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シルヴィウス・エチュアード 2



 あなたは私の神様だ──と、母は言った。


「大神官様のご慈悲であなたは生まれたのよ。あなたには神の力が宿っているの。女神様に祝福された子よ。きっと私に幸運を運んでくれる。きっと私たち幸せになれるわ、ルヴィ」


 そんなことばかりを、俺の顔を見るなり母は言う。

 夢見がちな女だったように思う。

 だがまぁ、夢でもみていないと、あんな場所では生きていけなかったのだろう。


「なんて可愛いの、私のルヴィ。あなたは女神の化身。きっと性別を間違えて生まれてきてしまったのよ」

 

 そして、母は俺を女として扱った。

 男など薄汚れている。女神様は女である。女神の祝福を受けた俺は女でなければいけないと。


 子供は能無し、母親は馬鹿だと、娼婦たちは俺と母を嘲った。

 やがて、母は死んだ。体にできものができて、美しかった顔は崩れ、高熱を出して。


 病がうつると言って、母は地下室に閉じ込められた。亡くなると、地下室の水路から運び出されて、街の外へと捨てられた。

 集団墓地の墓守が、穴を掘って遺体をその中に放り込んで埋める。

 遺体を転がしておくと、疫病が流行るからだ。


 娼婦の最後など、そんなものである。


「客をとれ、ルヴィ。お前の母の残した借金を、お前が払え。幸い、お前は女のように可愛い顔をしている。男色を好む客も多いからな、きっと母のように売れっ子になるぞ」


 アシッドメアリーの支配人によって、強引に客を取らされそうになった俺は、その客を殴り倒して娼館から逃げた。

 ベッドの横に置いてあった潤滑油入りの瓶で男を殴った瞬間、言いようのない開放感が俺を支配した。

 ──なんだ。クズどもは、弱いのか。


 だったら、さっさと皆を殴り飛ばして、母を連れて逃げてあげればよかった。

 こんな、最低な場所から。


「……母さんは馬鹿だな。女神なんていないのに」


 アシッドメアリーから抜け出して、夜道を駆けながら、俺ははじめてまともな言葉を呟いた。

 話せないわけではなかった。女たちの会話を、いつも聞いていた。

 ただ、声を出すのが嫌だったのだ。

 声を出すと、俺の体の中から何か大切なものが、こぼれていってしまう気がした。


 そしてそれは実際、俺を守っていてくれていたのだろう。

 もし声を出すことを選んでいたら、俺の唇からあふれていたのは女たちや男たちに対する罵倒ばかりだったはずだ。

 無力な子供だった俺が反抗的な態度を取ったら、あの場所ではきっと生きてはいけなかった。


 だがもう、母は死んだ。俺は一人だ。

 ──何が女神の化身だ。俺の体には神官家の証の紋様が浮き出ているが、それが女神への信仰心の証だとしたら反吐が出る。

 母さんは死んだ。ろくでもない人生だった。

 俺は──。

 自由に、生きてやる。


 誰にも、搾取されたくない。

 女神の化身たる聖女がいるこの国は、嘘と欺瞞に満ちている。

 女神の加護は、母にはなかったのだろう。そもそも、そんなものはない。女神などいないのだから。


 生きるために盗み、生きるために他人を傷つけた。

 だかそれも長くは続かなかった。

 衛兵に捕まり、神官長の息子だと騒いだら、大神殿へと連れて行かれたのである。


 そして、おそらくは実父によって処刑をされる間際に──それは、現れた。


 まるで、生き物のように刀身に血管のようなものが浮き出た、禍々しい形をした剣である。


『君は、シルヴィウス。ずっと待っていた。君は、僕の器』


 意味は理解できなかったが、魔剣は俺の体の中に入り込んで、俺を宿主にしたようだった。

 魔剣の封印がとかれたと、神官たちは大慌てで、無意味にばたばたと走り回る。


 それがなんだか滑稽で笑っていると、神官長が俺の服の首元を鷲掴んで、引きずりあげた。


「それは、神官家の至宝、魔剣イグノア。お前を処刑するわけにはいかなくなった。お前は、国のために働け、シルヴィウス」

「嫌だと言ったら?」

「拒否権はない。国を敵にまわして逃げ回るだけの人生を送るか、自由を保障されて国のために働くかだ」


 当然、拒否した。

 俺は暴れて逃げようとしたが、何人かを殴り倒したところで、増え続ける騎士どもに数の暴力で圧倒されて、懲罰房に入れられた。


 先ほどまで禍々しく輝いていたイグノアは、どういうわけかいなくなっていた。


「どうして消えた、役立たず」

『僕は魔物を屠るために存在している、魔剣なんだと思う』

「思うっていうのは?」

『僕は僕のことがわからない。覚えていないんだ。でも、人を傷つけることはできないみたいだ』


 イグノアは俺の体の中にいて、いつでも会話をすることができた。

 懲罰房にいる俺には、水も食料も与えられなかった。

 それでも耐えて、耐えて、十日目。


「……聖騎士団で働いてやる。神官長に伝えろ」


 そうして、俺は聖騎士になった。

 士官学校に入れられて、礼儀作法と勉強、文字などを教えこまれて三年。

 礼節をわきまえていない者は騎士にはなれないらしい。

 元々俺はやる気がなく、しょっちゅう反抗的な態度を取っては懲罰房に入れられて、飲まず食わずの罰を受けたが、それでも一応は卒業をすることができた。

 

 そして、徐々に増えていく魔物たちから王都を守るための、聖騎士になった。


 エフィミアのことを知ったのは、それからしばらくしてのことだった。


 王都の外に出没する魔物を、野営地にて狩っていたある日のことである。

 俺はできる限り、イグノアを使わなかった。

 普通の剣でも十分に魔物と戦える。イグノアを使うなんて、勿体無い。


 どうして俺がそんなサービスをしてやらなきゃいけないんだと思っていた。

 だが、その日は相手が悪かった。

 

 空を埋め尽くしたのは翼竜ガルリウスの群れで、翼竜たちの真っ只中に跳躍して躍り出た俺は、いつもの剣を抜いて翼竜たちに切りつけた。


 地上からは、弓が飛んでくる。翼を射られて、落ちた翼竜を騎士たちが取り囲む。

 俺も翼竜を足場にしながら、その首や爪を、切り飛ばしていた。


 油断したわけではないが、一匹の竜が俺の肩にかけていたマントを咥えて、俺を地上へと弾き飛ばした。

 イグノアのおかげで身体能力があがっている俺は空中で姿勢を立て直そうとしたが、別の翼竜が俺の胴体を食いちぎろうとしてくる。

 それを避けたところで、もう一頭の竜の尻尾が、俺に叩きつけられた。

 衝撃に一瞬意識を失いながら、イグノアを呼ぼうとした時である。

 

「還りなさい!」


 可憐な声が響き渡り、翼竜たちの体に植物がまとわりついた。

 植物からは美しい花が咲き、そうして、翼竜たちを──全て、浄化した。


「……聖女?」

「大丈夫ですか? 痛いところはないですか? 遅くなってしまってすみません……今、傷をみますからね」


 騎士たちが、口々に「猛毒姫」だと口にしているのが聞こえる。

 けれど、俺の耳にはそんな言葉は届いていなかった。


 女神なんて、いない。

 けれどはじめて、本物の女神を見たような気がした。


「騎士様、大丈夫ですか? 傷薬がありますので、傷をみましょう」


 美しい黒髪に赤い瞳をした少女が、地面にどさりと落ちて倒れた俺を、覗き込んでいた。



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