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ワードキャンセリング

作者: 夕菅 星奈

 荒々しい足音とともに母が僕の部屋に入ってきた。


「ほら、起きなさい。____________________。もう学校に行く時間まで十五分よ。_____________________。________、__。」


 僕は何語かわからない返事をして、「起きていますアピール」をした。母はあきれたように部屋を後にしたのを横目に僕は重い頭を持ち上げた。ベッド上にある寝落ちして充電されていないスマホを手に取り時間を確認した。学校に行く時間まであと十七分であった。身支度に四分、朝ごはんを食べるのに三分、きょう提出の宿題をやるのをあきらめれば充分寝ることができる。それに、夏が終わってやる気満々な布団が僕を読んでいるような気がした。僕が布団の誘惑に負けかけたとき、騒々しい母の足音が聞こえたため慌てて飛び起きた。


 頭を急に持ち上げたため「ワーキャン」が音を立てて床に落ちた。


「もう、起きなさい。高校生にもなってこんなんじゃ見っともない。もう学校に行く時間まで十分もないわよ。単位落として留年でもするんじゃないの。」


 起きたからあっち行け、と言いながら僕は慌ててヘッドホン型のワーキャンを拾い上げ耳に覆いかぶせた。


「________、__。」


 そして母は、ふう、と一息つき台所に向かった。


 身支度を済ませダイニングテーブルに座って母が不機嫌そうに置いた端が少し焦げたトーストを口に押し込みながら思う。やはり「ワーキャン」は必要不可欠だと。


 ワーキャンは数年前に開発されたガジェットの一つで正式名称はワードキャンセリング機能。セクハラ・パワハラ、悪口・陰口、嫌味・皮肉が無くならない現代、自分が不快に思う言葉や表現を聞こえないようにすることは必要不可欠だと考え、ノイズキャンセリングからヒントを得て作られたらしい。


 ワーキャンは主にヘッドホンに付けられていて、ヘッドホンの使用者の脳波を読み取り、使用者が不快に思うものを収集する。集まったデータをもとに使用者が聞きたくないであろう言葉や表現を確定させ、周りの話し声からそれらの言葉と表現が出たならばその言葉の音を消してヘッドホンを付けている本人は耳に入らない仕組みになっている。


 あくまでも言葉や表現が聞こえないだけなため、口を動かしているのはわかり相手がしゃべっているのはわかってしまうが嫌なものを聞かないでおけるのは精神衛生上とてもよろしいと僕を含めた世間一般にはありがたい存在である。


 これが開発された当時では大きな話題を呼んで誰もがいち早くワードキャンセリング機能の付いたヘッドホンを手に入れようとして家電量販店に多くの人が押しかけていたのを覚えている。その後売り出されたヘッドホンにワーキャンが付くのは当たり前となった。今ではワードキャンセリング機能の付いたヘッドホンを「ワーキャン」と犬が騒いでいるようないささかダサい略称で呼び、一人一つワーキャンを持つほど浸透していった。


 朝ごはんを終えて僕は家をでた。家を出るときの持ち物はリュックとスマホと、もちろんワーキャンだ。僕が通っている高校は歩いて十五分ほどのところにある。家を出てしばらくすれば同じ制服を着た生徒が友人と話しながら歩いているのをあちらこちらで見ることができる。誰も彼もワーキャンを付けている。


 学校に近づくほど同じ高校の人の会話は聞こえてくる。聞こえるとは言ってもその大部分は聞こえない。僕はワーキャンを着けてから他人の会話をしっかり聞いたことはない。ワーキャンが他人の日常会話を不快に思っていると解釈したのだろう。たしかに人の会話というのは時々自分を不安にさせる。



「____じゃなくて______、_____。」「この前____が_____、___。」「ここだけの__、_______。」「今日の_______けど、まあ_______。」「_______でしょ」「ねえ、______て……」「________や____。」「______、ていうのは______。」「______!」「明日________。」



 ワーキャンによって気分を邪魔されない僕はやっと教室についた。学校についてからもワーキャンを外すことなく授業を受けた。ときおり先生の声が聞こえなくことがあるがきっと自分にとって不快となる言葉であったのだろう。


 学校についてから友達もいないので誰とも話すことなく六時限目も終わり、空は赤みかかっていた。学校に残っていてもやることのない僕は足早に帰ることにした。


 しかし帰り道に問題は起こった。学校を出るまではよかったのだが校門を出てすぐワーキャンの電源が切れた。昨夜の充電はしっかりできていて、あと三日は持つはずなのに急に動かなくなったのは故障だろう。故障に違いない。かといって故障だ故障でないは問題ではなく、ワーキャンを使えないというのは一大事である。残りの通学路、数百メートルを誰かの話声を聴きながら歩くのは非常に苦痛だ。現に左右から流れ込む有象無象の言葉たちが僕の心を押しつぶしている。



「今日はアボリンベンドをしてこようかな」「ちょっバイてきす」「黒肘可夢偉がJGBのリーダーだって」「うぃらぁ、バラニスで傍眼を持ってデリとしてた」「こりゃおっつかっつなできまえや」「明後日、フェニル神話によると白昏時に辛煮るみを食べるといいらしい」「しまった、MSIOとの取引だった!」「こは、なでふことをのたまうぞ」「ウプス、アムソリ!」



 現代で無くなることのないものはパワハラ、セクハラ、皮肉、悪口だけではない。あまりにも増えすぎてわけのわからない用語、略語、俗語、口語、外語。これらは聞こえているのに意味が分からない。


 意味が分からないなら流せばいいのだが、流れている量が多いと大切なものを自分だけが取りこぼしているように感じられるのだ。意味が分からないものを調べようともした、教えてもらおうともした。でもネットには載ってないことも多く、人に聞くと一般常識を知らない人とバカにされて教えてもらえるどころでなくなってしまう。


 僕たち現代人はその苦痛に耐えられなかった。だからこそ嫌なものを聞かないでいられるワーキャンは誰もがつける必需品となったのだ。


 僕は流れ込む言葉の流れを押し分けて歩いた。早く家に帰ってこの場から抜け出したい。そう思うほど自然と早足になっていった。


 あと数十メートルでゴールが見えてきたとき、ふいに声がかけられた。声をかけたのは中学校時代にクラスメイトでそこそこ仲もよく会話もしていたPであった。


「はいぬね、どうだい最近ソラリスムのフェデエアは妙ちきりんかい。」


 僕は何を言っていいかわからなかった。それなのに、


「しづでや、こっちはウェベラーンで釈童なもんだ。今度、KKFのなりをジャェルしようか。きっと、スンダるよ」


 自分がまるで分り切った者だと見せたいために口走った。Pは「そうかい」といってそれきり顔も合わせず立ち去った。僕はうつむきながら自分の帰路に戻った。


 単語の大体は造語です。

 この小説を読んでいただきありがとうございます。では、またどこかで。

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