理解できた。
ちなみに、非常用回線により機動隊やSATの要請は済んでいるが、到着まで早くても二十分程度の時間を要するとのこと。
刑務所内の設備案内を受けられるツアーに参加している一般人が約千人。それ以外にも正門付近に入場している客が数多。受刑者が四方に散らばれば、被害は刑務所内だけにはとどまらない。
となれば、いまは早急に出入口を封鎖すべきか。否──それをすれば、中にいる一般人を見殺しにするようなもの。どのみち、五メートルほどの塀は、ランペイジ状態の受刑者に取って障害とはなり得ない。
それならば一般人が避難できるよう出入口は解放したままにすべきか。
「どう思う?」
零士は、隣にしゃがみこむ女に問いかけた。
「そんなの決まってるでしょ。皆殺しよ」
ワインレッドの髪の彼女は、花染梨紗。人と同じくらいのサイズのスナイパーライフルが武器。その特徴は、なんと言ってもスコープが取り付けられていないこと。
花染のバーストアビリティは視式で、純粋な視力が飛躍的に向上している。
そのアビリティと、生まれ持った狙撃の才を持ってすれば、どれだけ離れていても視認できる限り獲物を撃ち抜ける。スコープなしで。
重厚な銃は、通常のライフルとは比にならないほどの威力を放つため、その反動もまた異次元。それは常識はずれの筋力を扱えることを想定した設計なのである。
「やっぱそれしかないよねー……」
「さっさと許可を出して。じゃないと逃がすわよ」
凱亜と花染、そして早乙女は、零士の同期である。
四人とも、ある程度冷酷な判断が下せるが、梨紗は頭一つ飛び抜けている。そんな彼女の冷たさに、救われたことが何度もある。おそらく今回も、彼女が正しい。
むろん、零士も同じ意見だ。ただ、受刑者が全員ランペイジ状態にあると仮定すると、数が多すぎる。
現在の収容人数は約三千人。その全員を殺めるとなると、捜査官の精神的負担も計り知れない。
ランペイジを解くため、頸椎に衝撃を与えて気絶させるという方法もあるが、それほど悠長に対処できる規模ではない。
ましてやバーストしていない捜査官からすれば、一対一でも苦戦を強いられるはずだ。意識だけを奪うなんて器用なこと、できるはずがない。それに注意を削がれ、殉職すれば元も子もない。
くわえて、一人でも取り逃がせば、周辺住民への被害が避けられない。すでに文化祭参加者の被害は拡大し続けている。
そう、もう答えは出ているのだ。
「仕方ないかな」
大きく息をついた零士は、道中で物色しておいたメガホンを口元に添えた。
『あー、あー、こちら九頭零士! 全捜査官に継ぐ!』
正直、この判断を下すのは心苦しい。そしてそれを後輩たちに強いることもまた、胸が痛い。だが、残された時間がわずかである現状、他の策を練ることもできない。
『受刑者がランペイジ状態となったいま、取り囲む塀は存在意義を失った! 一般人を避難させるためにも全てぶち破れ! だが総勢三千人の受刑者を解き放つわけにはいかない! 我々は致死的武力行使を認可されている! ランペイジ状態の全受刑者への武力行使を、許可する! バーストアビリティを有する捜査官は塀の中へ! それ以外は塀の外を包囲!』
致死的武力行使──文字を読めば意味を理解することは容易い。死に至らしめる武力の行使のことで、簡単言えば殺すということ。
日本の警察官は拳銃を所持しているものの、そう安易に使用してはならない。しっかりと発砲の条件が整っていない状態で犯罪者を射殺した場合、特別公務員暴行陵虐致死罪に問われる場合がある。
しかし特執は、相手がニュークである場合に限り、いかなる状況であっても致死的武力行使を国家公安委員会から認可されている。
それこそか、特務執行局の本当の役目なのである。
果たして皆殺しにする必要などあるのだろうか。
そんな中立的な疑問は、この惨状を目の当たりにした者には湧き上がらないだろう。地獄を終わらせるにはもう、それ以外にない。
少しでも躊躇すれば罪無き一般市民の命が危険に晒される。それだけは避けなければならない。
零士も一人の人間。三千人を虐殺するなどという指示を出すのは、苦しかった。だが彼の声からは、数々の死線を潜り抜けてきたがゆえの経験値と判断力により、全ての覚悟を済ませているような力強さを感じられた。
「あんたが責任を感じるのは傲慢よ」
そう言いつつ、花染が片目を瞑りながら銃を構えた。
「アハハ。いつになく優しいじゃない梨紗ちん」
「うっさい」
吐き捨てた花染は、早速、シュパンッという乾いた音を轟かせ、弾丸を撃ち放った。その衝撃波で、ワイレッドの髪がふわりと浮き上がった。
次いで、刑務所内を囲む塀が、地響きにも似た音を立て、土煙を巻き上げながら北エリアから順に倒れ始めた。
馬鹿力を持つ凱亜の所業だろう。それに続いて、東、西、南と、四方に開くサプライズボックスのように塀が崩壊していった。
それに乗じて、混乱する一般人が散らばり逃げ惑う。
「梨紗ちん。一人も逃がしちゃいけないよ」
「誰に言ってんのよ」
わずかに口元をほころばせた零士は、手にしていたメガホンを無造作に放り投げると、両腕を大きく広げた。
そして翼を得た鳥のように、いや、自ら進んで堕ちる天使のように──羽ばたく姿勢で、地獄へと向かって飛び立った。




