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 陽暈は之槌と共に府上刑務所へ訪れ、公安の捜査員というていで、刑務所長である城山(しろやま)と面会した。冗談が好きで、陽気な小太り親父だった。ちなみに元々、之槌と面識があったらしく、二人は親しそうに話していた。


 そうして城山から許可を得て、所全体の調査へ移行。

 正門を抜けると、広大な敷地が広がっていた。マップアプリで見てはいたが、やはり実際に目にするのとでは全く異なる印象を持つ。


 周囲を囲むのは、高さ約五メートルの塀。鉄とコンクリートで固められた壁が約ニキロにもわたり、この場所を外界から完全に遮断している。敷地内は静かで、時折、遠くから作業の機械音が響いてくるだけ。


 陽暈と之槌は、足を進めながら、案内役の刑務官とともに施設を巡る。


 収容棟──まず目に入ったのは、ずらりと並ぶ収容棟群。そして病舎と誠心寮。どれも三階建てで統一されており、外観だけでは目的の違いは分からない。

 収容棟の窓には鉄格子がはめられ、規則正しく並ぶ扉の奥には無機質な房が連なっている。現在、この刑務所では三千人近くの受刑者を抱えているのだそう。

 誠心寮は他の棟とは違い、どこか落ち着いた雰囲気があった。仮釈放予定者を収容する開放房で、二週間ほどの教育を経て、社会復帰へ向かうのだとか。刑務所にいながらも、ここだけは少しだけ外に近いのかもしれない。


 工場群──視察の中でも、特に注意を向けたのは工場だった。三十近くの工場がずらりと並び、それぞれ異なる作業が行われている。

 受刑者の食事を作る炊場工場、衣類を扱う洗濯工場、さらには図書工場、営繕工場、衛生関連の工場、清掃を担当する内掃工場まであった。本来であれば業者に委託するようなことも、全て自営で行っているということだ。


 運動場──刑務所内には運動場が四つ。陽暈はそのうちの一つを訪れた。コンクリートの地面にはいくつかのラインが引かれ、壁際には鉄棒や簡単な運動器具が置かれている。受刑者らは、定められた時間だけ、ここで体を動かすことが許されているらしい。


 たまたま訪れた運動場に、久しく会う人物がいた。


「あ! あんた!」


 陽暈の顔を見て声をかけてきたのは、痛んだ金髪と、耳に多くのピアスをあしらった男。


「あー! あの時の!」


 なんと、現金輸送車を強奪した運転手だった。


「いやー! まさかこんなところでまた会えるとは!」


「な、なに? 俺に会いたかったの?」


 終始テンションが高かった男は、少し姿勢を正した。


「はい……俺、とんでもないことをしでかしたんだって、ここに来てやっと理解したんです。なんかネットで募集してたバイトに応募して、初めはそんなに悪いことしてるつもりなかったんですけど、いつの間にかエスカレートしてて、軽い気持ちであんなことまで。

 でも、誰かの命を奪ったりする前に、ここに来れて良かったです。だから、あの時、俺を力づくで止めてくれたことにお礼を言いたかったんです! ありがとうございました!」


「そっかそっか。闇バイトに応募したってのは本当だったんだな。これからは真っ当な人生を送れればいいっすね」


「はい! 刑務官のみなさんも、厳しそうに見えますが、愛を感じられます。俺、本当に人生やり直します!」


 目の前に迫る危機から救い、その人から感謝の気持ちを伝えられたことは、これまでの任務で何度もある。死にかけたところを助けられたからお礼を言う。自然の流れだ。

 しかし今回は、命を救ったと言うより、更生する手助けをしたと言える。いつもとは少し異なる角度から、誰かの人生に影響を与えたのだと実感できて、陽暈は素直に嬉しかった。

 きっと金髪の彼も、いつか社会復帰し、本来の道を歩むことができるのだろう。そう考えると、人の人生を良い方向へ導いてあげられた気がした。


 その後も刑務所内を巡回したが、特に怪しい動きは見受けられなかった。ちょうど感染症の予防接種が始まる時間だということもあり、陽暈たちは城山に簡単な挨拶を済ませ、刑務所をあとにした。


 帰路の車内。ハンドルを握る之槌がふと口元を緩めた。


「ほっほっ。すっかり頼もしくなりましたな」


「そっすか? 俺、前から頼りがいある男っすよ」


「これは失敬。確かにそうでしたな」


 孫の冗談を軽やかに受け止めるようにして、之槌は柔らかく目尻を下げた。その穏やかな笑みに、陽暈もつられて軽く笑みを浮かべる。


 局を目指してしばらく走っていると、静かに之槌が口を開いた。


「朝顔殿、いまだ記憶は戻らずですか」


「……っすね。いろいろ話したり、遊んだりしてるんすけど、何も思いださないっす」


「そうですか。しかし目を覚ましてなによりでしたな」


「っすね。本当に」


 そのやり取りから数分の間を空けて、之槌が再び唇を震わせた。


「天若殿は、ヴェルマという男が憎いですかな」


「え? どうしたんすか急に」


 鼻で笑いながら聞き返した陽暈。唐突に投げられたその問いに、動揺してしまった。


「親御さんと弟さんを失ったあの夜から、あなたは見違えるほど変わりました。心も体も強くなったとお見受けします。しかしね、眼の奥の光は、あの夜から変わっていませんな」


「そ、そうっすか? もうだいぶ落ち着いたと思うけど」


 自分自身、本当に落ち着いたと思っていた。嘘はない。

 しかしながら、之槌の言葉を受け、脈が波打った。体が反応したと言うべきか。


「この老いぼれ、何十年もの年月をかけて培った能力がありましてな。局のみなさんが言うオーバーアビリティとやらに近いものです」


「え!? 之槌さんオーバーしてるんすか!?」


 心拍数が妙に上がりつつあった陽暈は、過剰なリアクションを見せた。


「ほっほっ。まさか。そういうわけではありませんな。ただ、そこいらの人間の考えていることは手に取るように分かるのです」


「どうやって?」


「見るのですよ。目鼻口はもちろん、腕や脚、指先に至るまで、全てを観察します。目は口ほどに物を言う。いえ、目だけではありません。その人物がどんな仕草をして、どんな言葉にどのような反応を見せるか。全てを洞察すれば、自ずと心の中の声が聞こえてきますな」


「へぇ……」


 半分信じ、半分疑った。ただ、之槌の語り口は、他の人にない、奇妙な空気が漂っているのは、以前から感じていた。それが相手の心理を揺さぶるためのものなのか、或いはただの癖なのかは分からない。


「胡散臭い。そう思いますか?」


「……そりゃあ簡単には信じられないっすね」


「まぁ無理もありませんな──では天若殿。ひとつ、正直に答えてくれますかな」


「いいっすよ。隠し事はしてないつもりっすから」


「嘘をついても無駄ですぞ」


「分かってるって。なんすか? 聞きたいことって?」


 之槌は、少しだけ開けていた窓を閉め、車内に蓋をした。


「ヴェルマを、殺すおつもりですかな?」


 いまや密閉に近い空間は、その問いを機により一層静まり返った。さきほどまで窓の外から流れ込む風音が絶え間なく響いていたが、いまは遠くの方でタイヤがアスファルトを踏みしめる音が薄っすら聞こえる程度。


 陽暈は即答できなかったが、ぶふっと噴き出した後、嘲笑しながら答えた。


「殺さないっすよ。人の命を奪うことはいかなる理由があっても悪だって、じいちゃんが言ってた。だから殺すつもりはない」


 嘘をついたつもりはなかった。だが、嘘ではないと言い切れるほど、胸は張れていない。倫理は理解していても体がどう動くかまでは、予想できない。頭と体が乖離しているような、不思議な感覚。


 すると之槌は、閉めた窓を再び開け、風音を車内に取り込んだ。


「そうでしたか。そう来ましたか。残念ながら天若殿には、私の能力を信じていただくことはできそうにありませんな」


「え? どういうことっすか?」


「ほっほっほっ。なーに、老いぼれの戯言です。忘れてください──さ、到着です。文化祭当日は、私も参りますので、どうぞよろしくお願いいたします」


「う、うっす。そんじゃ」


 警視庁地下駐車場にて、陽暈は下車した。むろん、モヤモヤしたまま──。


 局に戻ると、丁度柳生からメッセージが入り、月乃の件で話があるとのことだった。急ぎ、司令室へ赴いた。


「座れ」


 しっかりとノックをして、許可を得てから入室すると、着席を許された。黒いレザーでできた高級感のあるソファに腰かける。

 やや間を空けて、柳生が言い放った。


「お前の希望どうり、朝顔の自宅には警備をつけることになった」


 実のところ、陽暈は月乃に警備をつけることを打診していた。

 いまやバーストアビリティを失い、戦うことができなくなった月乃を一人にすることは危険。ブラックドッグには顔が割れているため、なにが起きてもおかしくはない。彼女の家族にも、なにかあってからでは遅いと、陽暈は憂いていたのである。


「ありがとうございます……」


 とはいえ、陽暈は安堵できなかった。たとえ警備をつけても、ブラックドッグには凶悪なニュークが何人いるのかすら分かっていない現状、安全とまでは言い切れない。

 そんな彼の浮かない面持を見て、柳生は眉根を寄せた。


「なんだ。まだなにか不満か」


「いや……本当にこれで大丈夫かなって……」


 陽暈の弱音を聞き、柳生は鼻で笑った。


「警備にあたる捜査官は、嗅式と聴式だがバーストしている。並のチンピラには遅れを取らん。安心しろ」


「そっすよね。あざっす」


 依然として、陽暈は不安だったが、納得する他なかった。

 その後、しばしの静寂を置き、柳生が口を開く。


「いい機会だ。バーストに成功したお前に、一つ確認しておきたいことがある」


「なんすか?」


「人を殺す覚悟は、あるか?」


「殺すって……」


「では、人に殺される覚悟はあるか?」


 即答できずにいた陽暈を見かねたらしく、柳生が問いの角度を変えた。


「それはある」


 陽暈は即答した。すると柳生は嘲笑した。


「では、もし、やむを得ぬ理由があり、目の前のニュークを殺さなければならないとして、殺せるか?」


「やむを得ないってのがよく分からないっすけど、殺すことはできないと思う」


「そうか。やはりお前は、甘すぎるな」


 今度は微塵も笑みをこぼさず、鋭い目つきでそう言った。


「でも、いかなる理由があっても人を殺すことは悪だってじいちゃんが言ってた。俺もそう思ってる」


「なにを言ってる。私は人殺しが善か悪かなどという話はしていない。そんなことは分かり切った話。人の命を奪う権利は誰にも無いからな」


「だったら──」


「だがしかし」


 だったら殺しちゃいけないんじゃないか。そう反論しようとした陽暈に、柳生が言葉を重ねた。


「我々は正義の名のもとに人殺しを許可されている。そしてそれを肯定し、国民を守ることが仕事だ。独善だと言われればそれまでだがな。私はお前に、その覚悟があるかと問うている」


「覚悟って……」


 まごついた陽暈。ほどなくして、柳生は司令席から立ち上がった。


「昔、100人の赤子に愛情を与えなかったらどうなるかという、倫理を無視の実験があった」


 そう言いながら、彼女は陽暈の対面──ソファに腰かけ、足を組んだ。スラリと伸びた脚に黒いパンツが流れ、凛とした風格を纏っている。彼女はいつもジャケットを脱ぎ、腕をまくっている。今もそうで、身体に沿うシャツが、意図せずして輪郭を際立たせていた。

 早乙女のように露骨な色気を振りまくわけではないが、柳生にはそれとは別種の、成熟した大人の静謐な魅力がある。


「愛情? なんすかそのフワッとした実験」


「目を合わせること、微笑みかけること、話しかけること、スキンシップ、これら全てを禁じた。これで一般的な愛情表現はできないということだ。とはいえミルクは与え、排泄処理もする。その結果、どうなったと思う?」


「うーん……みんな根暗になっちゃったとかっすか?」


「それならまだよかった。実際は二年以内にほとんど全員が死亡したそうだ」


「えぇ!? 人間って飯食って寝てりゃ死なないんじゃないんっすか!?」


「あぁ。どうやら愛情も食わないといけないらしい。

 要するにだな──どれだけ極悪非道な犯罪者でも、大人になるまで生きてこられた時点で、幼少期に誰かしらから愛情を注がれているということだ。しかし、子の過ちを上手く正せぬ親がいれば、そもそも正してくれる親がいない子もいる。そんな子供が大人になって犯した罪の責任を、本人だけが背負うのはおかしい」


 犯罪を犯す者の多くは、幼少期の環境になんらかの問題を抱えている。家庭環境や学校での人間関係など様々。

 諸説あるものの、人間の精神的基盤は三歳までに形成され、人格が概ね確立されるのは十歳と言われている。はたしてそこに、本人の意思が介在する余地があるだろうか。いや、ない。

 むろん、罪を犯した当人に責任があることは百も承知だが、全責任があるかと問われると疑問なのである。


「一緒に背負ってやるんだ。我々にできるのは、父母のように寛大な心で慈しみを持って殺し、それ以上過ちを繰り返させないこと。そうして、限りなく平和な世界に近づける。それこそが、我々の使命──お前の言葉を借りるなら、役目だ」


 おそらく、柳生の言うことは正しい。人殺しを肯定するための言い訳と言われればそれまでだが、陽暈には、彼女の論に反する言葉は見当たらなかった。


「もし朝顔が心配なら、その脅威を取り除くことがお前の役目だ。そして、その役目を果たすためには、人を殺す覚悟は必ず持っておかなければならない。でなければ、お前の寿命は短い」


「人を殺す覚悟……」


 陽暈は混乱していた。人を殺すことは悪でありながら、それを肯定しなければならない。

 しかしそれは、あまりにも一方的すぎる。暴論と言われかねない主張だ。

 ただ、いまの彼が納得に至るには、想像力が足りない。柳生が言ったやむを得ない理由とはなんなのか。人を殺さざるを得ない状況など、この世にあるのだろうか。


 直面したことのない状況をイメージするのは困難。ゆえに、その覚悟を持つことに懐疑的だった。さりとて、完全に否定はできなかった。それは彼の心の奥底に眠る憤りが所以。


「正直、いまはまだ分からないっす。でも、柳生司令の言うことは理解できる」


 言葉にしてみて、ようやく自分の輪郭がひとつ定まった気がした。


「まあ、そう簡単に持てる覚悟ではない。だが、大切なのは問い続けることだ。己の心にな」


 柳生の言葉は静かに、だが深く胸に沈んでいった。


 そうして陽暈は、ひとつ深呼吸をしてから席を立ち、司令室を後にした。扉の向こうに広がる現実が、少しだけ重たく、少しだけ冷たく感じられた。

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