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バーストリミット・オフ。
真壁華澄は改めてその言葉を脳内に反響させ、緑色のオーラを身にまとった。
「血気盛んなチビだなぁ。ちょっとは話してみようとか思わねぇのか?」
目の前に立つ、黒い犬の仮面で顔を隠した金髪の男が嘲笑した。彼もまた、分厚いオーラをまとっている。その色は橙色──嗅式であることが窺える。
「あなたにそれを言う権利はありませんよ」
「がっはっは! そりゃそうだわな」
男は、盛大に笑い飛ばした。
そんなことよりも、エイトアイランズ号が非常に危険な状態だ。無線で連絡してきた陽暈も焦っている様子だったが、無事なのだろうか。
とはいえ、いまは彼を信じるしかない。目の前にいる男は嗅式と言えどバーストしているということは、気を抜ける相手ではない。
いつしか貨物船が走り始めているせいか、潮風が強まっている。風が通り抜ける音が邪魔で、聴式の本領が発揮できそうにないのが気がかり。
「つーか、なんでお前がここいんだ。天若はどうした」
「取り残された生徒の救出のため、エイトアイランズ号へ行きましたよ」
「はぁ!? 嘘だろ!?」
ライオンのような見た目の男は、やけに取り乱した。
「本当です」
「あのゴミふざけやがって。天若は殺すなっつったはずだぞ。後でぜってぇぶっ殺す──いや待てよ。そんなことより、天若が死んだら俺、どうなんだ!? 勝手に死にましたっつっても信じてもらえないよな……やべぇ。ミスったばっかなのに……絶対殺されんじゃねぇか……でも最悪殺してもいいって言ってたよな。だったら最悪の事態が起きたっつって……」
「後にしていただけますか」
そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、真壁が冷たい視線を男に送った。
「はぁ……マジでめんどくせぇことになってんぞ……」
「長崎の一件も、あなたがたの仕業ですか」
「あぁ? あぁ! 長崎ね! あれは稼がせてもらったなぁ。日本の中高生は馬鹿みたいに高値で売れっからよ、粗利で八千億はいったって聞いたな。知ってっか? 案外、男にも需要があるんだぜ? おばさんはもちろん、おっさんも欲しがるんだ。可愛いジャパニーズボーイをな」
「やはり人身売買ですか」
「あぁ!」
真壁の問いに対する返答にしては大袈裟な声量だった。肯定ではなく、なにか気付きを得たような、そんな声音で、男が叫んだ。
「そうじゃねぇか! 今回は前よりもっと人数が多い! てことは売り上げも半端じゃねぇ! 天若の死なんざ霞むはずだ! それに賭けるしかねぇ!」
まったく話になりそうにない。
真壁は大きく溜め息をひとつ吐き、一応尋問を継続する。
「はぁ……エイトアイランズ号に生徒が取り残されている件について、なにかご存じですか」
「それは知らねぇよ。ゴミ村がやったんだろ」
「吉村さんはあなたの仲間なのですか?」
「あんなゴミを仲間にするわけねぇだろ。嫁子供を使って脅してんだよ。てか、よく見りゃお前もいいツラしてんじゃねぇか。黙ってコンテナに入ってくれるなら痛い目は見なくて済むぞ」
「あなたに言われても響きませんね。そろそろ不毛な会話は終わりにしましょうか」
そう言いながら真壁は、滑らかに抜刀──正面に添え構える。むろん、峰ではなく刃を向けて。
「強気な女は嫌いじゃねぇ。命乞いをする時のギャップに萌えるからな」
真壁の斬撃に備え、男もまた、背負っていた巨大な斧を構える。
よく見ると、片方は斧のような鋭い刃が認められるが、反対側はハンマーのように、平らに設計された武器──巨大なハンマーアックスだった。重苦しい銀色の刃と打撃面には、濃褐色の斑点がこびりついており、その凄惨な歴史が想像できてしまう。
瞬間、吹いていた潮風が途絶え、静寂に包まれた。その直後、コンテナの陰から、足を引きずった男が飛び出した。
「ファウンド様……! そいつは危──」
仮面の一部が砕けた男だった。おそらくさきほど峰打ちし、無力化した構成員のいずれかが目を覚まし、よかれと思ってファウンドとやらに忠告しに来たのだろう。しかしそれは彼にとって、最も選んではならない選択肢だった。
忠告を聞き終える前に、ファウンドが鉄塊を真横に振るったのだ。まるで周囲を飛び回る蚊を叩き潰すかのようだった。
「邪魔すんじゃねぇ。殺すぞ」
強烈な一撃をまともに食らった男の上半身は粉々に弾け飛び、ペンキをまき散らしたようにコンテナと甲板を真っ赤に染め上げた。ほどなくして、上半身を失った脚部が尻餅をついて転がる。
「悪かったな。水差しちまってよ」
なにもなかったかのように、ファウンドはハンマーアックスを構え直した。真壁は構えを解いていなかったため、気を引き締め直す。
今度は潮風が強く吹き荒れ、船体が切る波の音が騒がしい。
重厚な鉄の塊を刀で受け止めるのは、おそらく不可能。ゆえに、後手に回るのは愚策。
体勢を低くした真壁は、全力で甲板を蹴った。しかしそれを読んでいたかのように、鉄の塊が天から振り落とされる。
「ふんっ!」
ファウンドの声が漏れるや否や、鉄が衝突する轟音を伴って甲板にハンマーがめり込んだ。
その頃、すでに真壁はファウンドの側面に回避しており、柄を握る腕力に力を込め──右下から左上にかけて振り上げる。
まさに風を切る音が鳴り響いたが残念ながら手応えはなし。すぐさま視界が陰り、顔を上げると凶悪な拳が眼前に迫っていた。
なんと、甲板に突き刺さった武器を手放したファウンドは、斬撃を跳躍してかわし、次の一手に転じていたのだ。予想を遥かに越える身軽さに驚いたが、真壁は冷静に後退して拳を回避。
「ちょこまかとうぜぇ野郎だなぁ!」
間髪入れずに、今度は打撃面ではなく、刃が迫る。あまりの速さに、真壁は反射的に刀を持ち上げ、アックスを受け流そうとした。しかし予想していた通り、明らかな質量差で日本刀が跳ね返されてしまう。
かろうじて、凶悪な斧の軌道を変え、裁断は免れた。だがしかし、斧が真壁の右足付近の甲板にめり込んだ直後、右脇腹に凄まじい衝撃が襲った。
またもや武器を手放したファウンドの裏拳だった。
「くっ……」
容易に吹き飛ばされた真壁は、コンテナに激突。幸い、ほどよい厚みの鉄板だったためか、叩きつけられた衝撃によるダメージは、ほぼない。ただ、肋骨の数本は粉砕されたらしく、息苦しい。
「どうしたチビ侍ぃぃいい! そんなもんかよ!」
すでにハンマーアックスが目の前まで迫っていた。すんでのところで避けるが、次いでファウンドの拳、脚、肘、様々なバリエーションの攻撃が豪雨のように降り注ぐ。
戦い方が上手い。さすがの真壁も、称賛せざるを得なかった。
あれほどの巨大な武器は、持ち運ぶだけでも一苦労。そしてコンテナが無数に立ち並ぶこの船上、ハンマーアックスを振り回すには少し狭い。真壁の小さな体躯に当てるのも骨が折れるはずだ。
しかしファウンドは、派手な武器を持っていながら、それにこだわっていない様子。懐に入れば肉弾戦に切り替え、少しでも距離を取れば鉄の塊が暴れ出す。
横柄な態度からは想像もつかない器用さを兼ね備えている。武器を捨てでも勝ちを取る。勝利に貪欲な戦闘狂だ。
そして極めつけは、風の強さ。
聴式を持つ真壁にとって静けさは非情に重要である。相手のわずかな動きによる衣服の摩擦音、拳を握り込む筋組織の収縮音、踏ん張った時の甲板が軋む音、様々な音から情報を得ることで、次の攻撃を予見し、相手の一歩、二歩先をいく。それが真壁の強み。
ビュービューと吹き流れる風や、波の音が常時鳴り続けているいま、その先の音がかき消されてしまう。せめて屋内戦に持ち込めれば。
そうしてファウンドの猛攻を回避しながら試行錯誤していると、どういうわけか、女子生徒が突如現れた。
「うわ! え!? なに!?」
それを見やり、不敵な笑みを浮かべるファウンド。とめどない攻撃を真壁に浴びせていた彼は振り返り、女子生徒へ足を向けた。
即座に最悪のシナリオをシミュレートした真壁は、ファウンドよりも早く踏み出し──女子生徒を庇うべく覆いかぶさった。
「死ねぇぇええええ!」
女子生徒を抱擁した瞬間、真後ろからファウンドの罵声が聞こえた。直後、背にとてつもない衝撃が走った。車どころか、電車にでも跳ねられたかのようだった。
女子生徒の頭部を胸元に収めつつ、甲板を跳ね、転がる。歯を食いしばり、全身の痛みに耐えながらも体勢の立て直しを試みるが、勢いがつき過ぎており、止まれそうにない。このままでは手すりをぶち破り、海へ放り出されてしまう。
どうにか日本刀を甲板に刺そうと手を握りしめるが、いつしか手放してしまっていることに、いまさら気づく。
「くっ……!」
万事休すか──そう思った瞬間、力強くなにかに受け止められた。むろん、手すりではないなにか。
「真壁さん! 遅れてごめん!」
ずいぶん立派に感じる陽暈の腕に包まれていた。
「天若さん、無事でしたか……うっ…………」
吐気を催した真壁は、喉元に力を込めて諸々を飲み込む。背に受けた打撃が想像以上に効いているらしい。
「す、すす、すみませんでしたー!」
女子生徒は無事で、大声で謝罪しながら走り去っていった。
「もう大丈夫です。助かりました」
「うっす!」
自力で立ち上がった真壁は、優しく添えられた陽暈の手を引き剥がす。
「その傷……天若か!」
ハンマーアックスを肩に担ぎ上げたファウンドは、目を丸くした。
「誰だあんた。ダッサい髪型だな」
「ありがとうなぁ! マジで助かった! お前が生きていてくれて、良かったよマジで!」
「わけが分からん。誰だよ」
「いやぁ、すっげぇ詰められたんだぜ? 息子が二人いるなんて知るわけねぇっつんだよなぁ」
「は?」
「たった一人の息子を殺さないでぇえ!」
空いている手を陽暈に向けて伸ばしながら、ファウンドが叫んだ。余韻を残し、手を引っ込める。
「ってのは、あの女の演技だったんだな。まんまと嵌められたぜ。ま、俺もハメたからお相子か! がははっ!」
仮面の奥に見えかくれするファウンドの目は、腹立たしいほどに細く、目尻に皺が入っていた。
「お前……なに言って……」
陽暈の声が震えた。
この時、どういうわけか急に風が弱まり、真壁の聴覚が研ぎ澄まされた。ひときわ目立って聞こえるのは、陽暈の心臓が叩かれる音。
「ボスに詰められた時はマジで殺されると思ったぜ。あいつは加減ってのを知らねぇからな」
「なにを……」
陽暈の心音──鼓動が急激にテンポを上げ始めた。いつしか握られていた拳の内側、爪が皮膚に沈み込む痛々しい音も聞こえる。
「まだ分からねぇのか? この俺、ファウンド様が殺ってヤったんだよ。テメェの母親を」
ファウンドの告白を機に、ただでさえ激しく鳴り響いていた陽暈の心音が、さらに強まった。
輸送車が襲撃された際、家族の仇と対峙した彼は、我を失って命を投げ捨てようとしたと聞く。しかしあの時現れたのは、指示を出した人物であれど、母と弟を手にかけた張本人ではなかった。だが今回は違う。
さらに言うと、ファウンドの悪びれる様子がない態度。轟々と燃え盛る陽暈の心に薪をくべているようなものだ。
これ以上は彼の精神衛生上、良くない。そう憂いた真壁が声を発しようとした直前、熱を帯びていた陽暈の鼓動が急速に冷め始めた。
「て、天若さん」
「大丈夫。いまはまだ、心臓をぶっ刺すわけにはいかないっすから」
依然として、陽暈の握力は抜けていないようだが、ずいぶんと脈拍は落ち着いた。そんな彼の心音を見計らったかのように潮風が強まり、風音が真壁の鼓膜にまとわりつく。
まるで陽暈の怒りに怯え、風が身を隠していたかのようだった。
「真壁さん、やろう。コイツは絶対に逃がしちゃいけないっす」
「強くなりましたね、天若さん」
背に受けたダメージが残っているものの、まだ戦える。陽暈が合流したのも大きい。いまの彼となら、協力すれば勝機は見出だせる。
真壁は少し離れた場所に転がっていた日本刀を拾い上げた。
「甘えるな……泣くな……笑うな……戦え……!
燃えるなぁ! 復讐しにきたやつをねじ伏せる機会なんざなかなかねぇ! 力と力のぶつかり合いだぁああ!」
陽暈と真壁が戦闘態勢に入ったのを見て、ファウンドが高揚し始めた。
「ファウンドは武器に執着していません。素手の攻撃も織り混ぜてきますので、ご注意を」
「了解」
「では参ります!」
戦闘再開──。
真壁は後ろに続く陽暈の足音に合わせ、最適のタイミングで左斜め前へ進路を変更。陽暈は右へ。
二人を凪払おうと考えたらしく、ファウンドのハンマーアックスが真横に振るわれた。真壁は開脚し、限界まで体勢を低くし、甲板に片手を添えて回避。反対側の陽暈は高くジャンプしていた。
宙を舞う陽暈に気を取られたファウンドの右脇腹が、真壁の眼前に──迷わず斬る。
直前で体をよじられたせいか、傷は浅いものの刃は届いた。
次いで、少しだけ顔を歪ませたファウンドの頬へ陽暈の膝蹴りがクリーンヒット──口から鮮血を吹き出しながら、体勢が崩れる。
かと思われたが、強靭な体幹のファウンドは足を一歩後ろに引いて踏ん張った。そして間髪いれず、ハンマーアックスを陽暈にめがけて振り降ろす。
甲板へ着地後、陽暈は冷静にサイドステップを踏み、目と鼻の先で鉄の塊を躱す。
次、ファウンドの正面に立った彼は、拳を振りかぶった。
「ぅうらぁぁあッ!」
怒りの拳は、ファウンドの鼻に叩き込まれた。あまりの衝撃に、今度は立っていられなくなったファウンドは、ハンマーアックスと一緒に吹き飛んだ。
しかしまだまだ力が有り余っているらしく、空中で体を捻り、鉄塊を甲板に打ちつけ、勢いを完全に殺して着地。そして片方の鼻の穴を親指で塞ぎ、鼻腔に溜まった血液をフンッと排出。
「なかなか息が合ってやがんな。ちと面倒だ」
すぐ傍にあったコンテナの角を掴み、持ち上げた。中にいる生徒たちの悲鳴が漏れ出す。
「これだけでも何億の損失になるか分からねぇが仕方ねぇ」
そう呟いたファウンドは、コンテナを船の進行方向めがけ、軽々と投げ飛ばした。
「俺が行きます!」
気がつけば、すでに陽暈が駆け始めていた。
「お願いします!」
「よそ見してる場合じゃねぇぞチビ侍ぃぃいい!」
陽暈にコンテナを託した直後、ハンマーアックスを振りかぶったファウンドが目の前に迫る。投げ放たれたコンテナに視線を吸い寄せられていたせいでノーマークにしてしまっていた。
しかし真壁は冷静だった。軌道を読み、無駄なく躱して、お返しに刀を振るう。だが相変わらずファウンドは見かけによらず身軽で、あと一歩のところで刃が届かない。
「臭う。臭うなぁ」
数歩後退し、尖った鼻を小刻みに揺らしながらそう言ったファウンドは、仮面も相まってほぼ犬だ。
「緊張……いや、焦りか。ストレス臭ってやつだなぁ。どうしたチビ侍。聴式が活かせなくて動揺してやがんのか?」
ストレス臭──緊張によりストレスを感じた人間は、皮膚から特有のにおいを発すると、某化粧品メーカーの研究で明らかになった。ネギやニラなどの香りに類似しているという。
さりとて、分泌される臭いは微々たるもので、よほど近づかなければ気づけない。もっとも、嗅式を扱える者はその限りではないが。
「こう見えて私も女ですから、体臭には気をつけているつもりです。が、よくお分かりですね。全力を出せない相手を負かして、嬉しいのですか?」
オーラの色で聴式であることはバレている。いまさら隠しても無駄だと考えた真壁は、ファウンドのような戦闘狂が共通して持つポリシーへの挑発を試みた。
しかし──。
「おっと、無駄だぜ。俺は殺し合いが好きだが、その辺の馬鹿とはちげぇ。どんな過程を経たとしても、勝利は絶対だ。だからテメェの口車には乗らねぇよ」
猪突猛進する頭の悪いタイプだと思えたが、存外、そうでもないらしい。
戦いを好む愚かな人間のほとんどは、戦闘の中に生きがいや目的を見出す。それと異なり、主たる野望を掲げたうえで、戦いに興じる人間も数少ないが存在する。
どうやらファウンドは後者。できれば前者であってほしかった。
「ま、強いて言うなら自分より強い相手に喧嘩を売りたくなることはあるけどな。これまでも、これからも」
「そうですか」
興味なさげに吐き捨てた後、真壁は刀を平行に構え、手首をひねってわずかに傾けた。すると、ファウンドは眉根を寄せ、驚いた様相を浮かべる。
「どういう理屈か分からねぇがおもしれぇ。ねじ伏せてやるよ」
日本刀は、その刀身の整然さゆえ、刃の角度によっては姿を消し去ることができる。だがそれは、相手の視線と、光の反射、各々の角度を完璧に把握する必要がある。くわえて、常に傾きを調節し続けなければ、すぐに刀身が露呈してしまう。
そんな常軌を逸した神業を、剣の道を突き詰めた真壁は会得していた。
ファウンドが驚きを隠せなかったのは、目の前に見えていたはずの鋼が消えた得たいの知れない現象が所以だったのだ。
「参ります」
両手で刀を握りしめ、一気にアクセルを踏む。
単調とさえ思えるファウンドのハンマーアックスが横振りで迫る──即座に伏せ、それを回避した真壁。見えざる刀身を維持したまま、振り上げようとしたその時、空ぶったはずの鉄塊が再び迫る。
巨大な武器の遠心力に身を任せ、一回転したファウンドは、勢いそのまま二週目の横振りを繰り出してきたのだ。今度は甲板をえぐるように低い軌道で。
体勢を低くして回避することは不可能。それならばと、真壁はファウンドの懐へグイッと踏み込む。
ハンマーアックスの打撃面や刃は脅威だが、柄の部分まで肉薄してしまえばダメージは受けない。そんな強気なアンサーが彼女にはできるのだ。
さすがに焦燥したのか、目を見開いたファウンドだったが、彼もまた冷静な判断を下した。勢いがついたままのハンマーアックスを手放し、体を反り返らせて斬撃を回避したのだ。
「やるじゃねぇか……!」
バク転しながら後退するファウンドを逃がすまいと、真壁が二振り、三振りと追随する。そしてその執拗さが功を奏す。
「くっ……!」
四振り目──剣先がファウンドの胸部を切り裂き、彼の目尻が歪んだ。刀身の透明化が効果を発揮し始めている。
ここで畳み掛け、一気に決着をつける。
ずいぶん体も温まっていた真壁は、その剣速を加速させ、手数を増やしていく。
だがしかし、やはりファウンドの身のこなしは目を見張るもので、致命傷に値する一撃は繰り出せない。
ただ、明らかにダメージは蓄積されている。
胸部を切りつけた一刀を機に、腿や腹、二の腕や首筋、傷は浅いが着々と届いている。
そしてついに、ファウンドが体勢を崩した。
「そこです!」
一瞬の怯みを見逃さず、槍のように刀を片手で押し出す──剣先が腹部を捉え、ズブリと突き刺さった。
だがしかし、ファウンドの気迫は異常だった。自身に刺さったままの刀身を素手で握り込み、引き抜こうとする真壁を静止させた。
「詰めが甘ぇなあああ゛!」
口の端から鮮血をこぼしながら狂気じみた笑みを浮かべたファウンドは、刃で血が滲む手とは逆の拳を刀身に向かって真横からぶつけた。
鉄が弾ける音が鳴り響き、乾いた枝のように脆く折れた。日本刀は、側面からの衝撃に弱い。それは誰もが知る常識だろう。
狂気の沙汰を目の当たりにした真壁は動揺を隠せず、わずかに動きを止めてしまった。
「ボサッとしてんじゃねぇぞごらぁぁあ!」
ファウンドの声を聞き、視覚の焦点を定めたが時すでに遅し──岩のような拳が視界全体に広がっていた。顔の小さい真壁と、ファウンドの大きな拳の相性は最悪で、鼻を中心に顔全体におぞましい衝撃が襲う。
真壁は甲板に跳ねる間もなく、ノーバウンドでクレーンの根本に激突し、後頭部を強打した。
「うぅ……」
太陽を直視した時のように視界が真っ白になり、勝手に呻き声が漏れ出してしまう。くわえて、全身が痙攣し、急激な寒気が総身を巡る。
真壁は、その感覚に覚えがあった。あれはバーストする寸前だった。ある任務で対峙した格上の相手に、強烈な蹴りを腹にねじ込まれた。その時の挙動に酷似している。
それはつまり、死神がすぐそこまで忍び寄っているということだ。
久々だ。死という得たいの知れない存在に畏怖するのは。
このまま死ぬのか。はたまたオーバーに成功し、アビリティを得るのか。いや、おそらくその可能性はゼロに等しい。
いつからなのかは分からないが、真壁は生きることへの執着心が薄れていた。その理由も分かっている。
これまでの任務で、結果的に、やむなく人の命を奪った経験が何度かある。もちろん正義の名の元に、武力を行使した。相手がニュークだった場合に限り、許可される権限だからだ。
さりとて、いくら相手が犯罪者であっても、人を殺めるのは精神的な負担が大きかった。気づけば、懺悔の念に心を支配されていた。
やがて、屍のうえに自分が生きていることに疑問を感じ始めた。柳生に相談したこともあるが、彼女は確固たる正義が主軸となっており、言葉では共感されたものの、心ではそう感じられなかった。
一般人の命を優先する気持ちに偽りはないが、どこかで救いを求めていたのかもしれない。もう楽に殺してくれないだろうかと。
ゆえに、この状況でオーバーできるほど、生に執着が持てていない。
「あぁ……こんなことなら……」
ようやく紡げた言葉すら、荒れる波の音にかき消されてしまった。
こんなことなら、大人しく保育園の先生を続けていればよかった。そう呟こうとした。




