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合気道と特執の訓練、その両方を並行してこなしていた陽暈は、若さという資源を惜しげもなく注ぎ込み、文字通り体力の尽きぬ限り、日々の鍛練に励み続けた。
その努力は確かな形となって現れ、三ヶ月という短い期間で、彼の身のこなしは目に見えて実践的なものへと進化していった。
もちろん、バーストアビリティを有する月乃には、いまだ一歩及ばない。だが、それでも一瞬の隙を突いた惜しい場面が少しずつ増えてきている。
後見人である清隆には、特執の捜査官として活動していることを一切告げていなかったが、帰宅が遅くなっても、特段問い詰められることはなかった。
おそらくは、部活動か、あるいは友人との交流に時間を費やしているのだろう──と、何の疑いも持たずに受け止めているのだろう。
そして──。
ついに陽暈は、初めての任務への参加を、真壁から正式に許可されたのだった。
「みなさん揃いましたね。では之槌さん。お願いします」
会議室に集まった一同を見渡しながら、真壁が落ち着いた声で促す。抑揚こそ控えめながら、空気を締める役割を果たしていた。
「それでは僭越ながら」
柔和な物腰で応じた之槌が、壁際のスクリーンの前へと歩み出る。
今回召集されたのは、陽暈、月乃、尋芽、碧の四名。そして彼らを束ねる立場に立つ真壁を加えた、計五人のチーム編成である。
「結論から申し上げますと、現金輸送車の護衛ですな。新紙幣の発行に伴い、日銀から市中銀行へ大金が輸送される予定でございます」
その言葉に続いて、スクリーンに映し出されたのは、クリーム色を基調に、緑と橙のラインが走るトラック。
「輸送車はこちらと同じものを三台使用するとのことです。ここだけの話ですが、金額は合計で約三千億円と聞いておりますな」
「さ、三千億!?」
桁外れの数字が告げられた瞬間、陽暈の体は自ずと跳ね起きた。椅子を引く音が会議室の静寂を裂く。いくらなんでも初任務にしては、金額の規模が異常。
こうも唐突に現実へと踏み出すものなのか──と陽暈の心の奥底で、少年のままの感性が、かすかに震えていた。
「天若殿、安心してくだされ。現金輸送車の襲撃は三十年前がピークで、近年はほぼゼロに近い。今回も恐らく狙われることはないと思われます」
柔らかな口調で語りかける之槌の声に、陽暈の表情がふっと緩んだ。胸の奥に詰まっていた石が一つ、そっと取り除かれたような反応。
「そ、そうなんすか」
素直な驚きと安堵が入り混じった声をこぼしながら、陽暈は椅子へ腰を落ち着け直す。
「普段、現金輸送は二人体制で行われるくらいですから、それほど日本は安全ということでしょうな。しかし近頃はそうも言ってられません」
之槌はそこで一拍、言葉を切った。垂れ目の輪郭に一瞬だけ力が宿り、穏やかだった表情がわずかに引き締まる。眉根が寄り、彼の視線がスクリーンへと移ったその瞬間、画面の内容が切り替わる。
今度映し出されたのは、黒い犬の仮面をかぶった男と、その素顔を晒された人物の顔写真だった。
「こちらは以前、天若殿と朝顔殿の協力のおかげで捕らえた人物で、ブラックドッグという犯罪シンジケートの構成員です。名の通り、黒い犬の仮面が組織のトレードマークですな。ここ一年ほど、ブラックドッグによる犯罪件数が急増しております」
スクリーンの色調が切り替わり、日本列島の地図が表示された。都道府県ごとに色分けされ、そこから伸びる線と共に、犯罪件数を示す数値が簡易的に浮かび上がっている。
「活動エリアに一貫性はなく、全国どこにでも現れるようですな。いまのところ輸送車の襲撃は確認されていません。しかし先日、大阪のとある銀行がブラックドッグの襲撃にあいました。そのこともあり、色々と敏感になっているので、今回みなさんの協力を要請した次第ですな。どうぞ、よろしくお願いいたします」
言い終えると、之槌は場の空気をやわらげるように、申し訳なさそうな笑みを唇に浮かべた。そしてそのまま、腰を折るようにして深々と頭を下げた。
「では、ここからは私が」
すっと背筋を伸ばし、ポニーテールを揺らしながら席を立った真壁が、流れるような動作でスクリーンの前へと進んだ。
「輸送車が走行する経路がこちらです」
指先の一振りでスクリーンが切り替わり、犯罪件数が散りばめられていた日本地図は、一気に都心部へとズームインする。
濃密な建築のグリッドが浮かぶ航空写真には、日銀を始点とし、延びた白線が数本描かれ、各銀行へとつながっていた。
「基本的にはこの経路を遵守し、各銀行をまわります。我々は別の車を前と後ろにつけて警備にあたります。前方車両には仁志さんと蓮水さん。朝顔さんと天若さんは、私と一緒に後続します」
指でなぞられるルートに従って、それぞれのポジションが視覚的に整理されていく。
「輸送車には乗らなくていいんすか?」
挙手と同時に、陽暈が素直な疑問を口にする。
「輸送車に乗ってしまうと、敵の動きが把握しづらいので、客観的に状況を掴むためにも別車両で参ります」
「なるほど」
陽暈は小さく頷き、その答えに納得を示す。
「ちなみに輸送車には、従来通り警備輸送会社の方が二人、乗車します。もちろん彼らは一般人ですから、有事の際は身の安全を優先するよう指導されています」
「まーどうせ誰も襲ってこないっしょ! 我が国、ジャパンは平和だからねえ!」
終始、尋芽の横顔を吸いつくように見ていた碧が、余計なフラグを立てた。
「ほっほっ。頼もしいですな。仮に紙幣を強奪されても番号は日銀がおさえておりますゆえ、そう簡単には逃げられますまい。みなさんはいつも通り、一般市民に危険が及ばぬよう配慮いただければ幸いですな」
孫の無邪気さに感心する祖父のような眼差しで、之槌が口元をほころばせる。
そうして、ブリーフィングは滞りなく幕を下ろした。
数刻後、之槌とその部下が運転を担い、一行は局を出発する。




