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 陽暈は信じられなかった。いや、正確には想像に及ばなかったという方が正しい。

 本当に子供同士が殺し合いを強要させられているとは、考えられなかったのだ。しかし現実は、思っていた以上に腐敗していた。


 早々に始まったレフテリアの初戦は、十歳ほどの少年少女。中央のリングに立つ二人の姿は、光と影のような対比を描いていた。


 小柄で、白い肌が光を浴びて儚げに輝いているのがミザール。短く切りそろえた髪が顔の周りを揺れるたび、その瞳に迷いが浮かび上がった。震えるその手には鈍い銀光を放つ短剣が握られている。

 一方、年若いながらもその体格はしっかりとした少年がスハイル。彼の額には深い傷が刻まれており、それが戦士としての証とされているらしい。ミザールとは異なり、彼が構えるのは片手斧。


 二人に共通して言えることは、極端に怯えているということ。充血した眼は、つい先ほどまで涙を流していたことが容易に窺える。


「始めぇええ!」


 道化師の声が鳴り響くと、場内は一斉に歓声を上げる。

 二人はその叫びに押されるように、躊躇いながらも動き出した。スハイルがゆっくりと一歩すり出し、それに反応するようにミザールが恐る恐る前へ。まるで見えない何かに背中を押されているかのようだった。


「零士さん。このまま見てるつもりっすか」


 人道に反した外道に囲まれる観客席で、陽暈は悶え始めていた。助けてあげたいという気持ちと、へらへらと笑っている客への憤りが、怒りが、止めどなく溢れ出している。

 しかし、零士は冷徹だった。


「今日は潜入に注力しようって言ったよね。ここにニュークがいないとは限らないから、武器もない俺らが抗ったところで脱出できる確証はないかな」


「それでも──」


「もし今ここで、あの二人を救えたとしても根本的な解決にならない。それならできる限り情報を集めて、万全の状態で完封するべきかな」


 陽暈は反論する時間すら与えられなかった。

 確かに、他の子供がどこにいるのかが分かっていない現状、救えたとしてもリングで闘いを強いられている二人だけかもしれない。

 そもそも、敵戦力が不明瞭なままでは、陽暈たちだけで救えるかどうか定かではない。最悪の場合、地上へ出ることができない可能性だってある。


 自分よりも経験豊富な先輩がそう言うのだ、きっとそれが正しいのだろう。

 陽暈はそう自分に言い聞かせていたが、ふと総司令である実方の心理テストが頭をよぎった。

 子供の命と自分の命、どちらを救うかという問いだ。実際はその問いに答えはなかったものの、重要なのは自分が正解だと思う道を信じ、迷わず突き進める強固な意志であると、実方は説いていた。

 自分が正解だと思う道とは。突き進むべき道とは。


 陽暈の葛藤に関係なく、リング上の闘いは進む。二人の距離が縮まったところで、スハイルの片手斧が閃き、ミザールの目の前で鋭く振り下ろされた。


「っ……!」


 息を漏らしながらも、彼女は反射的に体を捻り、間一髪でその一撃を避ける。だが、スハイルは追い討ちをかけるように攻め続け、重たい斬撃が次々とミザールに迫った。

 防御に徹し、短剣で斧を弾こうとするが、スハイルの力強さに押されて次第に後退してゆくミザール。


「やめて……! わたしは……」


 ミザールは涙声をこぼしながら、攻撃を防ぐことで精一杯。スハイルもまた、自分の意思ではないと言いたげに涙を浮かべる。

 しかしついに、彼の振るう斧はミザールの腕を切りつけた。


「うっ……」


 鮮血がミザールの白い肌に広がり、リングに滴り落ちる。痛みと恐怖で歪んだ彼女の表情を目の当たりにしたスハイルは、わずかに硬直した。

 その時、なにかを決心した様相を浮かべた少年は、再び前進した。


「ごめん……でも勝たなきゃ…………俺が死ぬ……!」


 彼の呟きがリング全体に響くように感じられた。その言葉は、二人がどれほど過酷な状況に置かれているかを物語っていた。


 ぎこちない闘いの末、スハイルの蹴りが鳩尾にヒットし、ミザールは仰向けに倒れてしまう。そして少女は倒れたまま動かず、ゆっくりと目を閉じた。人を傷つけるくらいならと、諦めてしまったのだろう。

 とはいえ、人死にが出ずに決着がついた。陽暈が胸を撫で下ろしたその時。


「さっさと終わらせろ雑魚!」

「そうだそうだ! つまらねぇ試合見せんじゃねぇ!」

「さっさと殺せ! チビ!」


 観客が口々に罵声を浴びせ始めた。


「零士さん。このままじゃ──」


「さっきも言ったよね。いまは我慢かな」


 依然として衝突する陽暈と零士の意向。その時、陽暈の脳裏には再び実方の言葉がよぎる。

 このまま小さな命が絶えるのを見逃していいのか。力を持っている自分には助けられるかもしれない。いや、絶対に助けられる。

 そうだ、ここには特執の捜査官が五人もいるのだ。助けられないはずがない。


 だったら──。


「ごめん…………桃子……」


 少年が発したその名に、陽暈の鼓動は強く叩きつけられた。いや、彼だけではない。零士や真壁、そして尋芽、碧も、きっと同じはず。


「嫌だ……わたし死にたくないよ……」


 か弱き少女は、霞むような声で命乞いをする。しかしスハイルは、涙を堪えながら片手斧を振りかぶった。


「ごめん…………」


 決して非情ではない。情けは存分にかけていたが、スハイルは致し方なく振り上げた斧を握る力を強めた。そして斧が振り下ろされようとしたその瞬間──陽暈に我慢の限界が訪れた。


「バーストリミット・オフ」


 そう呟いた陽暈は青いオーラを身に纏う。そして凄まじいジャンプ力で柵を飛び越え、リングの中へ降り立ち、振り下ろされようとしていたスハイルの腕を掴んだ。


「もうやめろ」


 その判断が正解なのかは分からない。ただ、自分の道を突き進んだだけ。

 だが当然ながら、観客は黙っていない。


「誰だお前ぇぇえええ!」

「おい! あいつをつまみだせ!」

「警備員! 何をしとるんだ!」


 ミザールにベットしている者からすれば、ノーゲームになればラッキーだが、そもそもほとんどの観客が体格差を踏まえてスハイルに賭けている。オッズは低いものの、固い勝負がなかったことになっては苛立つのも仕方ないことだ。


「クズが……」


 鳴り止まないブーイングに、苛立ちが最高潮に達した陽暈は、スハイルから取り上げた片手斧を勢い良く真上へ放り投げた。

 凄まじい遠心力を加えられた斧は高速回転しながら、天井に設置されたモニターの一枚に直撃。瞬間、液晶が粉砕され、破片が閃光のように散る。騒がしかった観衆の声は、切り落とされたように途絶え、場内は凍りついた沈黙に包まれた。


「黙れ、クズが……! お前らは痛みを知らないから、そうやって呑気に見てられるんだ! 人が人の命を奪う瞬間を!」


 その声は、張り詰めた空間に鋭く突き刺さった。

 誰もが言葉を失い、ただ陽暈の怒声だけが、薄く揺れる残響となって四方の壁を打った。

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