グラスヒルの樹海
王都の正面門の途中には、聖騎士の方々がずらりと並んでいた。
ユリアナ様と殿下や騎士団長様はもうすでに出立されたあとらしく、見送りの人々の姿はない。
聖騎士団の方々だけが、まるで私たちを待ち構えているようにそこに並んでいる。
「これはこれは、皆さんお揃いで。お見送りですか?」
にこやかに、シルヴィウス様が厳めしい顔の騎士に尋ねる。
「そんなわけがないだろう! 王都から出立する間際に問題を起こしたな、シルヴィウス。それから猛毒姫。兵士たちやユーゲン副団長から聞いているぞ」
「聞いているとは、何をですか?」
「猛毒姫が兵を誘い路地裏に連れ込んでいたところ、お前が現れて皆を殴りつけたそうだな。猛毒姫の護衛に選ばれたからといい気になって、すっかり恋人面だそうじゃないか。嫉妬に狂い、同僚やユーゲン副団長を殴るとは! その上、剣で斬りかかろうとするとは!」
シルヴィウス様と話をしているのは、聖騎士団の分隊長の一人だ。
私のことはいいけれど、シルヴィウス様は助けてくれただけ。
嫉妬に狂ったわけじゃない。
そもそも、私たちはそんな関係ではないし、私に嫉妬をしてくれる人なんているわけがない。
私は話をしている分隊長とシルヴィウス様の間に割って入った。
「違うのです。誤解です。私は……!」
「お前と話す言葉など持ち合わせてはおらん、穢らわしい。いいか、二人とも。正面門から続く街道は、華々しくも大聖女ユリエラ様と王太子殿下、そして団長の行かれる道だ。お前たちがその後を踏み、浄化され祝福された道を穢すことなど許されない」
「……馬鹿馬鹿しい」
ぼそっと、シルヴィウス様が言う。
ちらりと見ると、こめかみがぴくぴくしている。顔は笑顔だけれど、多分怒っている。
私は確かに一理あるわねと思ったのだけれど、女神様を信じないシルヴィウス様にとってはそれは馬鹿馬鹿しいことなのだろう。
「国王陛下からの直々の命を受け、我らはここにいる。聖女エフィミア。貴殿の進む道は、ユリエラ様とは別でなくてはならぬ。よって、グラスヒルの樹海を抜けて東に出て、忘れ去られた荒野を進み、黒湖を渡り、聖地に至れ」
「はぁ? 何言ってんの、馬鹿なの、死ねよ」
「わー! シルヴィウス様、どうどう、穏便に、おちついて!」
「これが落ち着いていられるかっての。陛下は君に死ねって言ってるんだよ。分かってる?」
「それは違います。これは、陛下の国を思うお気持ちなのです。確かにグラスヒルの樹海や、忘れられた荒野のある地方は魔素汚染がひどく、手つかずです。私も王都近郊の浄化で手一杯でしたので……これを機に、王国東側の荒れた土地を浄化したいという、陛下の民を思う真心なのでしょう」
「エフィ」
咎めるように名前を呼ばれた。シルヴィウス様の拳に力が籠っている。
この場にいる兵士たち全員を殴る気満々なシルヴィウス様の手を、私はそっと握りしめた。
「あのねぇ、エフィ。俺たちは追放されたんだって、聞いてただろう。あの薄ら馬鹿の言葉を」
「汚い言葉はいけませんよ、シルヴィウス様。ユーゲン様はきっと、裏門で待ちぼうけをしていたために、苛々していたのです」
「じゃあ、君が襲われた件は?」
「それはその、私が……その、男性を誘惑するような、容姿をしているせいで……誤解を解かなかったのがいけないのです」
「それじゃあ、女は産まれながらに罪を背負ってるってことになる。こいつらは、女とみれば誰でも襲う獣だよ?」
「それは、言い過ぎです、シルヴィウス様。皆きっと、心に愛する者がいるはずです。ね?」
私が尋ねると、兵士の方々は顔を見合わせた。
そのどことなく浮き足だった様子に、私は深く頷く。
この国は、女神様の祝福を受けた国。
その地に住まう人々の心に、愛がないなんて、そんなことはあり得ない。
「お時間いただきまして、申し訳ありませんでした。私たちは陛下のお心のままに、東の地方に向います。必ず、荒れた大地を、放置された女神の神殿を、蘇らせてまいります」
「……さっさと行け」
部隊長は小さくそう言った。
それから「……なんだか、俺たちが悪人みたいで気分が悪い」とぼそりと続けて、背を向けた。
シルヴィウス様は「あーあ」と一言だけ言って、それから喋らなくなった。
私はシルヴィウス様が私の元から去っても、一人で東地方に行くつもりだ。
それが、誰かの役に立つのなら。
この国の人々の役に立ちたい。
聖女の力が、与えられてよかった。
悪女の娘として生まれて、今まで生かしてもらっていた私の恩返しだ。
この日のために、私は生かされていたのだろう。
太い木々と、様々な草がはえている森の入り口で、私は足を止めた。
「シルヴィウス様。樹海を抜けるのは大変なことです。ですので、ここでお別れでも構いませんよ」
「何をおっしゃっているのですか、聖女様。僕はあなたの護衛ですよ」
「ですが、シルヴィウス様。ただ選ばれたというだけで、命を危険に晒す必要はないのですよ」
「こんな僕でも、騎士ですから。一度決めたことは、曲げません。最後まで僕はあなたの騎士として、あなたに従います」
「……わ」
わぁ……! と、叫びそうになって、私は両手で口をおさえた。
そんなことを言われたのは、はじめてだ。
私の、騎士なんて。
「シルヴィウス様、ありがとうございます。ごめんなさい、慣れていなくて。なんだか、胸がふわふわして、くすぐったくなってしまって……」
「……まぁ、こっちの道のほうが、魔物が大量に出るだろうし。殺しがいがあって、楽しそうでいい」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
私は少し考える。
この丁寧で柔和なシルヴィウス様は、本来のシルヴィウス様ではないのかしら。
それとも、こちらが本来の姿で、怒るとあちらの冷酷で暴力的なシルヴィウス様になるのだろうか。
「あの、シルヴィウス様。気楽に、していてくださいね。私は、あなたの明け透けな話しかたが好きです。嘘がなくて、とても心が楽なのです」
「そう? 変わってるね、エフィ。品がないとか、粗暴だとかはよく言われる。これでも少し、矯正したのだけどね」
「ふふ、そうなのですね。では、矯正する前のあなたにもお会いしてみたかったです」
果てしなく広がる森を前にしても、あまり恐怖を感じなかった。
私たちのことを、女神様が見守っていてくださる。
それもあるけれど。
今は多分、シルヴィウス様と一緒だから、心強いのだろう。