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陽暈が失踪し、早くも三ヶ月の時が流れた。
零士と花染は、ブラックドッグの拠点制圧作戦から数日後に、無事に目を覚ました。
幾度もの処置と地道なリハビリを経て、今では日常動作に支障はないという。激しい戦闘を控える限り、現場復帰も許されている。
燐仁、綱海、真壁、凱亜の四人もまた、それぞれの持ち場へと戻り、特執という巨きな歯車は再びゆっくりと回り始めていた。
だが──悪立だけは違った。肺の深部にまで達した損傷は想像以上に深刻で、復帰の目処は立っていない。
そしてなにより、陽暈の行方は、依然として謎に包まれていた。
消息を断って三ヶ月。生死すら判然とせず、祈る者も、疑う者も、ただ時の流れに押し流されるしかなかった。
そんななか、今日。
局本部にて、零士を筆頭に、バーストしている捜査官が一堂に会した。
本来であれば、福岡支部に燐仁、大阪支部に凱亜と綱海が帰っているはずだったが、ブラックドッグ壊滅の余波を受けた柳生の判断により、彼らは未だ東京本部に留まり続けていた。
会議は、柳生によるあまりにも衝撃的な通達で幕を開けた。
「天若陽暈、雨津駿、日下部佐助、以上三名は、国家安全保障を著しく脅かすテロ活動を企てているため、発見次第、即時致死処置を執行することが決定した。なお、本命令は国家公安委員からの直々の指示であり、これに背く者は国家に対する反逆行為と見なされ、反逆罪に問われる」
言葉の一つひとつが刃のように胸を刺す。空気が張り詰め、誰もが息を飲んだまま沈黙に凍りついた。
月乃も、心臓を急所に突かれたような衝撃に、思考が止まっていた。
ようやくその沈黙を破ったのは、零士だった。
「姉さん。それはいくらなんでも無茶苦茶すぎないかな」
静かな語調に押し殺された怒気がにじむ。
続いて凱亜が、鋭く声を上げた。
「そもそも兄貴がなんで生きてるんか、聞かせてもろてへんで姉御」
怒りと困惑の混じるその言葉に、月乃の胸もまた突き動かされる。
「陽暈くんがいなかったら、私は助かっていませんし、ブラックドッグの制圧も叶わなかったはずです! みなさんが無事にこの会議に出席してるのも、陽暈くんのおかげです……!」
思わず立ち上がっていた。震える声に、自分でも驚いていたが、それでも言わずにはいられなかった。
その訴えに、周囲の面々も頷きを交わし、目を伏せる者、柳眉を寄せる者もいた。だが、ただ一人──柳生だけが、目を閉じ、腕を組んだまま動かない。
やがて、室内のざわつきがようやく落ち着くと、彼女は長く息を吐き、冷ややかな声で告げた。
「みなの気持ちは重々承知している。私自身も、彼らを信じたい。しかしこれは上層部からの命令であり、拒否権はない。要するに、私はいま、諸君らに意見を聞いているのではない」
その言葉は、感情を切り離した事務的な響きだった。月乃の胸に、どうしようもない不安が広がっていく。
「だったら──!」
乾いた音が会議室に鳴り響いた。
月乃は立ち上がり、掌をテーブルに叩きつけた。全身から噴き出す熱が、理性を押しのけていた。
「だったら、どういう理由で、陽暈くんたちが殺されなきゃいけないんですか……」
誰よりも、陽暈の帰還を信じていたからこそ、到底黙ってはいられなかった。
「日下部というニュークを連れている以上、一般市民への危険はつきまとう」
柳生の返答は冷ややかで、感情を交える隙もなかった。
それでも月乃は引き下がらない。
「それはなにか理由が──」
「ニュークを野放しにする正当な理由とはなんだ。言ってみろ」
突きつけられた問いに、口が詰まる。
反論したいのに、適切な言葉が浮かばない。焦燥が胸を締めつける。
「それは……」
そのとき、鋭い声が割って入った。
「日下部は違法薬物の製造で捕まってる。殺人経験はゼロ」
椅子の背から身を起こし、零士が手にした青いファイルをテーブルに落とす。
「こんなやつを連れ回したところでたかが知れてる。そんなに処分を急ぐ必要なんてあるのかな」
冷静だが、明らかな異議の意がこもった言葉だった。
月乃の張り詰めていた肩が、わずかに揺れる。零士の一言が、胸の奥に小さな支えをもたらした気がした。
「もう一度言う。ここはみなの意見を聞く場ではない。そして、私もこの方針に納得はしていない」
柳生の声が、沈黙の空気をいっそう重たくする。
それは、苦渋と葛藤を滲ませたものだったが、なお命令の重みを覆すことはできない。
誰もが口を閉ざした。
それは諦めでも、同意でもない。反論しても無意味だという、圧倒的な現実への屈服だった。やり場のない怒りと悲しみが、会議室を満たしていく。
その後も、まるで感情を切り落とすように、会議は粛々と進められた。
「やつらが潜伏している場所は、幸い、都心から離れている」
柳生の言葉と同時に、彼女は卓上の端末へと手を伸ばした。
壁面のスクリーンに衛星写真が浮かび上がり、滑らかに拡大されていく。映し出されたのは神奈川県の外縁──錆びついた鉄骨が立ち並ぶ、忘れ去られた工業地帯だった。
「場所は、第三廃工場。一般人の居住は確認されておらず、周辺地域にも民間施設はない。ガス、重金属汚染の名目で立入禁止区域に指定されている」
捜査官たちは一様にスクリーンを見つめ、誰も言葉を発さない。その沈黙のなか、柳生の声が再び落ちてきた。
「先日から、日下部のGPS反応がこの地点で、断続的に再取得されている。衛星映像およびドローン偵察の結果、雨津の出入りも確認されている」
月乃の胸に、わずかだが安堵が走った。
陽暈は、生きている。それだけで、視界が少しだけ開けたような気がした。
だが、それも束の間。柳生は一拍置き、重たい言葉を放つ。
「本日二十三時より、GPS反応を補足次第、該当区域に対し、局地的制圧作戦を実施する」
空気が一変した。
まるで部屋全体が、ひとつの肺を共有していたかのように、全員が同時に息を呑んだ。
緊張が静かに、しかし確実に広がっていく。
「表向きには、旧施設に残された違法ウイルス実験の危険性を理由に、感染症対策特別措置法を発令。政府は直ちに当該区域を立入禁止とし、『防疫・除染作業』のためにドローン部隊と封鎖ラインを展開する」
柳生の口調は変わらない。天気予報でも伝えるかのように淡々としていた。
「無人戦闘ドローンによる爆撃、及びレーザー照準式のミサイル攻撃を含む強制排除作戦。地上部隊──つまり諸君ら特執捜査官及びSATの合同チームは、爆撃後に即座に突入し、目標の確認。生存者の捕縛または致死処置を行ってもらう」
作戦内容は、戦争そのものだ。いや、戦争より無慈悲で、命を奪うことが前提になっている。
柳生は紙をめくる音すら正確に制御されたような動作で、さらに言葉を続ける。
「繰り返すが、これは国家公安委員直轄の命である。私情を交える余地はない。任務中の逸脱、抵抗、命令違反はすべて記録され、即時懲戒対象となる」
零士が何かを言いかけた。が、柳生の鋭く、寸分の揺らぎもない視線に射抜かれ、言葉は喉の奥で消えた。
「現地での行動はSAT第七分隊の隊長と連携のうえ、九頭、お前が前線指揮を執れ」
しんと静まりかえった会議室。
今や、壁の時計の秒針の音すら、耳に触れるほどだった。
最後に、柳生は重く、だが明確に言い切った。
「ニュークとは、核爆弾を意味する。目標の三名は、核と同等の力を有する危険な存在だ。それが国家へ牙を向けようものなら、国民の危機同然。みな、抜かりなく任務にあたるように」
その言葉には、何の感情もなかった。信頼でも、怒りでも、悲しみでもない。ただ上から下された命令として、任務を読み上げる機械のようだった。
誰一人、納得してはいなかった。
けれど、柳生を非難するのは筋違いだ。
命令を下したのは、国家公安委員会。その意志は、いち捜査官がどうこうできるものではない。
首を縦に振らぬ者も、横に振る勇気は持てない。
沈黙のうちに、作戦は動き始めた。
命令が下されてからというもの、月乃の胸の奥では、ひたすらに落ち着かないざわめきが続いていた。
陽暈が──あの陽暈が、国家を脅かすような存在なわけがない。どうしても、納得できなかった。
そして、決心した。
たとえ意味がないとしても、声を届けると。
──だから彼女は、司令室の扉をノックした。
「柳生司令」
振り返った柳生は、その声音だけで全てを察したようだった。
「なんだ朝顔。まだ決心がつかないのか」
「はい。やっぱり作戦は中止すべきです。いくらなんでも情報が少なすぎます」
柳生はわずかに目を伏せ、静かに言葉を返す。
「そういうわけでもない」
「どういうことですか」
「お前には特別に教えてやる。座れ」
その言葉に、月乃は身構えた。
何を聞かされるのか。何を知らされるのか。不安がよぎったが、それでも後には引けなかった。
柳生がデスクから取り出したのは、見慣れない赤いファイルだった。
重要機密──国家にとって危険な真実が記された色。
指示に従い、月乃はソファに腰を下ろす。
「これは、ある事件の記録だ」
席を立ち、コツコツと床を叩く音を響かせた後、柳生は月乃の対面に座った。そしてファイルを開いた状態で突き出してきた。
受け取り、目を通す。
「財閥の当主が所有する金庫が襲われた。死者は五十人を越える。現場は爆破され、塵と化した。しかし、保管していた現金は一円たりとも残されていなかったという。その爆発に巻き込まれ、殉職したとされるのが雨津だ」
「でも雨津さん……阿希さん? は生きてますよね……」
「あぁ。生きていたにもかかわらず、特執に顔を出さないということは、そういうことだろうな」
後ろめたいことがなければ、当然、特執に帰還する。しかし長期間、彼が特執に戻らなかった理由は、現金を懐に納めたとしか考えられない。柳生はそう言いたいのだろう。
さりとて月乃がそれを否定できるほど、阿希のことを知らない。陽暈が幼少期の頃には家庭から姿を消していると聞くし、謎が多い分、疑念も増えてしまうのが本音だった。
だとしても──。
「それでも、対話する時間を設けるべきだと、私は思います」
「おそらくそれが正しい順序だと、私も思っている。しかし朝顔、これは私の命令でも、総司令の命令でもない。国家公安委員会からの直々の命だ。我々に反対する権利はない」
「そう……ですか…………」
「お前も任務に備え、休んでおけ」
月乃は、渋々司令室を出て、作戦決行まで仮眠室で横になることにした。もちろん、最後まで納得はいかなかった。




