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「トクシツ……? なにそれ?」


 陽暈が眉をひそめ、無垢な好奇心と警戒心を入り混ぜた声を漏らす。その視線は、向かいに座るイケメン──零士に向けられていた。


「俺らは特務執行局って組織の捜査官なんだ。きみもうちに入ってもらうかな」


 相変わらず零士は微笑みを崩さない。もはやそれが真顔かと勘違いするほど、定着している。


「特務執行局……聞いたことないな」


 陽暈は椅子の背に凭れ、腕を組んだ。記憶をなぞり、その語呂を検索するが、やはり聞き覚えがない。

 それもそのはず──。


「そりゃ世間には公表されてないからね」


 むしろ知っている方がおかしい存在であった。


「朝顔もその捜査官なのか?」


 陽暈が視線を向けると、わずかに戸惑いながらも、月乃は静かに頷いた。


「之槌さんも?」


 取調室の隅に立つ壮年の男──之槌はゆっくりと応える。


「いえ、自分は公安部の者ですな」


「公安! テレビで見たことある! やっぱ別班っているんすか!? 二重人格なんすか!?」


 陽暈の瞳が好奇心に光る。問いかけは興味半分、憧れ半分の色を帯びていた。


「ほっほっ。それはどうでしょうな」


 之槌はどこか濁した笑みを浮かべ、老練な警察官らしい癖のある口調で煙に巻く。


「くぅ、気になるなぁ! んで、その特執ってのに入って俺は何をするんすか?」


 どうせ別班が存在したところで、自分ごときに明かされることはないし、明かしてほしくないと思った陽暈は、話の路線を戻した。


「もちろん、人助けかな」


「そんだけ?」


「まあ順を追って説明するかな。まずはこれを全力で握ってみて」


 零士の端的な即答に、陽暈が補足説明を求めると、彼はポケットから、ハンドグリップを取り出し、差し出してきた。手持ちぶさたの時に握力を鍛えるアレだ。

 陽暈は一瞬戸惑ったが、素直にグリップを受け取り、手のひらに力を込める。


 先日、高校で行われたスポーツテストでは、彼の握力は43キロだった。平均か、それを少し上回る程度。弱くもなく強くもない。

 いったいこのハンドグリップが何キロのものなのかは分からない。が、一応全力で握った。


「え、かるっ」


 拍子抜けするほどの軽さだった。いや、拍子抜けという言葉では足りないくらいの、異常なまでの軽さ。


「お見事!」


 零士が両手で拍手する。称賛というより、茶化しの色が濃い。


「なんなんすか、これ」


「そのハンドグリップ、200キロだよ」


「に、にひゃく!?」


 握力の世界記録は192キロに及ぶ。そんな記録を上回る重量のハンドグリップを、陽暈は紙屑同然に握り潰した。誤解してはならないのが、この数値が示すのはあくまで器具の強度であり、陽暈の握力そのものを計測したわけではないということだ。

 計測すれば、いったいどんな数値が叩き出されるのやら。


 にわかには信じがたい現実を前に、陽暈はゆっくりと力を込め直してみる。徐々に、丁寧に。

 すると、異変に気づく。

 今まで漠然と把握していた筋力の限界ラインを容易に超え、みるみる力が入り続ける。決してハンドグリップが軽いわけではなく、見えていたはずの天井が果てしなく遠くなっている感覚。


「どうなってんだこれ……」


 驚きを隠せない陽暈は、ハンドグリップを零士に返し、自分の手の平を眺める。自分にはこんな力が、いや人間にはこんな力が秘められていたのかと。


「陽暈くんは脳の10%神話って聞いたことあるかな?」


 呆然とする陽暈の手からハンドグリップを回収した零士が、自身の頭を指差した。


「あー知ってるけど、あれって嘘なんでしょ?」


 脳の10%神話──ほとんど、或いは全ての人間は脳の10%か、それ以下の割合しか使っていない、という誰もが一度は耳にしたことがある都市伝説。だが、それが科学的に否定されているということもまた、周知の事実。


「いや、嘘じゃないかな。そういう風に政府が情報を操作してるだけで、実際はほとんどの人が脳を10%以下しか使えてない」


「いやいやそんなバ──」


 さすがに胡散臭くて嘲りそうになった陽暈だが、科学的根拠はなくとも、実体験における強烈なエビデンスがあることを思い出し、言葉が詰まった。

 先のハンドグリップや、今朝から感じる身体機能の飛躍的向上──それら全てが、零士の言葉を信用するための材料としては十分過ぎたのだ。


「大マジ。ま、脳の領域で言うと100%使えてるんだけど、各機能の使用率には制限がかかってるかな」


「なるほど……分からん」


 陽暈は正直に眉をひそめた。情報の密度に頭が追いつかない。


「綱引きをイメージすると分かりやすいかな。全員が綱を引っ張ってるように見えても、各々が全力かどうかは分からない。それと同じで、脳の全領域が活動しているように見えても、各機能の使用率は100%じゃないってこと」


「な、なるほど……」


 ようやく少しだけ、霧が晴れた気がする。さりとて疑問は尽きなかった。


「てことはもしや! 俺はその制限とやらが解けて100%の力を発揮できるようになったと!? 俺の髪、金になってる!? 逆立ってる!?」


「アハハ! んなわけ! きみの解除率はせいぜい40%だろくら、桃白白とかかな!」


「ちぇっ……いいもん。柱乗っちゃうもん。鬼殺隊なら 柱って強ぇしー」


 落胆と屁理屈を口にしながらも、陽暈の目はどこか期待に輝いていた。


「ちなみに、そこにいるアキラも脳の制限が解錠されてるよ。人間以外の動物では、いまのところ彼だけ」


「なるほど……目の前にいるからには疑うわけにもいかないか。つか制限を解錠すると知能も向上するんすか? 普通、動物って自分の意思で話したりできないっすよね?」


「シンガイヤナ! インコハ、リリースシテナクテモ、ヒトノコトバクライ、ハナセルワ!」


 突然の甲高い声で関西弁が響く。


「彼はああいうけど、実際のところはまだ分かってないかな」


「つってもインコって人の言葉を真似する生き物だし、そんなに不思議なことでもないのか」


「いい着眼点だね。ほとんどの動物は言葉を発音する器官を持ってないけど、インコには鳴管っていう発声器官がある。だからアキラは喋れるかな」


「なるほど。アキラも特執の捜査官ってことになるのか?」


「ナラヘンワ! ワシハ、ツキノノカゾクヤ」


 相変わらずキレのある関西弁。口の歪め方も、関西人っぽい。知らんけど。


「カゾク?」


 気にかかったワードを拾った陽暈は、インコにオウム返しする。


「ワシハ、ツキノニイノチヲ、スクッテモロタ。ダカラ、ツキノハ、カゾク。ツキノノ、ユウコトシカ、キクツモリナイ」


 アキラの言葉は人語そのもの。機械的ではなく、ゆっくりと確かな意思が込められていた。


「私が小さい頃、アキラがうちの庭で倒れてたの」


 月乃の声が静かに響く。窓のない取調室の冷たさが、わずかに和らいだようだった。

 その後、壁に身を寄せたアキラが、月乃からバトンを受け継ぐ。


「ワシハ、ムカシペットトシテ、カワレテタ。デモソコノ、ガキンチョニ、イツモボウリョクヲ、フルワレテタ。イノチカラガラ、ニゲテキタトコロガ、ツキノノ、イエヤッタンヤ」


「アキラはその時に脳の制限を解除したんだろうね」


「というと?」


 零士が紡いだ言葉に、すかさず陽暈が疑問を呈す。


「脳の制限を解除する方法は、臨死体験」


「臨死?」


 人差し指を立てて、博士キャラをおろした零士が続ける。


「要するに、死に直面して、生き延びるために脳がフル稼働し、一部の制限が解除されるって仕組み。でも、きみみたいな例外もあるっぽいけどね。ちなみに、初めて脳の制限を解除することをリリースと言います!」


 リリース。

 その言葉に、陽暈の脳がピクリと反応した。どこかで聞いた。どこかで、その響きを。


「──そうだ! さっき仮面の男がそんなようなこと言ってた!」


「リリースした力を悪用するような人たちを、私たちはニュークと呼んでいます!」


 零士に感化されたのか、月乃も解説キャラを演じて人差し指を立てた。さっきまでしまっていたはずの眼鏡を、わざわざかけて。


「なるほど。そのニュークってのから一般市民を守れってことっすか」


「エグザクトマン!」


 パチンと指を鳴らしがてら指を差してくる零士。


 一般市民を守る──自分で口にしたものの、陽暈は妙にしっくりきていた。

 人生で始めて救った命は、小さいものだったし、ほんの今朝の出来事に過ぎない。だが、あの少年に言われた、「ヒーロー」という言葉が、忘れられない。


「人助けか……いいね。俺にしかできない役目がありそうだ」


「お、それはつまり?」


「やる。この力についてもっと知りたいし」


 陽暈の覚悟に耳を傾ける気配のない零士は、スマホを構えて合図を出す。


「ハイ、チーズ」


 カシャッ──。

 突然のフラッシュに陽暈の視界が白く染まった。


「なんすか急に」


 零士はいたずらっぽく笑いながらスマホをしまう。


「それでは早速、俺らのボスに会っていただきましょう!」


「ほっほっ。話が早いもんですな。私はこれにて。天若殿、またお会いしましょう」


 しばらく静かに見守っていた之槌が、ゆっくりと身を起こす。


「なんか分からんけど、よろしくっす」


「零士さん! 私も行かないとダメですか?」


 月乃が声を震わせて尋ねる。どうやら博士キャラは抜いたらしく、眼鏡を外していた。


「そりゃあもちろん」


「はぁ……やだなあ」


 月乃の吐息に、隠しきれない恐怖が滲む。


「どうして嫌なんだ?」


「怖いの……」


「怖い? ここのボスが?」


「違う。実質的なここのボスが怖いの……」


 蛍光灯が一瞬だけ明滅する。部屋の影が答えているかのようだった。陽暈は唾を飲み込み、胸のざわつきを秘めたまま、取調室を後にしたのであった。

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