序章:猛毒姫、巡礼の旅に出る命令を受ける
朝の眩しい日差しが小さな窓から降り注いでいる、本日は絶好の巡礼日和――。
私は旅装束の聖女服を着て、トランクに路銀や着替えをいれて、皮のブーツをはいて準備を整えた。
最後に自分の姿を窓にうつして、おかしなところがないかを確認した。
窓には真っ直ぐな黒い髪に赤い瞳をした、どちらかというと妖艶な女の姿がうつっている。
自分で妖艶というのもなんだけれど、私の容姿というのは、傾国の美姫と言われたお母様のものを受け継いでいるので自画自賛も致しかたなし。
ちなみに美姫は褒め言葉だけれど、傾国は悪口である。
それもそのはずで、私のお母様はこの国──シュテルハウゼン王国の十二番目の姫だった。
隣国に嫁ぎ、第四妃となった。
隣国との友好の証である。つまりは、人質のようなものだ。
そこまではよくある話。
そこからがお母様のすごいところで、お母様はその美貌と手練手管により隣国の王を骨抜きにしたらしい。
隣国の王は、お母様のいうことならなんでも聞くといった有様だったようだ。
国費を湯水のように使い贅沢をし、気に入らない官司をクビにして、挙句投獄までしてやりたい放題だった。
お母様のせいで国は荒れに荒れた。結局お母様は、秘密裏に処断されることになった。
そのころの記憶は私にはないから、人伝にきいた話だけれど。
お母様は毒を飲まされ命を落とした。けれど、死ぬ間際に呪いの言葉を残した。
『エフィミアを国に帰しなさい。もし殺したりしたら、私はこの国を呪い続けて必ず滅ぼしてやる』
エフィミアとは、私のことである。
私は隣国の王とお母様の間に生まれた。お母様が処断された時にはまだ三歳。
お母様の呪いを恐れて、隣国は私をシュテルハウゼンに帰した。
どうも、隣国ではお母様は『魔女』であるという噂が流れていたようだ。
お母様が亡くなると、隣国の王は夢から覚めたように正気を取り戻したというのだから。
まぁ、これは人から聞いた話なので、どこまで本当なのかはよくわからない。
ともかく私──国に帰されたものの誰にも受け入れてもらえずに孤児となったエフィミアは、行き場がなく王都の片隅にある小さな神殿に預けられたというわけである。
「さぁ、行きましょう」
住み慣れた神殿の、ベッドと洋服ダンスが一つだけある部屋を出る。
もうきっと、神殿に帰ってくることはないだろう。私はこれから、長い長い巡礼の旅に出るのだ。
◇
「猛毒姫が来たわ」
「猛毒姫が聖女なんて、あり得ないわよ」
「見て、あのはしたない姿」
「男を誘うような顔立ち」
「何人もの神官様たちと一夜を共にしているらしいわよ。その上、信徒たちとも関係を持っているとか」
「お金を貰っているのよね」
「娼婦だわ」
私が旅に出ることになる数日前の話である。
私の暮らしている神殿の神官様から「聖女エフィミア、大神殿からの呼び出しをうけている。すぐに向かいなさい」と唐突に言われた。
言われたとおりに大神殿に向かい、大神官アルベド様の前に進み出る私に、こそこそと聞こえよがしの悪口が向けられる。
大神殿に勤めているシスターたちが私の噂をしているのだ。全部、事実無根だけれど、いつものことなので私はあまり気にしていなかった。
(それにしても、猛毒姫。猛毒は悪口だけれど、姫というのは誉め言葉だわ……)
傾国の美姫と同じ。二つ名においても私はお母様に似てしまったらしい。
隣国で毒殺された悪女の娘である私は、皆から猛毒姫と呼ばれていた。
といっても、全身から猛毒を撒き散らしているわけでもなければ、蛇のように牙から毒を吐くわけでもない。
そんなことができたら、楽しかったのでしょうけれど。
猛毒姫の由来は、お母様が毒殺されたからである。
隣国で処断された姫など、すでに王家の名簿からは抹消されている。だから私は姫ではないが、猛毒姫と言ったほうが語感がいいのだ。きっと。
お母様の処刑が理不尽なものであれば、シュテルハウゼンの王家も怒っていたのだろうけれど。
なんせ嫁がせた姫が国を乱したのだから、母の存在はシュテルハウゼン王家の恥である。
だから私は、一応は王家の血をひいてはいるものの、王家から抹消された女の子供であり、隣国の王からも見捨てられた子供であった。
とはいえ、嫌われてはいたけれど、さほど不自由はしていなかった。
私が預けられた小さな神殿では、仕事をすれば食事が与えられる。
草むしりや、掃除や、洗濯。買い出しの手伝いや、信徒様たちのおもてなしなど。
誰も私に話しかけなかったし、「猛毒姫」と陰で呼ばれてはいたけれど、寝る場所と食べるものと着るものがあるだけありがたいことだ。
だって私は、悪女の娘なのだから。
そんな悪女も、私のことは大切にしてくれていたのかもしれない。
記憶はないけれど、助命を求めてくれるぐらいだ。
──だから私は恵まれている。
神殿に預けられたのがよかったのだ。女神様は私を見てくださっている。
日々の食事や寝る場所に困らない生活を与えてくださったのだ。
そんなふうに思いながら、日々を過ごしていた。
聖女の力が発現したのは、十五歳の時。
聖女とは、魔物を浄化する力をもつものの総称である。
あの日、神殿の庭に死にかけた魔物が迷い込んだ。
マルムリスと呼ばれている両手で抱けるぐらいの大きさの、可愛い姿に似合わず凶暴な魔物だ。
誰かに討伐され損ねて、逃げてきたのだろう。
神殿の神官様たちは大慌てで逃げ惑い、すぐに包丁やら剣やらメイスやらの武器を持って集まってきた。
私はなんだか死にかけのマルムリスが可哀想になってしまって、向けられる凶器から庇うように、マルムリスのふわふわの体に手を伸ばした。
「猛毒姫、何をしているの!?」
「やはり魔女の子だわ、魔物を助けようとするなんて!」
普段は私と話をしようともしない神官様たちが、私を叱責する。
その時、それは起こった。
マルムリスに触れた私の手のひらが輝いて、マルムリスの体を植物で包み込んだ。
それは、色とりどりの草花でできた鳥籠か、檻のようだった。
マルムリスは、草花の鳥籠の中で安心したように体を丸めて目を閉じる。
光がおさまり草花の鳥籠が消えると、その中にいたマルムリスの姿は、どこにもなかった。
「聖女だわ……」
「猛毒姫に、聖女の力があるなんて……」
神官様たちは、目を見開いてあり得ないことだと繰り返した。
この日から、私は聖女になったのである。
だからといって、私の生活が変わるわけではなかった。
いつもの掃除や洗濯や料理、買い出しなどに、魔物を浄化する仕事が加わっただけだ。
私は神官様たちに言われるままに、騎士団や傭兵が討伐したあとの魔物を浄化してまわった。
魔物をそのままにしておくと、土地が汚染されてしまう。
汚染された土地には魔物が集まりやすくなる。
だから、浄化は大切なのだ。聖女の力であれば魔物の浄化ができるし、汚染された土地の浄化もできる。
王都の聖女は、私だけしかいない。だから、毎日寝る暇もないぐらいに忙しかった。
そんな日々が三年ほど続き、本日突然大神殿から呼び出しがかかったというわけである。
大神殿とは各地の神殿の総本山のようなものだ。王都の中心地にそびえたっている、荘厳な建物である。
私は言われるがままに門扉をくぐり、見上げれば首が痛くなり、見渡せば眩暈がするほど広い礼拝堂の奥に進んだ。
礼拝堂の奥には、銀の髪に青い瞳をした女性のように美しい男性、アルベド神官長様がいらっしゃる。
遠目にしか見たことのない美貌は、近くで見るとなおさら光り輝いて見えた。
私に向けられる悪口も聞こえなくなるほどに、私はとても緊張していた。
「エフィミア。このところ、魔物の被害が増えていることは知っているな」
「はい」
厳かにアルベド様が言葉を紡ぐ。
確かにアルベド様の言うとおり、王都近郊の魔物の被害は増え続けていた。
騎士団の方々は寝る間を惜しんで討伐を行い、私も休みなく浄化を行っていたけれど、追いつかないぐらいには。
「このままでは人々の暮らしは魔物に苦しめられるばかりだ。魔物に汚染された土地では、作物は育たなくなる。魔物に殺されるか、飢餓で死ぬか、どちらがはやいかという状況になりかねない」
「それは、悲しいことです」
「そこで、君には巡礼の旅に出てもらいたい。各地にある女神の神殿で祈りを捧げて浄化を行いながら、北の果てにある女神の聖地を目指してもらう」
この国は女神レキサンヌ様が降り立った、レキサンヌ様の加護を受けた地だ。
各地にある女神の神殿で聖女が祈りを捧げると、女神の神殿の周辺一帯の地域の魔物の出現を押えることができる。
そして、女神の聖地で祈ることで、活発化した魔物を鎮めることができるのである。
そう――言われているけれど。
私のような、聖女であっても悪女の娘のような者には、そんな役割は相応しくないと思っていた。
「もちろん、旅に出る聖女とは君だけではない。巡礼の旅は過酷だ。命を落とすこともある。そのため、大神殿からもユリエラが、巡礼の度に出ることになっている。だが、ユリエラに何かがあったときは君が、女神の聖地まで辿り着いてほしい」
そこで、誰かがくすくす笑った。
ユリエラ様とは、大神殿の奥に隠されている大聖女様である。
王都の聖女は私一人だ。これは正確には、浄化を行う聖女が私一人という意味である。
ユリエラ様は滅多に顔を見せることはない。
そのお力は私とは比べものにならないぐらいに強いというお噂で――生まれたときから浄化の力を持つ聖女だったのだという。
元々は孤児だったらしい
あまり詳しい出自はしらないけれど、「同じ孤児なのに、大神殿はユリエラ様を庇護していて、私たちは猛毒姫とは。とんだ貧乏くじだ」と、私の住む神殿の神官様たちが言っていたので、ユリエラ様が孤児というのは本当なのだろう。
「やっぱり、おまけだわ」
「猛毒姫が、巡礼の旅なんて名誉な役割を与えられるわけがないと思ったけれど、ユリエラ様のスペアね」
「いてもいなくても同じ」
「可哀想に。でも仕方ないわよね、だって悪女の娘だもの」
なるほど、私はユリエラ様のおまけらしい。
けれど――立派な聖女であるユリエラ様のおまけになれるなんて、名誉なことだ。
こんなに名誉な仕事を受けられて、人々の役に立てるなんて――。
私は、恵まれている。
「謹んでお受けいたします」
深く平伏して、私はこたえた。
アルベド様は「行ってくれるかエフィミア。聖女は戦う力を持たない。護衛をつけよう」と言った。
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