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 突如開催された懇親会の翌日。

 陽暈は、府上刑務所に関する任務会議のため、重たい扉を押し開け、大会議室へと足を踏み入れた。


「おうおう陽暈! 今日も元気そうやなあ!」


 途端、視界を覆うほどの巨躯が立ちふさがる。

 まるで人間の形をした防壁。否応なしに見上げる羽目になった陽暈は、思わず小さくたじろいだ。


「相変わらずでかっ……!」


 肩をすくめながら呟く陽暈に、男は山のような手を差し出し、すべての歯をこれでもかと見せつけるように豪快な笑みを浮かべる。


「お前の触式、今回の任務でしっかり見せてもらうぞ!」


 言葉と同時に迫る掌は、もはや握手の範疇を超えていた。陽暈は仕方なく、親指の付け根あたりを掴んで応える。


「望むところっす!」


「おうおう威勢がええなあ!」


 陽暈も声を張ったが、相手の腹の底から響くような声には到底及ばない。それでも食らいつくように、笑みを崩さず返した。


「凱亜さんの力も見せてもらうっすよお!」


「ったりめぇやろがあ!」


 瞬間、室内の空気が震えるほどの声が炸裂した。


「やかましいわ!」


 雷鳴のような怒声とともに、陽暈の頭頂に衝撃が走る。反射的に肩を竦めて振り返れば、鬼神のごとき形相を浮かべた柳生が、冷然と立っていた。


「ってぇ……」


 叩かれた痛みよりも、その威圧感に背筋が冷える。


「ぐっはっはっ! 姉御すんまへん!」


 凱亜も同様に一撃を食らったようだが、屈託ない笑みを浮かべたまま、痛みを感じていないかのように軽く頭を下げる。


「さっさと席に着け」


 鋭い視線を投げつけながら、柳生はふわりと揺れる空色の髪をなびかせて歩を進めた。


「まぁとにかく、よろしく頼むで」


 凱亜は口元に手を添えて声をひそめた──つもりだろうが、依然としてその音量は周囲をビクリとさせるには十分だった。


「うっす」


 陽暈は柳生の目を盗むように小さな声で応じた。

 凱亜は満足そうに笑い、重々しい足音を響かせて、最前列の席へドッカリと腰を下ろした。


 彼に続こうと、陽暈が一歩踏み出した瞬間だった。

 背後から不意にぶつかられ、軽く体が揺れる。思わず振り返った陽暈の目に飛び込んできたのは、丁寧にブローされたワインレッドの髪と、氷を閉じ込めたような視線だった。


「邪魔」


 三白眼の女は、刃のような鋭利な視線を突き刺してきた。ネイビーのスリーピーススーツに、同色のネクタイ。纏う空気までもが、隙のない冷厳さを帯びている。


「すません」


 出入口で突っ立っていたのは確かに自分だ。そう思い、陽暈は素直に頭を下げた。だが女は返答ひとつなく、ヒールの音を立てて颯爽と歩み去っていく。


「感じ悪っ……」


 ぽつりとこぼした言葉は、思わず唇を突いて出た本音だった。だが、すぐに頭を振り、心の中で自らをたしなめる。

 気を取り直し、すでに席に着いていた尋芽と碧のもとへ向かい、その隣に腰を下ろした。


「お、陽暈。遅かったな」


「陽暈くぅん。おっはぁ~」


 午前中ということもあってか、二人ともまだ眠気を引きずっているようだった。それは理解できるが──ただ、碧の様子にはどこか引っかかるものがあった。

 いつもなら、尋芽の顔色を窺いながらも、それこそ口を開けば最後、延々と話しかけている彼が、今日は一言も発さない。というか、そもそも彼女の方を見ようとさえしていない。


 隣同士で座っているせいか、近すぎて逆に意識してしまっているのだろうか──そんな仮説が浮かぶ。どうにも気になって仕方がなかった陽暈は、単刀直入に尋ねることにした。


「碧、なにかあったのか?」


 その言葉に、ぴくりと碧の眉が動いた。気まずそうに体を捻り、陽暈の方へ向き直る。


「実は…………」


「実は?」


 言葉の続きを促すと、碧は目を逸らしつつも、意を決したように口を開いた。


「実は俺たち、付き合うことになったんだ……」


「ええ!? マジ!?」


 驚きのあまり声を上ずらせつつ、陽暈は碧の後ろに身を隠していた尋芽の顔を覗き込む。すると、尋芽はぎこちないながらも、確かに頷いた。


「よかったじゃん!」


 陽暈は心からの祝福を口にしたが、碧の表情はどうにも冴えないままだった。


「いや、そうなんだけどさ……」


「どうした?」


「それがさ、付き合ったら付き合ったで俺、緊張しちゃって、どうしていいかわかんねぇんだよ……」


「え、なんそれ。マジでワッツじゃん。まさか尋芽も?」


 もう一度、尋芽の反応をうかがうと、彼女もまたバツの悪そうな面持ちでコクンと頷いた。


「かははっ! なんだよそれ! 好きって感覚、俺にはよく分かんねぇけど、そんなことになるんだな」


「笑い事じゃねぇって! なぁー助けてくれよぉ陽暈ぁ……」


「いいんじゃね? それだけ二人とも意識し合ってるってことだし」


 ふと口をついた言葉だったが、それが二人にはまっすぐに刺さったらしい。碧は顔を真っ赤にして俯き、尋芽はピンクのツインテールをくるくる揺らしながら、どこか照れていた。


「でもどうして急に、尋芽はオッケーしたんだ?」


 疑問が浮かび、そのまま尋ねてみる。尋芽は一瞬だけ視線を彷徨わせたが、やがて唇を開いた。


「……実はぁ、碧くんが100回告白してくるなら、付き合ってあげよって考えてたのぉ」


「なるほど。そんで100回告ったってわけか。いや、しぶとすぎだろ!」


「そ、そりゃあ好きなんだから、何回でもアタックするだろ。男なんだしよ。でも100回も告った気がしないんだが……」


 真っ赤な顔のまま、碧はどこか居心地悪そうに、しかしどこか誇らしげに肩をすくめた。


 青春の甘酸っぱさがそこかしこに漂うなか──。

 突如、マイクの甲高いハウリング音が会議室に響き渡り、三人の空気を切り裂いた。


「あー、あー、時間だ。任務の概要説明を始める」


 正面に鎮座する柳生が、注意を惹きつけた。

 気付けば後ろには、見慣れない顔ぶれがズラリと並んでいた。そもそも、こんなに捜査官が所属していたのかと、陽暈は少し驚いた。


 ちなみに最前列左側には体の大きい凱亜と第一印象最悪の赤髪の女、そして零士と真壁が腰を据えている。右側には燐仁や綱海が。


 柳生と、召集された捜査官たちは、まるで教師と生徒のようで、学校の授業を彷彿とさせるものであった。ただし、誰一人として睡魔に襲われている者はいない。

 例えるなら、昭和気質のヤクザじみた硬式野球部の顧問が教壇に立ち、鉄の視線を浴びせながら行う授業を、背筋を正した部員たちが黙して受けている時のような緊張感。

 誰も咳一つ立てず、空気はぴんと張りつめている。言葉ではなく、威圧そのものが支配している空間。


「言わずもがな、今回の任務はブラックドッグのヴェルマから宣戦布告を受けた府上刑務所の件だ。刑務所長に確認したが、いまのところ受刑者らに不審な動きはないとのこだ。ただ、厄介なことが分かった。これを見ろ」


 学校で言うところの黒板の位置に設置されたスクリーンに、なにやら文化祭のポスターが映し出された。


「ヴェルマが指定した26日、当日は府上刑務所で、毎年行われている文化祭が予定されている。出店や所内の見学など、物珍しいイベントがあるため、来場者数は例年一万人を優に超えるらしい」


「姉御」


 最前列、山のような体つきの凱亜が手を挙げた。そんなことより、最後列に座れよ、と陽暈は思った。


「なにが起こるか分からへんのやったら、いっそのこと文化祭を中止にしたらええんちゃいまんのん?」


「むろん、その打診はしたが、あまりにも曖昧過ぎるため却下された。文化祭は刑務所独断ではなく、法務省矯正局とのすり合わせの元、開催される。そう簡単に中止や延期にはできないのだろうな」


 凱亜は軽く何度か頷きながら、背もたれに身を預けた。

 次、スクリーンはパンフレットから、刑務所の航空写真に切り替わった。


「府上刑務所。出入口は正門、従業員用出入口、受刑者用出入口、以上三つが存在し、それ以外の場所は五メートルを超える塀に囲まれている」


 地図上にマークされた赤いピンを順番に指して出入口の具体的な位置を示された。


「文化祭当日、東西南北、四班に別れて警備にあたってもらう。正門及び従業員用出入口がある南エリア及び、任務全体の指揮は九頭が執れ」


「りょーかいっ」


「受刑者用出入口がある西エリアは真壁」


「承知しました」


「北と東は塀だけで出入口はないが気は抜けん。北は千劉、東は悪立(あだち)、頼むぞ」


「了解や」


 凱亜の相槌は響いたが、悪立とやらの反応がない。捜査官らを見渡し、柳生が目を細める。


「ん? 悪立はどうした?」


 呼び掛けに対し、後ろの方でなにやらざわつき始める。


「うーい。わあったわあった」


 気怠げな声が、乾いた空気の会議室にしみ込むように響いた。

 陽暈が声の方へ目を向ける──ツイストパーマをかけた黒髪の男が、浅く腰をつけ、これでもかと背凭れに身を委ねていた。無造作に垂れた前髪の隙間から覗く瞳は、どこか昏く、感情の底が見えない。

 纏っているのは闇そのもののような漆黒のスーツに、同色のシャツ。ネクタイは締めておらず、無防備な首元からわずかに覗く喉のラインに、妙な色気が漂っている。


 だが零士たちと同じように、エリアの責任を担うということは、かなりの実力者なのだろう。


「陽暈、あの人知ってるか?」


 隣で碧が耳打ちしてきた。


「知らないな。なんだあの態度」


「悪立喜永(きよなが)さん。ニュークを殺した人数が二桁いってるらしい」


「殺したって、そんなの許されるのか?」


「知らないのか? 俺たち特執の捜査官は、相手がニュークである場合に限り、致死的武力行使を許可されてる。だから逃がすくらいなら殺す方が正義なんだよ」


「マジかよ。全然聞いてないぞ」


 衝撃の事実に打たれた陽暈は、おずおずと悪立に視線を戻した。その瞬間、視線が交錯する。縮れた髪の隙間から覗く鋭利なツリ目が、氷の楔のように陽暈を射抜いた。背筋にひやりと冷気が走り、思わず目を逸らしてしまう。


「残り、バーストしている天若、金豪、物部だが……」


 柳生が顎を摘みながら思案していると、重たくなった空気を割るように、零士がいつも通りの軽やかな口調で言った。


「南エリアには陽暈くんが欲しいかなー」


 それに応じるように、凱亜の豪放な声が響く。


「ほなチビ助は俺が面倒見たろかいな」


「よろしくお願いします! 凱亜先輩!」


 綱海の弾けるような声が飛んだ。


「では、物部さんは私のところへ」


 真壁もまた静かに続き、役割分担の輪郭が形作られてゆく。


「よかろう。南エリアには天若、西エリアは物部、そして北エリアは金豪がつけ。悪立は一人でいいな」


 柳生の決定を、零士が皮肉めいた笑みとともに補足する。


「あだっちゃんはその方が楽だろうねー」


 見ると、悪立は無造作にテーブルへ突っ伏し、寝息を立てている。さきほどのぞんざいな返答もさることながら、今の体たらくは常識の範疇を逸脱していた。

 それでも、柳生は一切咎めない。繰り返された注意にすら動じない不遜なのか、それとも、その態度が許されるほどの実力を持った存在なのか──。


「よし。他の捜査官はこちらで編成し、追って連絡する。次、ブラックドッグのなかでも極めて危険な人物を共有しておく」


 画質が荒いものの、その姿を捉えた写真が五枚、スクリーンに投影された。


「左から順番に、ブラックドッグのボスであるヴェルマ、その側近であるレイニー、残るは幹部らしき人物、ワイラーとファウンド、そしてルージだ」


 状況は違えど、陽暈は全員と遭遇しているため、様々な記憶が呼び起された。


 現金輸送車襲撃事件の際、初めて姿を現したヴェルマとレイニー。零士が撃退したワイラーと、その救出に現れたルージ。そして船の上で激戦を演じたファウンド。

 全員、仮面をかぶっているため、素顔は見えないものの、それぞれの体格や服装、髪型などで容易に判別できる。


「いまだ顔が分かっていないため、人物の特定には至っていない。ただ、全員日本語を話していることが確認されている。おそらく日本人。ヴェルマやらレイニーやらはコードネームのようなものだろう」


 テーブルに置かれた資料に視線を落とした柳生が続ける。


「ルージは聴式、レイニーは視式、ファウンドは嗅式、ワイラーは触式。ヴェルマはオーバーアビリティを持っており、未来視である可能性が高い」


 その一言が放たれた瞬間、会議室の空気にわずかなざわめきが走った。


 捜査官たちは互いに視線を交わし、息を呑む。

 オーバーアビリティ──それはあまりに現実離れした響きを持つ言葉であり、昔話の一節か、都市伝説の断片のようでもある。現場に身を置く彼らですら、その存在を耳にすることは稀であり、触れる機会など皆無に等しい。

 だが、それを口にしたのは他ならぬ柳生である。

 特執の中核を担う彼女が事実として語った以上、ただの空想と切り捨てるには重すぎた。言葉の質量が、否応なく現実味を帯びて襲いかかってくる。


「まだ未来視であると確定したわけではないが、ヴェルマがオーバーに成功していることは間違いない」


 捜査官同士で広がっていた不安が、より加速し、会議室は騒然とした。


「もしこの五人のいずれかが現れた場合、東西南北の各エリアで指揮を執る九頭、千劉、悪立、真壁、そして天若が対処にあたれ。それ以外の捜査官は即時撤退だ」


「ひとついいかな?」


「なんだ零士。言ってみろ」


「これはあくまでも相性の問題だけど、ヴェルマとワイラーの二人に関しては、俺か陽暈くんじゃないと相手にならないと思うよ」


 零士の歯に衣着せぬ物言いに、凱亜が粉砕する勢いで机を叩いた。


「確かに! 相性っちゅうか、ワイラーは置いといて、ヴェルマの未来視は脅威過ぎる。でもな、わしゃ絶対に逃げへん。もし負けることがあるんやったら、それがわしの実力っちゅうだけや」


「アハハ。凱亜らしいね。まぁ無茶はしないでね。今回の任務に参加するのは俺らだけじゃないんだから」


「わしかて優先順位は分かってら」


「ま、俺もヴェルマには勝てる自信ないけどねー」


 ぽつりと漏れた零士の弱音は、意外にも湿っぽさを伴わず、ただ淡々とした響きをもって会議室に落ちた。しかし、その一言の波紋は確実に広がっていく。

 すでに落ち着きを取り戻していたはずの捜査官たちが、再びざわつき始めた。

 無理もない。

 零士といえば、局内で名を知らぬ者はいない実力者。数々の修羅場をくぐり抜け、冷静と飄々を武器に多くの任務を成功させてきた男だ。その彼が敗北を仄めかした。ただの謙遜で済ませるには、彼の口ぶりがあまりにも素直すぎた。


 その場の空気がわずかに揺れたのを察したように、柳生が肩をわずかに上下させ、大きく一度息を吐いた。

 そして、目を細め、零士に視線を投げる。


「では、ヴェルマが現れた場合、我々に成す術はないと?」


「ありますよ。彼に全てを託すという術がね!」


 その言葉と同時に、零士が椅子を弾くようにして立ち上がった。場の注目を一身に集めながら、人差し指をまっすぐ陽暈へと突きつける。


「え、俺っすか!?」


 陽暈の声が一瞬裏返った。


「曖昧な部分が多すぎるから確証はないけどね。ま、とにかくヴェルマが現れた時は、それなりに頑張って」


「それなりにって。まぁやるけどさ……」


 口ではぼやきつつも、陽暈の心の奥底では、熱が静かに膨れ上がっていた。

 母と弟の命を奪った仇。すべての悪の根源。いつか正面からその男と対峙する日が来ると信じて、ここまで這い上がってきた。

 その時が正式に託された──それだけで、身体の奥がじわりと震えた。


「九頭が言うのならそうなのだろう。天若、重荷を背負わせてすまんが、いざという時は頼んだぞ」


「了解っす」


 柳生の真っ直ぐな視線を受け、陽暈は短く、しかし力強く答えた。


 その後も会議は続き、刑務所の構造、所員の配置、さらには文化祭のイベントの詳細に至るまで、余すことなく共有された。


 会議終了後、陽暈は柳生に呼び止められた。

 このあと、之槌とともに府上刑務所へ向かい、不穏な兆候がないかを下見するようにとのお達しだ。

 公安による調査はすでに、之槌を筆頭に進行中だが、文化祭まで残された時間は三日。ブラックドッグの構成員が現れる可能性を懸念しているのだとか。いわば、之槌の護衛をするような意味合いが強い。


 局を出てすぐ、駐車場に佇む銀色のセダンへと向かう。無駄のない動作で車のドアを開け、乗り込む。


「お疲れっす之槌さん」


「お久しゅうございます、天若殿。いやはや、申し訳ありませんな。この老いぼれの護衛を担ってくださるとは」


「いやいや、俺もどんな感じか見ときたいんで」


 和やかなやり取りのあと、之槌はギアをドライブに滑らせ、車を発進させた。車内に流れる沈黙は、心地よい緊張を含んでいた。

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