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 天若陽暈は全力で甲板を駆け抜け、悲鳴が漏れ出すコンテナの着地点を目指していた。


 ファウンドとやらが、紙屑をゴミ箱に投げるかのように軽々と投擲したにもかかわらず、勢いは止まる気配がない。飛距離を逆算するに海面への着水は避けられないだろう。


 だが、それでいい。

 海面に落ちた方が、まだマシだ。

 あんな速度と質量で甲板に激突すれば、中にいる生徒たちはひとたまりもない。骨も肉も、衝撃でひしゃげてしまう。

 だったらいっそ、海に沈んだ方がいい。多少は衝撃が和らぐ──そう前向きに考えるしかない。


 しかしそこからが問題だった。

 カナヅチの自分には、海に沈んだコンテナなど助けに行けない。仮に泳げたとしても、あの質量をどうやって引き上げる。


 焦燥感に駆られながらも、積み重なったコンテナを登ると、陽暈の視界に巨大なクレーンが飛び込んできた。

 あのフックを使うのはどうか。

 否、ワイヤーがどれほど伸びるのか未知である以上、博打性が高い。


 その後も、コンテナからコンテナへ、忍者のように飛び移りながら思案していると、船首の甲板に並んだウインチを視界の端で捉える。


「あれだ……!」


 ウインチのすぐ傍に降り立った陽暈は、一旦足を止めた。その頃、すでにコンテナは船の進行方向からわずかに右へ逸れた位置に着水。船首からわずかに水飛沫が見えた。


「耐えてくれ……」


 コンテナの中に閉じ込められた生徒たちの無事を祈りながら、ウインチに巻き付いた太いロープを全力で引っ張る。

 ある程度の長さを確保し、レバーを引いた。

 すると、鉄が唸る音を鳴らしながら、ゆっくりと回り始める。


「うし!」


 先端が輪になったロープを握り、船首へと足を向ける。

 海面へ視線を落とすと、ブクブクと空気の泡に包まれながら沈みゆくコンテナが認められた。幸い、コンテナの気密性が高いらしく、水に飲まれる速度は緩やかだった。

 極力衝撃を与えないように飛び降り、膝のバネを活用してフワリと着地する。


「みんな! 聞こえるか! いま助けるからな!」


 コンテナ内からは、地獄の底を這い上がるような悲鳴と泣き声が漏れ出していた。

 陽暈は、声を張り上げて呼びかけたが、返事はない。

 いや、届いていない。重く閉ざされた鉄の壁が、彼らの絶望を封じ込めていた。


「クソッ……!」


 汗ばむ掌でロープを握りしめ、陽暈はコンテナの周囲を見渡し、引っ掛けられる箇所を探す──しかし、ない。


 焦燥が喉を焼く。時間がない。このままでは沈む。

 せっかく間に合ったのに、こんな理由で見捨てるわけにはいかない。

 陽暈は歯を食いしばった。


 コンテナの角には、クレーンで吊り上げるためのキャストと呼ばれる穴があるが、ロープを通せるサイズではない。

 ならばドアロック用に取り付けられた四本のポールに引っかけるのはどうか──やがて傾き、外れてしまう顛末しか見えない。

 ロープの縛り方次第では、上手く固定できるのかもしれないが、陽暈にはその知識がない。こんなことならライフハック系の動画を見漁っておくべきだった。という後悔がよぎるが、いまさらそんなことを言っても無意味。


 右往左往しているうちに、コンテナの半分以上が海水に浸かってしまった。もはや自分がカナヅチであることを憂いている猶予はない。


「いけるか!? いけるのか俺!? いや、いくしかねぇだろッ……!」


 そして意を決した陽暈は、大量の酸素を肺に取り込み、頬袋をパンパンに膨らませ、海へダイブ。

 たるんだロープとコンテナと共に、陽暈は沈む──やがて全てが完全に海水に呑まれた。


 それ以降は、何度か海面で空気の泡が弾けるだけ。まるで海という魔物が、食事後に吐き出す下品なゲップのようだった。


 十秒、二十秒、刻一刻と時間が経つにつれ、陽暈と生徒たちの生存確率が下がっていく。

 三十秒を越えたところで、たゆんでいた係留ロープが、海面を切るようにピシッと張りを見せた。繊維一本一本が軋み、徐々に巻き上げられていく。


 コンテナの姿が見えなくなり、約五十秒が経った頃、ついに黒い影が浮かび上がる。さらにその数秒後、海面がふわりと盛り上がった──海水の裂け目から、ロープにしがみつく陽暈が姿を現した。


 それに続き、縦向きになったコンテナが浮上。しかし意外にも、コンテナにロープは繋がれておらず、陽暈の腕力が全てを解決していた。


 カナヅチである彼は、水中に飛び込んだ時、ゾッとした。それは底が見えないという恐怖によるもの。

 高校で行われるプールの授業では、水が澄んでおり、外からでも底が見える。

 何度か海で遊んだこともあるが、そのほとんどは浅瀬であり、足が着かないようなところまで進んだ経験はない。


 それゆえ、底なしとさえ思える海の広大さに、怯えてしまったのだ。

 さぁ、恐怖に苛まれ、機能しなくなった脳で彼になにができるというのか。それはロープとコンテナのポールを握り、神に祈ること以外になかった。

 しかしそれこそが、初歩的すぎて見落としていた解決策だったのである。

 係留ロープを持ったがゆえに、引っかけたり巻きつけたりできないだろうかと思案してしまっていたが、話は至極単純だったのだ。


「ぶはぁッ……!」


 海面が遠のき、船首が近づく。このまま引き揚げられると、コンテナや船体が破損する可能性があると陽暈は考えた。


「ふんんッ!」


 ぶ厚い鉄箱を、まるで段ボールでも受け止めるように、その腕で優しく制御する。

 船体がギシリときしんだが、陽暈の足取りは乱れない。静かに、コンテナを甲板へと下ろした。


 荒くなった息を整える間もなく、ロックされた扉に手をかける。

 錆ついた金具をググッとこじ開けると、開いたその隙間から──冷たい海水とともに、生徒たちの体がどっと流れ出してきた。


 内部はまさに地獄だった。

 水浸しの子供たちが、互いの体に押し重なるようにして倒れ込んでいる。まるで、釣り人のクーラーボックスをひっくり返した直後の魚の群れのようだった。


「大丈夫かみんな!」


 気管に入った海水を吐き出す者、必死に酸素を取り込む者、生まれたての赤子のように泣き叫ぶ者、十人十色だったが全員無事だった。

 色々と説明している暇はないため、とにかく船に安全な場所がないことを伝え、コンテナの中で息を潜めておくよう指示を出した。


 もちろん、納得できない生徒もいた。

 だが、びしょ濡れの陽暈がジャケットを脱ぎ捨てると──水に濡れて光るホルスターと、その中に収められた拳銃が、沈黙を呼び込んだ。誰もが理解したのだ。この男は、ただの乗員ではないと。


 騒ぎは一気に静まり返った。

 陽暈は、生徒たちの表情を一通り確認し、頷くと、跳ねるようにしてコンテナを飛び出した。積み上がったコンテナ群を跳躍しながら駆け上がり、最短距離で戦線へと復帰する。


 目指すのは、真壁の元──倒れてなどいないと信じて。


「イソゲ、ヒガサ!」


 どこからともなく現れたアキラが急かしてきた。


「アキラ!」


 陽暈はアキラの足を掴み、天高く飛び上がった。

 コンテナの森が途絶えたところ、クレーンの下に真壁が認められた。彼女の目の前で、ハンマーアックスを振りかぶったファウンドも。


「やべぇ!」


 かなりの高度に達したアキラは、急降下──。


「あばぁばばぁばぁばばばばば」


 空気抵抗に耐えられず、陽暈の口内で風が暴れ回る。


「つか俺、高所恐怖症──」


「イッケェェエエエッ!」


 アキラはそう叫びながら、サッカーのシュートを放つかのように、陽暈がしがみつく方の足を振るった。

 ただでさえ勢いがついていたところに、ダメ押しの加速。

 抗う空気を切り裂きながらも、陽暈は両足を引き込んだ。


「やらせねぇぇェエエアア゛!」


 全身全霊のドロップキックを押し出した。空から落ちてきたことを踏まえると、さながら隕石だった。


 陽暈の叫び声を聞き、目を丸くしたファウンドと目が合ったが、彼に回避する猶予はなく、右肩から脇腹にかけて命中──猛烈な衝撃により巨躯が甲板に叩きつけられ、削りながら無様に転がった。その手から離れたハンマーアックスは弧を描きながら宙を旋回。時折、陽光を反射させ、煌めきを放ちながらも大海原へ。


「真壁さんも泣けるんっすね」


 予想以上に真壁は、負傷していた。整った顔つきは見る影もなく、いまはただ真っ赤な血に塗れていた。ただ一つ、美しいとさえ思ってしまったのが、彼女のほほを伝って流れる涙だった。

 涙を流している人には、問答無用で手を差し伸べる。その言葉が陽暈の脳裏によぎった。


「……天若さん……助かりました」


「当然。もう俺は守られる側じゃないっすよ。あとは俺がなんとかする」


 そう言って、ファウンドの方へ向き直った陽暈。渾身の一撃を食らわせたとは思うが、それだけで倒れてくれるほど相手は柔じゃない。


「痛ぇなぁ」


 低い声を響かせ、右肩を押さえながらも、ファウンドは立ち上がった。


「母さんと弟が受けた痛みはそんなもんじゃねぇぞ」


「ふん。弱い者は強い者に食われる。当たり前ぇだろうが」


「犬の方がまだ賢いな。知性でも捨ててきたか?」


「あぁ? 舐めた口利いてんじゃねぇよ」


「はっ。お前みたいなやつにへりくだる理由なんかねぇよ。どうしてお前らは平気で人を殺せるんだ。人には各々の夢がある。なんでそれを踏みにじるようなことをするんだ」


「ケツの青いガキだな。他人を踏み越えてでも叶えたいもんが夢だろうが。その覚悟もねぇ人間が踏み台にされてなにがおかしい」


「確かにそうかもな。でもそれは同じ夢を追う者同士が競い合った結果で起こることだ。お前は、ただ人をコケにしてるだけ。夢もなにもないお前に、他人の夢を踏みつける権利なんかない!」


「ずいぶん言ってくれるじゃねえか。俺にだって夢はあるぜ。だからこそボスについてんだ──俺の夢はちょいと違うが、ボスの夢なら教えてやるよ。圧倒的な武力を得て、社会を裏から牛耳り、一矢報いるんだとよ」


「かはは! どっちのケツが青いんだか」


 陽暈は思わず嘲ってしまった。ヴェルマの夢が、あまりにも幼稚だと思ったからだ。

 当然、長を愚弄されたファウンドは、目を細める。


「あぁ?」


「お前、人の強さを全く分かってないな。付け焼き刃の武力なんかに臆するほど人間は弱くない。どれだけお前らが力で捩じ伏せようが、何回でも立ち上がる。たとえ命を失っても意志は紡がれる。俺が断言してやるよ。お前らの夢は、お前らが踏みにじってきた人たちの想いに、いつか壊される」


「がっはっは! 馬鹿が。何度立ち上がろうが捩じ伏せる。それができる圧倒的な力を手に入れるって言ってんだよ。ま、テメェには理解できねぇだろうが」


「かはは。理解したくもないな」


「だったら、拳で語り合うしかねぇよなぁ?」


「だな」


 互いに拳を構え、文句なしの殴り合いが始まる。いまはベスト姿になっていた陽暈は、ホルスターと銃が煩わしく思えた。


「ぶん殴ってやらないと気が済まないよな」


 そう言いながら、ホルスターを脱ぎ、拳銃と一緒に海へ投げ捨てた。


「ほう。なかなか漢気があるじゃねぇか」


 感心したファウンドもまた、革ジャンを脱ぎ、ピチピチのコンプレッションウェアになって丸腰であることを証明。同時に、洗練された筋肉が露呈した。


「お前もな」


 斯くして、漢同士の正面衝突が始まる──。

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