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「そういや、今日ここに連行した仮面の男はどうなるんすか?」
何気ない陽暈の一言に、零士がにやりと笑った。そして、ニューク用の監獄を見せてくれるとのことで、陽暈は彼の背を追っていた。
局の中央階段の脇に設けられた通路へ入り込むと、そこには、やけに大きく重厚なエレベーターが待っていた。零士がカードキーをかざすと、無機質な金属の扉が静かに開く。
警視庁は地下三階までが駐車場。特執は駐車場の真下ではないため、階数で言うと地下三階から五階に位置する。エレベーターからは、上階にある警視庁の一部と繋がっているのだとか。といっても、柳生と実方の二人しか使う権限はないらしい。
そして今回の目的地は、最下層──地下六階だ。
静かに振動する箱に揺られながら、陽暈は心なしか冷たい空気を感じた。やがて、低く鈍い音を立ててエレベーターが停止する。
「さ、ここがニューク専用の刑務所。今日連行した男もここに収監されるかな」
扉が開いた瞬間、白の洪水のような眩さが視界を包む。清潔を通り越した白。病院の隔離病棟のような無言の圧が、この場所の異質さを物語っていた。
その白の世界に、突然、闇のような存在が現れた。黒く焼けたような肌を持つ巨躯の男が、堂々とこちらに歩み寄ってくる。筋肉が皮膚を押し上げており、彫刻から抜け出してきたかのような体躯だった。
「わお、これはレアなゲストですねい!」
威圧感すら陽気に塗り潰すその笑顔。陽暈の目は思わず釘付けになった。
「ワッサ、バリー!」
「アメイジング! ミスターナイン!」
零士とバリーとやらは、互いに手を絡ませて胸筋でハイタッチを交わす。二メートル近いバリーの巨体は、長身の零士すら小柄に見せた。
「ヘイ! バリー! アイムヒガサテンジャク!」
「オォウ! ミスターヘブン! エニータァイム! グッボーイ!」
陽暈も真似て手を差し出すと、バリーは岩のような握力でそれを受け止めた。握手というより、腕力の競い合い。
体当たりのような挨拶をなんとか耐え、陽暈は引きつった笑みで応える。
「オーエムジー! そこにいるのはミスムーン! カムォンヌ!」
「バリー! 久しぶりー!」
月乃は笑顔でバリーの胸筋に飛び込み、その豊かな筋肉の海に身を委ねた。まるで旧知の兄妹のような親しさ。
「彼はこの監獄を管理してる、バリー・スコッチかな」
月乃と抱き合う男に手を添えて、零士から紹介される。
「一人で管理してるの?」
「イエェス! ボクちゃん一人でイナァフでぇす!」
月乃とのハグを終えたバリーは、誇らしげにサイドチェストを決めた。貼りついたようなタンクトップと短パンからは、鋼のような腕と脚が露わになっている。
「てか、普通の刑務所にニュークは収監されないの?」
「ニュークは一般の刑務所に収容するには、あまりにも危険すぎるかな。この牢の中は壁も床も天井も、ゴム素材を採用してるから、リリースしててもまず破壊されることはない」
「ゴム? 鉄の方が頑丈そうっすけどね」
「初めは分厚い鉄だったらしいけど、怪物みたいなニュークがぶち破っちゃったんだってさ。それで改良されたわけ」
分厚い鉄をぶち破る囚人。それは怪物みたいではなく、紛うことなく怪物である。
「マジすか。あんたら鉄を砕くようなやつと戦ってんすか……」
「そうだけど、解除率が上がれば上がるほど筋力の差は関係なくなるけどね」
「え、なんで?」
「きみも強くなれば分かるかな」
「もし、ここからエスケープしようとするニュークがいたら、ボクちゃんが逃がしましぇん!」
今度はモストマスキュラーで、ポーズを決め込んだバリー。心なしか肌に照りが出てきている気がする。
思わず陽暈は笑ってしまった。
「かははっ。バリー頼もし。アメリカン筋八先生」
「キン? ボクちゃんゴールドジムにはエブリディ行ってまぁす!」
「ちゃんと金八でもあるわけか」
「いやそれ鉄矢違いね……ま、もしバリーがやられても、上には局の捜査官がわんさかいるから、シャバの空気を吸わせることはないかな」
天井を指差した零士。
みながどれほど強いのか、陽暈はまだ知らないが、月乃のような強さの捜査官が大勢いると仮定すれば、まず逃げられまい。ましてや月乃を越える猛者がいたのなら、なおさらだ。
斯くして、異質な空間を後にし、再び上階へと昇った陽暈たちは、引き続き局内の設備案内を受けることとなった。
解除率の測定を行った技術研究室をはじめとし、現場を支えるオペレーションルーム、戦術を練る作戦会議室、実戦さながらの訓練施設、さらには医療棟まで、整然と機能が並び立っていた。
公に明かされていない組織という雰囲気が、陽暈の中二心を刺激しまくっていた。
やがて、局の出口まで案内されると、零士が最寄り駅まで送ってくれると言い、陽暈は月乃と並んで後部座席に身を沈めた。
ふと気づけば、夜の帳がすっかり降りていた。時計の針は八時を回っている。夕食を抜いていたせいで、腹の虫が不満げに訴える。
そういえば、清隆に連絡していない。しかしそもそもテスト期間で早く帰ることなど伝えていないため、部活で汗を流しているとでも考え、心配には至らないだろう。
街はテールランプの赤に染まり、窓の外を流れていく光景は、どこまでも日常そのもの。異世界から現実世界に帰ってきたような、そんな奇妙な感覚だった。どんな感覚かは知らないが。
「陽暈くん」
唐突に名を呼ばれ、バックミラー越しに零士と目が合う。
「分かってると思うけど、友達や家族には隠してくれるかな?」
「もちろん分かってるよ」
短く応じると、零士はおどけたような口調で続ける。
「ところで二人はどこまでいってるの? チューした? いや、彼ピッピだからチューはしないのかな?」
即座に運転席が蹴られ、車体が軽く揺れた。零士は「あた」と間抜けな声を漏らしていたが、操縦は全くブレなかった。
「かはは。仲いいんだな、朝顔と零士さんって」
「違うよ陽暈くん。この人が変なこと言うからだよ?」
改めて運転席のヘッドレストを小突いた月乃が、慌てた様子で弁明する。
「おーこわいこわい。陽暈くんは好きな人とかいないのかな?」
「うーん。俺、好きって感情がよく分かんないんすよ」
「え、そうなの? この子、可愛いなとか思わないの?」
月乃が不思議そうに横から覗き込んでくる。
「まぁ、可愛いとかは思うことあるよ」
「クラスの子だと誰? やっぱり高橋さんとか?」
「いやーみんなそう言うけど、高橋はなんか可愛げがないな。前から思ってたけど、朝顔は可愛いんじゃん?」
ここで陽暈の無頓着攻め発動。可愛いイコール好きではないという思考回路ゆえの、躊躇ない容姿褒め。
「は、はいぃ!?」
月乃が凄まじい勢いで首を捻り、陽暈を見やった。頭頂部に据えられたお団子が、意志を持ったように踊る。
「え? おかしいか?」
「い、いいえ!?」
やけに声量が大きい月乃は、茹でられたタコのように耳を赤くさせた。
バックミラーの奥に、零士の表情がちらりと映る。どこか祖父のような、温かな眼差しでこちらを見つめていた。
「高校でも髪上げて眼鏡も外せば?」
「ま、前向きに検討しちゃったりなんかりなんかしてみます……」
しどろもどろな返答のあと、月乃はごまかすように窓の外に視線を放り投げた。
そんなやりとりのうちに、駅前のロータリーへ車は滑り込む。
「陽暈くん。スマホを貸与されるまでは、ツッキー経由で連絡するからよろしくね」
「了解っす!」
ドアを開けて外に出ようとした瞬間、零士の声に呼び止められた。
「あ、陽暈くん!」
閉めかけたドアを少し開き、車内を覗き込む。
「過去を忘れないことも大事だけど、いまを生きることはもっと大切。それだけは忘れちゃいけないかな」
ふざけた調子の裏側に、芯のある声音が滲んでいた。
「分かりました」
その言葉にどれだけの重みが込められていたのか、陽暈には正確に理解できたわけではなかった。ただ、どういうわけか少しだけ息苦しかった。
そんな、もどかしい感覚が残りながらも、零士の車を見送った。
「陽暈くん。さっき、零士さんが言ってた通り、私から連絡することがあるから、レイン交換しよ」
「あ、そういえば連絡先知らなかったな」
陽暈は友人が多いため、何も気にならなかったが、彼のクラスにはレイングループがない。そのため、月乃の連絡先など、知りようがなかった。
月乃のスマホに表示されたQRコードを読み取り、追加ボタンを押す。
「ありがと。じゃあまた明日ね」
そう言った月乃の笑顔は、なぜかひどく嬉しそうに見えた。
「あれ? 朝顔って俺ん家に近いって言ってなかったっけ?」
在来線に脚を向けようとしない彼女に疑問を投げると、月乃は微笑を残したまま答えた。
「うん。近いけど、最寄り駅は地下鉄なの」
「あぁそういうことね。そんじゃまた」
手をひらりと振ると、月乃も小さく頷き、逃げるように下りエスカレーターへと乗り込んでいった。その背中がゆっくりと沈んでいくのを、陽暈は静かに見送った。
ホームへ向かう途中、スマホに通知が届く。さきほど追加したばかりのアカウントからだった。
『高校以外では、月乃って呼んでほしいな』
どうして高校以外なんだろう。そんな疑問が浮かびかけたが、言葉にはせず、陽暈は『了解!』とだけ返信を打ち込んだ。




