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 無機質な電子音が目的地──八階への到着を告げる。感情の欠片も感じさせないアナウンスが流れると同時に、ドアが静かに開いた。

 そして、足を一歩、外へと踏み出したその瞬間だった。


 ドゴーンッ──。

 と、腹の底を揺さぶるような鈍い衝撃音が鳴り響き、船全体が軋むように大きく揺らいだ。足元が一瞬ふわりと浮いたような錯覚に襲われる。


「うぉっ!?」


 あまりの衝撃に体勢を崩した陽暈は壁に身を寄せた。


「なんだ!?」


 ほどなくして揺れはおさまり、音が鳴り響いたであろう右舷側へ身を乗り出すと、吊り上げられていたはずのテンダーボートから、モクモクと煙が立ち上っていた。その周辺、四階と五階部分が抉られるように崩れている。


「いやいやなんで!?」


 状況が掴めない陽暈。

 客室が影響を受けただけで、康介の捜索には差し支えない。さりとて、なぜ爆発したのか分からない以上、もたもたしてもいられない。そう思った矢先、第二派が船を襲った。

 今度はかなり下階の方で、再び轟音が轟き、船体が激しく揺れる。


「おわぁっとっ……!」


 手すりをしっかり握っていたことが幸いし、振り落とされることはなかった。

 前回よりも激しく揺れたものの、ほどなくしておさまり、ふぅっと一息ついた時だった。


『てんじ……く……』


 イヤホンから声が漏れた。


『どうかしたっすか!?』


『────』


『森田さーん!』


 かすかに聞こえたその声は、間違いなく森田だった。ただ、通信状況が悪いのか、音声が途切れているため、何を言っているのかは分からなかった。

 焦燥が胸を打つ。右往左往していた陽暈の耳を、甲高い警報音が突き抜けた。


 ビーッ、ビーッ、ビーッ。

 耳をつんざくような非常アラームが船内の至るところで鳴り響き、空気そのものが緊迫に染まる。


 反射的に走り出し、左舷の手すりに駆け寄った陽暈は、身を乗り出して視線を下へ落とす。すると、船体の中央、まさに船の腹の部分から、どす黒い煙がもうもうと立ち上がっているのが目に飛び込んできた。


「こっちもか……」


 即座に手すりを飛び越え、甲板に降り立ち、森田がいる地下を目指す。エレベーターの下矢印ボタンを押してみるが反応がない。爆発の影響で故障したのかもしれない。

 それならばと、階段を探し出し、全力で駆け降りた。


「やべぇ……マジでべぇよ」


 地下へ降りるや否や、陽暈は絶望に飲み込まれそうになった。


 テンダーゲートに接岸していたはずのボートは、もはや形を留めていなかった。無惨なまでに粉砕され、その破片が飛散し、船内の床にまで散らばっている。爆風はエイトアイランズ号の船体にも爪痕を残し、鋼鉄の装甲に大きな傷を刻んでいた。

 そして何より厄介なのは、ゆっくりと、しかし確実に、海水が船内に侵入し始めているという事実だ。わずかずつではあるが、潮の重みは容赦なく命の刻限を削っていく。


 誰が仕組んだのか。事故か、破壊工作か。意図の有無すら不明だが、今は答えを探る暇などない。沈没という現実が目の前に迫る中、森田と康介の救出こそが最優先の命題である。


 陽暈は素早く周囲に目を走らせた。テンダーゲートから奥へと続く通路、その扉が半開きになっている。その扉の縁やドアノブには、ねっとりとした赤黒い液体がべっとりと付着していた。血だ──。


 胸中に不穏な予感を抱えながら、陽暈は扉を押し開き、通路を駆ける。床に飛び散る小さな赤い斑点。それは進むごとに徐々に増え、やがて濃い血溜まりへと変わっていく。そして、突き当たりを曲がった瞬間──視界が、静かに凍りついた。


「森田さん!」


 男は、無防備な姿でうつ伏せに倒れていた。右半身には鋭利な破片が無数に突き刺さり、多量に出血している。

 破片の色合いから察するにテンダーボートの残骸であることは想像に難くない。運悪く爆発に巻き込まれたのだろう。


「てん……じゃく……さん…………」


「大丈夫。出血量はそんなに多くないな」


 幸い、すぐ近くに医務室が見えた。森田もそこを目指して力尽きたのだろう。

 陽暈は彼を仰向けに寝かせ、医務室へ走り込んだ。止血用ガーゼと包帯を物色。依然として鼓膜を刺激する不快なアラーム音が、急かしてくるように思えたが、陽暈は焦らなかった。

 月乃が撃たれたあの時、自分にはなにもできなかった。全て零士に任せるしかなかった。その後悔から、微々たるものだが知識を蓄えた。このような状況で、最低限の適切な処置を行えるようにと。


「破片は抜かない方がいいよな──よし」


 傷口にガーゼをあて、包帯を巻いて圧迫止血を試みる。とにかくいまできるのはそれくらいだ。貨物船に戻れば医療に精通したクルーがいるはず。あとはそれまで森田の命が紡がれることを祈るだけ。いや、紡ぐ。


 一番の問題は、ボートを失ったいま、貨物船まで戻る術がないことだが、だがそれは後回し。康介の救出を急ぐべきだ。


 応急処置を終えた陽暈は、康介を探し出すまでの間、森田にどこで待機してもらうか思案した。このまま地下に置いていけば、流れ込んだ海水に呑まれる危険性がある。かといって担ぎ上げて走り回るのは彼にも負担がかかる。


「仕方ないか」


 森田を優しく姫抱きした陽暈は、階段を駆け上がり、再び甲板へ出た。そして相撲取りのように足を開いて踏ん張り──跳躍。今度は七階へ。


「ここなら溺れ死ぬことはないっしょ」


 備えつけのプール近くにあった座り心地の良さそうなソファへ森田を丁重に寝かせた。唸っており、コミュニケーションは取れそうにないが息はある。


「ごめん森田さん。もうちょっと耐えて」


 陽暈はそう告げて、康介の捜索を再開した。

 刻一刻と迫る沈没までのタイムリミットに追われつつも、山本から聞いていた番号が記載された部屋の扉を蹴破り、室内、トイレ、シャワールーム、隈なく覗いたが、康介の姿は見当たらない。


 退室する際、テーブルに転がったボールペンが陽暈の視界に入る。ふとメモ帳の存在を思い出し、ポケットに手を突っ込む。

 メモ帳を開き、パラパラとページをめくると、船の各設備が順に書かれた箇所を発見。


「あった!」


 陽暈は康介に声をかけた時に開かれていたページをかすかに記憶していたのである。

 メインダイニング、シアタールーム、コンサートルーム、プール、バー、カフェ、カジノ、操舵室、医務室、通信室──。

 乗客が利用できる施設から、徐々に船の運航に関わる重要な設備名へと並びが変わっていく。各項目のすぐ下には、実際に見て感じたことや、特徴などが書き記されている。そして最後の項目だけが、空白になっていた。その施設名とは。


「機関室!」


 もちろん根拠としては、紙のように薄っぺらい。しかしこの逼迫した状況、虱潰しに探すには時間が惜しい。

 陽暈は再度甲板へ降り、階段から地下一階へ。すでに海水が床を覆っており、森田が描いた血の斑点は洗い流されていた。


 ピシャピシャと踏みしめる音を鳴らしながら駆けていると、突如として音声アナウンスが流れた。


『警告、警告。船内に浸水を検知しました。水密隔壁を作動します。該当区域のすべての扉は自動的に閉鎖されます。至急、安全な区画へ移動してください。繰り返します──』


 無機質な音声と共に、正面に分厚い扉がシャッターのように上から下へ降り始めた。


 水密隔壁とは、船内を幾つもの区画に分け、浸水時にその被害を最小限に抑えるための鋼鉄の壁のことだ。平時はただの仕切りに過ぎないが、ひとたび船体が傷つき、水が流れ込めば即座に閉鎖され、隔壁の先への侵入を阻む。たとえ一部屋が浸水したとしても、他の部屋の浮力で沈没を防ぐ──それが、水密隔壁の役割である。


「おい……マジで言ってんのかよ……」


 もし万が一、この奥に進んでも康介が見つからなかった場合、自分は閉じ込められ、船と一緒に海の藻屑となるのだろうか。そんな最悪のシミュレーションが脳裏によぎったが、残念ながら迷っている時間はない。

 迫り来る隔壁を潜り抜け、陽暈は機関室を目指して走り続けた。

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