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シルヴィウス・エチュアード 1


 ◇


 深く目を閉じてすやすや眠る姿は、実に平和だ――と、俺はエフィミアを眺めながら考える。

 すっかりエフィミアに懐いたらしいイグノアは、おたまじゃくしみたいな体をまるめてエフィミアの傍で眠っている。


 魔剣とは眠るのだなぁ。この短時間でエフィミアに懐きすぎじゃないだろうか。

 俺といるときはずっと剣の姿だったのに、イグノアは剣に戻る気はないらしい。


「うーん。……剣に、嫉妬?」


 馬鹿馬鹿しいと思って、俺は肩を竦めた。

 エフィミアがつくってくれた残りの葡萄酒を飲みながら、周囲に視線を走らせる。

 

 おやすみと言ったあと、エフィミアはすぐに眠った。

 驚くほどの安眠だった。俺はそもそも眠るつもりはあまりなかったから、エフィミアを休ませるために寝たふりをしたのだけれど。


 エフィミアは馬鹿がつくほど優しくて騙されやすいいい子だ。

 この短い間で――もちろん、その前から俺はエフィミアを知っていたわけだけれど。

 俺が思っていたよりも十倍は危なっかしいいい子だと理解してしまった。


 俺は眠りが浅いし、そもそもあまり眠れない。

 そんな俺に気づかって、エフィミアはきっと俺が眠るまで起きているつもりだろうから――さっさと休んでもらったというわけだ。


「……美味しかったなぁ、ご飯」


 草で編まれたベッドの寝心地は最高で、雨よけの日よけまでついている。

 草が垂れ下がっている日よけの先からは夜空が見える。


 ランプ草の明りがぼんやりとあたりを照らしている森は幻想的で、夜空からは今にも星が零れ落ちて世界を満たしてしまいそうだった。


「お酒も美味しいし」


 このままここで住んでもいい。本当に、そう思う。

 人が多ければ多いほど、苛立ちが募る。

 エフィミアのような善良な人間と二人ならばその苛立ちは消えてなくなってしまうだろう。

 なくなるだろうか。


 ――本当に?


「まぁ、ここに残ると言っても、エフィはだったら一人で行くというだろうし」


 どこまでも善良であるがゆえに、エフィミアは信仰に対してもとても真摯だ。

 女神など――いないだろうに。


 本当にいるとしたら、それはきっとろくでもないものだ。

 

 俺は最後の葡萄酒を全て飲み干して、ごろりと横になった。

 二つベッドが並んでいて、草のベッドの至る所から花が咲いている。

 特にエフィミアのベッドは、恐らくはエフィミアの聖女の力があふれでているのだろう。エフィミアを包み込むように、様々な花が咲き乱れている。


 その中で俺の方を向いて目を閉じているエフィミアは、起きているときにはその善良でお馬鹿さんな中身に反して、妖艶な美人だ。

 けれど、眠っている時は、あどけない少女の面影がある。

 

 黒く長い睫毛、小さな口に、ふっくらとした唇。つるりとした肌にかかる、艶やかな黒髪。

 黒い髪と赤い瞳とその美しい容姿は、彼女の母の血を色濃く継いだのだろう。

 俺は、経国の毒婦の顔を見たことがないけれど、隣国の王を骨抜きにしたほどに美しい女性だったのだという。


 俺の母も――そんな女だった。


 母の出自はよく知らない。俺が物心ついたときは当然だがすでに娼婦だった。

 娼婦が子を産んでそのまま娼婦を続けたのである。


 アシッドメアリーという娼館は、歓楽街ソドムの中では一番大きな娼館である。

 多くの娼婦を抱えていて、その多くの娼婦のほとんどが――借金を背負っていた。


 借金を背負わずに娼婦になるような女はまずいない。

 道楽で娼婦をするなどはよほどの物好きだ。

 

 普通は――親に売られたとか、借金のかたに夫に売られたとか、恋人に売られたとか。

 ともかく、総じてろくでもない事情を抱えているものである。


 借金だけを背負わされ、無一文で娼館に入れられた娼婦たちは、元締めたちから金を借りる。

 そうしないと生きていけないし、客をとるために着なければいけないドレスや下着さえ買うことができないからだ。


 当たり前だが、みすぼらしい女になど客はつかない。

 借りた金で着飾り、化粧をして髪を整えて、一晩中働いて稼いだ金は借金の利息の一部にしかならない。

 

 そこは牢獄だ。一度落ちたら、抜け出すことなどできない。

 ――最後には病気になって、死ぬしかないような場所だ。


 物心ついたときには、布団部屋に転がされていた。

 クラリッサは美しい女で、客が多くついていた。

 俺に構うことなどできず、俺を育てたのは仕事のない女たちだ。


 その中には売れっ子のクラリッサを憎んでいる女もいて、蹴とばされたり叩かれたり、髪を引きちぎられたりもしたが、人から構われるようなことが少なかったために言葉もろくに喋れなかった俺は、意味が分からないまま常にぼんやりしていたように思う。


『クラリッサの子は、頭が足りないのよ』

『母親も頭が足りない馬鹿だもの』

『顔だけだものね、あの女』

『馬鹿な女だわ。だって、この子を神官長の子だと言っているのよ。大勢の男に足を開いているくせに、誰の子かなんて分かるわけがないじゃない』


 クラリッサの悪口を、俺はきくともなしに聞いていた。

 俺の前でそんなことをいってげらげら笑う女たちは――皆、薄気味悪い化け物に見えた。





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