シルヴィウスの過去の話
シルヴィウス様は驚く私を見ながら、悪戯が成功した子供のようにへらへらと笑った。
「あんまり、似ていないでしょう?」
「はい。あんまり、似ていないです」
「俺の方がいい男だからね」
「ええと……美醜の好みは人によると思いますが、シルヴィウス様は綺麗なお顔をしていらっしゃいますね」
「格好いい?」
「格好いいです」
「そうでしょう、そうでしょう」
満足げに頷いて、シルヴィウス様はにこやかに微笑んだ。
私はじっとシルヴィウス様の綺麗な顔を見つめる。
──今のは、悲しい話ではなかったのかしら。
シルヴィウス様はなんでもないことのように笑っているけれど。
もしかしてシルヴィウス様が女神様を信じていないのは、そのお生まれに理由があるのかもしれない。
私は娼館に行ったことはないけれど、娼婦の方々の暮らしは知っている。
神殿には信徒様たちがくる。ある程度のお心づけをいただいた場合は、神官様たちが懺悔を聞いてその罪を女神様の名のもとにお許しくださるのである。
けれど──そういった方々は『穢れ』と呼ばれて、門前払いされることがほとんどだ。
私は彼女たちが心配で、私だということがばれないように顔を隠してこっそり食べ物を分けたりしていた。
私の力で生み出した食べ物を分けると罪になるかもしれないから、森に入ってとってきた果物や、その果物で作ったジャムやケーキなどの保存食がほとんどだったけれど。
彼女たちは、そういう時によく身の上話をしてくれた。
それは大抵、悲惨なものだった。
私の境遇など、たいしたことがないと思えるほどに。
「……シス様は、ご苦労なさっているのですね」
「苦労話をしたいわけじゃないよ。エフィが聞いたから、答えただけ。他に質問はあるかな、聖女様」
「シス様が聖騎士団に所属していたということは、前神官長様はシス様を息子として育てられたということでしょうか」
「違うよ。母が死んだのは、十二歳の時だったかな。俺はずっと、アシッドメアリーの中で育てられてた。けれど、母が死んだ以上は誰も俺の面倒を見ることができない。それに、十二歳なんて、もう働ける年だからね」
私は頷いた。貴族かお金持ち以外は大抵の場合は十五歳程度になれば働きに出るのが普通だ。
十二歳は少し若いけれど。
「男娼になるか、出ていくかを選ばされてね。ほら、俺の顔、綺麗だから。男娼になっても結構人気が出たんじゃないかな」
「だ、だんしょう……」
「体を売る男のことだよ?」
「違います、ご苦労をなさっている男性のことです」
「では、そのように、聖女様」
私の残したご飯を、イグノアさんがもぐもぐ食べている。
シルヴィウス様のお話に悲しい気持ちになりながら、私はイグノアさんを撫でた。
ぷにぷにしていて、心が落ち着く。
イグノアさんはどういった名前の動物なのだろう。
おたまじゃくしに似ている。
「まぁ、その時の俺は──男娼なんて冗談じゃないと思った。だから、娼館を出て──っていっても、金なんてない。だから適当に盗んだりなんだりして生きていたんだけど。そのうち、聖騎士団の連中に捕まってね」
「盗みはいけないことですよ」
「そうだねぇ。でも、そうしなきゃ生きていけない場合はどうしたらいい?」
「真っ当に、働けば……」
「エフィちゃんて、馬鹿だね。自分も搾取されてたのに、搾取階層の奴らに頭をさげて働けって? 嫌に決まってるよね」
シルヴィウス様はキングサーモンサンドの残りをばくばく食べた。
それから「おいしいね、お嫁さんになる?」と尋ねてくる。
不思議な人だなと思いながら、私は「女神様にお仕えしているので、結婚はできません」とお断りしておいた。
シルヴィウス様は苦笑しながら「そのうち結婚したくなるよ、俺と」と冗談めかして言った。
「まぁ、それで、ね。聖騎士団の連中相手に、俺はディールムントの息子だって大騒ぎしたわけ。エフィちゃん、知ってる? ディールムントの──エルヴィル家の血筋には、女神に仕えるものの証として、体に証が現れるんだ」
「証?」
「そう。俺にもそれがあってね。ほら」
シルヴィウス様は着ているシャツを大胆に捲った。
確かに、その胸の左上には印がある。それは、焼印を押されたかのように肌の上にうかびあがっている。
四枚の翼を持つ蛇の姿をしている。
それは、エルヴィル家の証である。大神殿で見たような気がする。確か、アルベド様の衣服に描かれていたような記憶がある。
「痛くはないのですか?」
「生まれつきあるから、別に痛くはないよ。それよりももっと、何かないの?」
「何か?」
「男の裸を見て、恥ずかしいとか、そういった感情を期待していたんだけど」
「男性の裸は恥ずかしいものなのですか?」
例えば女神様や、その女神様に信仰を捧げる神官たちの絵を描く時、大抵の場合は裸婦像である。それは礼拝堂にあったので、見慣れているといえば見慣れている。
「ふぅん。そのうち分からせてあげるね」
「シス様?」
「まぁいいや。で、証を見た騎士たちは流石に見過ごせなくて、ディールムントに連絡をしたんだ。俺は大神殿の奥にある懲罰室に連れていかれてね」
「懲罰室に……?」
父子の感動的な再会になった、というわけではなさそうだった。
嫌な予感がして、私はイグノアさんをぎゅっと抱きしめた。
イグノアさんは『エフィ。なぜ腕の中に拘束する?』と尋ねてきたけれど、お返事ができなかった。
「懲罰室で、嘘つきな俺は処刑をされるはずだったんだけど」
「そんな……」
思わず、悲鳴じみた声が出た。
ディールムント様は、どうしてそんな酷いことをするのだろう。
だって──自分の子なのに。
「誉れ高きエルヴィル家の血筋を騙る盗人め……! っていう感じで。ディールムントは焦っていたよ。俺がいることを、皆に黙っていたんだろうね。それで、縄に打たれて処刑をされる寸前に……」
『僕が現れたんだ』
私の腕の中から、どこか得意気にイグノアさんが言った。
『僕はね、多分ずっと、神殿の地下に封印されていたんだよ。封印? 保管、かな。ともかく、長い間ずっと暗い部屋にいた』
「イグノアさんというのは、どういう存在なのでしょう?」
「早い話が、意思をもつ剣だね。エルヴィル家の家宝の一つ。遠い昔に女神と共に悪しき魔王を討伐した勇者の持っていた剣という話だけれど」
「勇者様が持っていたのに、魔剣?」
「魔力を宿した剣だからじゃないかな」
「そうなのですか、イグノアさん」
『僕は僕のことをよく知らない。ただ、シスの気配を感じて眠りから覚めた。僕はシスと繋がって、シスの剣になったんだよ』
イグノアさんは、少年のような声でゆったりと説明してくれる。
私はイグノアさんのまんまるい頭を撫でた。
「つまり、イグノアさんはシス様が好き、ということですね」
『好きとは?』
「違うと思う。まぁ、俺にもよく分からないんだ。イグノアの力で、俺は常人離れした身体能力を手に入れた。魔剣イグノアの目覚めで、大神殿は大騒ぎになって、俺の存在も明るみになった」
「では、処刑されなくて済んだのですね!」
「生きてるからね」
「よかった!」
「……ディールムントは俺をただの孤児として扱うことに決めたようだけれど、俺が婚外子ということは知っているものは知っていた。エルヴィル神官家の家宝を持つ俺は、それから聖騎士として働きはじめたというわけ。本当は追い出したかったろうし、邪魔だっただろうね」
シルヴィウス様は肩をすくめた。
いつの間にかシルヴィウス様はご飯を食べ終わっていて、イグノアさんが使い終わった食器を汚れたまま口の中にもぐもぐと押し込んだ。
「イグノアさん、食器……!」
『しまっている』
「洗わないと……」
『僕の中に入れると、新品に戻る。戻るらしい。シスが言っていた』
「そうなんですか?」
「そうだよ。便利でしょう?」
一体どういうことなのだろうと思ったけれど、そういうものとして私は自分を納得させた。
確かにとても便利だ。
「そんなわけで、俺は聖騎士団で好きなように暴れても懲罰程度で済んでいて、追い出されたりはしなかった。でも、今回は──君の巡礼の旅の護衛をしろと命令された。つまり、追放だね。俺は構わなかったよ、エフィをまともに守ることができるのは、俺ぐらいしかいないだろうし。もちろん、エルヴィル家は俺なんてどこかでのたれ死ねと思っているだろうけど」
「シス様……!」
私は思わず立ち上がった。
シス様のようなご苦労をされている方が、さらに辛い思いをするなんて間違っている。
「どうしたの、エフィ?」
「私、決めました!」
「決めた?」
「はい! 楽しい旅路にしましょう……! 巡礼の旅とはいえ、旅は旅です! 旅とは楽しいものだと、聞いたことがあります!」
両手を握りしめる私を、シルヴィウス様は訝しげな顔で眺めている。
「楽しい、旅」
「はい。楽しい旅です。私、楽しい旅がどんなものかよく分からないのですが……例えば、そうですね、温泉旅行のような……!」
「エフィ。温泉って、何か知ってる?」
「はい。王都の……その、道に落ちていたガイドブックで見たことがあります」
買い出しに出かけた時に、捨てられていたパンフレットを見たのだ。
温泉というものがこの国にはあって、それは暖かいお湯が際限なく溢れてくる場所なのだという。
気持ちよさそうと思ったことを覚えている。
「ですから、シス様。シス様が旅を楽しめるように、頑張りますね!」
「どうしたの、急に」
「そうしたいと思ったのです。だめですか?」
「だめじゃないけど」
シルヴィウス様は欠伸をして、それから蔦のベッドに横になった。
ひらひらと手を振られて「おやすみ、エフィ」と言われる。
誰かにおやすみと言われたのははじめてだ。
「おやすみなさい、シス様……!」
「うん。おやすみ」
妙に気合の入った声で返事をしてしまったけれど、シルヴィウス様は私を笑ったりしなかった。




