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 九頭零士は、公園の出入口に車を寄せ、ハザードランプを灯す。点滅するオレンジ色の光が、闇に滲む街路の輪郭を柔らかくなぞっていた。

 運転席の窓を下げると、上体をわずかに乗り出し、スマホの光に顔を照らされて立っていた青年に手を振った。


「お待たせ陽暈くーん!」


 陽暈は気づくと、すぐにスマホをポケットへと押し込み、駆け足で車へと近づいてきた。その足取りは少しだけ軽やかで、どこか気持ちの整理がついた人間のそれだった。


 助手席のドアが開き、陽暈が乗り込む。


「ごめん零士さん。わざわざ」


「なんのなんの。線路に飛び込まれても困るからね」


 笑えないジョークを披露した零士は、ギアをドライブへ滑らせた。


「なに言ってんすか。そんな無責任なことするわけないっすよ」


「アハッ。やり残したことがたくさんあるもんね」


「っすね。つかまだなにもやり遂げてないし」


 その言葉を聞いて、零士は小さく息をついた。

 つい数時間前まで、陽暈は柳生に詰められ、精神的にかなり揺れていた。自分のフォローは果たして充分だったかと、ほんのわずかだが悔いのようなものが胸をかすめていた。


 だが今──隣にいる陽暈の表情には、陰りはあるものの、どこか吹っ切れた様相だった。

 あれはおそらく、誰かに支えられた顔ではない。自分の足で、再び立とうとする人間の目だ。


 零士は口元を緩めた。


「まぁ、そう構えなくてもいいかな。前を向いて歩けばそれでいい」


「うっす」


 しばらくして、車内は自然と沈黙に包まれた。だが、その静けさに気まずさはない。

 窓の外を流れる夜景と、エンジンの微かな唸り。夜のドライブというのは、妙に落ち着くものだ。


 やがて道は山腹に差しかかり、ゆるやかな上り坂が徐々に傾斜を増していく。アクセルを踏み込むほどに重力が背もたれを押し返す。


 いつの間にか後続車が──バックミラーに一対のヘッドライトが浮かび上がる。

 まるで獲物を捉えた猛禽の目のように、粘つく光が後方からぴたりと張りついていた。

 気にせず零士はミラーから目を外し、前方へと視線を戻した──と同時に、車体の後部が爆ぜたような衝撃に襲われた。鋼が悲鳴を上げ、背中に強烈な推進力がかかる。


「だはっ……! なにごと!?」


 間抜けな声で叫ぶ陽暈とは対照的に、零士はハンドルを即座に握り直し、頭の中で静かに言葉を落とす──バーストリミット・オフ。

 その瞬間、彼の体から真紅のオーラが放たれ、車内を揺らめかせた。


 バックミラーを再び確認すると、ハイビームの光がガラスを貫き、目潰しのように視界を曇らせる。車種の特定は難しいが、挙動は明らかに敵意に満ちていた。


「シートベルト外して」


 冷静な声で陽暈に促し、零士自身もバックルに手を伸ばす。

 リリース、及びバーストしているといえど、肉体は一般人と何ら変わらない。交通事故に巻き込まれれば容易く息絶える。

 それゆえ、襲撃にあった時、狭い空間にとどまるのは愚策。


 緊張が張り詰めるなか、陽暈がシートベルトを外したその瞬間──再び、車体を横殴りにするような衝撃が襲った。

 右後輪がダメージを受けたらしく、ハンドルは支配力を失い、車体は不規則に尻を振りながらガードレールへと滑っていく。その向こうは崖になっており、斜面が続いているため、ガードレールを突き破った場合、助かる見込みはない。


 そして──三度目の衝突が、ついに車体の命綱を断ち切った。

 その刹那、零士は陽暈の胸ぐらを掴むと、運転席のドアを蹴破って開放。身を投げ出すようにして飛び出し、その勢いのまま、陽暈の体を道路へと放り投げた。


「あがっ……!」


 背中から叩きつけられた陽暈が、情けない呻き声を上げる。

 一方、零士は受け身を取りつつ地面を転がり、すぐさま姿勢を立て直した。


「ふぅ……ごめんね陽暈くん。少し乱暴だったね」


 崖の向こうから、金属がひしゃげる破砕音と、潰れた草木が断末魔のように悲鳴を上げる音が混ざって響いていた。

 車から脱していなければ、今頃どうなっていたことやら。


「いや……助かったっす……」


 衝突してきたバンのヘッドライトに照らされ、目を細めながら陽暈は立ち上がった。

 すると、バンのドアが重く開かれ、運転席からひとりの男が姿を現す。


「九頭零士。お前はここで殺す」


 眩い光を背にして、男は低く冷たい声で告げた。

 顔を覆うのは、もはや見飽きた黒い犬の仮面。短く刈り込まれた側頭部の黒髪と、漆黒に統一されたスーツ、シャツ、ネクタイ。その厳格な装いとは対照的に、彼の身体から漂うオーラは、どこか不気味な青色に染まっていた。


「きみは確か、ワイラーとか言ったかな? そんなに恨みを買われるようなことはしてないんだけど」


 面識こそないものの、零士は目の前の男に見覚えがあった。というのも、公安から共有された資料で目にした男と、風貌が酷似していたのだ。


「俺のことも知っているのか。やはりこれ以上嗅ぎ回られるのは看過できんな」


「はて、なんのことやら」


 零士が白々しくとぼけると、陽暈が一歩踏み出して、声を震わせた。


「待てよ。お前ヴェルマの部下だよな」


「その傷……お前が天若陽暈か」


「そうだ。一つ聞きたいことがある。お前が俺の母さんと弟を殺したのか?」


「知らん。お前は殺すなと言われている。大人しく家に帰れ」


「答えろよ!」


 怒声が闇を裂いた。陽暈の叫びには、抑えきれない激情と、傷口をかきむしるような痛みが滲んでいた。


 その隣で、嬉しい誤算に気づかされた零士は、思わず目を細める。

 彼はてっきり、この襲撃が自分と陽暈の二人を標的にしたものと踏んでいた。しかし、ワイラーの言葉とその態度が語るのは、標的が零士のみであるということ。それどころか、陽暈は殺してはならないという制約が課されているらしい。

 そうなれば、自ずと立ち回りも変わってくるというもの。いや、にしてはずいぶん乱暴過ぎやしないだろうか。


「落ち着いて陽暈くん。かなり手強い相手だ」


 家族の仇である組織の関係者を目の前にして、黙っていられないのは分かる。ただ、オーラの色から察するに、ワイラーは触式。バーストしていない陽暈に敵う相手ではない。


「零士さん。俺にやらせてほしいっす」


「厳しいことを言うけど、いまのきみじゃ勝てない。彼も殺さないと宣言してくれたんだから、一旦下がって、先輩の俺に任せてくれないかな?」


 そんな提案に納得できなかったらしく、眉間に深い皺を刻んだ陽暈が睨みを利かせてきた。

 むろん、そんな圧に恐れおののくタイプではない零士は、諭すように微笑み返す。

 すると、大きく息をついた陽暈は、後ろへ退いた。


「そうそ。先輩を立てるのも、後輩の役目だよ。それに、局の捜査官のなかで俺がそれなりに強いってところを、そろそろ見せておかないとね」


「……分かった。頼むっす」


 いまだ葛藤しているように見受けられるが、この間の月乃の件もあり、多少のブレーキは機能しているらしい。


「あい分かったぁ!」


 零士はゴリラのドラミングの要領で、ドドンッと胸を叩いて応えた。


「話は終わったようだな」


 しばらく沈黙を保っていたワイラーが、低く、しかし確かな熱を帯びて、纏うオーラを一気に膨張させた。夜気を切り裂くように、青い光が輪郭を際立たせ、全身を異様な静謐で包み込む。


 その動きに呼応するかのように、零士の足元にも真紅の気流が渦を巻く。視線を逸らすことなく、零士は腰に据えていた十手の柄へと手を伸ばした。

 時は江戸時代、幕府の捕吏が常備していた犯人捕縛用道具の十手。零士が愛用する武器である。

 ひとたび掲げれば「御用だ御用だ!」と言いたくなるその捕具は、使い道は多種多様。シンプルに殴打や刺突するもよし、鉤の部分で相手の武器を絡めとるもよし、柔術と組み合わせて締め上げるもよし。

 なにより、基本的に人を殺すのが目的ではない零士にとって、十手は事故が起こらづらいということが最大の利点だ。真壁が持つ日本刀などに比べると殺傷能力は低い。その分、手加減の必要性も低くなるのだ。


「容赦はせんぞ」


「ご自由にどうぞ?」


 挑発の一言が引き金となったかのように、ワイラーの足元がわずかに沈む。その瞬間、零士の眼が世界を射抜いた。


 視界が、変わる。

 時間の歯車が軋みを上げて減速し、流れが鈍色に淀む。ワイラーのジャケットが空気を裂いてはためき、ネクタイの布が、まるで水中に沈むリボンのように緩やかに揺れる。脚の筋肉が蠢き、腕が動き出す、その一挙手一投足が、濃密な映像のように明瞭に切り取られていく。


 これこそが、零士のバーストアビリティ──視式。

 常人とは桁違いの動体視力を得た彼は、どれほど迅速な動作であろうと、その始点も軌道も、一片残らず捉えることができる。

 加えて、主観時間を圧縮し、一秒が十秒に引き延ばされたかのような感覚で、世界と対峙できる。それは、高速で展開する戦場において、絶対的な優位性を生む力だった。


 だが──相手は触式。

 一瞬の油断、一つの判断の遅れが、致命的な隙となる。足元をすくわれるには、呼吸一つぶんの刹那すら要らない。


「ほっ!」


 あえて接近を許したワイラーから放たれた拳を回避しつつ、カウンターの回し蹴りを繰り出す──足の甲がワイラーの頬に触れた。だがしかし、即座に首を捻りながら躱されてしまい、ヒットならず。


 その後も、激しい応酬は続いたが、互いの攻撃は掠りもしない。技も力も拮抗し、膠着状態へと移りつつあった。

 ふと、視界の端に、口をぽかんと開けたままの陽暈が認められた。その表情は驚愕と高揚の入り混じった、まだ戦いの温度に馴染み切れていない若者のそれだった。


 彼にとって、少しでも得るものがある戦いであればいい。そんな願いにも似た思いが、零士の胸を過ぎる。


 やがて、両者はわずかに距離を取り、ひと呼吸。次の動きに備えて、静かに体勢を整える。


「やっぱり触式ってのは、厄介かな」


「ふん。お前の視式の方が面倒だ」


「零士さん! どうなってんすか!?」


 斜め後方から陽暈の声が響いた。


「触式の真骨頂は脊髄反射。俺の攻撃は当たっているものの、その瞬間に回避されてるんだ」


 折れそうなほど首を傾ける陽暈に、かみ砕いて説明を続ける。


「本来、人は体を動かす時、脳から各筋肉に運動指令が伝達される。でも熱いものに触れたりすると、気づいた頃には手を引っ込めてるでしょ? あれは皮膚から得た情報を脳に届く前に、脊髄が脳の代わりに筋肉へ運動指令を出してるんだ」


「なるほどぉ! それが脊髄反射!」


「ワイラーが扱える触式は、攻撃されても触れた瞬間に体が勝手に避けてくれるっていうチート級の能力なわけよ」


「え、それって勝ち目あるんすか……?」


「もちろんあるかな。俺にはね」


 不安げに見てくる陽暈に、白い歯を見せつけておく。


「舐められたものだ。視式の弱点など俺も心得ている」


 そう言って、一歩踏み出したワイラーは、ポケットから白い紙片をひらりと斜め上に放る。それがレシートであることは、零士の視式を持ってすればすぐに理解できた。

 こんな凶悪な犯罪者でも、しっかりとレジは通すんだなと、馬鹿げた考察が頭をよぎるが、そんなことはどうでもいい。


 問題は、ワイラーから浮遊するレシートに注意を逸らしてしまったこと。

 すぐさま視線を戻そうとしたが時すでに遅し──強烈な打撃が左横腹にめり込み、宙を舞う。ワイラーの回し蹴りをもろに受けたのだ。


「くっ……!」


 空中で体を回転させ、コンクリートの壁面に着地して勢いを殺す──間髪入れずにワイラーの元へ跳躍し、十手を振りかざして反撃に転じた。

 しかし相変わらず、黒鉄がワイラーの衣服や皮膚に触れるところまで視認できているが、その後の回避がセットで、有効打とはなり得ない。


「さすがだね! これならどうかな……!」


 流れるような動きで、零士はワイラーの懐に潜り込んだ。そして優しく胸ぐらを掴み──木々が生い茂る崖下へめがけて全力で投げ飛ばす。


「とりゃぁあっ!」


 ワイラーは呻き声をこぼし、成す術なく飛ばされた。


 触式は打撃に対して本領を発揮する。逆に、打撃でなければ脊髄反射は起きない。

 つまり、四肢や衣服の一部を掴むことに関しては、その人物の戦闘スキルがものを言うのだ。零士が知る触式の弱点とは、まさにこのことだったのである。

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