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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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*第10章* 10‐1 冬の女

 真冬の乾いた静けさを、色彩鮮やかな活気が溶かしていく、そんな昼下がりだった。

 伝統的な建造物と近代的な装いが両立し、それらが南米特有の底抜けな明るさを受けて光り輝くような、七月のアルゼンチン。大通りに面する店の主らは、昼食をどこで摂ろうかと思い悩む市民や観光客を呼び込むべく、店中のテーブルを磨き上げたり、店先の見栄えを整えたりと大忙しだ。

 世界を激震させた“青海波”の消滅からまもなく八十時間、未だ人々から動揺の色は消えない。とはいえ、地球の裏側の出来事とあっては現実感はなく、まだ危機感を持つようなことも起こっていない。道行く人々は肌寒さで顔を顰めることはあっても、その表情に悲愴さは窺えない。

 そんな通りの一角。恰幅のいい壮年の男が、道に面したショーケースの中に、いままさに焼き上がったばかりの菓子を並べていた。

 と、影が差し、しゃがんでいた男はふと顔を上げる。

 幼い少女が、ショーケースの中を、わくわくとした表情で覗き込んでいた。

 つやつやした菓子に釘付けの瞳は深く濃い紫色で、二つに結んだ銀の髪も毛先だけが仄かに紫がかっている。齢十にも満たないであろう子どもだが、将来を期待させる整った顔立ちをしていた。とはいえ、頬を苺色に染めて菓子を凝視する様は、まだ美しさよりも愛らしさを感じさせる。

「いらっしゃい、お嬢ちゃん」

 男はのっそりと立ち上がる。すると少女は、はっとした顔で少し後退った。

「お嬢ちゃん、一人かね。お父さんかお母さんは」

「あ……」

 一瞬、幼い少女の顏が曇る。

「ヴァーリチカ!」

 凛とした声が響き、男は振り返った。

 せいぜい二十代前半ほどの、少女によく似た女性が、走ってくるところだった。立ち尽くす少女に駆け寄ると、見ていた先を覗き込む。

「どれが欲しいの? なんでも買ってあげるよ」

 少女は迷うように女性を見、ショーケースを見、ふるふると首を振った。そして、とてて、と逃げるように駆けだした。

 年若い母親は店主の男に会釈すると、後を追う。


 大通りから少し離れた場所にある、広々とした自然公園。

 ひどく美しく、儚げな女が、ベンチに腰掛けていた。

 毛先だけが藤色に染まった銀のショートボブに、大粒のアメジストを思わせる瞳。稀有な色彩に加え、雪像を彫ったように白く、造り込まれたかのような美貌の持ち主だった。一度微笑めば万人が心奪われる、そんな存在だ。

 だが、その周りには常時憂うような影がちらついており、いかにも陰気な雰囲気を纏っている。却ってそれが放っておけないような色気を醸し出してもいたが、氷のような表情、華奢な体格に不釣り合いのかなりかっちりしたミリタリーファッション(それも黒一色)、極めつけは厭世感というより、人間への嫌気のような鬱憤の籠った鋭い眼差しだ。それらが彼女に近寄りがたい、というより、近寄ったらただでは済まないという気配を漂わせている。

「にゃーこ、にゃー」

 少し離れた場所で、幼い娘が野良猫と戯れている。

 母親に生き写しの、それでいて母親のような暗さも疲労感もない顔は、きらきらと無邪気に輝いていた。その様子を見ている間だけ、彼女の闇が薄まり、口元が柔らかく綻ぶ。

 娘の年齢を鑑みれば、この若い母親の纏う雰囲気も推し量れるというものだ。道行く人々は、彼女が負ってきたであろう不幸や苦労を勝手に想像し、下手に関わるのを控えている。結果、親子は誰に邪魔されることもなく、ささやかな時間を過ごせていた。……だが。

 そんな掛け替えのない時間を、無機質な電子音が不意に終わらせる。

「‼」

 女はとっさに、周囲を見回した。風景に変化はない。

 それでも警戒、とりわけ娘の様子に気を配りつつ、コートの内に手を突っ込んだ。取り出したのは、どちらかといえば型落ちの携帯端末。画面には知らない番号が浮かんでいる。これまで架空名義で何代も、短期間で頻繁に端末を替えてきた。この端末を使い始めたのもつい数日前だ。番号は誰にも知らせていない。それでも、彼女に電話を掛けてこれるのは、その可能性があるのは――二人。

 意を決して、女は通話ボタンを押した。口元を隠しながら、身を低くし、視線だけは娘から離さないで、端末を耳に押し当てる。

『ごきげんよう、なの』

 くせのある特徴的なロシア語に、ほっと息を吐く。やはり、予想していた二人のうちの一人だ。手放しに味方とはいえないし、話ができて嬉しいとも思わないが、とりあえず警戒を解いた。

「……やってくれたな。有名人」

 ぶっきらぼうに告げる。

『あらら? いまお電話しちゃ駄目だったのら?』

「どこへ行っても死んだおまえの魚のことでもちきりだよ。おかげでこっちの花も随分萎れた」

『それはもうしわけなかったの。でも、大した問題じゃなかったのら? あなたの花はみんな優秀なのら』

「まあね。……っていうか、ご機嫌だね、コマユ。何かいいことでもあったの?」

『あ、わかる? わかっちゃう? ……にきにきにきにき』

 常人に例えるなら「でゅふふふふふ」だろうか。相変わらずクセの強い笑い声が、今日は一段と、気持ち悪いくらい喜色に満ちている。

 “青海波”を倒したのは表向き《機関》ということになっているが、この様子をみるに、彼女自身の意向だろうと当たりをつける。どうやら数少ない【眷属】を潰すだけの成果は得られたらしい。

『ぱんぱかぱーん! ワタクシ富良賀湖麻由、この度親権を回復したのら! はいっ、どんどんどん、ぱふぱふぱふーっ!』

「へえ」

 電話口でも判るほど、湖麻由は浮かれきっていた。もしかしたら実際踊っているのかもしれない。

「よかったね」

『なのなの! もうお母さん感激なのー‼ ……あ、でもねでもね、別に、フィアールカを非難したいわけじゃないのら。手元で子どもを育てるのも、すっごい尊いことだと思うの』

「ありがとう」

 それに対して女は飽くまでクールだ。湖麻由がある時期から自身での養育をしていないことは知っていたが、それについて特に感想はない。他の【魔女】の子育てに関しても、口出しするつもりはない。

 ただ彼女は、娘を手放したくなかった。たとえ自分だけでなく娘も危険に晒し、不自由を余儀なくされることになったとしても。

「それで、」

 氷の花のような、吐息が漏れた。それだけで、公園の気温が一、二度下がったようだった。

「いいかげん、本題を言ってくれないかな。わざわざ自慢するために掛けてきたわけじゃないよね」

 浅くない、それでいて親しくもない(と女は思っている)付き合いから、湖麻由が別の目的から連絡してきたのは判りきっている。

『……ええ』

 だが……その回答に、心臓を凍てつかされたのは女の方だ。

『近々、あなたの(・・・・)娘の父親・・・・に会いに行くけど……何か、伝えるべきことはある?』

「⁉ まさか、おまえ」

 思わず席を立つ。件の人物に対し、彼女と同じ考えを抱いているであろう湖麻由がそれを選ぶはずがない、と思いつつも、皮膚が粟立ち、手と唇はわなわなと震えている。

 女の緊張を汲み取ったのか、相手はクールなトーンで言葉を接いだ。

『あの怪物を世に放つ気はない。でも、どうしても会って話したいことがあるの。現夜一期の、いえ、確信が持てない内は言わないでおくの』

「……特に、ない」

 絞り出すように、それだけ言った。

『そう。じゃあ、また、どこかの黄昏で』

 独特の言い回しで別れを告げると、通話が切れた。

 しばらく端末をしまうのも忘れて、身を固くしたままだった。

 あの男を憎んではいない。恨んでいるわけではない。感謝しているかといわれれば否定できないのも事実だ。好ましいと、思ったことさえあるかもしれない。

 だが、駄目だ。あいつは危険だ。これまでに会ったどんな存在より恐れている。死んでほしいとまでは思わないが、いまいる場所から出てこないでほしい。できればこのまま、自分に、娘に、二度と関わらない場所でひっそりと生きていてくれたらいい。

「おかーさん?」

 投げかけられた声に、我に返る。

 彼女の様子が尋常でないと気づいたのだろう。遊んでいた娘がいつの間にか、すぐそばにいた。

「だいじょうぶ? いたい?」

 心配そうな顔で、母親を見上げている。ちいちゃな手を上げ、頭を撫でようとする。

「……大丈夫。お母さんは平気だよ、ヴァレンティーナ」

 娘の名を呼び、そっと抱き寄せた。

 【第四魔女】フィアールカ・カニスキナ。

 森羅万象を“停滞”させる、凍てつきの【魔女】。かつてロシアの白い悪魔と呼ばれた女は、胸の中の温もりに、縋りつくように頬ずりした。

 母となり、人としての喜びを知った彼女の望みは唯一つ。

 このぬくもりを、手放したくない。そのためには、何だってする。

 たとえ世界中を敵に回したとしても。

 ――たとえあの男が、敵に回ったとしても。


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