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 今は消灯している警光灯を載せたパトカー。その後部座席に腰を据える陽暈は、まだ少し硬さの残る呼吸を意識しながら、窓の外へ目を向けていた。

 ハンドルを握っているのは、之槌の部下──中原(なかはら)という男。寡黙で無骨な横顔がバックミラー越しにちらりと映るたび、妙に現実味が増してくる。


 助手席には真壁が。陽暈のすぐ右隣には月乃が。

 フロントガラスの向こうでは、三台の現金輸送車が縦一列に連なり、均等な車間を保ちながら高速道路を進んでいる。

 そのさらに先には、之槌が運転する黒いセダンが先導しているはずだったが、ビルのような輸送車の車体に視界を遮られ、姿は見えない。


 出発前、輸送会社の警備員たちは、六人全員が口を揃えて「襲撃されたことなど一度もない」と語っていた。耳にしたことすらないと、どこか呑気な表情で笑っていたのが印象的だった。

 碧の言葉どおり、ここは安全な国──平和を誇るジャパン。陽暈はそう自らに言い聞かせ、心に巻きついていた緊張の糸を、少しずつ解いていった。


 だが──。

 日銀を発ってから、まだ十分と経たぬうちに、その静けさは、唐突に、確信を持って裏切られる。


 片側三車線の幹線道路。その中央車線を、陽暈たちの隊列は粛々と進んでいた。

 そんな彼らの右側──追い越し車線を、三台の黒塗りSUVが轟音とともに猛然と駆け抜けた。獲物を狩らんとする狼の群れのように、それぞれのSUVは各輸送車の真横に並び、ピタリと張りつく。

 直後、SUVの助手席──その窓がゆっくりと開かれ、闇の奥から突き出されたのは、槍の穂先を思わせる鋭利な金属だった。鋼鉄をも貫かんばかりの殺意を宿した先端が、躊躇いなく輸送車の側面へと突き刺さる。


 鈍く重い衝突音。次の瞬間、その槍の根本とSUVの車体とをつなぐ、太く強靭なワイヤーが視界に張り詰めた。

 刹那、三台のSUVが同時に急ブレーキを踏みつける。路面を焦がすようなタイヤの悲鳴。鉄が軋みを上げる。

 ワイヤーは撓む間もなく猛然と引かれ、輸送車の分厚いドアが凄まじい音を響かせながら、ねじ切られるように剥ぎ取られた──内部の警備員の体が露わになる。


 むろん、襲撃者たちはそれだけでは終わらなかった。

 SUVが剥がしたドアと共に後方へと取り残されるように減速していくなか──それを補うように、次なる駒が姿を現した。

 今度は巨体を揺らす大型トラック。この一連の動きに合わせ、あらかじめ輸送車の前方を走っていた車両が、巧みに速度を落とし、隣へと滑り込んできたのだ。


 トラックの荷台が、猛禽の翼のように跳ね上がる。中から現れたのは、黒い犬の仮面──ブラックドッグ。

 その一人が身を乗り出し、風を切って跳躍、剥き出しとなった輸送車の運転席へと鮮やかに飛び移る。次いで、一人、二人と、三台の輸送車が一斉に襲われる。


 その直後──ハンドルを握っていたはずの警備員の身体が、何の抵抗もなく、玩具のように車外へ放り出された。

 当然、それは一台だけの出来事ではなかった。

 次々と、三台すべての輸送車から、運転手と助手席の警備員たちが投げ出され、アスファルトの上を転がる。


 合計六名。

 高速道路に無防備な肉体が次々と落ち、跳ね、地面に散っていくさまは──はぼ緑甲羅だ。被弾すればかなり遅れを取ってしまう。


 突如として飛来した甲羅を、中原は紙一重の反射神経でいなした。ハンドルを巧みに切り返し、滑るような軌道で障害物を回避する。


「おふたりとも! 出ますよ!」


 車体が大きく軋み、視界が斜めに傾くなか、真壁の凛とした声が車内に響いた。その冷静な一言が、呆然としていた陽暈を現実へと引き戻す。


「うぉいおいマジかよ! 正気かあいつら!?」


 直後、陽暈の耳元で、不意に柔らかな声が囁くように響いた。


『華澄せんぱぁい! 前の輸送車が高速を降りますぅ!』


 尋芽からの通信だった。ふわりとした口調ではあるが、その裏に潜む緊迫感は明らか。


『では仁志さんと蓮水さんはその車両を追ってください』


『了解っす!』


 真壁の即断に続いて、碧の元気な声が応じた。


 すぐさま、陽暈と月乃は真壁に倣い、車窓を蹴って屋根へと躍り出る。身を伏せるように姿勢を低くしながら、突風を裂いて前方の輸送車に飛び移った。


 二台目の車両、その屋根にしがみつく影──碧がすでに陣取っていた。元より乱れてい癖毛を一層暴れさせ、顔をしかめながら、こちらに叫ぶ。


「真壁さんごめん! 俺、間に合わなくて、尋芽たんだけ行っちまった!」


 慌ただしく揺れる車体にしがみつきつつ、碧はばつが悪そうに笑みを浮かべた。その瞬間、彼のいる輸送車が左へと進路を逸らす。

 その逆──陽暈らがしがみつく三台目の輸送車は、別の軌道を描きながら右車線へと切り込む。


「朝顔さんと天若さんは、この輸送車をお願いします!」


 そう叫ぶや否や、真壁は迷いなく身を躍らせ、風を斬って碧の乗る車両へと飛び移った。

 直後、真壁と碧が乗る輸送車は進路をさらに左──高速の出口へと向かって離脱。一方、陽暈と月乃が乗る車両は、車列を割くように直進を続けた。


「ツキノ! ドウスル!」


 いつの間にか、スーツを纏った怪鳥が月乃のすぐそばに舞い降りていた。広げられた翼が、逆光に翻る。


「アキラ! 尋芽を追うんだ!」


 月乃よりも早く、陽暈が声を張る。


「ハァ? オマエニ、キイテヘンワ!」


「うぉい! 反抗期か!?」


「アキラ! 陽暈くんの言うとおりだよ! 行って!」


「リョーカイ!」


 月乃の一言に、アキラは即座に応じると、翼を翻し、弧を描くように旋回しながら左方向へ飛び去っていった。


「マジで月乃の言うことしか聞かねぇのか! 可愛くなっ!」


 速度を上げ続ける輸送車は、一般車を器用にすり抜けるようにして突き進み、停止の兆しすら見せない。

 そのとき、不意に車体が大きく跳ねた──陽暈の身体が宙に浮きかけ、屋根から滑り落ちそうになる。


「やべっ……!」


「陽暈くん!」


 咄嗟に月乃の手が差し伸べられた。その細い指先が、落下寸前の陽暈の手を確かに捉える。全身の力を振り絞り、彼はその手に縋りついた。


「ブッはっ……!」


 車体の側面に叩きつけられる衝撃に耐え、呻き声を漏らしながらも陽暈は地面への転落を免れた。その後、月乃の腕に引かれて屋根の上へと生還。


「月乃さまぁ……感謝……命の恩人……永遠に感謝……」


「陽暈くん伏せて!」


 息を整える間もなく、月乃の叫びが頭上を貫いた。

 反射的に顔を上げた陽暈の視界に、渋滞を知らせる電光掲示板が迫る。


「どぉぉわああアア゛ッ!」


 彼は叫び声を上げながら体をのけぞらせ、リンボーダンスのごとく背を反らし、紙一重で掲示板を回避。


「っぶねええええ!」


「もう! 気をつけてよ陽暈くん!」


「すまん!」


 息を切らしながら、陽暈は再び姿勢を低くし、車体にしがみつく。風圧に晒されながらも、かろうじてその場を保つ。

 対照的に、月乃はわずかに身を乗り出し、冷静な視線でハンドルを握るブラックドッグの構成員の動きを見定めていた。


「止まりなさい! 逃げられないよ!」


 月乃の声が空気を裂いたその瞬間、運転手は思わず動揺したのか、輸送車は大きく車体を左へ逸らす。追い越し車線から逸れた巨体は、間の悪いことに紺色の軽自動車の後輪を掠めた。


 咄嗟の回避に、輸送車は路線を戻したが、軽自動車はバランスを失い、スピンするように車体を横滑りさせてしまう。甲高いタイヤの摩擦音が耳をつんざき──次の瞬間、鉄の塊が空を舞った。


 陽暈も、その衝撃とハンドル操作の乱れによって、屋根の上にしがみつくことがやっとだった。だが──月乃は違った。


「陽暈くん先に行って! すぐ追いつくから!」


 彼女はすでに輸送車の屋根から跳躍していた。狙いは、宙に浮かぶ軽自動車の着地点。


「悪い! 頼む……!」


 陽暈は月乃の背に託した。だがその瞬間、自身のなかに別の責任が芽吹いた。この輸送車を止められるのは、もう自分しかいない、と。


 振り返ると、両足をしっかりと踏みしめた月乃が、浮かぶ軽の落下を正面から受け止める姿勢を取っていた。そして両腕が鋼のように広がり、跳ね返すことなく、重量を膝と筋力で見事に殺す。紺の車両は、一切の傷を負うことなく、無事に受け止められた。


「さすがの怪力! 俺も頑張らねぇと!」


 気合いと共に己を奮い立たせ、陽暈は再び視線を前に投げた。すぐに止めるには、あまりにリスクが大きすぎる──ならば逃がさぬよう喰らいつくまで。

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