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 重い闇の底から、陽暈の意識がゆっくりと浮かび上がる。


 目を開ける前に、まず鼓膜を震わせたのは、かすかな電子音のリズム。心電図のモニターが、一定の間隔で規則的な音を刻んでいた。その音に混じって、遠くで人の話し声がする。どこか懐かしく思える声色。


 次に感じたのは、無機質な空気の匂い。消毒液の香りが鼻腔を刺し、喉の奥に苦い膜を張る。


 瞼を開けようとしたが、思うように動かない。まるで長い夢の中にいたせいで、自分の体が現実に戻ることを拒んでいるようだった。


 意識の輪郭がはっきりし始めると、次第に感覚が戻ってくる。右腕には冷たい点滴の管。鼻には酸素マスクが当てられ、喉を通る空気が妙に生暖かく感じた。


 ゆっくりと、重い瞼を持ち上げる。ぼやけた視界の向こうに、白い天井が広がっていた。

 蛍光灯の眩い光が、天井にぼんやりと滲んでいる。視線を横にずらすと、カーテンの向こうに窓があるのがわかった。外は夜なのか、光はほとんど差し込んでこない。


「陽暈くぅんんん……!」

「おぉぉおおお! やっと起きたか!」


 涙目の尋芽と、満面の笑みの碧が、ベッド横の椅子に腰かけていた。


「二人とも……」


 煩わしい酸素マスクを取り外し、上体を起こすと、尋芽があたふたとピンク色のツインテールを揺らし始めた。


「大丈夫なのぉ!?」


「大丈夫。俺、どのくらい寝てたんだ?」


「丸二日だな。本当に大丈夫なのか?」


 そう答えた碧は、いつものアホ面ではなく、神妙な面持ちだった。そんな彼の表情から、どうやらかなり心配をかけたのだと、陽暈は察した。

 そこでふと、船上での激戦が頭をよぎる。


「真壁さんは!? 森田さんや之槌さんも無事なのか!?」


「ったく人の心配してる場合かっての。まぁ安心しろ。三人とも無事だ」


「よかった……」


「そ、そんなことより陽暈……そろそろ尋芽たんの手を放したらどうなんだ」


 どういうわけか、碧が声を震わせながらそう言った。ふと手元を見やると、布団の隙間から伸びる陽暈の手を尋芽が握っていた。


「尋芽、ありがとう。もう大丈夫だ」


 感謝を伝えながら、優しく彼女の手を引き剥がした。すると尋芽は、寂しげに眉をひそめながらも、手を退けた。

 その直後、病室の扉が勢いよく開かれる。


「こーんばーんはぁぁああ!」


 入室するや否や、零士は大声で叫びながら、両手を前に突き出して振っていた。


「キャッ……!」

「うぉわぁあっ!」


 尋芽と碧が肩を窄めて声を漏らした。


「やぁ諸君! ご機嫌うるわしゅう!」


「零士さん! 病室ではお静かに!」


 咄嗟に立ち上がった碧が、口の前で人差し指を立てた。


「失敬失敬。陽暈くんの声が聞こえたからちょっとテンション上がっちゃってさ」


「心配かけてごめん。零士さん」


 陽暈を挟むようにして、尋芽と碧の対面に腰かけた零士は、首を横に振った。


「心配? してないよ? だって、きみはこんなところで死ぬタマじゃないからね」


 ケロッとした面差しで反論される。


「かはは。そうっすね」


 笑みをこぼした陽暈の右肩に手を置いた零士は、数秒間、なにも言わずに目を合わせた。


「強くなったんだね。陽暈くん。カスミンを守ってくれてありがとう」


「俺はまだまだっす。あの時、一瞬諦めようとした」


「大先輩のお褒めの言葉は素直に受け取っておくものだよ。それに、意志の弱い人間にはバーストできるはずがないかな」


「え!? 陽暈ってバーストしたのか!?」


「そぉなのぉ!?」


 目を丸くした二人に対して、零士が人差し指を口元に添えてお返しする。


「病院ではお静かに」


 苦い顔をした二人は、乗り出した身を引き、改めた。


「そういや言ってなかったな。バーストしたんだ、俺」


「アビリティは?」

「どんな感覚だったのぉ?」

「つーことはやっぱり死にかけてたってことじゃねぇか」

「リリースした時みたいな感覚だったぁ?」


 矢継ぎ早に尋芽と碧が質問を羅列する。


「まぁ落ち着けって二人とも。アビリティは触式だよ」


 そんな陽暈の返答を機に、室内が静寂に包まれた。

 尋芽と碧は大きく口を開いたまま石化した。二人に反して、零士はさして驚いていない様子。

 数秒後、呪いが解けた碧が声を荒げた。


「触式ってお前! バーストアビリティの中で最強じゃねぇか! いまは局にも触式持ちいねぇらしいし!」


「しゅごいぃ! しゅごいよぉ陽暈くぅん!」


 次、碧の声で動きを取り戻した尋芽が飛び跳ねた。


「そうなのか? 視式のが強くね?」


 どうやら陽暈の考えは稚拙すぎたらしく、二人とも大きくため息をついた。そんなやり取りを見て、零士が嘲笑している。


「てか、零士さんはどうして俺がバーストしたこと知ってんすか?」


「カスミンが敵わなかった相手に、きみが勝てるはずがないじゃないの」


「くっ……そういう風に見られてたのかよ。確かにそうだけど傷つくって」


「アハハッ! ごめんごめん! でもね、バーストしてるか否かってのは、雲泥の差かな。それはきみも理解したでしょ?」


 零士の問いを聞き、ファウンドとの戦闘を思い出した陽暈。真壁が命を賭して負わせた傷がなければ、間違いなく太刀打ちできなかった。


「確かにそれはよく理解したっす。それに、触式の能力はよく分からなかったけど、単純に扱える筋力が異常だった。それだけでも実力差はかなり出るな」


「そうだね。バーストすればアビリティを得られることに注目しがちだけど、脳の制限解除率が67%を超えたってことでもあるから、出せるパワーも跳ね上がる。それだけを考えても個としての強さは段違いだよ。うちには味式のくせにパワーだけで他のアビリティ持ちに勝っちゃう脳筋バカがいるくらいだからね」


「そんな化け物がいるんすか」


「あぁ。とりあえず触式のことは退院してから詳しく話すかな。しっかり食って寝て、早く回復するように!」


 腕時計を見やった零士は、なにやら用事があるらしく、颯爽と去っていった。その後、ほどなくして尋芽と碧も、局へ戻らなければならないとのことで──退室。


 賑やかだった病室は一気に静まり返り、一抹の寂しさを覚える。ふと、月乃のことを思い出した。相変わらず眠ったままなのだろうか。

 部屋中を見渡すと、月乃が眠る病室の造りと似ていることに気づく。


「同じ病院なのか」


 陽暈は、妙な感覚に陥っていた。胸騒ぎがした。そして、どういうわけか月乃に会いたいと思った。

 点滴の管を引き剥がし、ベッドから両足を投げ出す。

 一瞬の立ち眩みを覚え、壁に手をついて体勢を保つ。脳内が圧迫されているようだったが、歩くことに支障はない。


 部屋を出て、エレベーターへ。現在の階数を確認し、月乃がいる病室を目指す。やがて談話室を通り過ぎ、彼女のネームプレートが認められ──扉を開ける。


「天若陽暈、ドカンと参上」


 いつの間にかルーティンとなっていた入室時のセリフが勝手にこぼれた。


 室内はずいぶん肌寒かった。それは窓が開け放たれているせいだと、すぐに理解した。なぜならカーテンが揺らぐ窓の前に、艶やかな黒髪をなびかせる少女が佇んでいたからだ。


 月明かりに照らされた彼女の白い肌は、とにかく美しく、見惚れてしまう。もはやその神秘が、幻覚であると錯覚してしまうほどに、麗しかった。くわえて、ただでさえ秀麗な彼女の全身からは、白い煙のようなオーラが放たれている。


「つ……月乃……!」


 思わず陽暈が名を呼ぶと、彼女はゆっくりと振り返った。紛うことなく、朝顔月乃だった。キョトンとした面差しの彼女は、自分の足でしっかりと立っていた。


「月乃!」


 彼女の前に走り込み、両腕を掴んだ陽暈は、再び名を口にした。

 このまま、二度と目を覚まさないのではないか。そんな不安が胸を蝕んでは、自分の頬を叩いて打ち消してきた。

 だからこそ、病室の扉を開け続けた。どんなに無言の時間でも、彼女が眠る傍に居続けた。

 自分のせいで傷つけたことを、ずっと謝りたかった。そして一生、同じ過ちを犯さないと誓いたかった。それがついに叶う。長らく閉ざされていた彼女の瞼が、いまは開かれているのだから。


 混乱により、なにから話すべきか分からなかった陽暈は、とりあえず謝罪を述べようと喉を絞ったその時、彼女のか弱い声が鼓膜を揺らした。


「だれ……ですか……?」


 月乃は怯えた表情で目を泳がせながら、確かにそう言った。

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