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 真壁華澄は、陽暈と森田が乗るテンダーボートを見送り、操舵室へ戻るという吉村と別れ、引き続き之槌と共に貨物船を巡回していた。

 すでに生徒たちは教師の指示により、滞りなくコンテナへの避難が済んでおり、船上はずいぶん静かだった。


 コンテナに詰められるというのは、あまり気分の良いことではないが、エイトアイランズ号などの旅客船に比べて、貨物船は自由に歩き回れるような場所はない。船長の石川からしても、勝手に触れられては困る貨物や設備も多い。野放しにした生徒たちに怪我をされても厄介だ。

 様々な観点から思案した結果、教員たちとの協議を経て、コンテナで大人しくしてもらうのが一番だと結論が出たのである。


「真壁殿。どう見ますかな」


 閑散とした船上を歩いていると、之槌が小声で言った。曖昧な問いかけだったが、真壁には彼の真意が理解できた。


「吉村さんのことですね」


「えぇ。どうも臭いますな」


「確かに、さきほどは妙でしたね」


 テンダーボート内での吉村の言動。違和感がないと言えばないが、少し引っ掛かる部分があった。


「我々をできる限り、エイトアイランズ号へ向かわせたいという意思が見えましたね」


 真壁は立ち止まって、向こう側にそびえる豪華客船を見やった。同じく之槌も海へ足を向け、両手で手すりを掴んだ。


「ですな。生徒の命を憂いてのことであればよいのですが、どうもそういう風には見えませんでしたな」


 潮風が強く、真壁の髪がなびく。


「少し吉村殿や石川殿を揺さぶってみようと思います。真壁殿は、あくまでも乗客の警備を頼めますかな」


「承知しました。何かあればいつでも無線で呼んでください」


「いやはや、頼もしい限りですな」


 之槌は余裕の笑みをこぼしながら、操舵室がある船首へ向かった。


 吉村の不審さは真壁も感じていた。之槌も同様の意見を持つとなれば、もはや確信に近い。

 いままで会ってきた人間のなかで、彼は抜きん出て頭がキレる。以前、零士とも話したことがあるが、之槌の洞察力や推察は、基本的に外れることはない。刑事の勘とやらは侮れないのだ。


 そもそも、エンジントラブルで停船することですら稀有。くわえて予備エンジンも作動しないとなると疑念を抱かずにはいられない。

 ただ、吉村は言っていた。貨物船に救援を求めるよう沿岸警備隊から指示が出たと。いや、吉村が黒である可能性が浮上したいま、彼の言葉を信用するには早計なのかもしれない。


 様々な可能性を脳内で巡らせながらコンテナの隙間を歩き回っていると、海の方から、なにかが破裂するような音が鳴り響いた。

 大至急、コンテナの森を抜けると、エイトアイランズ号の右舷側から立ち上る煙が認められた。こちらから見えるのは左舷側ゆえ、なにがあったのかまでは分からない。


 ほどなくして、左舷側──接舷していたボートが轟音とともに爆ぜ、火の塊が空へ膨れ上がった。爆風が水面を叩きつけ、一瞬の静止の後、白い水柱が弾けるように吹き上がった。そして右舷側に認められるものと同じ黒煙が渦が空へ伸びる。


 その後すぐ、最上階から甲板へ飛び降りる人影が見えた。おそらく陽暈だろう。

 真壁が無線で連絡を取ろうとしたその時──。


「動くな」


 エイトアイランズ号に迫る危機に気を取られていた真壁の背後から、曇った声が響いた。同時に、後頭部に、なにやら冷ややかなものが突きつけられる。

 その瞬間、彼女は脳内で呟く──バーストリミット・オフ。たちまち緑色のオーラが全身を包み込み、聴覚が研ぎ澄まされていく。


「どなたですか」


 手に持つアタッシュケースを置き、両手を挙げて対抗するつもりがないことを装う。

 真壁はこの時すでに、後ろの男がニュークではないことが分かっていた。リミットが解除されたことを意味するオーラに、男が反応しなかったからだ。


「お前が真壁だな。抵抗せずについてこい」


 微小ながら、鉄と鉄が擦れる音と、グリップを握り直す音を鼓膜が捉えた。どうやら後頭部に突きつけられているのは拳銃のようだ。おそらくモデルは、日本への密輸が増加傾向にあるフィリピンで製造された自動式拳銃。

 ちなみに真壁は、視覚情報を遮断した状態での訓練を続けた結果、大抵の武器の種類は音だけで判別できる領域にまで達している。

 むろん、真後ろに立つ男の心音も聞こえており、この場にいる敵が一人であることを悟るのにも時間を要さなかった。


 ならば選択肢は一つ。

 勝ち筋が澄んで見えた真壁は、銃口から逃れるべく、頭を半個分、左にずらした。並行して、右耳のすぐ傍にきた銃のスライドを、挙げていた右手で掴み、押し戻す。

 男が慌てて引き金を引くが、スライドが戻っていないせいで不発に終わってしまう。


 間髪入れずに、体を回転させながら男の手から銃をねじり取り──音速に近い左フックを顎へ。

 振り向きざま、目の前に広がったのは人の顔ではなく黒い犬の仮面だったが、真壁に動揺はなかった。終始、籠った声を発していたため、マスクや仮面の類いを装着していることも分かっていたからだ。


 一見、地味な攻撃に思えたが、彼女の動きと狙いは微塵の無駄もなく、効果は絶大だった。

 下あごが見事に外れ、その衝撃に脳が耐えられず、男は一瞬にして意識を失い、全身の力が抜け去った。

 倒れ込む男を優しく抱き寄せた真壁は、アタッシュケースを拾い上げ、周囲に目撃者がいないことを確認し、空のコンテナへ身を潜めた。


「面倒なことになりましたね……」


 敵が何人いるのか分からない現状、下手に動くのは危険。もしニュークがいれば、骨が折れる。

 懸念点を洗いだしながらも、真壁は男の後ろ首にインヒビターを装着し、動きを取れなくした。本来、インヒビターはニュークに使用するものだが、いまは手錠を持ち合わせていないため、致し方ない。


 コンテナの開閉口の隙間から外の様子を窺うと、犬の仮面をかぶった人物が数人、慌ただしく歩き回っているのが見えた。種類やブランドが違えど、みな漏れなく服も靴も黒い。


 しばらくすると、すやすやと眠っていた男が目を覚まし、唸り声を上げ始めた。


「私の質問には、はいか、いいえで答えてください。そうでなければ首を刎ねます」


 暗闇のなか、真壁は即座に男の傍に駆け寄り、アタッシュケースから取り出していた日本刀を首に突きつけた。すると男は睨みをきかせたまま声を殺す。


「あなたの仲間にリリースしている者はいますか」


「ガキが調子に──」


 添え置いた刃を数ミリスライドさせ、抵抗の色が消えぬ男の首の皮膚に赤い線を刻む。


「はい、か、いいえ、です」


「ちっ……はいだ」


「よろしい。では、バーストアビリティ及びオーバーアビリティを使用できる者はいますか?」


「バースト……オーバー? なんだそ──」


 先刻、男の首に引いた赤い線に沿って、再び刃を滑らせた。


「ちょっちょっと待ってくれ! 俺は本当に知らない!」


「そうですか。では──」


 次の質問に移ろうとしたその瞬間、コンテナ内に光が射し込んだ。


「いたぞ!」


 コンテナの開閉口に複数の人影が浮かび上がった。即座に、バーストアビリティを解放した真壁は、日本刀を構える。

 目の前にいるのは三人。外を走り回る靴音から察するに、十人以上に囲まれている。

 少数であれば、峰打ちでどうにか収めようと考えていたが、これだけの人数となるとそうも言っていられない。いずれにしても、これ以上隠密に行動することもできそうにない。


「仕方ありませんね……」


 峰打ちをすべく刃を逆にして握っていた日本刀を、半回転させた。


 しかし、高さも幅も三メートル足らずのコンテナのなか、刀を振るうには少し狭い。一時、鞘に納刀した真壁は、柄に優しく右手を添えたまま、足を開き、居合の構えで静止──凄まじい速度で抜刀し、頭上に円を描くように切りつけた。


 まるで紙切れのように切り裂かれた鉄の板が落下──地につく前に正面に向かって蹴り飛ばし、開閉口に立っていた構成員を一掃。鉄がぶつかり合う弾ける音が鳴り響いた。


 ぽっかりと空いた天窓から脱出した真壁は、周辺を見渡す。


「残り十一人。バーストしている者はいないようですね。それなら」


 再び刀を半回転させた。そして蝶のように羽ばたき、最も人口密度の低い場所に降り立った彼女は、銀に煌めく刃を容赦なく振るった。叫び声を上げながら迫る構成員たちを、次々と薙ぎ払っていく。

 敵が多く、峰打ちでは対処できないと考えていたが、いざ視認してみると、バーストしている者もおらず、大した勢力ではないと判断した真壁は、刃を使わなかった。

 ゆえに、血飛沫は上がっていない。その代わりに、肋や脚、腕、様々な部位の骨が砕ける音と、悲痛の叫びが轟き続けた。峰打ちだからといって加減をするわけではない。むしろ致命的なダメージを与えることの方が難しいからこそ、全力で振るう。


 コンテナに叩きつけられる者、手すりに受け止められ気を失っている者、足をへし折られ立てぬ者、幼い女の子だと舐めてかかった結果、一人残らず動けなくなった。


 最後の一人の首元に、峰を捻じ込んだ後、静かに納刀した真壁。


『真壁さん! 聞こえますか!』


 突如、イヤホンから陽暈の声が鳴り響いた。聴式で研ぎ澄まされた聴覚が悲鳴を上げる。これがあるから無線はあまり使いたくない。

 顔を歪めながらも大きく深呼吸をし、緑のオーラを消して応答する。


『天若さん。どうやらそちらもピンチのようですね』


 エイトアイランズ号の方を見やると、爆発が起きた船の中央部分が沈み始めていた。船体は大きく歪み、アルファベットのV字を形成しつつある。しかしこの貨物船から離れるわけにもいかない。


『そちらもって……貨物船でもなにかあったんすか!?』


『えぇ。少々面倒なことになっています。ですので、どうにかご自身で戻ってきてください』


『マジっすか!? どうにかって──』


 焦燥感に駆られる陽暈の声が鳴ったが、真壁はそれを遮り、彼の尻を叩くつもりで助言した。


『言いましたよね。あなたはもう守られる側ではないと。では』


 強制的に話を終わらせたのには理由があった。

 ゆっくりと貨物船が進み始めたことと、背後に近づく足音に気づいたからだ。


「おいチビ。テメェが真壁だなぁ」


 纏わりつく、嫌悪感のある声が聞こえた。

 振り返ると、ライオンのたてがみを彷彿とさせる毛先が尖った金髪の男が立っていた。当然、犬の仮面をかぶっており、その面差しは窺えない。

 身長は零士ほどではないが筋骨隆々で、黒光りする革のジャケットからでも分かる軸の太さ。ダメ押しに、巨大な斧を背負っている。

 男の総身からは、厚みのある濃い橙色のオーラが放たれていた。

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