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つまらない女がつまらない令嬢に転生したつまらない話

作者: MGMG

 




 わたくしの名はローズローナ・ラヴォイス。クレセント皇国初代皇帝の弟を祖とした、由緒正しい最古の公爵家であるラヴォイス公爵家の末娘である。かくいうわたくしの母も降嫁された先帝の末姫で、おそらくこの国でわたくしより身分の高い女性は皇后陛下だけでいらっしゃるでしょう。

 それと同時に血が近すぎることを理由に複数いらっしゃる皇子様方との縁談は暗黙の了解でなしとされているので、どこのご令嬢からも敵視されることなく安穏とした日々を送っているわ。身分的に将来は異国の高貴な方に嫁ぐことになるでしょうけど、もし国内で娶られるなら最低でも侯爵家以上の殿方がお相手になるでしょう。ラヴォイス家は兄が2人いるので私が婿を貰う必要はないし、仲睦まじい、というほど近しくはないけれど両親ともごくごく円満に夫婦としての関係を保っていらっしゃるから、ある日突然腹違いの弟妹が…ということもおそらくはない、と思いたいところね。家族仲は良くもなく悪くもなく、貴族ならばこんなものかな、という程度。兄2人は紳士的で優しいし、わたくしも手も負えないような我が儘は控えて家族を尊重してきたつもり。


――そんなわたくしは、普遍的な日々をとても退屈に過ごしていたわ。


 何不自由のない暮らしをしてきた深窓の令嬢に特有の、とても贅沢かつ傲慢な悩みであることは重々承知の上よ。でもこればかりは仕方がないの。だってわたくしは、もっと刺激的な世界を知っていたのだもの。






『前世』のわたくしは、いつも優しげな微笑みを湛えて穏やかな言動を心がけ、人に嫌われないようにだけ生きているつまらない女だったわ。色々なことを我慢していたし、己の中に押し殺していた。

 そういった言動のことを『優しくて偉い』と褒める親だったから子供の頃からそれが『正しい』ことなんだってずっと勘違いしていたし、都合よく耳触りのいい物語のように誰かから「もっと自分の人生に我が儘でいいし、正しくあろうとしなくていい」なんて優しい言葉を言われたことがなかったから、大人になっても改善されずにエスカレートしていったように思うの。

 だからといって別に、周囲の環境が悪かったとは思わないわ。客観的に見て前世のわたくしはとてもえらくて優しくていい子だったのだもの。でも、何も感じないわけではなかった。辛いこともあったし泣きたいこともあったけれど、他人に迷惑をかけてはいけない、鬱陶しいと嫌われたくない、いい子でいなきゃいけないと思って必死に取り繕っていたのよ。


――だから、『あの子はいい子すぎてつまらない』と、仲が良いと思っていた友人たちに陰口を叩かれているのを聞いた時、ぷつんと来てしまったのよね。


 なんてくだらない世界なんだろうと思ったわ。そうすることが正しいと思っていたのに、『いい子』なんて誰も望んでいなかったんだ。真面目に生きていたのは何の為だったの。好きに生きる自由な子たちを羨みながらも真似をする必要はないんだって必死に抑え込んでいたのは、一体どうして?

 もっと深刻な悩みを抱える人が世界には沢山いるってわかっていないわけじゃないの。とても些細なことなのはわかっている、それでも前世のわたくしにとっては心が折れるきっかけになってしまった。

 多かれ少なかれ、誰にでもあるタイミングだと思うわ。もうすべてを投げ出したくなるような精神状態だった。今思えばそんなことでと鼻で笑ってしまうけれどね。


「死にたいの?」


 そんな時、声をかけてきたのが黒猫の姿をした『箱庭の主』だった。いわゆる神様のようなものらしいわ。箱庭の主はそういう種族で、それぞれ箱庭を1つ、あるいは複数を管理しているそうなの。前世のわたくしが生まれ育ったのも箱庭のひとつで、物質界と名前がついていると聞いて少し驚いたわ。

 黒猫は物質界とは別の箱庭を作っている『箱庭の主』で、善良な魂を欲していると説明してくれた。なんでも魂は箱庭の中で廻るものだから、箱庭から箱庭に移動させるには色々と条件があるんですって。


「1つ、この世界に未練がないこと。2つ、善良であり規律正しい魂であること。3つ、移動先の箱庭に順応できる魂であること。あなたの場合は全て高水準でクリアしているから、こうして声をかけさせてもらった」


 男とも女ともつかない声で黒猫はそう言って、記憶や才能、容姿などはすべてリセットされると付け加えた。……付け加えたはずだったわ。聞き間違いじゃなかったらそう言っていたと思うの。

 そうしてわたくしは何の未練もない物質界を見限って痛みのない死を賜り、こちらの世界に生を受けたというわけ。


――何故か、前世の記憶を丸ごと引き継いで、ね。


『箱庭の主』による事務的なミスかしらね…。


 それはともかく、条件を受け入れたのは弱っていた精神状態での衝動的なものだったかもしれないけれど、後悔はしていないわ。こちらの世界での人生は、わたくしの性根にとても合っていたと思うもの。

 ただ、おかげさまで娯楽の少ないこの世界で15まで生きるのに、退屈で死んでしまいそうだったわ。前世のわたくしがつまらない女すぎて何の創造性もないこともつまらなさに拍車をかけていたように思うけれど。

 だって公爵令嬢だから当然ながらキッチンには立てないし、そもそもこの世界の食べ物はわたくしのような素人が下手に手を加える必要もなく充分にレパートリー豊富で美味しいわ。

 中世のような貴族制度のもとに成り立っている皇国だけれど技術はそれなりに進んでいてわたくしが手を出す必要もなく先の発展が見えているし。

 驚くことにここは『魔法』のある世界だけれど、生まれ持った才能が全てで残念ながらわたくしは生活魔法が一通り使えるだけで努力でどうにかなる世界ではないのよね。

 かといって内政チートなんてできるほどの知識もないし、ああしたらいいのに、こうしたらいいのに、と思うことよりもそんなやり方があるのねと感心することの方が圧倒的に多くて、ごくごく普通のつまらない女として生きていたわたくしに前世で流行っていた物語のような『知識チート』や『現代人無双』は向いていないらしかったわ。


 物語は所詮、物語。残念だけれどそれが現実なのよね。



 今日も今日とて退屈に物憂げな溜息をついて窓の外を見上げると、白い鳥がどこぞの招待状を持って敷地内に降り立ったのが目に入った。








「卒業パーティーの? 随分と早く届くのね」


 メイドが淹れた紅茶を一口飲んで喉を潤し、納得と共に首を捻ったわたくしに、どこか緊張した面持ちで頷いたのは専属侍女であるシャルロッテであった。彼女自身が男爵家のご令嬢であり、わたくしのお世話をしてくれるのと並行して同じ学院で学んでいたのでおそらく彼女の実家にも招待状は届いている頃でしょう。ロッテはいつも物静かで真面目な人だけれど、なんだかいつも以上に表情が硬いわね。何か、言いたいことを堪えているようなお顔。そして何か聞かれることを恐れているような。でも、わたくしに? 親しいというほどではないけれど主人と侍女として良い関係を築けていたと思うのに。


「出欠確認と、エスコートされる方のスケジュールもありますのでそちらの都合かと…」


「出席は勿論、するわ。エスコートは…お兄様がお忙しいようならオルレアン殿下にお願いしようかしら…」


 3つ年下の幼さを残す従弟にはまだ婚約者がおらず、また複数のご令嬢に言い寄られて困っているのを知っていたので助け舟のつもりでそう言えば、取り急ぎ確認致しますと肩の力を抜いたロッテが頭を下げて部屋を出ていった。おそらく執事にお兄様の予定を聞いてくれるつもりなのでしょう。ただ、あまり期待はしていないわ。上の兄は父について仕事をしているから屋敷にいないことの方が多いし、下の兄はこの国の第一皇子である皇太子殿下の側近として忙しく働いていて、意地でもわたくしのエスコートの為に予定をずらしてくださる程べったりな仲でもないもの。

 普通はエスコートする男性側の衣装や髪色などに合わせてドレスを誂えるものだけれど、諸事情あってわたくしには婚約者がいないから、そこまで気を遣わずともよいわ。好きな色で適当に流行りのものを仕立てさせればいいでしょう。


――前世からあまりファッションというものに情熱を燃やすタイプではなかったわたくしはドライにそう思っていたのだけれど、卒業パーティーということもあって今回ばかりは周囲が許してくれそうになかった。


 と、いうのも、案の定兄達の予定がたたずお伺いをたててから数日後、女性避けに渡りに船、とばかりに即答でエスコートを引き受けてくれた従弟のオルレアン皇子殿下が半目になって屋敷を訪れたのだ。

 燃えるような赤髪が皇帝陛下によく似た端正なお顔立ちの殿下は、まだ強く幼さを残すものの将来有望な殿方だ。わたくしとダンスを踊るには身長があと5センチほど足りないけれど。


「ロジー、午後にデザイナーを呼んでおいた。公務があるから付き添いはできんがドレスのデザインが決まったら連絡を。俺も色味ぐらいはあわせる必要があるからな」


「まぁ殿下…まだ半年も先のことですのに」


「もう半年しかないんだが? 早めに予約しないと間に合わんだろうが」


「殿下ったら、わたくしより女性の仕立て事情に詳しくていらっしゃいますわね」


「馬鹿をいうな。母上に急かされたんだ。どうせロジーは無頓着だろうからとな」


 なるほど皇后陛下はわたくしのことをよくご存知である。ここは素直に従っておいた方がよさそうね。皇族には側室である皇妃の子供を含めて女の子が育たなかったので、皇后陛下はわたくしのことを昔から実の娘のように可愛がってくれていたのだ。まだ皇后陛下が侯爵家のご令嬢だった頃、皇女であるわたくしの母に憧れを抱いていたそうだからその縁もあるのでしょうね。なんにせよ、目をかけて頂いていることはありがたく思っているし、深窓の姫君でいらっしゃったお母様に代わって煩わしい女性社会での立ち回り方や女性としての戦い方を教えて頂けたことは感謝してもし足りないわ。


 と、いうわけで大人しくオルレアン殿下がお招きになったデザイナーをお迎えしたのだけれど、どうやら首都で一番と評判のお店を呼びつけて下さったらしい。こうして職人ごとデザイナーを招けるのは侯爵家以上の高位貴族の特権だから、護衛と侍女に囲まれ扇子の向こうから声を発するのも憚られるような煩わしいだけの外出が減って素直にありがたいわ。


「ラヴォイス公爵令嬢のご衣裳を担当させて頂くことになり光栄にございます」


「よろしくってよ」


 恭しい職人たちの手によってサイズをミリ単位で測られ、体型にあった、かつ肌の色味に合うような色のデザイン見本を幾つか見せられたけれど正直どれも似たりよったりなのよね。周囲から浮かない程度に流行りのものであればそれで構わないのだけれど、皇后陛下はそれで納得してくださるかしら。


「ご令嬢は細身で肌の色も白く、とてもお美しくていらっしゃいますのでどんなデザインでもよくお似合いになるかと」


 最終的ににこやかにゴマを摺られて、これだから面倒なのにと思いながらぺらぺらと見本をめくっていく。溜息をついたりしないだけ努力を認めて欲しいわ。


「……あら」


「お気に召すものがございましたでしょうか?」


「いえ、何か挟まっていたわ」


「えっ、あ、申し訳ございません!」


 本の形になっている見本の中に、紙が一枚挟まっていたみたい。こちらの世界では斬新と言えるだろうデザインの真っ白なドレスのラフ絵だ。すぐに回収されてしまったけれど、紙の端にはどうやら王族の印章が捺してあるようだった。

 この時期にドレスを発注する皇族…卒業パーティー用でしょうね。だとしたらわたくしと同い年なのは第2皇子のギルバート殿下だけで、彼の婚約者は侯爵家のエカテリーナ・フェロウズ嬢だからおそらく彼女のためのドレスでしょう。婚約者にドレスを送るのは殿方の義務でありこの国の慣習だから印章が捺されているのも頷けるわ。


「エカテリーナ様は白いドレスなのね。では、色味は離した方がいいかしら」


 そういった事実はないとはいえ公爵家の娘であるわたくしが皇子の婚約者とドレスの色を被らせるというのは敵対行為に見られかねないし、下手をすれば侯爵家を敵に回してしまう。わたくしの方が高位といえばそうだけれど、将来的にエカテリーナ嬢は皇子妃となるお方だから出来れば妙な確執は作らないで置きたいのよね。前世は確かにつまらない女ではあったかもしれないけれど、周囲の人間関係に常に気を配り人の顔色を伺い嫌われないように振る舞う自慢できない才能は貴族になってまさかの大活躍なのだから、人生なにがあるかわからないものよね。


「あなた、エカテリーナ様の宝飾品の色は知っていて? 色の系統だけでも教えてくれないかしら」


 デザイナーが己のミスに動揺しているようだったので、高圧的にならぬよう首を捻ってそう尋ねれば、青い顔になっていたデザイナーが他の職人達とチラチラと顔を見合わせ始めた。皆、一様に青褪めていたり顔が強張っていたり目が泳いでいたりと挙動不審だ。まぁ、まるで先日のロッテのようね。


「……どうかしたの?」


 高位貴族令嬢同士、ドレスや宝飾品の色やデザインが被らないように職人伝てに情報を仕入れておくのは何も珍しいことではない。わざと被らせる、などという猛者も中にはいるけれど、失礼にならないよう被らないようにしたいのだと言えば大体の職人がこっそり教えてくれるしこれまでもこの程度のことで言い淀まれたことはなかったはず。……つまり、何かあるわね。


 おろおろしているだけの職人たちの顔をざっと見渡し、あごに指を置いて少し考えてすぐに、思い当たることがあった。学院では軽い挨拶を交わす程度のギルバート殿下だけれど、遠目に何度かエカテリーナ嬢ではない女性を連れているのを見たことがあったのだ。そしてシャルロッテが彼女と親戚関係にある男爵家のご令嬢であることも同時に思い出して、先日の態度に納得しかない。きっと親戚伝手か本人からか卒業パーティーで起こり得ることを知ってしまって我が事のように苦しんでいるのね…知らぬふりを貫き通せばよいものを、本当に真面目な子だわ。ええと確か…。


「………イグニト男爵家のご令嬢、だったかしら」


「っ!!」


 わかりやすく動揺してくれたデザイナー達をこれ以上追い詰めるのも可哀想なので、何事もなかったかのように見本をめくってシンプルで体のラインが美しく出る昔ながらのデザインを選んだ。


「これにするわ。色は青を基調に、―――いいえ、白にしてくださる?」


「……ご、ご令嬢…っ」


「細部のデザインは皇后陛下とご相談したいの。こちらのページと同じものを頂いてよろしくて? 宝飾品は…そうね、わたくしの目と同じ青にするわ。ピアスだけわたくしに似合うものをデザインして幾つか見せに来てちょうだい。すべて買い取るわ。ネックレスと髪飾りに関してはドレスのデザインに合わせるからまた打ち合わせ致しましょう。それから…皇子殿下には何も言わなくていいわ。言っている意味はおわかりになって?」


「……かしこまりました」


 青い顔で恭順の礼をとった職人たちに満足し、全て返したあとはオルレアン殿下にドレスの色を知らせてもらうことにした。白、と。伝えた時にロッテが意外そうにしていたのはいつもどおりわたくしが青系統のドレスを身にまとうと思っていたからなのでしょうね。わたくしだって本当はそうしたかったわ。でも『知ってしまった』から仕方がないじゃない?

 白いドレスは婚約式や結婚式に身にまとうことが多いのであまり卒業パーティーでは聞かない色だけれど、身分的にわたくしにドレスの色ごときで物言える人間は存在しないし、勿論各方面に手回しはさせて頂くわ。それに白いドレス自体は非常識な色というわけでもないし、わたくしの金色の髪は白いドレスに映えるでしょう。デザインもシンプルで古典的なものにしたので年配のご婦人方からの受けも悪くはないでしょうしね。そう、皇后陛下のような保守的なご婦人にも。


「それはさすがに火遊びではすまなくってよ、ギルバート…」


 同い年の皇子のことを思い、残念だと眉根が寄った。彼のことを産んですぐに亡くなった皇妃に変わって本当の息子と同じように育ててくれた両陛下の厚意を踏みにじるような愚行だと、気付いてくださればよいのだけれど…期待はできないわね。

 せめてわたくしが起こす些細な行動が、将来的に両陛下の為になればよいと思うわ。


 ―――そして出来ればその見返りに、もっと刺激的で面白い殿方に嫁がせて頂く権利が欲しいのだけれど。


 手柄をたてた荒々しい傭兵とか、謎の多い大魔法使いとかいないのかしら、大歓迎なのに。








「エカテリーナ様」


「まぁ、ローズローナ様。ごきげんよう」


「ごきげんよう。いい夜ですわね」


「ほんとうに」


 卒業パーティーのその日、誰が見ても遠巻きにされ孤立していたエカテリーナ嬢に、真っすぐに近寄っていけば彼女自身少し訝しげな目を向けてきた。わたくしあまり興味がなくて知らなかったけれど、学院でも孤立していらっしゃったのかしら。不器用な方ね。それにしてもいつも取り巻きのようにご友人を連れていらしたと思うのに今日はいないのはギルバート殿下が何かなさったのかしら。


「ローズローナ様、本日はどなたと?」


「オルレアン殿下にお願いしましたの。エカテリーナ様は…おひとりですか?」


「………えぇ、見ての通りでしてよ」


「なんてこと。ギルバート殿下は殿方として最低ですわね」


「……まぁ…それは…ローズローナ様…」


「あの方は昔からそういうところがあるの。一生に一度の卒業式なのに、なんてお可哀想なのかしら。同情なんてお嫌かもしれないけれど、よろしければわたくし、ずっとお側におりますわ」


「あ、ありがとうございますローズローナ様…」


 戸惑ったよう、困惑しながらも頑として拒絶しないエカテリーナ嬢は、一人でも堂々として背筋を伸ばしとても凛々しかったけれどとても心細かったはずだ。学院でもパーティーでも挨拶を交わす程度の仲だったけれど、十年来の友人かのようにするりと腕を組んで笑みを見せればエカテリーナ嬢が眉を下げた。こっそり囁かれた声は周囲に聞こえないレベルまで潜められていて、さすがの勘の良さね。


「ローズローナ様は…わたくしに何をお望みですか?」


「まぁ、望みだなんて。……ただ、ギルバート殿下との婚約は考え直した方がよろしくてよ、とお伝えしたかったの」


「………わたくしは…ギルバート殿下のことをお慕い申し上げております…」


 愕然とした顔で囁いたエカテリーナの声は今にも泣きそうに震えており、わたくしは貴族めいた笑みのまま頷いてみせる。


「淑女らしくとても一途で健気な方ね。でもあなたはフェロウズ侯爵家のご令嬢で、契約に基づいて皇族と縁づいて頂く必要があるの。それはご理解頂けて?」


「ですからわたくしは…」


「残念だけれど、それは難しいと思うの」


「ど、どうして…」


 困惑しきって縋るような声をかけてくるエカテリーナ嬢に笑みを見せるだけで無言を返したのは、今からその理由が嫌というほどわかるだろうから。


 鳴り響いた皇子殿下の来場を告げる楽器の音にエカテリーナ嬢がはっとしたよう顔をあげ、わたくしも会場の入り口に体を向けて背筋を伸ばした。何やら決意を決めた顔で足を踏み出したギルバート殿下がエスコートしているのは、殿下の髪色と同じ赤色の宝飾品に身を包んだ薄紅のふわふわした髪の小柄な女性。彼女の()()()()()が翻ると、主に高位貴族の女性陣を中心にざわめきが広がっていった。注目されていると思っているのか誇らしげに微笑んでいるその御顔立ちは、確かに可憐で庇護欲をそそるでしょうし可愛らしいわ。でも。


「ねぇ貴方、そのドレスは何かの手違いかしら? 着替えてきてもよろしくってよ」


 こちらに向かってくる2人を、待ち構えるつもりはなく逆に足を進めて立ち塞がるようにそう言い放てば、ギルバート殿下の目が丸くなりメルティア・イグニト男爵令嬢もぽかんと口を開けた。わたくしの声が届くや否や、ざわざわと騒がしかった人々が徐々に静まり返っていく。


「ロ、ロジー、なんだ突然、着替え…?」


「まぁ殿下、このような格好の女性をお連れになるなんて…困りますわ」


「どういうことだ」


「だってわたくしのドレスと色が同じじゃない。わたくし、お友達を通じて女生徒やそのご家族の方々に白いドレスは着てこないで欲しいと随分と前からお願いしてあったのよ。それを彼女だけが知らないとは思えないわ。わたくしに対抗するために色を被せてきたのではなくって? とても不快だわ」


「ドレスの色を? そんなもの、ただの偶然に決まっているじゃないか。彼女もきっとたまたま知らなかったんだろうし目くじらを立てるようなことじゃない。そうだろう? どうしたんだロジー、君は聡明で、そんな傲慢なことを言う人じゃないだろう」


 呆れたように肩を竦めたギルバート殿下と、慎重にこちらを伺っているメルティア嬢に貴族的な笑みを湛えたまま小首をかしげた。自然と子供を相手にするような声音になったけれどこればかりはわたくしのせいではないわ。


「まぁ殿下…傲慢だなんて随分な仰りようだわ。何をもってそうお思いになったのかしら。わたくし、きちんと事情を話してご理解頂けるまで皆さんに誠心誠意、お願い致しましたわ。別のドレスを用意できないと仰る方には新しいドレスを仕立てるための資金だって用立てしましたのよ。わたくしの我が儘なのはわたくしだってわかっておりますもの。―――それに、偶然だと仰るなら着替えてきてくださってもよろしいわよね? まさか殿下は()()()()()、着替えて来いと仰せになるの?」


「ロジー」


 困った声を出すギルバート殿下の隣で、メルティア嬢は敵意を滲ませて睨みつけてくるけれど怯むつもりもなく持っていた扇子を広げて口元を覆った。


「まぁ怖い、そのように鋭い目を向けられるなんて恐ろしいわ。どうなさったの? まさかとは思うけれど本当にわたくしに敵意をお持ちなのかしら」


「ロジー、どうかしてるぞ。彼女は私がエスコートしている女性で、将来は皇子妃になる女性なんだから幾らお前でもそんな無礼は…」


「皇子妃…? ギルバート殿下、皇族に縁づく為には最低でも伯爵位のご令嬢である必要がありますわ。まさかご存知ないとは思えませんけど」


「そのような些事、どうにでもなる。私は彼女を愛しているし、彼女も私のことを…」


「まぁ、きちんとした理由のある慣例を些事だなんて言い方、あまりにもよろしくなくてよ。ただ確かに爵位に関しては、養女に入るなどすればどうにでもなりますわね。立ち振る舞いの稚拙さや知識の方は付け焼き刃ではどうにもなりませんけれど」


「そうだ、だから彼女もきちんと努力してくれる。君も公爵令嬢として、見本になるような振る舞いをして欲しい」


「まぁ殿下…将来はともかく、今は彼女は男爵令嬢ですわよね?」


「……そうだ。私の愛する人だ」


「では公爵家の娘であるわたくしが彼女に譲歩するのはおかしいのでは? だってこの国は身分制度がありわたくしより立場が上の女性は皇后陛下だけですもの。なにも出ていけとは申しておりませんの、着替えてきて欲しいと申し上げているだけ。代わりのドレスなど幾らでもお持ちでしょう? もし用意できないと仰せでしたらわたくしの予備のドレスを差し上げますわ。わたくしの申し出に何か問題がありまして?」


「ぎ…ギル…」


「大丈夫だメルティ。―――ロジー、このドレスは今日この場を婚約式にするつもりで仕立てた特別なものなんだ。君に引いて欲しい」


 何も後ろめたいところはないと言わんばかりに真っすぐ見すえてくるギルバート殿下に寄り添いながら、まだ勝気に睨みつけてくるメルティア嬢。すごい度胸ね。よほどの自信があるのかしら。自分で言うのもなんだけれどわたくし割と扱い難い立場のご令嬢よ? まぁそのつもりならいいわ。顔の前に広げていた扇子を静かに畳み、とびきりの笑みを湛えた。


「まぁ殿下、婚約式は神の名のもとに行われるもので皇族であっても己の都合で行えるものではありません」


「正式なものは勿論、また別に行う予定だ。今日は私たちの意思表示として…」


「まぁ殿下。予定とは仮にでも決定したもののことを言うのですよ。そういったおつもりがあるというだけで目途もたっていらっしゃらないことは予定ではなく願望と呼ぶのです」


「ロジー、何が気に入らない? 私とメルティが結ばれることで君に何の不都合があるんだ」


「まぁ殿下。後ろ盾もない男爵令嬢が由緒正しい皇族に縁づくことが都合がいい方はおりませんわ。そのような者がいるとしたら皇族に反意があるのでしょうね?」


「大袈裟な! 私たちはただ、真実の愛を貫こうとしているだけだ!」


「まぁ殿下。真実の愛とは皇族たる自覚や婚約者への責任よりも重視されるものなのですか? わたくしは存じませんけれど、だとしたらとても崇高なものなのでしょうね? そんな不確かで曖昧なものを一途に信じられるなんてとっても羨ましいわ」


「いい加減にしてくれ、ローズローナ! 私は皇子だ、例え君にでもそのような物の言い方をされて黙っているわけにはいかない!」


「まぁ殿下。皇族の自覚や誇りは最低限はおありのようですね、安心致しましたわ。でも真実の愛とやらの為に皇族の身分を捨てる覚悟はお持ちではいらっしゃらないようで…それが本当に真実の愛と呼べるのかしら? 疑問だわ」


「私は生まれつき皇子で、この身に皇帝の血が流れる限りは何人たりとも私を軽んじることはできない! 例え、君にでも、だ!」


「まぁ殿下。奇遇ですわね! わたくしも先帝の血を頂いておりますの。そしてわたくしは正統なる血を受け継いだ公爵家の娘でもありますわ。そんなわたくしが軽んじられるわけには参りませんわよね? 例え、殿下の愛しい人にでも」


「身分を笠に着るなど…君までエカテリーナのように傲慢な女になるつもりか?」


「まぁ殿下。今まさに身分のお話をされたのは殿下がお先ではなくって? 二枚舌もほどほどになさいませ。どこからエカテリーナ様のお名前が出たのか存じませんけど、男爵令嬢の身分で皇子殿下と縁づこうと画策するのは傲慢とはいわないのかしら?」


「メルティは純粋で素朴な女性だ、私のことを身分で選んだのではない。一人の男性と一人の女性として、惹かれ合ったんだ」


「まぁ殿下。では殿下はやはり皇族の身分などお望みではないということなのね。そのお話ですと男爵家に婿入りされるのですものね? 従兄が一人減ってしまって悲しく思いますわ」


「……もうよい、ローズローナ、そこを退いてくれ」


「まぁ殿下。お話はまだ途中ですわよ」


「エカテリーナに大事な話があるんだ。邪魔をしないで欲しい」


「まぁ殿下……邪魔だなんてひどいわ…わたくしはただ…」


 大袈裟に悲しい顔を作ったけれどギルバート殿下は額に青筋を立てたまま、メルティア嬢を庇うように抱き寄せてわたくしの横を通り過ぎていく。すれ違いざまに向けられたメルティア嬢の殺気さえ込められた瞳に、あえて穏やかに微笑んで返した後は2人の後を追うように踵を返した。


「ギルバート様…!」


「エカテリーナ・フェロウズ。お前との婚約は、今日限りで…」


()()殿()()―――」


「……ッローズローナ!!」


 苛立ったように振り返ったギルバート殿下に、それまでの貴族らしく感情を抑えた、そして子供を相手にするかのような優しい態度を一変させて冷えた笑みを向けた。


「なんて厚顔無恥で愚かな男なのかしら。貴方様のような恥知らずと血が近しいことがわたくしとても恥ずかしくってよ」


「――……な…ッ貴様ッ!!!」


「まさか本当にフェロウズ侯爵家との縁を踏みにじってその女性を皇子妃として迎えるおつもりなの? 真実の愛とやらの為なら側室に迎える程度で満足していればよろしいものを、男爵家の娘が皇族の正室になりたいなどと身の程知らずにも程があってよ。フェロウズ家は国益のために皇族と縁づく必要があるし、お二人の婚約は皇族と侯爵家との契約で本人達の意思などあってないようなものなのに、これまで一体どのようにして貴族の何たるかを教わってこられたのかしら。見損なったわ。心底軽蔑します」


「ぶ、無礼な…そのような侮辱ッ…許さんぞ、ローズローナ!!」


「許して頂く必要はありませんわ。わたくしも皇族の威厳に傷をつけ貴族としての責任を放棄したあなた様を許すつもりはございませんもの。――エカテリーナ様、こちらにおいでになって? オルレアン殿下をご紹介しますわ。3つほど年下ですけどとても聡明でお優しい方ですのよ」


「ローズローナ様…わ、わたくしは…」


「待て!! その女は学院でメルティをいじめて、暴行なども行っていた罪人だ!! オルレアンと婚約だなどと許さん、国外追放だ!!」


「な…国外追放だなんて、そんな、ギルバート様ッ!!」


「まぁ殿下…」


 興奮してエスカレートしていくギルバート殿下に心底呆れ、悲痛な声をあげたエカテリーナ嬢の腕を宥めるように抑えながら、おもむろにメルティア嬢の頬を力いっぱい張らせて頂いた。まぁ思ったよりも叩いた方の手も痛くなるのね、人を叩いたのは前世も含めて初めてだけれど、もうやりたくないわ。

わたくしの全力のビンタは綺麗に頬の中心にあたってくれたようで、ばちん、と派手な音が鳴り、突然のことで驚いたのかヒールが苦手でバランスが取れなかったのか、そのままはしたなく床に倒れ込んだメルティア嬢が唇をわななかせながら睨み見上げてくる。


「な、なにすんのよ!!!」


「あら…曲がりなりにも貴族の口から出た言葉とは思えないわね」


「メルティ! ローズローナ、貴様ッ!!」


「まぁ殿下。――罪人として()()()()()()()()()な」


 静かに言って微笑めば、顔を真っ赤にして怒っていたギルバート殿下がぐっと言葉を呑んだ。メルティア嬢がそんなギルバート殿下を見上げて怪訝げに眉を寄せている。エカテリーナ嬢の時と同じように、国外追放だーとかなんとか言って庇ってくれるとでも思っていたのでしょうね。

 でも残念だったわね。わたくしはこの国の公爵令嬢であり、それなりの順位で皇位継承権も持つ皇族の端くれよ。わたくしを裁くことをこの国によしとされるならばこの愚かな皇子殿下こそが真っ先に裁かれることでしょう。


「どうしたの? わたくし、エカテリーナ様と同じことをしたわ。男爵令嬢ごときが身の程知らずだと罵っていじめて、暴行を行ったわよ。裁かれるのよね? 罪人なのよね? まさか皇子ともあろうお方が私情で侯爵家のご令嬢を国外追放だなどと仰せではないわよね? ―――わたくしを罪人とするより、わたくしに対する侮辱罪でその方を裁く方が容易いことぐらい、その残念な頭でもおわかりかしら」


「ぐ…ッ」


「ぎ、ギル、どうして、そんな女ッ!」


「駄目だメルティ!」


「――まぁ、そんな女、だなんて…ひどいことを言うのね」


 目を細めて溜息をついた。と、ほぼ同時に両陛下の入場を知らせる声が響き渡り、ギルバート殿下は悔し気に唇を噛み睨みつけてくる。わかっていてよ。両陛下が来られる前にすべてを終わらせてしまうおつもりだったんでしょう。事後報告なら仕方がないと許されると甘い考えでいらしたんでしょう? 本当に、なんて浅慮なのかしら。コレと同じ血が流れていると思うと心底うんざりするわ。


「これは何の騒ぎだ?」


 静まり返った会場の異様な雰囲気や床に倒れ込んだままのメルティア嬢、そしてその肩を抱いてわたくしを睨みつけているギルバート殿下などを見れば嫌でも異常事態を悟るわよね。同じく胡乱気な皇后陛下をお連れになったまま、訝し気に皇帝陛下が近づいてきたので淑女らしく完璧なご挨拶で迎える。


「皇国の至高なる天空、両陛下にご挨拶申し上げます」


「おおローズローナ、我が可愛い姪よ。今日も一段と美しいな」


「まぁロジー、白いドレスがよく似合っていてよ。貞淑で懐かしいデザインだけれど古臭くない、美しいラインが優美ね。金色の刺繍とレースがあなたの黄金の髪に映えて綺麗だこと」


「お褒め頂き光栄ですわ。皇后陛下にアドバイスを頂いたおかげで、とても気に入るものができましたの」


 そう。半年前、わたくしはギルバート殿下の愚かな企みを知ってしまったあの日から、今日の為の手回しに全力をかけてきたわ。

 最高位の令嬢として、古き良き貞淑なデザインのドレスを身にまとうことで貴族の邸宅に保管されている古いドレスを今一度表舞台に引きずりだしたいのだと皇后陛下に訴え、若い子にも受け入れられるよう前世の記憶を引っ張り出してきてアレンジをしたの。ドレスの仕立てに困っている下級貴族や学院に通う平民も、売りたたかれている中古のドレスをリメイクしたものならお値段的にも手が届きやすいでしょうし、それを販売する仕立て屋も繁忙期に一からドレスを仕立てるよりは時間も手間もかからない。母親や祖母のドレスに思い入れがあるご令嬢は意外と多いもの。しまっておくだけではなく、晴れの日に身にまとえるならばそれが最善でしょう?

 前世では「流行りは回る」と言われていたしレトロブームなんてものも定期的にきていたわ。そしてわたくしはつまらない女であったから、その場その場で周囲に流されて色んなブームに触れてきた。我ながらその経験が生きたアイディアだったわね。


「ほほほ。ねぇ、目立つでしょうから遠慮せずに白で作りなさいってわたくしが言ったのは正解だったでしょう? わたくしの代から毎年卒業パーティーで白いドレスを着る子は少なかったのだから。ほら、会場の光が反射して…本当にとても美しいわロジー。そうでしょう皇帝陛下?」


「あぁ、皇后の言う通りだ。ますますユーリレーナに似てきたな。妖精のようだ。それにこのたびのドレスの案、ご婦人方ほど詳しいことはわからぬが経済的にも助かる家門が多かろう。宰相が女性ならではの素晴らしい案だと褒めておったぞ」


「まぁ陛下、恐縮ですわ。ですが学院で貴族の役目として学んだことがこうして形になったこと、わたくしも嬉しく思います。あぁそう、それにわたくしだけの功績ではありませんの。このドレスの意味をお伝えしていた皆様も賛同してくださって、白いドレスは……あぁそう、彼女以外は、着ていらっしゃらなかったわ」


 今思い出したかのように床に座り込んでいるメルティア嬢をちらりと見下ろせば、気にはなっていたのだろう、皇后陛下が目を細めて扇子の下で貴族らしく唇をもちあげた。


「あら…どちら様かしら」


「あ…は、初めまして、メルティア・イグニトと申します」


「イグニト…男爵家のご令嬢ね。あなたも白いドレスがよく似合っていてよ。見慣れないけれど流行りのデザインかしら? 美しいわね」


「あ…ありがとうございます!」


「時間的に充分、お披露目なさったわね、もうよろしいでしょ? 着替えてきなさいな」


「……え…?」


 貼り付けた笑みのまま促した皇后陛下は、そうは見えぬほど穏やかでいらっしゃるけれど怒っている。


 皇后陛下にとってはいつまでもお人形さんのような幼子だったでしょうわたくしが初めて貴族女性らしいことに手を出し、真っ先に相談先として皇后陛下を選んで頼り、国のためになると宰相にも認められるような案をまとめて、そしてその努力が実って今日からさぁ流行りを下へおろしていくわよ、というタイミングで水を差されたようなものだもの。

 皇后陛下はお優しいけれどとても保守的な方で、慣例を外れたものや先鋭的なものを疎まれるわ。例えば身分を越えた恋愛だとか、高位貴族に逆らう下位貴族だとか。あとは一般的な中年女性の感覚として、身の程知らずな若い女だとかね。


「まぁギルバート。あなたもどうして白いタキシードなんか着てるの? 婚約式はまだ先でしょうに。それともローズローナと結ばれたいのかしら? ほほ、わたくしは大歓迎でしてよ」


 冗談めかして笑ったが皇后陛下の目は笑っておられない。それはそうでしょうね。実の息子のように可愛がってきた皇子が影響力の皆無な男爵令嬢と衣装を揃えているという事実に気付いてしまわれたその心中、お察しするわ。その冗談に乗る形で、けれど切れ味の鋭い刃物をつきつけるつもりで、微笑みかける。


「まぁ皇后陛下、このように無責任な殿方は例え血の繋がりがなくてもごめんですわ」


「ローズローナ? 一体何が?」


 事の次第が読めないのか、黙り込んでいた皇帝が視線を向けてくるのに笑みを深くする。女の勘なのか皇后陛下は大体の事情を悟っておられるようで、静かに怒りの気配を漂わせながらも貴族女性らしい笑みを湛えていた。逆に怖いわ。


「恐れながら申し上げます、皇帝陛下。ギルバート殿下は一途に慕って下さるエカテリーナ・フェロウズ侯爵令嬢との婚約を私情で破棄し、あまつさえ陛下に無断で令嬢を国外追放とし、そちらの男爵令嬢と真実の愛で結ばれ皇子妃にされると言い回っておいでですの。わたくし、耳を疑ってしまったわ。とても皇位継承権のある方のお言葉とは思えませんもの。なんとかわかって頂こうとしているのですけれど、皇族としての義務も殿方としての責任も一切ご理解頂けませんの。せめて身の丈をご存知の女性ならとも思ったのですけど、そちら様に「そんな女」だなんて罵られてしまって…わたくしとっても傷ついたわ」


 大体が事実しか告げていないけれど、最後はちょっとだけ被害者ぶってしまったわ。それくらいの権利はあると思うけれど。憂いを帯びた溜息をつけば、それまで静かに微笑んでいた皇后陛下が悲鳴のような声をあげる。


「まぁ、なんてこと! ギルバート、どういうことなの! ロジーの母君は陛下の妹君であるユーリレーナ様よ、そんな男爵家の小娘ごときに馬鹿にされてよい身分ではないわ!!」


「ちが、母上、彼女はただ、知らなくて」


「ではお前は何も知らぬ女を皇子妃にしようとしているの!? なんって愚かな!!」


「彼女が何も知らぬことはこの際よい、フェロウズ令嬢に対するお前の非常識な言動は事実なのか?」


「非常識!? 父上、彼女は…メルティはエカテリーナにずっといじめや暴行を受けていたんですよ! そんな女が皇子妃にふさわしいとでも!? このような国の恥は国外追放とするべきです!!」


「…………」


 皇帝陛下が青褪めて絶句し、それから渋面になって眉間に手を当てた。でしょうね。お気持ちとてもよくわかるわ陛下。メルティア嬢を絞め殺しそうな勢いでいきり立っている皇后陛下のかわりにお側によってその背中を撫でて差し上げると、陛下もわたくしの手をぽんぽんと叩いて頷いてみせる。


「……フェロウズ侯爵令嬢、このたびの謝罪は正式に皇家から入れさせてもらう。このような場でさらし者にしては申し訳ないので、今日はもう帰ってやすみなさい」


「……お心遣いに感謝致します…皇帝陛下…。……ローズローナ様…先程の件、よく、とてもよくわかりましたわ……」


 ふらふらと歩いていったエカテリーナ嬢が隣で涙声で囁いたそれに、小さく頷いて返した。やっと見切りをつけられたのでしょう。お可哀想だけれどエカテリーナ様は侯爵家の正当な血を継ぐ一人娘。皇子殿下と違って代わりがいないのだもの、色恋など幻想だととっとと割り切って立ち直ってくださるとよろしいのだけれど。


「オリー!」


「はい母上」


「この情けない兄の代わりにお前がエカテリーナ嬢を邸宅まで送ってさしあげなさい!」


「……かしこまりました」


 苦い顔ですけど皇后陛下には逆えないでしょうね、ぺこりと頭を下げたオルレアン殿下が去り際に一応は本日のお相手であったわたくしを見て軽く会釈してからエカテリーナ嬢の後を追うように会場を去っていった。こういう時に変に申し訳なくなったり罪悪感を抱かなくてすむ親戚のエスコートって素晴らしいわよね。


「父上、母上、何故です、どうしてわかってくださらないのですか!」


「……皆の者、これから緊急で国の今後にも関わる重要な会議を行う必要が出てきた。今日が門出であった卒業生たちには申し訳ないことではあるが後日、改めてパーティーの仕切り直しをすると誓おう。本日はご苦労であった」


 端的に申し上げて今日もう帰ってもらっていい?と言っているのだけれど、流石にそれが伝わらない者もおらず静かに兵士による誘導が行われて会場からはあっという間に人がいなくなった。その間もギルバート殿下は何かと喚いていらっしゃったけど、皇帝陛下は徹底的に無視。でも皇后陛下が「もう黙りなさい」と怒鳴るまでギルバート殿下はくじけなかったのだから、メンタルだけはお強いわね。

 わたくしも退場するご友人の皆様とどさくさに紛れてしまおうかしら、なんて一瞬頭に過ぎったけれど、滅多にない面白い見世物だから追い出されるまでは居させて頂くことにしたわ。


「別室にて正式に今回の騒動の聞き取りを行う。記録するための書記官を呼べ。それからイグニト男爵家に使いを出して男爵夫妻を呼びつけろ。ロジー、皇后の付き添いを頼みたいがよいか?」


「わたくしは構いませんわ。あぁ、帰りの馬車だけ手配してくださいませ」


「お安い御用だ」


 皇室の騎士団がエスコートしに来てくださったので整えられた別室に移動すると、何度か見た覚えのある書記官が2名、わたくしの顔を見て丁寧に頭を下げてくださった。正式な場ではないのでそれに会釈で返し、護衛だろう騎士が促してくるまま一人掛けのソファーに腰を下ろす。皇帝陛下と皇后陛下も同じように、護衛付きで座られた様子ね。

 一方で簡易的な椅子を差し出されて憮然とした顔でそこに座ったのはギルバート殿下と、メルティア嬢。その後ろには見張りの兵士が1人ずつ。床に跪かせないだけお優しいのに、理不尽だとお思いなのでしょうね。


「ギルバート。まずは改めてそちらの女性をご紹介頂こう」


「……こちらの女性はメルティア・イグニト男爵令嬢。同じ学院に通う同級生で、魔法の才能に長けた優秀で心優しく純粋な女性です。爵位の問題や彼女に足りない所があるのは私も承知の上ですが、彼女と2人ならば乗り越えられない障害はないと思っています。エカテリーナのような身分を笠に着た冷たく残忍な女ではなく、私は人間らしく温かい心を持ち下々の者にも寄り添える彼女こそを皇子妃に迎えたいのです。どうかご理解頂きたい」


「……なるほど…」


 頭が痛そうにこめかみを押さえて一応は納得を見せた皇帝陛下が、どこか顔色は悪いもののギルバート殿下の胸を張った発言に嬉しげに目を輝かせているメルティア嬢に視線を移した。


「イグニト男爵令嬢」


「は、はい、皇帝陛下」


「君はどのように思っている?」


「……私は、ギルバート殿下のことをお慕い申し上げております! 愛し合っているのです! 私も、立派な皇子妃になれるように頑張りますから、どうか認めてください! お願いします!」


「メルティ…」


「……なるほど…」


 まぁ皇帝陛下、デジャブですわ。もう呆れてなるほどしか言えなくなってるのでしょうね。ちらりと伺った先では皇后陛下の笑顔が引き攣っていらした。怒鳴り散らしたいのを我慢しておいでの顔ね。


「ギルバート、まさかお前がここまで己の立場を理解できていないとは…学習の進捗に関しては報告を受けていたはずなのだが…まぁそれは追々確認しよう。まずはお前に言っておかなければならないことがある。ひとつはフェロウズ侯爵家との婚約はいかなる事情があっても破棄できかねるということ。もうひとつはお前の皇位継承権についてだ」


「……私の、皇位継承権?」


 エカテリーナ嬢との婚約が破棄できないと宣言されて苦い顔をしていたギルバート殿下が、その後に続いた不穏な発言に眉を寄せた。そうでしょうね。


「お前も知ってのことかと思うが、お前の母は亡き皇妃リザであり、リザの家門はガオナ伯爵家である。ガオナ伯爵家のことは学んだか?」


「……はい、隣国との戦争で領地が削られ、力を失って久しいと…」


「そうだ。リザはとても聡明だったが体が弱く、貧しく危険な伯爵領では生きて行けぬと、伯爵の親しい友人であった皇后の家門であるソレッド侯爵家に預けられた。そして、皇后はリザの聡明さや気配り上手で控えめで人を立てる性格を、女性貴族を取り仕切る皇后の仕事を補佐する皇妃に相応しいとして推薦し、私がそれを受け入れた」


「………」


 初めて聞く話もあるのだろう、ギルバート殿下の目が動揺に揺れている。かくいうわたくしも初耳だったわ。リザ皇妃はお体が弱いけれどとても聡明で美しい女性で、憐れにお思いになった皇帝陛下のお手付きになられたという噂だったのだもの。皇后陛下が噛んでいらっしゃったのね。まぁ女性貴族を取りまとめるのは一筋縄ではいかないのはとてもよく知っているからお気持ちはわかるけれど。


「リザの死によりお前の立場は、後ろ盾のない『私生児』であったこと、理解できるか」


「……我が子のように育てて頂いたこと、皇后陛下には感謝しております」


「そうではない。今こうしてお前が皇位継承権のある皇族として皇太子と同等の教育を受けられているのは何故か? 皇后や私の慈悲だけではどうにもならぬ。お前の後ろ盾になると申し出てくれた貴族がいたからだ」


「……ヴァルレシア辺境伯が、後ろ盾になってくださっていると聞いています」


「そうだ。ヴァルレシア辺境伯はリザの死がガオナ伯爵家の没落によるものだと悔いている。辺境を守り切れずガオナ伯爵領を攻撃され、その領土の一部を奪われたのだから。辺境伯はリザへの贖罪のため、お前の後ろ盾になっているのだ」


「……そうだったのですね…」


「ここまでで何か思い当たることはないか?」


「え…?」


 神妙に話を聞いていたギルバートが、訝し気に顔をあげたけれどわからなかったようで視線を泳がせた。皇帝陛下は大きな溜息をつき、皇后陛下は苛立ったように扇子を畳む。


「ギルバート。お前の婚約者であるエカテリーナ・フェロウズ令嬢のお母上はティレジア伯爵家の娘で、ティレジア伯爵夫人は辺境伯の妹君よ。貴族名や縁戚関係などが全て頭に入っていれば知らないはずもないことなのだけれど。辺境伯は姪の娘であるエカテリーナ嬢をお前に嫁がせることで、まだまだ立場の弱いお前の後ろ盾になるようにと尽力して縁談をまとめてくださったの」


「―――エカテリーナが…ヴァルレシア辺境伯の…ですがそのことが私の皇位継承権に何の…」


「まだわからぬか? お前が勝手に破棄しようとした婚約は、全てお前の皇室内での立場を強める為のものだったのだ。リザの死を償おうとしていたヴァルレシア辺境伯は高齢で病床にありこれ以上お前の為には何もできぬ。勿論、辺境伯の厚意はその子孫にも何の類も及ばぬことだ。……何の後ろ盾もないお前が、何の後ろ盾もない男爵家の娘と結ばれることが何を意味する?」


「………それは……わ、私は……」


「で、でも皇太子殿下が亡くなればギルバート殿下が皇帝になるんですよね!?」


 話の雲行きが怪しいことを悟ったのか必死になって身を乗り出したメルティア嬢に、皇帝陛下は静かに表情を歪め、皇后陛下は持っていた扇子を投げつけた。まぁ凄いコントロールだわ、見習いたい。


「おだまりなさい! お前ごときが皇子の死を望むなど、許しがたいわ!!」


「皇后陛下…」


「あぁローズローナ、あの毒婦をどうにかしてちょうだい! 私のルーカスを殺すつもりだわ!!」


「落ち着いてくださいませ、男爵令嬢ごときに何もできやしませんわ…。さぁ、紅茶をお飲みになって…」


 囁くように話しかけて興奮しすぎて意識が遠ざかりかけている皇后を落ち着かせていると、その間にも皇帝陛下は深い溜息をついて首を振っていた。


「……お前にとっては残念なことながら、万が一ルーカスが皇太子の身分を失う日が来てもその後継はオルレアンだ。クレセント皇国における継承順位は正当なる皇后の血を引く者が優先され、次いで前皇帝の血筋のもの…直系の皇族だな。その後は皇妃の子の中でも皇妃の家門が高い順に継承されることになっている。伯爵位の皇妃の子はよほどのことがない限り皇帝になれぬ。……歴史の過ちに基づく慣例で、そのようになっている」


「そんな! ―――前皇帝の、血筋…?」


 ふと、何かに気付いたように囁いたメルティア嬢と目が合って、にこりと微笑んだ。今更気付いたのかしら。


「イグニト男爵令嬢。ローズローナに無礼を働いたようだが、ローズローナはギルバートよりも継承位が高い皇族だぞ。知らなかったこととはいえ、許されたものではない」


「ど…どうして、だって公爵家の人ではないのですか?」


「ラヴォイス公爵と結婚しラヴォイス公爵夫人になったことで妹のユーリレーナは皇籍から抜けたが、その子供である2人の公子とローズローナは先帝の2親等内、私の3親等内であり、法では皇帝から数えて3親等内の未婚の男女は皇族として正式に認められている。ちなみにラヴォイス公爵の祖母は皇族の姫であるから、ローズローナに流れる血は下手をすると私よりも尊いだろうな」


「………ッ」


 ようやく、自分達がどれだけ浅慮で愚かであったか理解できたかしら。


 エカテリーナ嬢さえ排除すれば皇子妃になって悠々自適に暮らせるとでも思っていたんでしょうけれど、ギルバート殿下を皇子のままにするにはエカテリーナ嬢との結婚が必須だし、現皇帝陛下が崩御された場合、皇帝になるのはルーカス皇太子殿下かオルレアン殿下よ。万が一が起きて彼らを『排除』できたとしても次はわたくし達兄妹3人と、実は先帝の弟君である大公殿下とそのご子息達もご健在でいらっしゃるからギルバート殿下が皇位を得るのは本当に、天地がひっくり返らない限りは有り得ないことなの。


 よしんばわたくしたち皇位継承権を持つ皇族全員がギルバート殿下を家族だと認識し親しく思っていたとしても、その後ろについている貴族たちははたしてどうかしら。正直今のギルバート殿下は皇族の恥晒しで国家の品格をも下げかねないわ。放置して何か事を起こしてしまう前に事故を装って始末されるのが関の山でしょうね。そうならないよう、ヴァルレシア辺境伯が死期を前にまとめた縁談だった。


 でもフェロウズ侯爵家からすれば婿をとって家門を継がせようとしていた大事な一人娘を、夫人の叔父の頼みとはいえ皇后の子ならまだしも皇妃の子に嫁がせろなんて正直、堪ったものじゃなかったでしょうね。その為に、婚約の決まった年に急遽遠縁の子供を養子にして後継者教育を受けさせざるを得なかった、と聞いているわ。そこまでさせておいて一方的に婚約破棄なんて、フェロウズ侯爵家に謀反を丁寧にお願いしているようなものじゃない。


 だから皇族がフェロウズ侯爵家と縁づくのはもう決定事項なの。契約にもそう綴られている。もしギルバート殿下有責で婚約が破棄となった場合、正当な皇位継承権を持つ皇子の正室として迎えること。それがエカテリーナ嬢が婚約者になった条件よ。

 真実の愛なんていう不確かで目に見えないものは、何の効力も持たないのだから。


 そうして今回のこと、わたくしが介入したことでメルティア嬢が認められることは永遠にないわ。


「イグニト男爵にも追って沙汰は申し伝えるが、令嬢は此度の騒動についてギルバートと共に責任をとってもらうことになるであろう。ギルバート、フェロウズ侯爵令嬢がどうしてもお前では無理だと言うなら、オルレアンに嫁いでもらうことになる。その場合、お前には選択肢がある。1つ、皇位継承権を失っても私の子として国民に尽くす為城で働くこと。ただしその場合、あらゆる方面から命を狙われる立場になることを覚えておきなさい。もう1つは城を出て、ガオナ伯爵家に身を寄せること。ただし、お前の祖父母にあたる伯爵は亡くなっており現伯爵はリザとは血の繋がりの薄い親族だ。よい待遇は期待できず、また貧しい領地であるためほとんど平民のような生活になるだろう」


「……そ…そんな…私はそのようなつもりでは…」


「ぎ、ギル、エカテリーナと結婚して皇子様のままでいた方がいいわ。私、側室でも我慢できるし…平民と同レベルの生活なんて絶対無理…!」


「そ…そうだな、エカテリーナと結婚してやって、フェロウズ侯爵家の後ろ盾を得れば…。ち、父上、メルティを側室にする場合、養女として受け入れてくれる家門はどこか…」


「まぁ殿下。後ろ盾になってくださる家門の方を相手にそのように上から目線でおっしゃるものではなくってよ。ちなみに側妃は正妃の承諾がないと迎えられませんからお覚悟なさいませ」


「……ローズローナ、お前は何故、そこまでして私につらく当たるんだ、私が己の立場についてあまりにも無知だったのは確かだ、愛する女性を苦労させるところであったのだから、考えなしの愚か者だったのだろう。だがそれはお前には関係のないことではないか。お前は私より上位で、婚約者もおらずしがらみもないはず、それなのに何故、そのようにいちいち突っかかってくるのだ…!?」


 そこまで苛々してくださっているなら会場でチクチク刺した甲斐があるわ。扇子を広げて目を細め、おっとり首を傾げながら唇を開いた。


「まぁ殿下…ご存知なかったかしら。わたくし、規律を乱す者や己の身の丈を知らない者、慣習を軽んじる者や合理性のない感情論を振りかざす者が大嫌いなの。つまらない女だとお思いでしょうね。でもわたくしのようなつまらない人間がいるから理性的な社会というものは成り立っているのよ。あなた方の、あなた方だけしか幸せにならない『真実の愛』という名の我が儘がどれだけのつまらない人間達を困らせ不快にさせるか、とくと思い知って頂きたかったの」


「――…なん…なんだと、どういう…」


「わたくしに対する侮辱罪でメルティア・イグニト男爵令嬢を告発するわ」


「!!」


「皇后陛下、どう思われまして?」


「まぁロジー、そのようなことは尋ねなくても決まり切っていてよ。当然です。然るべき罰を与えるべきでしょう。安心なさい、鞭打ち100回程度で命までは奪われないでしょう」


「くっ…それで、私が諦めるとお思いなんですか、ギルバート殿下から離れると! 私は鞭打ちぐらいではくじけません! ギルバート殿下は私の体に鞭の痕があるぐらいではっ」


「まぁ、この小娘は何を世迷い事を言っているのかしら」


 皇后陛下が軽蔑に嫌悪を乗せて憎悪を重ねがけしたような素晴らしく冷えつく瞳でメルティア嬢を一瞥し、事の次第を悟って青くなっているギルバート殿下に視線を移した。


「ギルバート。皇族に入る為に必要な条件を言ってごらんなさい」


「……伯爵位以上の爵位がある家門のご令嬢であること。未婚で清らかな体のご令嬢であること。………それと…」


「……ギル?」


「……それと…罪を犯した過去がないこと…」


 掠れて震えた声で発されたギルバート殿下の声に、メルティア嬢が一瞬意味がわからないように黙り込んでそれからざっと青褪めた。人ってあんなにあからさまに血の気が引けるものなのね。


「そんな!!」


「爵位も、清らかな体も、どうにでもなることよ。どこぞの家門に養女に入るなり、教会で高いお布施を払って清めを受けるなりすればよいのだもの。―――でも前科だけは皇帝陛下にも消すことはできないわ。例えそれが、どれだけ些細な罪であっても」


「ローズローナ、頼む、取り消してくれ、あの程度の失言で法に訴えるなどと…大袈裟すぎる、お前の評判も下がることになるぞ。それに、私たちはまだ学生なのだから学院内では身分の差はなく対等と言われているだろう」


「今日までは、そうでしたわね。エカテリーナ様があなた方からの侮辱に耐えていらっしゃったのもわたくしが何も見ないふりをしてきたのも、その制度に従っていたからですもの」


「……っ卒業は先延ばしになったはずだ」


「何を仰っているの? 午前に証書を受け取って卒業は為されましたわ。延期になったのはあなた方が壊してくださったパーティーだけ。……そうでもなければ学院の名の元に開かれたパーティーで爵位順の入場などにはならないでしょうに」


「………」


「あぁそれとわたくしの評判のご心配ですけど。学院でのメルティアさんの無作法で失礼な振る舞いは、あなた方の思うよりも多くの貴族の者たちが目にしていたわ。黙って、静かに、貴族らしくね。わたくしを狭量だ、傲慢だと憤る者よりも、そのうちこうなると思っていたと納得する者の方が多いでしょうね。わたくしの流した白いドレスのお願いの件も、ご存知なかったのはメルティアさんだけ。……周りの方があえて知らせなかったか、そもそも同性のお友達がいなかったかは存じませんけど、メルティアさんが貴族社会で受け入れられていないのは確かでしょうね?」


「……こ…ッこんな、一方的で、権力で押さえつけるようなやり方、卑怯だわ! 平民に言いふらしてやるんだから! 貴族はあんたを許しても、平民は許さないんだからね!」


 顔を真っ赤にして立ち上がったメルティア嬢が怒鳴った瞬間、後ろから伸びた手が彼女を床に叩きつけた。とはいえ絨毯の上でそう痛くもないでしょうけど。まぁそうなるわよね。わたくしだけならまだしも、皇帝陛下の御前で声を荒げて立ち上がるなんて…本当に碌な教育を受けていらっしゃらないのね。同じ男爵家でもうちのシャルロッテのように見本と成り得るような淑女や文官候補になるような聡明な才女も多くいらっしゃるのだから、問題なのは家格ではなく彼女自身なのでしょう。中身がわたくしと同じ転生者、という可能性もあるけれど、それは身分の差を前に悪意を持って無礼を重ねることに対して何の免罪符になるでもないわ。


「いたい! なにするのよ!」


「メルティ! お前たち、か弱い女性を相手に…やめないか!」


「ギルバート、いい加減になさい。それ以上はわたくしも我慢の限界よ」


「…ッ…母上…」


「はぁ…もうよい、ギルバートは1ヶ月の謹慎、その者は地下牢に入れろ。イグニト男爵が迎えに来次第、仮釈放とする」


 吐き捨てるように言った皇帝陛下が席を立ち、それに続いて皇后陛下が腰をあげながらわたくしを促した。わたくしもそれに頷いてことさらゆっくりと立ち上がる。メルティア嬢からもギルバート殿下からも向けられる憎悪と殺意の篭った瞳。人のせいにすることだけは一人前でいらっしゃるのね。まぁにっこり微笑んで返して差し上げるけれど。


 部屋を出、別室に向かいながら皇帝陛下が眉を下げてみせる。


「すまぬ、ローズローナ」


「まぁ陛下、なんのことでございましょう?」


「わたくしからもお礼とお詫びを言わせて、ローズローナ。わざと憎まれるようなことを言ってあの子の負の意識をわたくしたちから逸らしてくれたわね…反皇帝派にアレを担ぎ上げられるのを防ぐためでしょう? そして、我が子として可愛がっていたあの子から憎まれたくないというわたくしたちの気持ちを慮っての…本当に不甲斐ないわ、ごめんなさいね…ありがとうローズローナ…」


「お主があの程度の非礼を侮辱罪として訴えずとも、あの態度ではいくらでも理由をつけて前科はつけられる。そのことをわかっておらぬわけでもなかろう。……在学中の3年間、おそらくは関わりたくないと思って距離を置いていたのだろうに、結局は迷惑をかけてしまったな」


「帝国の至高なる天空ともあろうお二方が、このような小娘に頭を下げてはなりませんわ。わたくしはよいのです、よほどのことがなければ国外に嫁ぐ身なのだもの。それにとても、可愛がっていただいたから。……最後にお礼くらい、させてくださいませ、伯父様、伯母様」


 にこりと笑みを向けると目を潤ませた皇后陛下がぎゅっと抱き締めてきて、皇帝陛下も感極まった様子でうんうんと何度も頷いた。


 実は、中断されてしまった卒業パーティーでは最後に異国からの使節や大使がお祝いにかけつけてくださる手筈になっていて、わたくしの結婚相手もそこで選ばれる予定だったのよね。わたくしに求婚してくださる異国の高貴な方を使節の中に紛れ込ませていた、というべきかしら。見ての通り両陛下はわたくしをかなり可愛がって下さっているから、会ってみて気に入った相手がいれば、というお話ではあったけれど。まぁ、なるべく国に利のある方を、そしてこの国におけるわたくしの価値に見合う方を選ぶつもりよ。

 ギルバート殿下の件が片付かない限り、仕切り直しのパーティーがいつになるかは存じ上げませんけれどね。





――その後、メルティア嬢は正式に告発され、皇族への侮辱罪が適用され前科1犯がついたことでギルバート殿下から引き離されて貧しい修道院で死ぬまで罪を償うこととなった。


 当初の想定よりも罪が重いのは、余罪としてフェロウズ家、つまり高位貴族への侮辱罪や、皇族であるギルバート殿下を誘惑し結果的に国の政事に差し障りがあったと認められて姦淫罪が適用されたことが大きい。最後の最後までわたくしに陥れられたと喚いていたようだけれど…そしてその言葉はある意味、正しいのだけれど。まぁ、信頼されるような言動をとってこなかった己の愚かしさを恨むべきね。


 メルティア嬢の処遇を聞いたギルバート殿下は魂が抜けたかのようにすっかり大人しくなって、謹慎中ということでまだ城から出られないけれど大きな騒ぎは起こしていない。

 わたくしからすれば国内に留まれて命があるだけ、お二方がエカテリーナ嬢にしようとしていたことと比べて生温い罰ではないかしらと思うのだけれど、二度と会えないというのがそんなにショックだったのかしらね。


 そうそう、エカテリーナ嬢はなんと、ギルバート殿下を許すと仰せになって婚約は継続中なの。こればかりはわたくしも想像していなかったわ。エカテリーナ嬢は殿下よりもずっと殿下の身の上のことを理解しておいでで、自分と結婚することでギリギリ命を繋ごうとしている殿下を、それはもう哀れにお思いのようだった。


「以前のような色恋の熱やそこまでの思いは正直、ございません。呆れもしました、怒りもしました、失望も、絶望も。……けれど、この方を支えていきたいと思った気持ちに嘘はないのです。そしてもし、殿下がわたくしという盾もなく死んでしまわれた場合、きっとわたくし、後悔すると思ったの。……わたくしを愚かな女だとお思いですか?」


 自嘲するよう唇を歪めて笑みに似た表情になったエカテリーナ嬢を、抱き締めて差し上げることしかできなかったわ。正直とても愚かだと思うし、ギルバート殿下の性格上、メルティア嬢を諦めることはあってもエカテリーナ嬢を愛することはないと思うの。でもエカテリーナ嬢はそれでもギルバート殿下がよろしいのですって。真実の愛とかいう胡散臭くて目に見えないものが本当にこの世に存在するとしたら、それはきっとエカテリーナ嬢の姿をしているのでしょうね。


 それから、卒業パーティーの仕切り直しも3ヶ月遅れで行われた。あぁ勿論、中断された原因である2人を除いて、全員が出席したわ。一旦国に帰っていた異国の使節や大使も改めて訪れて下さって、子供たちの卒業と貴族社会への仲間入りが盛大に祝われることとなった。


――そして。


「ローズローナ・ラヴォイス公爵令嬢。皇子殿下に対する小姑のような小言の嵐、穏やかながら圧の強い存在感、皇国に花開く美しき薔薇には鋭い棘がおありの様子だが、だからこそそんなあなたに結婚して頂きたい。そして私を助けてはくださらないだろうか?」


 前世のわたくしの知識でいう、砂漠の国の王子様、のような方だった。エキゾチックな褐色の肌に金色の瞳。瞳と同じ黄金が青い宝石と共に体のあちこちに散りばめられ、ターバンからは銀色の髪が覗いている。上背のある、細身だけれど実用的な筋肉のついたしなやかな体で衆目の中膝をつき、照れることもなくわたくしの手を取って見上げてくるけれど、断られるとは微塵も思っていなさそうな自信のある微笑みを浮かべているわ。整ったお顔立ちだけれど、不思議な瞳ね。アーモンド形で少し目尻が上がっていて、まるで猫のよう。

 それはともかく、これまで求婚と共に甘い言葉ばかりかけられていたから、思わず目を丸くしてしまったわ。小姑?わたくしを小姑のようだと仰ったの?


「まぁ…―――面白い殿方ですこと。わたくしに何をお望みかしら?」

「私のハーレムを管理して頂きたいのだ」


 曰く、先日亡くなられたお父上から我が国でも歴史上は存在した『後宮(ハーレム)』を引き継いだそうなの。所謂、王の子を孕む為だけに集められた容姿の優れた女性達のことね。かの国では今尚合法だそうで、お父上もかなりの数の女性を招き入れて侍らせていらっしゃった。主人の死後、一度でも主人の手つきとなったことがある女性は子が生まれないことが確定するまで10ヶ月、ハーレムに留まらなければならないけれど逆に言えば10ヶ月後にハーレムを追い出されることになる。そして残ったのが美しく若い、清らかな女たち。それらは次代の主人に引き継がれることになる慣例があるのですって。まぁ理論上は納得するけれどあからさまな『物』扱いに少し驚くわ。かの国では女は子を産む道具なのね。なんでも兄弟姉妹が数十人単位でいらっしゃるそうで、奴隷の女から生まれても即位はできる、皇国と違って完全実力主義のようだわ。

 つまるところ、この方はハーレムのある国からいらして、先日世代交代したばかり…ということは。


「ライハーン国王、サディク・アミール・ライハーン陛下でいらっしゃいますわね。遠方から国王陛下直々においでになるなんて…大変失礼ですが前国王陛下が崩御されてから間もなくまだ国元も安定していらっしゃらないのでは? このようなところで遊んでおられてよろしいのですか? それに来賓名簿にはお名前がなかったようですけど、どこから潜り込んでこられたのかしら。国王陛下ともあろうお方が不法入国とは驚きますわね」


「これは手厳しい。肩書きで選ばれたくないがために令嬢には黙っていて欲しいと私がお願いしていただけで、皇帝陛下はご存知でいらっしゃいますよ。正式な手続きを踏んだ入国です、ご心配なく。ご説明申し上げた通り、国を安定させるためにあなたの力が必要なのだ、だからこそ私がここにいる」


「まぁ。……お話をまとめますと、お父上から引き継いだハーレムの気位の高い女たちの扱いに困っていて、ハーレムを取り仕切れるような気が強くて口うるさくて規律正しく真面目でつまらない小姑のような女が必要、血筋が高貴で見目が美しくあれば尚良し、ということですわね?」


「あっはっはっは! 身も蓋もないが、その通りだ! ――前情報を聞いて半信半疑だったが、先日の騒動を裏から見ていてあなたしかいないと確信した!」


 大笑いしながらも醜くは崩れないその御顔立ちに素直に感心しながら、微笑んだ。


「見返りは?」


「――石油の輸出に関する値段と量の交渉を優先的にさせて頂く。そしてこの国の皇族唯一の姫君を頂くのだから待遇はハーレムの女としてではなく正式な正妃として、対外的にもあなたに恥をかかせるようなことはしない。王の義務だからハーレムに通い適当に女を抱いて幾人も子を成すだろうが、あなただけはパートナーとして尊重し望むすべてを叶えることで誠意を見せよう。勿論、条件を細かく設定し契約書を作っても構わない。あなたはそういったものにこだわる、『つまらない女』だろう?」


 にやりと笑みになるその表情に、穏やかに微笑んでいた目を細めて笑みを深くした。本当に面白い方だわ。わたくしのようなつまらない女にはもったいないくらい。


「まぁ陛下。―――わたくしのことをよく理解していらっしゃいますのね。好印象でしてよ」

「それは何よりだ。で、お返事はこの場で頂けるので?」

「ふふ。わたくしはつまらない女ですから、慣例通りお手紙でお返事致しますわ。ただ、頂いたお話、とっても面白そうで興味が湧いているということはお伝えしておきます」

「それほど嬉しい言葉もない。では、()()()()

「ええ、()()()()


 と、いうことでお察しの通り、わたくしはライハーン国に正妃として嫁ぐことになったわ。正式な手続きと()()()()の順序を踏んだ上でのことだから、出会いから実に半年ほども後のことになったけれど。それにしてもハーレムを管理して欲しい、だなんて思い返してみても最低のプロポーズね。でも王の寵愛を競って争うあまり王に迷惑をかけている愚かで低俗な女たちを、つまらない女なりに躾けて差し上げるのも面白そうだと思ってしまったのだから、仕方がないじゃない?


――それに、死ぬまで退屈はしなさそうだったのだもの。


 ライハーンでは女性軽視の無能官吏どもに苦労させられたり悪意まみれのハーレムの女達に殺されかけたりしたけれど、次代に即位したのはわたくしの子だった、ということだけは最後に記しておくわ。








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面白かったです! 思いを貫くエカテリーナの姿勢は意外でしたが、こういった女性がいるのもありだな……と考えさせられました。幸せになれるかはわからないけど、後悔したくない選択を今できた彼女は立派だと思いま…
[良い点] ヒロインがペラペラペラペラ喋りまくるのは面白かった。 ただもう少し「皇室法◯条△項によれば〜」のような、私的な関係とか約束とか意向ではなく公的な根拠があってしゃべっているんだアピールがあ…
[良い点] 自分自身が理詰めな人間なせいかすごく好感が持てるお話でした。 悪役令嬢モノを読んでいる時に「なんでそこを攻めないんだろう?」と思うようなところを余す所なく突っ込んでくれたので非常にすっきり…
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