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 翌朝、病室の扉を最初にノックしたのは之槌だった。陽暈はまだ微かな痛みの残る体を起こし、彼の話に耳を傾けた。


 語られたのは、今回の騒動の全容──。

 何よりも先に伝えられたのは、エイトアイランズ号の乗客および乗組員が、全員無事であったという報せだった。数名に軽傷が見られたものの、死者は一人も出なかった。

 それは、紛れもなく陽暈の尽力の賜物であると、言葉を尽くした之槌から称賛された。


 貨物船にはブラックドッグの構成員が複数潜んでいたものの、その大半は真壁の手によって早々に制圧されていたため、特執の二人が意識を失った後も、混乱は広がらなかったという。


 騒動の発端であったエイトアイランズ号のエンジントラブルは、乗組員に扮した構成員たちが仕掛けた偽装工作だったことが、後の尋問によって明らかになった。

 運行管理センターへの通信記録は一切なく、海上保安庁から貨物船と連携せよとの指示も、最初から存在しない虚構だった。


 エイトアイランズ号の船長である吉村は、妻と子を人質に取られ、選択肢などなかった。いち早く勘づいた之槌の速報により、人質は別働隊の捜査官が無事に保護したという。

 吉村がファウンドから受けていた指令は、「天若を除く捜査官を、船もろとも海に沈めろ」というもの。

 そのために練られた計画が、康介を一人エイトアイランズ号に残し、それを救うために捜査官たちを船へ向かわせ、あらかじめテンダーボートに仕込んだ爆薬を使い、船を沈めるというものだった。


 陽暈以外の三人が向かうべきだと主張したのも、そこに誘導する意図があったのだ。

 しかし計画は思い通りに運ばず、焦った吉村は、陽暈を船へ向かわせてしまう結果となった。不自然な状況の中で、これ以上強く推せば逆に疑念を招くと判断した末の苦渋の選択だったという。


 真壁の見立てによれば、ファウンドは陽暈が死ぬことに対して一定の恐れを抱いていたらしく、それゆえにヴェルマから、陽暈を生かせという命が下っていた可能性が高いとのこと。

 それを思えば、やはりヴェルマが陽暈に特別な執着を抱いているのは疑いようがない。ただ、陽暈自身には恨みを買った覚えはなく、未だに彼の父とヴェルマとの関係性も霧に包まれたままだ。考えを巡らせるたびに、徒労感ばかりが積もっていく。


 貨物船を所有する東洋エターナルという企業は、かねてよりブラックドッグと手を組み、人身売買の運搬役を担っていたことが、公安のガサ入れにより裏付けられた。莫大な報酬を見返りに、彼らの非道に手を貸していたのだ。


 今後、再発防止の観点から、他の海運会社や貿易企業にも徹底した監査が入ることになるという。もう二度と、同じような悲劇が繰り返されないように。


 とはいえ、一つだけ胸に刺さる悔いが残った。

 長崎で行方不明となった乗客および乗組員の消息は、絶望的だという。ブラックドッグによって海外へと売られ、足取りは途絶えた。

 今後もインターポールと協力し、わずかな手がかりを求めて捜索が続けられるとはいえ、見込みは薄いと之槌は言った。


 諸々の情報共有を終えた之槌は、ジャケットのポケットから一通の手紙を取り出した。


「最後に、こちらを」


「なんすかこれ」


「昨日、れいの高校を訪ねて参りました。その際にとある生徒から受け取ったものですな」


 手紙を受け取り、差出人の名が目に入る。


「康介か!」


「意識を失った天若殿を見たらしく、いたく心配しておりましたな」


「マジすか。カッコ悪いとこ見せちゃったな……」


「ほっほっ。その逆ですな。私はこの辺で失礼します」


 之槌はそう言うと、腰を痛そうに立ち上がり、出口へ向き直った。そして扉に手をかけた後「おっと」と呟きながら振り返った。


「森田くんから伝言を預かっているのを失念しておりました」


「伝言?」


「こんな非力な自分の命を救ってくれて、本当にありがとう、僕もいつかきみのように誰かの命を救えるよう頑張ります、とのことですな。これは私からも、感謝申し上げます」


 深く頭を下げた之槌。相変わらずよそよそしいというか、丁寧すぎるというか、彼の人柄が滲み出ている。


「とんでもないっす。俺はただ自分の役目を果たしただけだから。二人とも、また一緒になった時はよろしくっす」


「こちらこそ、よろしく頼みます。では」


 扉を開けた之槌は、退室し、軽く一礼をして閉めた。


 静まり返った病室で、康介からの手紙を開封する。


『天若さんへ──。

 ずいぶん怪我をしている様子でしたが、大丈夫ですか? 結局、あなたが何者なのか分かりませんでしたが、命の恩人であることは確かです。本当にありがとうございました。

 助けてもらったからには、絶対に船長になります。あの時の天若さんのように、諦めずに食らいついてみせます。

 だからいつか、僕の船に招待させてください。あと、おそらく父はもう帰ってこないと思いますが、僕はもう大丈夫です。

 天若さんのおかげで強くなれた気がするんです。ヒーローと言ってもらえた時は、勇気が出ました。でも本当のヒーローは天若さんです。あなたに救われたクラスメイトもヒーローだって騒いでました。結局うまくまとめられませんでしたが、とにかくこれからも、正義のヒーローでいてください。──伊達康介』


 手紙を折り畳みながら、陽暈はとある記憶を思い出していた。

 踏切で救った子供に言われた「ヒーロー」という言葉。またその名誉を受け取れるとは思ってもみなかった。


「ありがとう……康介……」


 月乃の記憶障害が判明し、沈み続けていた陽暈の心が、徐々に浮き上がり始めた。


「そうだ。そうだよな。焦ることはない。月乃は生きてるんだ」


 月乃の命が繋がったこと。いまはそれを噛み締め、次に進むべきなのだ。そうして彼女の記憶を取り戻す。自分が後ろ向きでいてどうなる。どうにもならないのだ。


「とことん恵まれてんな。俺」


 心に染み入るような言葉をくれる人々がいて、背を押してくれる存在がいる。こんなにも支えられているというのに、自分は何をもたついていたのか。

 思えば、どこまでも恵まれている。そう思った瞬間、胸の奥にわだかまっていた陰が弾け飛ぶように晴れていった。


 苛立ちすら覚えるほどに、己の弱気が滑稽だった。思考は一転、まるで電流が切り替わるようにパチッと正極へと傾いた。


 そもそもこんなに考え込むタイプじゃないと、馬鹿らしく思えてしまうほどだった。

 そしてなんの因果か、昨夜病室に現れたチョビ髭親父の言葉がよぎった。どれだけ足掻いても、そうでなかった場合と結果が変わらないことがザラにある。まさにいま、この瞬間そうなのかもしれない。


 不審者の持論に共感するのは癪だが、芯を食っている気がした陽暈は、ゆっくりと伏せていた目を上げた。

 落ちていた心ごと、ぐっと引き上げるように。自らを奮い立たせるように。

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