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呆然と、足の向くままに歩いていると、陽暈は局の近くの大きな公園に辿り着いていた。夕暮れの空気に包まれながら、ベンチに腰を下ろし、あたりを見渡す。
正面には複数の小道が交わる広場。中央に据えられた噴水のまわりでは、無邪気な子どもたちが水しぶきを浴びてはしゃぎ、その様子を少し離れて見守る親たちの姿がある。ずいぶんと冷え込んでいるが、子供というのは元気なものだ。とはいえ、そろそろ夕飯の時間が近いのか、多くは帰り支度を始めていた。
それでも、小学校高学年くらいの少年たちは、まだサッカーボールを追いかけて元気に走り回っている。家に帰る気配など微塵もない。
その活気に包まれた空気は、まるで別の世界のようで、現金輸送車の襲撃も、自らの失態も、すべて遠い出来事に思えた。
ふと、ポケットからスマホを取り出す。
画面に映ったのは、ひどく疲れた自分の顔だった。目の下に落ちる影、口元に残る虚無──まるで別人のような表情に、息が詰まった。
いつからだろう、こんなにも老け込んだのは。
思い返すまでもない。母と弟を失った、あの日からだ。
明るく振る舞い、取り繕ってきたつもりだったが、所詮は表面だけ。その仮面が崩れかけていることに、ようやく気がついた。
そんな自分をやりきれない思いで見つめていたそのとき、通知音が鳴り、画面が点灯した。
通販サイトのキャンペーンセールの知らせだった。キャンペーンと謡いながらも、年中行われている──いわば毎日、閉店セールの張り紙を出している悪徳な出店のようなものだ。
二度と来るなとばかりに指先でスワイプし、通知を消す。
その瞬間だった。
「少年。浮かない顔をしているな」
耳元で響いた声に反射的に顔を上げると、隣に見知らぬ男が座っていた。
チョビ髭にサングラス、漆黒のスーツに身を包み、手元の杖を支えに背筋をぴしりと伸ばしている。
その出で立ちは、どこかの舞台から抜け出してきたマジシャンのようで、異様に整った姿勢と存在感が、不思議と場に馴染まない。
「だ、だれ!?」
「私が誰かなんてちっぽけな話は、よそうじゃないか。少年よ」
「いや、結構大事な話だと思うけど」
男の厚い胸板と張った腕が視界に入り、清隆の姿が脳裏をよぎる。
「確かに、きみの悩みの方がちっぽけかもしれないな」
「いや、誰なんすか。マジで」
「ああ知らないとも、きみの悩みなんてね」
「おい」
男は頑なに陽暈を見ず、正面だけをじっと見据えている。噛み合わない会話も鑑みると、もはや自分語りをしているだけだ。
「だが分かることもある」
「一方通行かよ」
「少年よ。きみはその辺に転がる石に目を向けたことはあるか?」
「アクセラレータおじさん」
「ちょっとその呼び方やめてくれないか」
「あ、すみません」
空気をリセットするように男が長く息を吐いた。そして静かに言葉を続ける。
「少年。よく聞きたまえ」
「あんたが言うか?」
「石ころというのは、雨風にさらされても、人に踏まれても、犬の糞をかぶっても、逃げやしない。なぜだと思う?」
「そりゃ石ころには意思がないし、自分で動く手足もないからでしょ」
「ちょっと石と意思ってややこしいからそれは違うな」
「なんなんすかマジで」
真面目に答えた自分が馬鹿だった、と陽暈は内心で舌打ちしながら、男の横顔を横目で睨んだ。だがその男は、相変わらず微動だにせず、正面の風景をじっと見つめたまま。
「石ころは、踏まれたり蹴られたりすることを恥だと思っていないんだ」
「はぁ」
「人もそうあるべきだ。時に失敗することもある。それがどうした? なにを恥じる必要がある? 己を恥じることこそが恥なのだ。そう思わないか、少年よ」
「まぁ、そうっすね」
「胸を張って、頭を上げて生きれば、それでいいんだ。下ばかりを見ていては影しか見えない。太陽はいつも上にあるのだから」
「いや、なんの話やねんっ」
漫才のツッコミのように、陽暈は男の胸を手の甲で軽く叩いた。
その瞬間、触れた感触が予想外の硬さと密度を持っていた。わずかでも揺るがない体幹に、ただ者ではないことを悟る。
「すみませーん!」
遠くから、男児の声が響いた。サッカーボールが転がってくる。
反射的に立ち上がった陽暈は、足元のボールを軽く蹴り返す。思いのほか勢いがついたボールは宙に舞い、その持ち主は見事な胸トラップで受け止めて一礼してみせた。
手を上げて応じ、ふとベンチに戻ろうとしたそのとき──男の姿が、跡形もなく消えていた。
「あれ!?」
視線を巡らせるも、どこにもいない。
この開けた公園で、あれほど目立つ服装の男を見失うはずがない。
まるで幽霊に話しかけられていたかのような、得体の知れない余韻が背筋を撫でる。
悪寒に身震いしながらも、改めて陽暈はベンチへ腰を下ろした。
ふと、なんの変哲もない石ころに目がいった。先ほどのマジシャンのせいか、その石ころがずいぶん立派に見える。
そして同時に、自分がどれほどちっぽけな存在であるかを改めて痛感した。
あの石ころがどのような人生を歩んできたのかは知らない。何十、何百年も前からそこにいるのか。はたまた遠い場所から人の手によって運ばれてきたのか。
ただひとつ言えることは、あんなに小さな存在でありながら、誰よりも堂々としているということ。
では、自分はどうだろう。
パイプマンという架空のヒーローに憧れ、偶然手に入れた力を信じて特執の捜査官になり、人を助けるという道を選んだ。
それなのに、私情を優先し、大失態を犯した。
いや違う。おっさんが言いたかったのはそんなことではない。その大失態を恥じている場合ではないのだ。
そんな時間があるのなら、堂々とし、前に進むべき。
確かに月乃が重傷であることは憂慮すべき事態だが、彼女は生きている。それに、彼女は強い。きっと目を覚ます。
だったらいまはそれを信じて、月乃を守れるように、人を守れるように、力をつけるべきなのだ。
「そうだよな──そうだろ。それが俺の役目だよな」
突如現れた謎の人物の言葉は、想像以上に陽暈の意識を根底から変えさせた。
気づけば陽は沈み、闇が辺りを満たしはじめていた。
帰ろう──そう思った瞬間、ポケットのスマホが震えた。画面に浮かぶのは、零士からの着信。
『陽暈くん。いまどこ?』
『局の近くの公園っす』
『あーあそこね。てかなんかあった?』
『え、いや、なんもないっすよ』
『そっかそっか。んじゃ出口で待ってて。家まで送ってくから』
『うっす』
通話を終えた陽暈はスマホをポケットに戻し、かすかに笑った。その足取りは、数分前よりもほんの少しだけ、地面をしっかりと捉えていた。




