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 先ほどまでのか弱い少女の面影は消え、顔つきが凛々しくなっている。そんな桃子の様子を見た零士は、指をパチンと鳴らした。


「ヒロメン、ももちゃんを担いで、モニター付近まで降りてくれるかな?」


「了解っ!」


 キレのいい返事をした尋芽は、柱を飛び越えて桃子の近くに着地。いつもはゆるゆるな口調の彼女だが、状況によってはしっかりしているのだ。

 その後、尋芽は桃子を抱きかかえて優しく忠告した。


「ももちゃん、しっかり掴まっててぇ」


「お姉ちゃん……」


「大丈夫ぅ。うちがついてるぅ」


 少し怖気づいた彼女の心の支えを担う尋芽は、赤子を抱くように片手で桃子を支えながら、器用に柱を伝ってリングの中央へ進んだ。

 そして真下のモニターへ伸びる、電信柱ほどの支柱に、コアラのようにしがみつきながら降下してゆく。

 大勢の子供たちが、いったいなにをする気なのだと言わんばかりに警戒しながら見上げる中、再びリーダー格の少年が叫ぶ。


「おい桃子! 早くそいつを落とせ! あとは俺たちが殺るから!」


 その声に同調した他の子供たちも、口々に言い放つ。


「そうだそうだ!」

「桃子! 分かるでしょ! そいつらを殺さないと私たちがどうなるか!」

「さっさと落とせよ桃子!」


 子供たちの視線が桃子に集中するにつれ、彼女の表情がじわじわと歪んでいく。


 不安定だが、モニターに足をかけた尋芽は、片手で支柱を、もう一方の手で桃子の腰を強く抱え込んだ。桃子もまた、落ちぬよう尋芽の首に手を回す。


「ももちゃん。大丈夫だよぉ」


 尋芽は震える桃子の耳元で囁いた。またもや涙ぐみ始めた目を手で擦り、桃子は頷く。


「よし……!」


 そして喉をかっ開き、声を絞り出す。


「み……み…………みんなぁぁあああ!」


 話していた様子からして、桃子は内気で目立つのは苦手な性格なのだろう。しかし勇気を振り絞り、立ち向かっている。自分を犠牲にして、他者を優先できる人間は、やはり強い。

 そうして陽暈は、いつの間にか我が子を見守るような感覚に陥っていた。


「この人たちはぁあああ! 助けに来てくれたのぉぉお!」


 声はかすかに震えていた。けれど、その叫びには確かな意志が宿っていた。臆病なだけの声じゃない。


 だが──。


「嘘だ! そいつらに言わされてるんだ!」

「そうだそうだ! 早くその女を殺せ!」

「そうよ! 殺して!」


 下から飛んでくる子供たちの怒声が、桃子を打ち据える。

 彼女は小さく肩をすくめ、もう拭ったはずの涙がまた頬を濡らし始めた。袖でこすっても、こすっても、次から次へと溢れてくる。


 それでも──。


「うるさぁぁあああああい!!!」


 鋭く響く桃子の叫びが、空気を裂いた。今日一番の声だった。


「この人たちはねぇええ! 私のママのことも知ってたのぉぉぉお!」


 その一言が、確かに場の空気を変えた。ざわめきが波のように広がり、子供たちが互いに顔を見合わせ、戸惑いの色を浮かべる。


「そんなの嘘だ! 騙されてる!」


 それでも、リーダー格の少年だけは揺るがず、強く拒絶する。


「桃子! 早くそいつらを殺さないと! 私たちが……」


「そうだよ……!」

「もう僕嫌だよあんなの!」

「私も嫌だぁあああ!」


 声が交錯する。否定と、悲鳴と、吐き出しきれなかった恐怖。子供たちの叫びは、怒りというより、もはや祈りに近かった。


 するとリーダー格の少年は唐突に、リングでのびている警備員のホルスターを弄り始めた。そして手に取ったのは、拳銃。

 瞬間、天井から見下ろす陽暈たちに緊張が走る。対話を放棄し、実力行使に出るか。


 しかし少年の思惑は、全く別物だった。


「桃子! これを受け取れ!」


 少年は、力一杯拳銃を真上に放り投げた。桃子は体勢を崩しながらも尋芽に支えられ、銃を見事にキャッチ。


「桃子が脅されてないって証拠と、あんたらの覚悟が見たい! 桃子! 銃をその女の額に向けろ! もしお前が脅されてんなら撃ち殺せ! 俺たちが落ちてきたお前を受け止める!」


 場内に響いたその提案は、あまりにも過激だったが、彼の目に宿る真剣さは、ただの狂気ではなかった。


 陽暈はごくりと唾を飲む。少年の指示は、いわば刃の上を渡る綱渡り。

 そんな中、尋芽が視線だけで零士に判断を仰いだ。零士は一拍置いてから、軽く頷く。覚悟を共有したようだった。

 尋芽は迷いなく額を突き出す。


「お姉ちゃん……」


 桃子の声は、か細く揺れていた。無理もない。その手には、人を殺す力を持つ道具が握られているのだから。


「大丈夫ぅ。あたしはももちゃんを信じてる。あなたもあたしを信じてぇ?」


 過剰な緊張は人を狂わせる。たとえそれが、格好だけのものであると分かっていても、正常な判断ができず、体が思うように動かなくなることだってある。

 桃子に発砲する気は毛頭ないだろう。しかし、緊張のせいか、彼女の体は震えている。それゆえ、みなの不安が積りに積もってゆく。


 尋芽は自ら銃口に額を近づけた。


「絶対撃たないから……」


「うん。信じてるよぉ」


 桃子の目には、すでに大量の涙が溢れていた。

 が、彼女は歯を食いしばりながら、ゆっくりと手を動かす。やがて銃口は、尋芽の額へと近づけられた。


「撃たない……絶対に撃たないからぁああ!」


 宣言というより、悲鳴。張り裂けそうな恐怖と葛藤。その全てを声に変え、桃子は泣き叫んだのだ。流れる涙は止まることを知らず、彼女の頬を伝って滴り落ちていく。


 そして、銃口がぴたりと尋芽の額に触れた。

 その瞬間、場内は凍りついた。ただ、「ピッピッピッ」とタイマーの音だけが、時間の継続を証明するかのように響いていた。


 時間にして約十秒。

 微動だにしない尋芽と桃子の覚悟が、子供たちに伝わり始める。一人が二人へ、二人が四人へ、四人が八人へ。まるで細胞分裂のように。


 そしてついに──。


「もういい。分かった。十分だ。みんな武器を捨てろ。この人たちに賭けよう」


 少年が、静かに白旗を掲げた。

 その合図により、子供らは全員、武器を手放し始めた。やはり見た目通り、彼は子供たちのまとめ役のような存在なのだろう。


 そうして尋芽と桃子は、極限まで張り詰めた緊張から一気に解放された。


 だがしかし──。


 その空気の緩和こそが、事故の引き金(・・・)となってしまった。

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