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プロローグ

 その村は時間に置き去りにされたというより、自ら時間と袂を分かったような風情がある。

 川底で角が削られたような丸い色とりどりの石が敷き詰められた道の両側には、中世さながらのネオゴシックルネサンス様式の建物が棟を連ねる。一軒一軒が一戸建てか二階建て、高いものでも三階建て。くねくねと曲がりくねった、それでいて緩やかな大通りの果てだけに、一際高い古城が聳えている。丘の上に建っていることもあり、村のどこにいてもその威容は窺うことができた。石造りの城は代々の領主の邸宅であり、昔の暮らしを再現したこの村全体も含め、ミラノ区画でも人気の観光スポットとなっている。

 しかし、訪れた者の目をまず引くのは、ミニチュアのように愛らしい家々の数々でも堂々たる煉瓦造りの教会でも、それこそ人望の厚い領主のごとく村を見下ろす城でもない。彼らがまず注視するのは、村の入り口……立派な門を穿つ孔だろう。

 門を入ってすぐ右側、観光客から隠すように紋章の縫われた布で覆われてはいるが、使い物にならなくなった露店販売用の荷車が痛々しい。布を捲り上げればそれが、老朽化したわけでも事故や人為的な要因で壊れたわけでもないことが察せられる。

 まるで猛獣数体に寄って集って噛み砕かれたような跡が残り、木端(こっぱ)(かさ)と車輪の残骸によって辛うじて荷車だったことが判る程度に損壊していた。道を造る石の合間の染みは模様ではなく、拭い取れずに乾いた血痕。同じものが家の煉瓦にも、教会の扉にもばらばらと散っている。

 《ディヴィジョン》につけられた戦争の傷跡は、その村らしさの根幹まで深々と及んでいた。その跡を撤去することは、そのまま美しい景色も財産も削りとるに等しく、故に、良くも悪くもそのまま保存せざるをえなかった。

 それはこの村に限らずイタリア全土、どころかヨーロッパ各国、世界中どこでも大して変わりない。十九年前、突如として勃発した《ディヴィジョン》との開戦以来、人類は絶え間なく脅威に晒されていて、奴らを減らすなり安全を確保するなりで忙しく、この村の元の情景を取り戻す余裕はいまのところどこにも、誰にもない。

 それどころか、【紅鹿事変】の直後に新設された、そう大きくない村を丸ごと囲むように新設された鉄製の柵や、城と張り合うように高く屹立した物見櫓は、中世を通り越して原始的な砦の縮図だ。

 その物見櫓へ続く比較的新しい道を、健康的な肌の色をした少女が、ちょろちょろと進んでいく。あっという間に階段を駆け上がり、天辺にいた青年に元気よく挨拶した。

「おーっす、来たよジュリオ!」

 ポップな柄の包みにくるまれた弁当を差し出す。

「いつも悪いな、ビアンカ」

 ジュリオと呼ばれた青年は微笑する。彼女が来るのをずっと見ていたが、いつものことながら、見つけてからここまで上がってくるのが早い。

 少女――ビアンカは《調律の彼女(ストリングス)》である。生身の人では敵わない《ディヴィジョン》に対抗するために調整を受けた女性戦士。かつて彼女は、この村を襲撃した《ディヴィジョン》に襲われ、延命のために対立因子を埋め込まれた。体内の因子の浸蝕を抑制する目的らしいが、ジュリオはそれだけでなく、身体能力、特に脚力も増強されているのではないかと勘ぐっている。

「今日はどんな感じー?」

「相変わらずだよ……良くも悪くも」

 ビアンカの顔が曇る。彼女はジュリオ、そしてここにはいないリッカルドという男性の三人で、この村を警護する《ユニゾン》を結成している。しかし、リーダー的存在であるリッカルドは、イタリア全土の《マイナー》を対象とした会議に参加するべくローマ区画へと旅立って以来、二か月経っても帰ってきていなかった。都市間の移動中に《ディヴィジョン》に襲われたという知らせもない。ならば事故や犯罪に巻き込まれたのではないか、心配は日に日に募っている。そしてそれは、ジュリオも同じだった。

 リッカルドの無事を祈りながら、留守中も彼の教えを守って毎日哨戒を怠らず、門の向こうの停留所にリッカルドを乗せたバスが停まらないかと期待を寄せる。

「あっ」

 と、弁当を開きかけたジュリオが、その手を止めた。

「リッカルド?」

「……いや。悪い方だ」

 低い建物の合間に広がる暗雲から産み落とされるようにして、一体の《ディヴィジョン》が迫りつつあるところだった。


 物見櫓から警報と、相次いで信号を送るジュリオを後目に、ビアンカは子兎のごとく駆けだしていた。家々の間を駆け抜ける。村に落ちてきた《ディヴィジョン》がいるはずの場所まで、あともう少し。

 ――いた。古城へ向かう坂の途中で、人間大の黒い生き物がふわふわと浮いている。思わず笑った。見るからに弱々しく、儚げに見える《ディヴィジョン》ではないか。

 ソレはある昆虫に似ていた。頼りない肢、薄い翅、糸のように細い触覚……ユスリカにそっくりだ。大きさからしても、強い《ディヴィジョン》であるようには見えない。ビアンカの敵ではない。

 ベルトから携帯ナイフを取り外し、展開すると、先手必勝とばかりに《ディヴィジョン》目がけてジャンプする。そいつはやはりユスリカそっくりのおぼつかない飛び方で回避しようとするが、間に合わない。ビアンカが着地すると同時に、ばらばらと肢が二、三本ほど散らばり、地に落ちた。

 獲物を振り返る。痛がっている様子はないが、身体を欠損したことに狼狽えるように、おろおろと落ちた肢の上を飛び回っている。再度、ビアンカは突撃する。今度は反対側の肢が数本と、翅の一部が損傷する。バランスを保てずに《ディヴィジョン》はふらふらと落下し、地面に激突した拍子に残りの肢まで破損した。

 ビアンカはそこで、少しだけ距離をとる。もはや相手に飛ぶ力は残されていないだろう。

 しかし《ディヴィジョン》はよろよろと、なおも起き上がろうとした。頽れそうになりながらも、ビアンカに顔を向ける。潤んでいるようにさえ見える眼で、まっすぐ彼女を見つめた。

「生きようって足掻きは認めるけどさ」

 パチン、とナイフを閉じ、ビアンカは溜息を吐く。

「こっちも、負けるわけにはいかないの。リッカルドが帰ってくるまで、この場所を守るって約束したから」

 その言葉に、何を思ったのだろう。……いや、何か思うことなど、なかったかもしれない。

 小規模ながらも凄まじい衝撃が叩き込まれた。ビアンカの髪が、服が、はたはた揺れる。

 上空、城の塔よりも、雲よりも高い場所から撃ち込まれた杭が、《ディヴィジョン》を貫いていた。

 対地対空攻撃投下砲。ジュリオの遠隔操作によって、大気圏上から放たれた対《ディヴィジョン》防衛兵器だ。今回は通常討伐ということもあってあまり威力は高めではないが、それでも超高度から放たれた硬芯の破壊力は抜群。

 もともと華奢な身体は、明らかにオーバーキルの攻撃によって粉々に四散した。《ディヴィジョン》の破片は村中に飛び散ってしまったことだろう。

 まあ、大きさからしてクラスⅤだろうから、遺骸の回収はそれほど急がなくていいはずだ。

 指導者の不在時に侵入した敵が木端微塵になったことに薄ら暗い清々しさを感じながら、ビアンカはその場を後にした。


同時刻


 武装飛行機から降り立ったばかりの客がエントランスに続々と追加される。けして安全とは言い難い空の旅を、大金を払って行った客は当然、皆裕福そうな者ばかりだ。或いは政府の官僚、軍事組織の重鎮らしき人物が、護衛を伴って入場する。《ディヴィジョン》の襲撃を受けてもなお、観光都市として名高いミラノの中央空港は、毎日大勢の人間に溢れかえっていた。

 観光に浮かれる、或いは仕事に意気込む人々の間を、赤みの強い茶髪を後ろに撫でつけ、艶のない黒の長衣を纏った壮年の男性が悠々と通り抜ける。カトリックの礼服のようにも見えるが、その風貌は厳めしく、思い悩んでいるようでもあり、聖職者よりも哲学者を思い起こさせた。

 と、その背後で、コツンという音が閊えた。

 せいぜい十代前半にしか見えない少女が、鬱陶しそうに荷物を引き摺っていた。彼女の上背を考慮すれば不釣り合いな大きさの、飾り気のないスーツケースが、主に反抗するようにキャスターを縺れさせている。少女自身も、年頃に似合わず地味といわざるを得ない装いだ。

 先行する男同様、黒一色で服装を固め、ワンピースの形もまるで修道女のように堅苦しい一昔前のデザイン。もしも親の方針だとしたら、ルソーの『エミール』に一度目を通すように勧めたくなる。艶やかなブルネットが縁どる顔は、おそらくケルト系。表情に乏しいが、一向に進まないトランクに髪と同色の眉を顰めている。困っているというより苛立っているようだったが、男が振り向くことなく立ち止まったのを見て、焦ったようにますます持つ手に力を籠めた。

 近くにいた、搭乗の予約を入れたばかりの老女が、見るに見かねて持ち直すのを手伝ってやる。引っ掛かりがなくなって滑らかに動くようになったのを確かめると、少女は「Thank you」と短く言った。

 愛らしい顔立ちに憮然とした表情を浮かべる少女に、老婦人は笑いかけ、イタリア訛りの英語で話しかける。

 失礼、人を待たせているので。淡々と答えた少女は踵を返し、すたすた歩くと男に合流した。少女が追いつくと、無言のまま再び歩きだす。

 入国審査のゲートに並ぶ。そこには既に長蛇の列ができており、時折苛立ちの声が上がる。

 《ディヴィジョン》はたとえ死体であっても再生することがあり、そうでなくてもヒトにとって様々な悪影響を及ぼすため、専門機関以外での取り扱いが厳しく規制されている。本人に持ち込む意志がなかったとしても脳を操作されている可能性もあるため、空港を含む通過審査は慎重を極めている。

 ようやく二人の番になり、カーテンの向こう側に通された。男は一般用、少女は因子保有者用の装置を潜る。幾つかの書類審査と質疑応答を経て、無事入国を許された。

「観光ですか?」

 入国管理局の受付嬢が、おずおずと尋ねる。少女のパスポートには因子保有者である旨が明記されていたが、《マイナー》としては若すぎる。仮に既に資格を得ていたとしても、特に珍しい型でもないので、本国から離れた場所でわざわざ狩りをする必要もない。……とはいえ、観光にしては少しも楽しそうではなかったが。男の都合かとも思ったが、こんな小さい子を仕事で連れ回すのも不自然だ。少女の雰囲気はむしろ、彼女自身が何か大役でも受け持つかのように張り詰めている。

「少し、約束事があってね」

 男の方がまだ幾ばくか愛想よく言った。低く落ち着いた、心地好いともいえる声ではあった。されど底知れない暗さを持って耳に纏わりつく嫌な感じがして、二人が立ち去った後、受付嬢は密かに腕を摩った。

 影が移動するように男はするすると歩いていく。カツンカツンと、いささか高飛車にも聞こえる靴音を立て、少女が後に続く。

 と、微かな振動音がして、男が立ち止まった。服の内ポケットから端末を取り出し、耳に当てる。

「我輩だ。ああ、……そうか」

 短いやりとりの後に端末を元の場所にしまい、少女を振り返った。

「確認が取れた。行くぞ」

 端的かつ一切の私情を込めない声色で命令する。軍人のように、或いは、ブリーダーが犬を躾けるように。

 一方、命じられた少女は――空港に降り立って初めて、明るい表情を浮かべた。男の無機質な声音とは対照的な、温かみのある表情を。

 誇らしげな、嬉しそうな、まさしく仔犬のような笑みだった。



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