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 シルバーのセダンは滑るように地下駐車場へと吸い込まれていった。そのわずか手前、陽暈の目に映ったのは、歩道脇にぽつんと佇む『警視庁前』と書かれたバス停の看板。


「もしかして俺、逮捕されるのか……?」


 声をひそめて尋ねる陽暈に、お団子ヘアーのままの月乃が穏やかな微笑みを返す。


「大丈夫。それはないよ」


「そうなのか……つか、お前なんで高校ではあんなキャラ演じてんだ?」


「うーん。守ってもらうためかな?」


 問いかけに対する彼女の返答は、どこか含みのあるものだった。


「守ってもらう? 誰に? 何から?」


「それは……秘密」


 言い淀み、窓の外へと視線を滑らせた月乃。

 その胸中がまるで理解できなかった陽暈は、何の気なしに口説き文句に近い言葉を吐いた。何の気なしに、だ。


「マジでワッツじゃん。でも今の雰囲気の方が俺は好きだな」


 深く考えずに出た言葉を受け、月乃は首が折れる程の勢いで振り向いた。ずいぶんと目を見開き、あわあわとして。


「な、なんですとぉ!?」


「ほら、その髪型とか? 眼鏡かけてないのとか」


「へ、へぇ……そうですかぁ……」


 裏返した声音で応えた月乃は、頬を紅潮させて再び視線を窓の外へ逸らした。

 依然として、その行動の意図が汲み取れない陽暈は、首を傾けたのち、ふと思い出す。


「あ、そういやこれ、返すの忘れてた」


 ポケットから眼鏡を取り出し、彼女に差し出すと、月乃はそれを奪い取るように受け取り、そっけなく一言。


「あ、ありがと」


「おう」


 月乃の声はどこか硬く、抑揚を欠いていたが、陽暈は特に気に留めるふうでもなく、軽く頷くだけだった。


 停車し、扉を開くと、帰還を待っていたスーツ姿の若い男たちが、トランクに眠るフードの男を慣れた手つきで運び去った。

 之槌は彼らに対し、柔らかな口調で「いつもすみませんな」と声をかける。本当に低姿勢の男だ。


 彼らのあとに続き、陽暈と月乃も駐車場の奥へ向かう。

 之槌が手をかけたのは、無機質なスチール製の扉。重たい軋みとともに開いたその先は、古びた物置部屋だった。赤いパイロンや清掃用具が壁際に整然と並び、空気には古い埃の匂いがうっすらと漂っている。

 が、真の入口はそのさらに奥に隠されていた。

 何の変哲もないコンクリート壁に、之槌が静かにカードキーをかざす。直後、無音のまま壁に一本の縦線が走り──巨大な岩が割れるように、分厚い壁が左右へ滑り開かれた。

 その先に広がっていたのは、陽暈の常識を遥かに超える光景だった。


 三階分はある吹き抜けの大空間。正面には大きな中央階段が下層へと伸び、スーツや白衣を纏った男女が忙しなく行き交っていた。床も壁も天井もグレーを基調とし、どこか未来を思わせる雰囲気を醸している。


「ここはいったい……」


 呟く陽暈の耳に、月乃の声が届く。


「陽暈くん。こっちだよ」


 その呼びかけが、彼を再び現実へと引き戻した。夢のような光景に圧倒されながらも、彼女のあとに続き、中央階段を下っていく。

 最下層の角部屋へ案内され、辿り着いたのは──見覚えのある空間だった。

 簡素な部屋にテーブルと椅子が二脚。テレビドラマで見るような取り調べ室の典型だった。だが、不思議と殺伐とした空気はなく、緊張感は幾分やわらいでいた。


「あぁ! さっきのオウム!」


 思わず声を上げた陽暈の視線の先にいたのは、あの廃倉庫で颯爽と舞い降りた怪鳥──アキラだった。


「オウムチャウ! インコヤ! サッキモユータヤロ!」


 鋭く突き返される関西弁に、陽暈は思わず口を噤む。


「やっぱ喋ってる……」


 呆然とした表情のまま立ち尽くす彼に、之槌がやわらかな口調で声をかける。


「とりあえず、こちらへかけていただけますかな」


 そう言って彼は、テーブルに仕込まれた椅子を丁寧に引き出し、一流レストランのギャルソンを彷彿とさせる所作で促した。


 月乃を一瞥し、警戒を残しつつも、陽暈は指示に従って腰を下ろす。


「あの……」


 不安を滲ませた声を漏らしかけたところで、之槌が手のひらをやんわりと差し出し、言葉を制する。


「ご心配なさらず。少し話をお聞きするだけです」


 その声音には、威圧感も警察的な強制力もない。必要な真実を導き出そうとする誠実さだけが滲んでいた。


「やっほ。久しいね、陽暈くん」


 不意に聞こえた軽やかな声。

 振り向いた陽暈の目に映ったのは、赤いメッシュを差し込んだ黒髪を無造作に後ろでくくった男。場違いなほど屈託のない笑顔を浮かべながら、ひょっこりと顔を覗かせていた。


「あ! この前の!」


 チャコールグレーのスーツ。ジャケットの下には同色のベスト。首元のネクタイは深紅に近いバーガンディで、頭髪にあしらった赤いメッシュとマリアージュしている。ネクタイの結び目はわずかに緩められており、大人の余裕を演出している。後頭部で結った髪もまた、色っぽい。


 あの夜の記憶が、瞬く間に脳裏をよぎる。母と弟を亡くし、世界が一変したあの夜。

 周囲の警官たちが形式ばった言葉で処理しようとしていた中、この男だけが違っていた。言葉ではなく、行動で寄り添ってくれた──ただ静かに抱きしめてくれた。その温もりだけが、不思議なほど心を落ち着かせてくれたのだ。


「お、アキラも久しぶりじゃん。そのクチバシ、いつも以上にいかしてるね」


 男は部屋の奥へと歩を進め、すらりとした肢体をしならせながらアキラを見やる。怪鳥は誇らしげに斜め上を見上げ、ドヤ顔を炸裂させた。


「オウ! アタリメェヨッ!」


 その姿こそ巨大な鳥だが、声色も仕草も人間顔負け。陽暈は思わず苦笑した。


「てゆーか、陽暈くんって零士さんと知り合いなの?」


 月乃が不思議そうに問いかける。


「知り合いっつーか、会ったことあるだけだ」


「覚えてくれてて嬉しいかな。俺は九頭零士。よろしくね」


 白い歯を覗かせる笑顔は、長年の旧友に向けるような温かさに満ちていた。

 陽暈は改めてその姿を見上げる。身長は190センチほど、均整の取れた体躯はモデルのように端正だ。あの時は下を向いていたせいか、その堂々たる存在感に気づけなかったのが不思議なくらいだった。


「きみ、ツッキーの彼ピッピなんでしょ?」


 突拍子もない質問を放ちながら、零士が椅子に腰を下ろそうとした刹那。月乃が無言で椅子の脚を蹴り飛ばす──零士は尻もちをつきながらも、見事な受け身で後転すると、軽やかに立ち上がった。


「過剰に反応するということは、そういうことなんだね?」


「殴りますよ」


 月乃の静かな怒気を受け流しながら、零士はニヤリと笑い、転がった椅子を拾い上げる。そして慎重に背もたれを手に取り、今度は蹴られまいと用心深く座った。


「さぁて! 陽暈くん! きみには色々と聞きたいことがあるかな!」


 零士と之槌の二人が視界に入ったことで、陽暈は思い出した。


「ああっ! 之槌さんもあん時いたわ!」


「覚えてらしたのですな。まぁ、自分はなにもして差し上げられませんでしたがね」


 陽暈の言葉に、之槌は静かに頷いた。落ち着いた目元にわずかな笑みを浮かべながら、手のひらで白髪混じりの頭を撫でる。


「いやーそれにしても陽暈くん、ずいぶん元気になったかな!」


 零士は椅子の背に体をあずけ、長い脚を悠々と組んだ。


「そっすか? 前と同じっすよ」


 ぶっきらぼうな返答に、零士は少し顔を傾けて、鋭い視線で陽暈を見つめた。


「それ本気で言ってる? きみ、あの時、人殺しの目をしてたよ? ほら、俺と同じ目」


 言うなり、零士は組んでいた脚を解き、グイッと陽暈の間近まで顔を寄せ、涙袋に指を添えて見開いた瞳を強調してみせる。

 思わずのけぞる陽暈。


「そんなことはないっすよ。人殺しなんて。え、つかあんた人殺しなの!?」


「うそうそ。虫も殺さぬ慈悲深き人間かな」


 急に飽きたような声色で、再び背もたれに身を委ね、零士は気だるげに微笑む。


「さてと、きみにも聞きたいことがあると思うけど、まずはこちらの質問に答えてもらわないといけないかな」


「いいっすよ。俺には何もやましいことなんてないから」


「では遠慮なく。きみのその力、いつから使えるのかな?」


「力……?」


「人間離れした筋力、と言った方が分かりやすいかな?」


「あー、これは今日の朝からっす」


「今朝? 死にそうになったりしたのかな?」


「え? 死ぬ? あー死にかけたっちゃ死にかけたけど、力が使えたのはその直前っす。踏切で──」


 陽暈は、今朝の出来事を思い返しながら、幼い子供を救うために起きた一部始終を丁寧に話した。ヒーロー譚を語るように、節々を誇張して。


「──なるほどね。ところでその傷、どうして光ってるのかな?」


 自身の頬に指を差した零士。無意識のうちに陽暈は、青く輝く電紋を撫でながら回答した。


「これは俺にも分からないっす。朝起きてから登校するまでの間に光り始めたんだと思う」


「それって雷に打たれると残る火傷だよね。いつできたのかな?」


「物心つく前なんで、ハッキリとは覚えてないっすけど、三歳くらいだったと思う。そういや雷に打たれたあと、俺がめちゃくちゃ暴れておさえるのが大変だったって母さんが言ってたな」


「なるほどね……そんじゃいっちばん大事な質問ね」


 零士の目がふっと細まり、口調がグッと引き締まった。


「復讐か人助け。きみはどっちを優先するのかな?」


 その問いは、ただの言葉ではなく、胸の内に土足で踏み込む一歩だった。思考より先に、陽暈の鼓動が跳ねる。寝室に見知らぬ誰かが入り込んできたような、急激な無防備さと焦燥が襲う。


「うーん……正直、その状況になってみないと分かんないっす。復讐したくないって言うと嘘になるし、俺なんかが人さまの命を助けられるなんて驕るつもりもない──でも」


「でも?」


「今日、助けた子供にありがとうって、ヒーローだって言われた時、気持ち良かった。いままで味わったことない、嬉しいとか、楽しいとか、そんな感じじゃなくて、とにかく気分が良かった。だから俺の役目は、そこにあるんじゃないかって思う──だったら逃したくない。もし俺の力が人の役に立つなら、そうしたい」


 零士は、しばし沈黙したまま、陽暈の心の奥に直接触れるように、その瞳をじっと覗き込んでいた。

 そして──満足げに頷く。


「おっけ採用! きみは今日から特執の捜査官になってもらいます!」


「ふぇ……?」


 ポカンと口を開けたまま。

 陽暈には零士の言葉の意味が理解できなかった。

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