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 病院の玄関を出た途端、どこからともなくアキラが姿を現した。翼をばたつかせ、落ち着きなく宙を旋回しながら、荒っぽい関西弁で陽暈に噛みつくような言葉を浴びせてきた。

 その剣幕たるや、もはや怒気というより憤怒。月乃という主を負傷させた陽暈への敵意は、風圧すら孕むほどに濃かった。


 責めを受けるのは当然だった。否、もっと罵倒されても仕方がない。陽暈は静かにうつむきながら、月乃がなんとか命を繋いでいることだけを、ぽつりと伝えた。


 アキラはその言葉にわずかに羽ばたきを緩めたが、すぐに目を鋭く細め、低く吐き捨てるように言った。


「オレハ、オマエヲ、ユルサン」


 それだけを残し、風を切る羽音とともに夜空へ舞い上がっていった。

 その小さな背が闇に溶けていくのを見送りながら、陽暈はただ立ち尽くすしかなかった。返すべき言葉も、許しを乞う資格も、自分にはないのだと痛感していた。


 重く沈む心を抱えたまま、陽暈は局へと戻った。寄り道する気力などあるはずもない。自動扉を抜け、無言のまま廊下を進み、通達されていた会議室の扉を無言で押し開けた。

 会議室に足を踏み入れると、すでに全員が揃っていた。


 顔を揃えていたのは、現任務に参加した捜査官──真壁、碧、そして途中から加わった零士の三人。それに公安から派遣された捜査員、之槌と中原。

 負傷し治療中の月乃と尋芽は、やむなく欠席を強いられていた。


 柳生の静かな号令と共に、会議は幕を開けた。

 冒頭、柳生の指示を受けた陽暈が、月乃の容態について簡潔に報告する。いまだ予断を許さない状況であることを告げると、室内に一瞬、沈黙が流れた。

 しかし、それでも生きている──その事実に、皆がわずかに肩の力を抜いたようだった。顔色は変わらぬ者もいたが、どこか空気が緩んだのが感じ取れた。本人の姿を見ぬ者に、事の深刻さはなかなか届かないものだ。


 続いて、陽暈が知らなかった事実や新たに明るみに出た情報が、淡々と、しかし綿密に共有されていく。


 まず、真壁と碧の追跡した輸送車について。

 暴走の末に電柱へと激突し、ようやく動きを止めたところで、車両に乗っていた構成員を確保したという。確保された男はまだ若く、陽暈たちがレインボーブリッジで取り押さえた人物と酷似していたとのことだった。


 次いで、尋芽が単独で尾行したもう一台の輸送車。

 彼女の証言によれば、追尾中に一度車両から振り落とされ、その隙に対象を見失いかけたという。だが、その窮地を救ったのは、突如として現れたアキラだった。

 アキラの導きにより、尋芽は輸送車の再捕捉に成功し、その車両がれいの地下駐車場へと進入していく姿を確認したという。

 というのも、アキラには限界があった。

 月乃がいなければ、彼は局舎以外の屋内や地下空間に立ち入ることすら躊躇うらしく、駐車場への尾行はそこで打ち切られた。

 代わって尋芽が現場へ踏み込んだものの、すでに輸送車の姿は消えており、残されていたのは手足を縛られ、放置された若い男ひとりだけだった。

 之槌ら公安の捜査員が、駐車場内の監視カメラ映像を洗いざらい確認したが、全ての映像データが破損していたらしい。

 手がかりを求めて地下全体を捜索したところ、かつて軍が使用していた旧トンネルの存在が判明し、そこを通って逃走した可能性が高いと結論付けられた。


 また、駐車場を管理するビルの運営会社についても調査が進められており、ブラックドッグとの関連性が洗い出される予定となっている。


 ──要するに、今回確保できたのは輸送車を運転していた若い男たち、計三名のみ。

 すでに取り調べは終えており、三人とも近年横行している闇バイトへ応募し、何も知らぬまま使い捨ての手駒として雇われたことが明らかとなった。

 ブラックドッグに関する情報など持っているはずもなく、ただ名前も顔も、住所も、すべてを掌握された状態で、逆らえば家族に危害が及ぶと脅されていたという。


 人間を人間として扱わないシステムが、また一つ、ここに浮き彫りとなったのだった。


 そして議題は核心へと進んだ。ブラックドッグのボスであるヴェルマと、その側近レイニーについて。

 だが、その前に陽暈の口からひとつの素朴な疑念が投げかけられる。零士が、あの場にどうしてあれほど絶妙なタイミングで現れたのか──という問いだ。


 零士の答えは拍子抜けするほど簡潔だった。彼はかねてよりブラックドッグの動向を追っており、現金輸送車が襲撃された場合は、急行するようにと柳生から指示されていたとのことだった。

 陽暈にとって柳生という人物は、いまだ多くを語らない存在でしかない。だが、この一件を通して彼女の先見の明と采配の鋭さを、認めざるを得なかった。


 次いで語られたのは、ヴェルマが発した白いオーラについて。饒舌で皮肉めいたお馴染みの博士キャラをおろした零士の口から、その真意が語られた。


 かつて早乙女から知らされた脳の制限解除率には、41%のリリースと、67%のバーストという二つの壁が存在するとされていた。しかし、それだけではなかった。

 その先に、なお高みにある第三の壁──84%の『オーバー』が存在するというのだ。

 到達する条件は過酷。バーストを成し遂げたうえで、なお死を間近に感じる臨死体験を伴うこと。

 しかし一度バーストアビリティを得てしまえば、その圧倒的な力によって死の危機から遠ざかってしまう。ゆえに、オーバーという領域に到達できる者は限られているのだとか。

 そして、その域に達した者は、もはや能力ではなく、()能力の領域に足を踏み入れることができる。


 ちなみに、ヴェルマの超能力は未来視と推察されている。零士がそれを確信するに至ったのは、彼自身の能力──バーストアビリティとの鮮烈な交差があったからだった。

 彼のアビリティは視式。それは視覚領域を極限まで高める能力であり、集中さえすれば、あらゆる運動体が静止して見えるほどの動体視力を得られるらしい。


 ヴェルマが放った一発の銃弾。その軌道が、これから回避しようとしていた自分──いわば未来の零士を正確に捉えていたという。

 もちろん、それだけでは理屈に欠ける。零士は詳細をこう補足した。

 ヴェルマが銃を構えた瞬間、零士はその銃口から軌道を逆算し、左側へ身を躱すのが最適と判断した。だが、まるで読まれていたかのように、銃口が滑るようにその回避先へ向き直り、引き金が引かれた。

 軌道の変化、弾丸の初速、空気の震え。視式がそれら全てを正確に捉えていたからこそ、零士は咄嗟に回避をキャンセルするという異例の判断が可能だった。結果的に、動かずして弾を避けた格好となったのだ。

 だが逆に言えば、もし視式がなければ、彼は自ら死地に踏み込んでいたことになる。


 未来が視えている──その確信は、回避行動とその否定が、同時に導き出した結論だった。


 ヴェルマの逃走を零士が阻まなかった理由も、陽暈はようやく腑に落ちた。それは敗北ではなく、戦うに値する瞬間が訪れていないことを知る者の選択だった。


 陽暈の胸のつかえが一つ解けたその時、会話の矛先は方向を変えた。零士が問うたのは陽暈の父の所在だった。

 しかし陽暈には、父の消息どころか、存在そのものが記憶の中からすっぽりと抜け落ちていた。無知を告げる他に術はなく、会話はあっけなく途切れた。


 ヴェルマとレイニー、その素性も目的も未だ深い霧の中にある。公安は今後の捜査に注力するとだけ告げ、報告は淡々と終わりを迎えた。


 最後、張りつめた会議室の空気のなか、沈黙を裂くように、柳生がわずかに身を乗り出した。射抜くような眼差しを陽暈に向け、その名を呼ぶ。


「天若、貴様に一つ問う。なぜ、特執の捜査官になった?」


 全員の視線が一斉に陽暈に集中する。逃れようのない注視の重さが、肩へと圧し掛かる。


「俺は……」


 言葉はすぐに喉元まで込み上げた。だが、それを発する資格が、自分に残されているのか──陽暈の心には、迷いと罪悪感が同居していた。


「人を助けるため……です」


 己の声がひどく軽く、頼りなく響く。柳生はその言葉を、圧で跳ね返した。


「今回の件を経てもなお、そう言えるのか」


 静かな語調に、鋼の芯が走っていた。問いかけというより、試すような、断罪するような響き。陽暈は息を詰まらせた。視線が伏せられ、返答の糸口を見失う。


 月乃を傷つけたのは、自分の独断。そして、復讐心に囚われ、零士の忠告をも無視した。あの瞬間、彼は人を助ける者ではなく、怒りをぶつける存在に成り果てていたのだ。


「人間が持つ最も強靭な原動力は復讐心だ」


 柳生が背もたれに体を預け、腕と脚を組む。


「なにもかも捨て去り、復讐することに全てを注いだ人間は強い。自身の命さえ惜しいと思わないのだからな。ゆえに、最も危うい原動力もまた同じ。

 今回、お前の功績は大きい。だがお前を庇い、朝顔が命を落とす危険性もあった。それこそが復讐心の恐ろしい側面だ──それを踏まえ、特執に求められる資質は、一般人や仲間の命を最優先する利他心だ。もしお前が復讐を優先すると言うのなら止めはせん。

 ただ忘れるな。お前には、捨ててはならんものがまだまだある。そしてまだ間に合う」


 一語一語が、内臓を素手で鷲掴みにされるような痛みとなって胸に突き刺さる。陽暈はただ俯き、言葉を飲み込むしかなかった。逃げたいと思う反面、逃げてはならぬと知っている。


「俺は……!」


 突き動かされたように、椅子が軋む音と共に立ち上がっていた。


「俺の役目が……ここにある。だから続けさせてください」


 復讐の念は、まだ心の奥に渦巻いている。捨てられるほど軽い感情ではない。けれど、月乃のことを思うと、己の愚かさを悔いずにはいられない。

 助けたいという思いだけは、最初から変わってなどいなかった。今はただ、その思いに応えるために立っていた。


 柳生は陽暈の視線をまっすぐ受け止めたまま、無言の間を置いた。そうして、沈黙のなかに、静かに言葉を落とす。


「よかろう」


 それは断罪でも賛辞でもない、ただの事実の通告。その響きに、陽暈は背筋を正し、深く頭を垂れた。


「少しは頭を冷やしておけ──では会議は以上とする! 解散!」


 柳生の一喝が会議室に鋭く響き、長い緊張がようやくほどけた。陽暈は深々と一礼し、誰にも目を合わせぬまま、その場をあとにした。

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