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 刻一刻と迫るタイムリミット。ついには1分を切ってしまい、場内にはタイマーの音だけが鳴り響いている。


 ピッ……ピッ……ピッ──。

 心電図モニターが示す心拍リズムと錯覚してしまうほどに、空気が重苦しい。やがて、『ピーーー』という音に切り替わるのではないかと。


 ピッ……ピッ……ピッ──。

 耳に馴染んでゆき、違和感すら損なわれてゆく。

 子供たちのなかには、陽暈たちを殺してしまおうと提案する者もいた。当然だ。ガスで眠らされるのか毒で死ぬのかは分からないが、少なくとも侵入者である五人を殺せば彼らの延命は確実。

 しかしリーダー格の少年は、それを止めた。彼は最後まで信じ抜くことを選択したのだ。そして脱出できなかったとしても、その覚悟はとっくに決めているといった断固たる意思を持っているようにも窺えた。


 零士の言葉が信じられなかったわけではないが、先刻陽暈は自分の目でも確かめるために再度看守室へ赴いた。だがやはりエレベーターは作動していなかった。冷静に考えてみれば、作動させておくメリットが赤羽にはないのだからなにもおかしい話ではない。

 扉は力ずくで抉じ開けられており、覗き込んでみたところ暗闇が広がっていたが、見上げた先の上階にエレベーターが停止しているのが微かに認められた。

 陽暈はよじ登り、エレベーターの底を突き破ろうと挑戦したが、かなり頑丈な造りになっており、ビクともしなかった。そもそも、ここから自分が出られたとしても、子供たちを引き上げることは非現実的だろう。


 エレベーターが動かないことを知ってからの尋芽は、桃子の手を握って座り込んでいる。碧は歩き回っているが、脱出を見据えているのかは当人の心に問うまで分かるまい。

 妙に落ち着いている零士は、鉄の扉付近の観客席に腰を据え、腕を組んで目を瞑っている。


 そんな中、陽暈は諦めておらず、鉄の扉の前に立った。


「要するにこの鉄の壁しかないってことだろ」


 現実的ではないが、強いて言うならばというところ。目の前の鉄塊をどうにかする以外に脱出する方法はないというのが彼の出した結論だ。


 地下で拾った斧を大きく振りかぶった陽暈は、鉄壁目掛けて全力で叩き込む。


「うらぁあああ!」


 カンッ──。

 という乾いた音が、虚しく場内に響き渡った。扉から離れたリングにいた子供たちは音につられて顔を上げたが、なにも言わずにまた俯いた。

 斧が衝突した部分を見て、陽暈はゾッとする。


「硬すぎんだろ……」


 多少の凹みはできていたが、それになんの意味があるのかと問われると、自分でも笑ってしまうほどの微々たる窪み。そしてなによりも、鉄の密度が異常だった。


 畑に鍬を振り落とした時、地面は、地球は揺れるだろうか。否、土は耕せど地は揺れまい。その感覚に酷似していた。

 つまり、いま陽暈の目の前にある鉄の壁は、地球なのだ。彼の心が折れ曲がりそうになったのは、それを斧から伝わる衝撃で悟ってしまったから。


 だがそれでも、彼は自分を奮い立たせて斧を振りかぶり、幾度となく叩き続けた。日本刀の製造過程を彷彿とさせるほどに。


 しかし、ほどなくして、先に折れてしまったのは陽暈の心ではなく、斧の方だった。彼の腕力に耐えられるはずがなく、木製の柄の部分がポッキリ折れてしまい、その反動で斧刃は飛び跳ねて地面に転がり込んだ。


 かなり凹みが目立ってきているとはいえ、鉄の壁はその威厳を保ったまま。

 その時陽暈は、異変に気づいた。


「なんだいまの……」


 彼が感じたのは、自分が斧を叩き込んだ時に発せられた衝撃の奇。というのも、打ち放った威力からは考えられない衝撃や揺れを、鉄塊から感じたのだ。


 その正体を確かめるべく、陽暈は耳をピタッと鉄の壁に密着させた。斧で叩いた時の運動エネルギーが熱エネルギーに変換されたせいか、頬に触れた部分は生暖かい。


 ガンッゴンッ……ゴーンッ──。

 陽暈が触れてもいないのに、扉が震えだした。その音は不規則で、明らかに自分が斧で叩いた時のものとは違う。骨や内臓に響いてくる、重厚感のある音。

 すると近くに座っていた零士が立ち上がった。


「きたきたきたぁぁあああ!」


 彼の叫び声に、場内の全員が顔を上げる。


 ゴーンッガーン──。ゴンッゴガーンッ──。

 間違いなく音は、鉄の扉の向こう側から轟いている。


「まさか……!」


 陽暈は理解した。零士がなぜ、妙に落ち着いているのかを。


「陽暈くん! 扉から離れて!」


「は、はい!」


 陽暈が扉の横に数歩退いた直後──。

 強固な鉄塊は、彼の目の前を信じがたい速度で通過し、傾斜のある観客席に沿い、眩しいほどの火花を散らしながら下っていった。そしてリングを囲む頑丈な鉄格子に衝突。


 絶妙な強度だったためか、まるでサッカーゴールのネットのような役割を果たした鉄格子は、グニャリと変形して鉄塊を静止させた。

 リングにいた子供たちは蟻のように離散していったが、幸い誰も巻き込まれていない。


 あまりにも衝撃的な光景に、陽暈は言葉を失った。壁だと錯覚していた鉄の塊が、いとも簡単に動いたのだ、呆然と立ち尽くすのも当然。

 ある程度頭の整理がついたところで、陽暈は深く息をついてツッコむ。


「新幹線!?」


 目の前を豪速で通過した鉄の塊は、停車しないホームにて眼前を通過する新幹線となんら変わりはなかった。車両が少ない分、その速度をより速く感じさせた。


「なんや、みんなピンピンしとるやないかぁ! これやったらたこ焼きもう一舟食うてきたらよかったわぁ!」


 頼もしい関西弁が場内に反響した。彼にはマイクなど必要なく、肉声で十分。いや、それでもうるさいくらい。


凱亜(がいあ)……さすがにこれは危なすぎるかな……」


 驚愕の表情は見せなかったものの、呆れ顔の零士。


「なに言うてるんや! 死ぬよりはマシやろ?」


 真っ青なスーツに、真っ赤なネクタイを結った、壁のような巨躯の男だった。配色だけでいうと、ほぼスーパーマン。身長は二メートルを超えており、生え際がピシッと整えられた金髪オールバックと、眩しいくらいに純白な歯。

 そしてなにより、ボディビルダーのような筋肉。スーツの上からでも見て取れる、パンパンに張り上がった極太な腕の先端、手指一本一本が金色に輝いている。

 陽暈はそれを見て、指輪かなにかかと勘違いしたが、紛れもない凶器であることに気づく。


「メリケンサック……?」


「おぉ? さてはあんちゃんが陽暈やな! ちゅうか、メリケンサックて呼ぶなよ! これはナックルやナックル!」


 派手なゴールドが目立つそのナックルには、鋭くも太いトゲがついており、その凶悪さを底上げしている。こんなもので顎を殴られた日には、美味いものを食していなくとも顎が落ちてしまうというもの。


 陽暈が鉄塊の裏側に目をやると、おそらくナックルで殴打したであろう痕跡が深々と刻まれており、彼の剛腕には敵わないことを悟った。


「は、はぁ……つか零士さん、誰すかこのデカい人……」


「彼は千劉(せんりゅう)凱亜。俺の同期の捜査官かな」


「なるほど。凱亜さんが来ることを知ってたってことっすか?」


 そんな陽暈の問いに「ん、何が?」と、零士は白々しく知らぬ存ぜぬを決め込んだ。

 ずっと懐疑的だった彼の落ち着きぶりの所以を問い詰めたいところだったが、今すべきことではない。そう判断した陽暈は、子供たちの避難誘導に尽力することにした。


 大勢の子供たちを優先に地上へ上がると、凱亜が引き連れてきた特執の捜査官が数人と、一般の警察官も駆けつけていた。

 見たところ、レフテリアの観客たちの姿や車は認められないため、残念ながら入れ違いとなり取り逃がしてしまったらしい。


 子供たちの保護を依頼する際、陽暈らは一般警察と対面したが、彼らは不思議そうな視線を向けてくるものの詮索はなにもしてこなかった。

 特執の存在を明かされていない彼らからすると、陽暈らが異質で仕方なかったのだろう。レフテリアに潜っていた五人に関しては洒落たスーツやドレスというコーディネートが、より一層異質さを増している。


 雑踏のなか、桃子の声が割れるように響き渡った。


「お母さん……!」


 その瞬間、警察車両の影から女性が駆け出してくる。顔は涙に濡れ、髪は乱れていたが、その瞳は確かに我が子だけを捉えている。


「桃子……!」


 二人の間の距離が一気に縮まる。母が両腕を広げたのと、桃子が泣きながら駆け寄ったのは、ほぼ同時だった。


 ギュッと。

 抱きしめる音が聞こえた気がした。再会の瞬間は、喧騒をも飲み込んで、そこだけが無音になったかのようだった。


 桃子の肩は小刻みに震え、母親はその細い背を何度も撫でる。まるで夢のなかにいるかのように、幾度も名を呼び、互いの存在を確かめ合っていた。


 陽暈は、少し離れた場所からその光景を見ていた。

 自分の働きが、誰かの今を救えたのだという実感。手柄ではなく、当然のことをしたのだという気持ちのまま、それでも心の奥底がじんわりと温まっていく。


 そんな陽暈に気づいた母親が、娘を抱いたまま近寄ってくる。


「……あなたたちが、助けてくれたんですね」


 涙に潤んだ目で、まっすぐに見つめられる。陽暈はすこし戸惑いながらも、軽く頭をかいた。


「無事でよかったっす」


「ありがとうございます。ほんとうに、ほんとうに……」


 母親の言葉は途中で震え、あふれそうな涙を見せまいと顔をそむけた。桃子も、母の胸に顔をうずめたまま、何度も頷いていた。


 その後、智史や、リーダー格の少年──ほかにも大勢の子供が、陽暈たちのもとへ駆け寄り、涙を流しながら謝意を伝えた。

 結局、凱亜の救援がなければどうなっていたか分からないが、終わりよければなんとやら。


 だが、まだ解決に至っていない。

 ほどなくして、陽暈たちの元に、ホルスターや拳銃、携帯ナイフや無線イヤホンなど、捜査官に貸与される基本装備が届けられた。ここから先は遠慮など要らないと、陽暈は闘志を燃え滾らせて気を引き締めた。


 残段数が満タンであることを確認した銃をホルスターに滑り込ませ、無線イヤホンを耳にねじ込んだ時、丁度女の声が鼓膜を揺らす。


『凱亜先輩……すんません。ちょいとマズいことになったっす』


 可愛らしいものの、そこはかとなく凱亜と同じ類の香りがする元気溌剌な声色。


『なんやぁ! どうしたチビ助!』


 凶器的な声量の凱亜が叫び、イヤホンを装着している者全員の鼓膜をぶち破らんとした。思わず陽暈は首を縮め、無意識のうちに目を細めてしまう。

 そして音の発生源の方を振り返ると、二十メートルほど先に凱亜がいることを知り、陽暈はあんぐり口を開けて驚愕した。まるで耳元で大声を上げられたような感覚だったからだ。


『ヴェルマが屋上にいるんっすけど、赤羽を人質に取られてるし、ちょと敵が多いっす! 自分一人じゃ……!』


 凱亜が言うチビ助とやらが発した名に、陽暈の鼓動か波打つ。


「ヴェルマ……!?」


 反射的に声がこぼれた。

 直後、背中になにかが優しく触れた。いつの間にか血走っていた眼で振り返ると、零士が微笑みかけてきていた。

 微動だにしない零士に、数回、背をポンポンと叩かれる。


「陽暈くん。落ち着いていこう」


 血肉に飢える狼。いや、もっと恐ろしい獣。

 憎しみ、憎悪、憤り、嫌悪、怨恨、なにもかもが湯水のごとく湧き出てくる陽暈の表情は、正義とはかけ離れていた。 


 だが、零士の変わらぬ静寂の眼差しと、変わらぬ立ち姿が、陽暈の心に冷水を差す。

 今ここで怒りに身を委ね、我を失えば、またしても仲間を傷つけるかもしれない──あの現金輸送車襲撃事件のように。


「はぁ……あざっす零士さん。もう大丈夫」


 その言葉に、自らへの言い聞かせが混ざっていることを、陽暈は理解していた。だがそれでいい。いまは冷静に、着実に──憎きヴェルマを追い詰めるときだ。


 装備を整えた陽暈は、零士、真壁とともに屋敷の入り口から飛び立った。目指すは屋上。

 ちなみに、零士の判断により、尋芽と碧は待機を命じられている。まだバーストしていない彼らにとって、ヴェルマとの交戦はあまりに危険だからだった。

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