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「失礼します! 入局を許可していただきたい人物を連れて参りました! 天若陽暈くんでーっす!」
陽暈を置き去りに、司令室の扉をノックもせず押し開いた零士は、ずかずかと足を踏み入れ、元気溌剌に紹介した。そんな彼の背に続き、陽暈も入室──中にいる人間の顔を拝むことなく頭を下げる。
「よろしくおなしゃーっす!」
文字通りくの字に腰を折ったため、視界の下には反転した月乃のスカートの裾が見えた。おずおずとこちらを窺うような態度から察するに、この部屋には並々ならぬ威圧感が漂っているらしい。
ほどなくして、恐る恐る頭を上げた陽暈は、おぞましい光景を目にした。
「九頭よ。お前は何度言えば分かる。ノックをしろ」
いつしか零士は跪き、女の手に顎を握り潰されそうになっていた。
「ず……ずびばぜん……」
情けなさに満ちた声で懺悔する零士の姿は、痛ましいよりも滑稽。
この男、薄々気づいていたが、やはり阿呆か。
「あぁ? ハッキリ喋ったらどうだ!」
変顔を通り越し、人としての尊厳すら危ういレベルにまで崩壊していた零士の眼前で、女は鋭く声を張り上げた。まさに蛇に睨まれた蛙。
スカイブルーのボブヘア。腕まくりをした白いシャツ。首もとにはゴールドのループタイ。黒いパンツスーツが映える細身ながらも、張るところは張った体つき。
とりあえず、鋭い目つきから察するに、月乃が恐れる実質的ボスとは、彼女で間違いないだろう。
女が大きく舌打ちしながら手を放すと、零士は床に崩れ落ち、「だはぁっ」と情けない声をこぼした。
「お前もだ」
蛙を演じる番が陽暈にも回ってきた。その瞬間、全身の血が凍りついたような錯覚に襲われる。心臓を素手で握り潰されそうな、そんな圧。
陽暈は反射的に正座をし、床に手をついた。将棋の対局が始まるような所作で。
「申し訳ございませんでした」
今日は何度頭を下げるのだろう──などと余計な思考が浮かびながらも、声には真摯な響きを込めたつもりだった。
しかし──。
「その程度で許すわけなかろうがあ゛!」
怒号と同時に陽暈の後頭部に鈍痛が走る──ヒールで踏み叩かれたのだ。それにとどまらず、グリグリと床に押しつけられ、陽暈の鼻が潰れていく。
「しゅ、しゅびばてぇん……許してくだしゃい……」
みっともなく歪んだ発音で謝るしかなかった。
「柳生司令!」
背後から月乃の声が響いた。
ようやく重圧が解けた陽暈は、勢いよく頭を上げて振り返る。すると、月乃は一歩も室内に入らず、開いたままの扉の外に直立していた。
「なんだ、朝顔か。よし、入れ」
吐き捨てるような言い方で命じた女は、コツコツとヒールの音を響かせながらソファへ向かい、悠然と腰を下ろした。
月乃はぴしりと敬礼を決め、そのまま機敏な動作で入室。
「ねぇしゃん。きょの子、捜査きゃんになっちぇもらいちゃいんだけど、いいでしゅか?」
立ち上がった零士の口はしゃくれたままで、あごが外れたのか、まともに喋れていない。その滑稽さが緊張の糸を一瞬だけゆるめた。
陽暈も起き上がり、改めて深々と頭を下げておいた。
「なにを言ってるのか分からんが、私は司令の柳生鈴だ。お前の入局を判断するのは総司令だ。総司令! 起きてください!」
柳生の声が、今度はソファの向こう側へ向けられた。すると、背もたれに隠れていた人影がびくりと飛び起きた。
「なんじゃ!? 地震!?」
眠気を拭いきれない目で、男が取り乱す。
「火事!? 津波!? なんじゃ!?」
パチンッ──。
柳生の平手打ちが鳴った。これ以上ないほど鋭く、そして的確に。
「総司令。落ち着いてください。なにも災害は起きてません」
「おぉ、そうか。ありがとう。じゃ、もう少し──」
「寝るなああああ!」
パチンッ──。
さらにもう一発。しかもさっきより力がこもっていたように見える。
「なんじゃて!? 地震!? え、なんの用?」
これはコントなのだろうか。そうでなければいったいなにを見せられているのだろうか。と、陽暈は困惑するほかなかった。
だがそれより何より、総司令と呼ばれた男の姿に陽暈は目を見張った。
特別整っているわけでもなく、どこにでもいそうな顔立ちに髪型。けれど驚くべきは──その若さだった。
柳生や零士よりも確実に若く、陽暈自身と同年代にすら見える。二十代前半、もしくはそれ以下。
一応スーツは着用しているが、ネクタイは弛み、寝癖もチラホラ。要するに、だらしない。
「九頭が入曲させたい人物を連れてきました。顔合わせをお願いします」
「おぉ、そうか。どれどれ」
年老いた貫禄に満ちた口調とは裏腹に、その顔には若者らしい瑞々しさが垣間見える。こんな若造が組織のボスとは信じ難し。
「おぬしは……」
目が合った瞬間、陽暈は背筋を伸ばし、口を開く。
「天若陽暈です! よろしくお願いします!」
「おぉ、そうか。よし、こっちに座りたまえ」
古風で柔らかな口調に戸惑いながらも、陽暈は柳生の隣、総司令の斜め左前へと腰を下ろした。
「わしは総司令の実方迅じゃ。一つだけ、おぬしに問う」
実方は目を細め、声のトーンをグッと下げる。和やかだった空気が、引き締まった。
「目の前に幼い子供がおったとして、自分か、その子供、一方だけが生き残れる状況なら、どちらの命を生かすべきじゃと考える? 決定権は全て自分にあると仮定し、どちらも助かるように尽力するという回答はなしじゃ」
その問いには冗談めいた軽さも、試すような陰りもなかった。ただひたすら、まっすぐに。実方の目は、陽暈の中にある核を見極めようとしているようだった。
「よし、零士や。おぬしはどうじゃ?」
実方が視線を横へと滑らせる。気遣うように、あるいは試金石として、零士に問いを預ける。
「んー。俺は自分の命を優先しますよ。いや、それだと語弊があるか。自分の命ではなく、俺がその先に助ける命を優先します」
「ほぉ、なるほどのぅ」
一見、自他どちらを優先するかというシンプルな問いに思えたが、零士の回答によってその本質がガラリと姿を変えた。謂わばトロッコ問題に近しい。目の前の命と未来に救えるかもしれない命、つまり一人の命と複数の命に優劣がつけられるか否かという話。
「どうじゃ、答えは出たかの?」
再び、陽暈へと回答権が戻される。
おそらく零士の理論は正しい。彼が特執にいるということは、陽暈と同様にリリースしているはず。となれば、多くの人々を救う力があるのだろう。彼から溢れだす自信がそれを物語っている。
だが目の前に救える命があって、それを見過ごすのは看過できない。なら自分てはなく幼い子供を生かすべきか。それとも。
陽暈の結論は──。
「俺は子供を選びます。確かに自分が生き残れば、少なからず人は救えるかもしれない。でも、人が人を助けられる命なんて、限りがある。俺が救える命だって大した数じゃないと思う。だったらその子供を生かして、将来、俺よりも人を救ってくれると信じたい」
「ほう。それは無責任ではないのか?」
「確かにそうかもしれないっすね。でも少なくとも目の前の子供の命は助かる。あわよくばその子が人をたくさん救ってくれれば万々歳かなって」
「そうか。よーく分かった」
実方はひとつ、ゆっくりと呼吸を整えるように間を置いた。
「案ずるな。この問いに正解はない。わしが見たかったのは、おぬしの軸じゃ。特執の任務では度々、なにが正義なのかを見失うことがある。自分が正解だと思う道を信じ、迷わず突き進める強固な意志こそが最も重要であると、わしは考えておる。半端な男には、なるでないぞ陽暈よ」
「はい!」
「では、天若陽暈の入局を許可する。日々、励み──」
そこまで言いかけたところで、実方は背凭れに身を預け、音もなく寝落ちした。バッテリーが切れて電源が落ちた機械のように。
こんな人物が組織の頂点に立っていていいのだろうか。陽暈は、呆気にとられながらも、そう思わずにはいられなかった。
「九頭。解除率の測定後、局を簡単に案内してやれ」
「御意!」
柳生のひと言で、緩みはつつあった場の空気がまたもや引き締められた。背筋に残る余韻を引きずりながら、陽暈たちはようやく司令室を後にしたのであった。




