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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜の海、夜の中

作者: a

***

 気が詰まって、息が苦しい。

 呼吸が、出来ない。


 ……いやいっその事。

 呼吸を止めてしまいたい。

 そうすれば、このノイズから解放されるのだろうか。

***



 鬱屈に溺れてしまいそうになる夜がある。

 そんな夜、僕はそっと布団を抜け出して釣り道具を抱えて家を出る。


 夜道を自転車で一気に駆け抜けると、そこはもう港だ。

 


 夜の海は微かに磯臭く、それでいて穏やかだった。

 自転車を駐車場の隅の、他人の邪魔にならない位置に停めて、僕はいつもの場所へと向かった。




「今日はいないか」

 この港にはふてぶてしい面構えの(すけ)さんという名の猫が住んでいる。

 大して可愛くもない、それどころか眼光するどい強面の猫ではあるけれど、何故か港で働く人や釣り人に可愛がられている猫だ。

 随分と可愛がられているせいか、少々肉付きがよくて可愛らしさの欠片もない、そんな茶トラの猫である。

 僕も可愛くないと思いつつも、こうやって港にくると様子見に訪れているのだから不思議なものだ。

 ……まぁ今日はいなかったわけだけど。



 僕は気を取り直して、この港のお気に入りの場所へと向かった。

 別に助さんに会いにきたわけでもないのだ。


 今日も周りには誰もいない。

 それも当然の事で、港のこの場所は釣れない事で有名な人気(ひとけ)のない不人気釣りスポットなのだ。

 けれど人が寄り付かないという事は、僕にとっては大きな価値がでてくる。

 僕は、釣竿を組み立てると、ルアーをつけてさっさと海に投げ入れた。



 喧騒から離れた夜の海は静かで落ち着く。

 目を閉じて、波の音に耳を澄ませながら、波に揺れる糸や竿の感覚を手や指先に感じとっていると、自分も一緒になって闇に揺蕩(たゆた)う心地を味わえる。

 そうしていると、ゆっくりと心が解れていき、ささくれ立った精神や沈み込んだ気持ちが落ち着き、自分の中が凪ぎの状態に戻っていけるのだ。

 これは今の僕にとって、とても必要な事で必要な時間だった。



 そんな僕の平常に戻るための大切な手続きをしている最中の事だった。



 「……釣レますカ?」

 突然、左隣から声をかけられた。

 釣れない場所で有名で人気(ひとけ)がないといっても、人が全く来ないわけでもない。

 今までだって、こんな辺鄙な場所にまでやってきて釣りの情報収集に声をかけてくるような、話し好きの釣り人の爺さんだって何人かいたのである。

 だから、声をかけられるという事自体は不思議な事でもないのだ。

 けれど……。


 「……釣レ、マすカ?」

 この人は何かおかしい。

 

 突然ドロンと横に現れたような……そんな奇妙な錯覚を覚える程に、気配も何も感じなかった。

 僕はどちらかというと、光や音に敏感な方で、こんな夜中にせこせこと怪しげなことをやっている自覚があるものだから、人の気配や音に細心の注意を払っている部分がある。

 (くだん)の釣り人の爺さんだって近づけば気付くし、気付いた段階で目を開けて釣りをしているように装ってみせる事くらい僕にとっては朝飯前なのだ。


 「……釣れ、まスカぁ?」

 けれど今僕の横にいて釣れるかどうか話しかけてきている人物は、そんな僕に気配を感じさせずに近づいて、あまつさえ僕に一般釣り人のフリをさせなかった存在。

 しかもあんまり触れたくはないが、何か声がおかしいというか……音がおかしい。

 こう……多重音声のように様々な性別や年齢の人間の声が複雑にかぶって聞こえるようで、この人物が何者なのか推定できない。

 そしてそのせいかイントネーションもどこかおかしいように感じる。


 「…ツレ、ま、すカ?」

 そしてしつこい!


 別に意図的に無視してる訳ではないのだが、突然声かけられてビックリして頭がぐるぐるして思考が大いに空周っている間に想定してた対応してない事に気付いて更に慌てて頭を悩ませた結果、何だか無視してるっぽい対応になってるというだけの事なのだが……、それにしても諦めるという事をせずに同じ質問繰り返すって……。


 「ツレェ、ますカぁ?」


 うん。あまりその答えにはいきつかないように考えてたけど、夜の海だしこれってオバケってやつなのかなぁ……って。


 そう思った瞬間、むわっと磯の香りが深まった。


「ツレ、マスカ?」

 香りが深まると同時に、声も近づいた。

 耳元近くで発せられたその声に驚いた僕は、盛大に倒れて尻餅をついてしまった。

 そして目を開けて、ソレの姿を見て思わず悲鳴をあげてしまう。



 ソレは人の姿をした……磯。磯の化身?それとも、磯に侵されたヒト……?


 腐った海草を頭や体に巻きつけ、岩肌のような皮膚部分にはフジツボやヒトデが付着し、フナムシが這い回ったり飛んだりしている。

 とくに顔らしき部分にはフジツボの群生がびっしりとあり、それが全部目のように見えて有り体に言って気持ち悪い。


 「ツリ(..)、……マスカ?」

 ソレに口はなく、傾げた喉元から声っぽいものが出されているようだった。

 その喉には結んだロープが巻きつけられている。


 怖いのと気持ち悪いのと、情報量の多さに僕の頭はパンク寸前。

 正直なところ、さっさと意識を手放してしまいたいところで、いっその事気を失ったフリでもしてみようかと思っていたところだった。



 シュっと僕の前に小さな影が躍り出たかと思うと、目の前のソレに組み付いた。

 小さな影がソレに駆け上っていき、後はもう大乱闘。

 ソレは小さな影を追い払うような動作をするが、小さな影も負けずに噛み付いたり引っかいたりして、とうとうソレを地面へと押し倒してしまった。


 ソレは地面へと倒れてしまうと、敗北を認めたのか、ヒトの形をするのをやめて大量の海水と磯の残骸へと変わった。

 そしてその横には……。


 「助さん!」

 なんとこの港のマスコットキャット、助さんが未だに油断のない目付きで爪を舐めているではないか。


 僕は思わず助さんを抱き上げると、その温かく重みのある体を撫でくりまわしてしまった。

 それなりに怖かったし、かなり疲れていたのだ。今はただ癒しが欲しい。

 助さんは迷惑そうに「ニャッ」と鳴いたが、恨めしそうな目線を向ける以上は何も言わず僕のされるがままになってくれた。

 僕の精神はだいぶ回復した。





 後日の事である。

 僕は助さんに、お礼とお侘びを兼ねて魚を持って港に挨拶にきていた。

 僕が魚を渡すと、助さんは当然とばかりに魚を豪快にバリバリと貪り食べた。

 それはもうワイルドで気持ちがいい光景であった。

 

 食べ終えて毛繕いを終えると、助さんはそのまま昼寝の体制に入っていった。

 僕は助さんの眠りの妨げにならない程度に、助さんの毛を撫でさせてもらう。


 あの夜に見た存在が結局何であったのかは分からない。

 けれど助さんに関しては、この港の守り猫なんじゃないかなぁと勝手に思うようになっていた。

 ふてぶてしく強面の顔つきも、太陽の下で昼寝する時には穏やかなマヌケ面になる助さん。

 きっと僕はまた夜の海に出向くだろう。

 でも、助さんがこの港にいるのなら、大丈夫なんだろうなと。

 そんな楽観的な事を考える、麗らかな午後の昼下がりだった。

やっぱり猫は強い!

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