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夜の闇が空を覆い、雲は低く垂れ込めていた。わずかな街の明かりも届かぬ都市郊外の廃工業地帯──表向きは稼働停止となった化学プラント群だが、いまは外部からの電波を完全に遮断され、周囲五キロ圏内は立入禁止区域として封鎖されている。
「やっぱり、話すべきなんじゃ……」
そう繰り返す月乃の声に、凱亜が共鳴する。
「まぁ、ちょっとやりすぎな気がするな」
低くぼやく凱亜の言葉に、月乃ははっきりと首を振った。
「やりすぎなんてもんじゃありません。これは……ただの横暴です。捜査でもなんでもない」
SATの車列が古びた工場棟の合間を縫うように隊列を組み、次々と拠点に接近していく。上空ではすでにドローンと無人偵察機が旋回を始め、重武装の爆撃用ヘリがホバリングしながら旋空待機中だった。
SATの指示は冷徹そのものだった。
『目標地点、座標一致確認。構造が複雑で逃走ルートが多数存在するため、爆撃で主要な導線を封鎖した後、四方から制圧。目標の致死処理を最優先とする』
『待ってください!』
ついに堪えきれず、月乃が叫ぶ。
「こんなやり方……あまりにも一方的すぎます! まずは警告を出すべきです! 通信手段がないなら、せめて投降の機会を──!」
黙したままの零士と目が合う。だが、その瞳は揺れない。
「……それができるなら、最初からこの指令は下されていないよツッキー。私情は挟んじゃいけない」
無線から指令が鳴る。
『空域クリア、投下準備完了。カウントダウン開始』
月乃は唇を強く噛み、ただ祈るように空を見上げた。
どうか、どうか誰も死なないで。
そう心で祈りを捧げた直後、閃光が、漆黒の空を裂いた。
数秒遅れて、地を揺るがす轟音と爆風。老朽化した工場がドミノのように崩れ、炎と黒煙が天を焦がす。
『突入開始!』
SAT第七分隊長の指示により、みな一斉に動き出す。その背を追うように、特執の捜査官も駆け出す。
月乃は一人、遅れて立ち尽くしていた。
とはいえ、彼女には一つだけ、頼みの綱があった。
それは数時間前に視た未来の映像。
オーバーアビリティによる未来予知により、爆撃跡地らしき場所で、陽暈や阿希、そして日下部が走り去る映像が視えたのだ。
もしその予知が的中していれば、陽暈らは爆撃から逃げ仰せ、生き延びる。
いや、むしろ的中する気がしていた。
まだ未来予知が扱えるようになってから間もないため、不確定要素が多いのは事実。実際、視たいときに視れるなんて、ネトプリみたいな話でもない。
ただ、ブラックドッグで陽暈が京鹿にナイフを突き立てる瞬間は、未来予知で視えていた。そして的中した。
ゆえに、陽暈に関する未来に限っては、自信があるのだ。
しかし──。
「……っ、止まれ!」
焼け焦げた工場内に足を踏み入れて間もなく、最前列のSAT隊員が手を挙げて制止のジェスチャーを送った。
「目標らしき人物、発見!」
一斉に銃口がその先へと向けられる。
瓦礫の影、崩れたタンクの脇に──焼死体があった。
全身が黒く炭化し、骨と皮膚の境さえ曖昧なその死体は、もはや誰かであることを否定するような無惨な姿だった。
「頭部及び四肢の焼損激しく、識別困難……ただし──」
隊員の声が少しだけ震えた。
「左頬に傷あり。目標の一人、天若陽暈の特徴と酷似」
その瞬間、月乃の顔色が変わった。
「……え……?」
焦げた皮膚に残る、雷のような刻印──電紋。額から左目、そして首元まで。陽暈だけが持つ、あの痕跡が、微かに残されていた。
「……う、そ……そんな……!」
月乃は一歩、また一歩とにじり寄り、そして崩れるように膝をついた。
「違う……違うってば……視えたのに…………」
叫ぶように、泣くように、空気を震わせるその声に、誰も言葉を返せなかった。だが、さらに追い打ちをかけるように、別の報告が入る。
『こちら第三班、追加で二体、焼死体を発見。損傷が酷く、識別不可。一体は眼鏡の焼き跡あり』
「……!」
月乃の呼吸が止まった。零士の顔がわずかに曇る。
『特徴は一致している。ただし、確認は──』
「そんな……っ!」
月乃は顔を伏せ、両手で耳を覆った。
「……なんで……どうして…………」
誰に向けたのかもわからぬ問いが、焼け落ちた工場に虚しくこだました。
そこで、零士が無線にて短く命じた。
『遺体は全て回収を。本人確認のため、特執にて照合を行います。工場内の調査は続行でお願いします』
その声は冷静だったが、かすかに震えていた。
その後も、特執の捜査官らに出番はなかった。
無駄のない統率の取れた動きで、SAT隊員が工場内を隈無く確認し、掃討作戦は呆気なく幕を閉じたのであった──。




