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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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9‐4 嫌で嫌でやっぱり嫌

 見渡す限りの荒野だった。あちらこちらの廃墟の断片が、かつてここが人の住む場所であったことをたまに思い出させるばかりの、いまは無人の殺風景。むしろ違和感だった、たった一つ無事だった建物ももはや瓦礫の山となり果て、その景色の仲間入りを果たしている。

 その中心にぽつねんと、一体の《ディヴィジョン》が佇んでいた。

 用済みとなった塔とは完全に融合を解除しており、その崩落の影響の一切を受けてはいない。少々天敵の血を含んでしまったので、無事とはいえないものの、その巨体に広がる前に不純物は次々と排斥されている。あいかわらずの威容で、泰然と、この世に存在している。

 そのすぐ下、腹の辺りから、音もなくすっー、と、生えてくるものが一つ。

 自然界には存在しえない、薬物の影響で桃色に染まった特徴的な髪が、荒野の風を受けてなびいた。

 スクリーンに映された虚像のように、別の位相に存在する者として、何の障りもなく、“青海波”の主は姿を現した。その身は全くの無傷ではあったものの、埃に塗れ、そこそこお気に入りだった服も一部失くしているせいか、憮然とした表情で己を見下ろしていた。不機嫌の理由には単に汚れだけでなく、第三者に目論見を潰された忌々しさも含まれているだろう。

「はぁ……」

 明け方近い空はすっきりとした群青に澄んでいる。彼女が最も好きな時間帯だ。春であればなおさらよかったのだが。空気の清々しさとは打って変わって、地上はごみごみとしていて粉っぽい。

「しゅー」

「ん?」

 つんつん、と、その巨体に似合わない細やかさで、“青海波”が湖麻由の足元に近い当たりの瓦礫を触覚で突いた。

 持ち上げさせると、原形を留めていない何かがあった。

 一瞬、懐かしくも思い出したくない顔を思い出した。

 すぐに考えを振り払う。

 仁藤要の死に様は、存外きれいだった。忘れるべくもない。彼女自身が手にかけたのだから。

 何の意味も与えず、ただ無価値に、虫を潰すようにあっさりと、息の根を止めた。

 そういえば、あのとき傍らにいたのもこの子だったな、と、“青海波”を振り仰ぐ。

「いい、それはもう、要らないのら」

「しゅう」

 ごとん、と、瓦礫が落とされた。

 湖麻由の意識ははなから別のものに向かっている。

「ユキちゃん……」

 気を失って、いたようだ。

 意識が浮上することで、それを自覚し……

「……っ⁉」

 ……気づいたが故に、肉体も受けた衝撃を思い出し、取り戻したばかりの自我を苛んだ。

 あまりの苦しみにもう一度意識を手放しそうになる。どれほど気を失っていたのか定かではないが、この痛みを一時的にも忘却できていたことに驚く。

 痛い。なまじ痛覚が活きているせいで、身を引き千切られるような痛みが、痛みが、痛みが、少しずつ現夜時幸を蝕んでいく。

「か……は……」

 一呼吸ごと、吸収した酸素に見合わない量の血を吐いた。大半が口の中を逆流して、熱湯のようにひりひりと喉を焼く。肺が傷ついているのか、こひゅこひゅ、という咳が混じった。息をするのが苦しいのはそれだけではない。いまもなお、上に重たく冷たいものが圧し掛かっている。

 そのすぐ下、横隔膜の上辺りに、ふかふかと温かいものが潰れたばっちい感触と、あってはいけない場所に食み出た骨のさめざめとした感覚が横たわっている。内臓は多分ぐちゃぐちゃだ。右脚は確実に折れているし、腕の感覚は元よりない。神経が死んでいるのか、それとも物理的に欠損しているのか。塔が崩壊する前からボロボロだった。くっついていたとしても、脱出は困難だろう。

 それでも自分の状況を、まずは見なくては。一期によって散々叩き込まれた生き意地の汚さが、確かめるのが怖いという感情を押し退けて、重い瞼を開けさせた。

 目の覚めるように鮮やかな、それでいて沈み込むように深い青が世界を覆っていた。透き通った瑠璃色の空は明け方のそれだ。遮蔽物の一つもなくなった景色が、まさに視界いっぱいに映し出されていた。

 時幸が健やかであったなら、この風情に感嘆の息を洩らしていたかもしれない。

「……かはっ」

 代わりに漏れたのは、舌打ちにも似た咳だった。

 世界はこんなにも美しく、まったく新しい一日が始まったばかりだというのに、時幸はこんな片隅のような廃墟で、惨めに死にかけている。それがおもしろくなくて、何も悪くない世界をつい、呪う。

 その想いを受け取ったかのように……東雲の空が、歪んで見えた。

 見間違いかと思い、ぱちぱち瞬きを繰り返す。錯覚ではない。ひたすらに高い空と、積み上げられた建物の残骸の間、掛け網のように鱗模様が奔っている。

 そこよりも、近く。腕が無事なら、掴めそうなほど近しいと思う、そんな場所に。

 透明な、それでいて虚ろに黒い、目ん玉が浮かんでいた。

 圧巻なほど大きく、それでいて泰然と静かなモノと、目が、合った。

「あ……」

 気づいたときには、止めるべくもなく。

「……しゅおおおおおおおおおおおおおお――――」

 嘆きにも似たサイレンが、辺り一面に響き渡った。

 木霊するその音が、くわんくわんと頭を揺さぶる。

 その名残も消えないうちに、

「ユキちゃーん!」

 高い女の呼び声がした。

 建物の瓦礫も、機器の残骸も全部そのまま「突っ切って」、幼子に見える人影が迫りくる。

「ユキちゃん、ユキっ、ユキちゃーん、ユキちゃ、ゆ、ユキちゃん……」

 息子を発見した湖麻由は、そのあまりの惨状に絶句した。

「……くっ」

 最悪だ。

 いっそ楽に死ねていればよかった。なまじ丈夫なだけに、自分が確実に助からない、というのがわかってしまう。それなのに身体は瓦礫に挟まってるし手足の自由は効かないしで、自害さえまともにできない。このままじっくり死ぬのを待つだけでも気が重いというのに、蘇生して五体満足になったとして、果たして脱出できるかどうか。

 それだけでもう充分糞みたいな気分だ。だというのに、目の前には母親がいて、この世の終わりのような顔で時幸を見ている。おまけに、空は憎らしいくらい晴れ渡っていて。その間もずっと、傷は痛くって。

「……ぁ」

 湖麻由の顏が、くしゃりと歪んだ。

 一つしかない瞳から、ぽろぽろと涙がまろび出る。

「ゆ、ユキちゃ……」

 取り乱しかけ、縋りつきかけた腕を、


「触らないで!」


 とっさに、拒んだ。

 母親を、拒絶した。あのときと、同じように。

「触ら、げほっ、ないで……ごないで、ぐだ、ざ……」

 しわがれた声とともに、血の塊を吐く。

 こんな言葉だけで、制止できる相手ではないはずだった。いままで散々、無理やり従わされてきた。さらに時幸は、身動きをとれる状況ではない。……いや、そもそも、助けを断れるほど贅沢な状況でもないはずなのだ。

 それでも、湖麻由の手を借りることは嫌だった。彼女が憎いというより、彼女の援けを良しとする、それが自分で許せない。

「ゆ、ユキ……」

 伸ばしかけた腕を、湖麻由は引っ込めた。時幸の血液に触れないように。それとも、こんなときくらい、息子の意を汲もうとしてくれたのだろうか。

 自分でも現金だと思うが、途端に動こうと、逃げ場などないのにその場を離れたいという意欲が沸いた。

 仰向けの姿勢で、腹の上の瓦礫とは密着しているものの、首辺りには余裕がある。動かすたび激痛が奔るものの、辛うじて肩は無事だった。

「んっ……ぐ」

 “審判”で培った技術を元に、関節を回してでんぐり返る。すると、するりと脚が抜けた。建物の支柱か何かがつっかえになっていて、僅かな隙間があったらしい。それでも腰と膝はうまく動かせない。腕もぼろぼろだ。どうにか肩だけで、芋虫のように這って進む。ほんの少しでも、進むたびに腹がよじれ、擦れた腸がさらに傷んだ。筋肉が軋みを上げ、皮膚を破って突き出た骨が地面に引っかかる。まだ意識が生きていて、痛いから生きていて、なのに、指の端から濃厚な死が迫ってくる。それがわかるくらい、身体が死んでいく。

 それでも進んだ。諦めない。

 ここで死ぬとわかっていても、どれほど無様でも、音を上げない。

「……ぅあ、あ、あ、あ、あ、」

 最後のひと踏ん張り。どうにかやっと、瓦礫の隙間からその身を放り出した。

 どさりと地面に肉の塊が落ちる。普段使っている自分の身体なのに、こんなに重く感じるなんて。

 再び仰向けの姿勢で……損傷の酷くなった腹部を、埃っぽい風に晒した。

 限界だ。さっきまで漲っていた意地も気力も、もはや尽きた。

 自分の身体がゼロになっていくのが判る。

 もう無理だ。頑張れないというより、これ以上生き永らえる機能が残っていない。そんななかで、どうにか自力で瓦礫を這い出したのだ。上々だと思う。

「……ユキちゃん」

 詰んだとはいえ、それでも最期までこの女の助けを借りなかったことが、少し誇らしかった。

 ……だが。

 そんな若者の事情など、この残酷な世界は、【魔女】は、許さない。

 気を利かせて止めを刺そうなどとは考えない。たとえ利となろうと、時幸を害することを選ばなかった。

 そして、彼をみすみす見殺しにすることもまた、否とした。

「――“青海波”」

 静かに凪いだ声が、耳朶を震わせる。

 普段の浮ついた様子も、どう見ても助かりっこない息子の有様への動揺さえも、その声音からは一切感じられない。

「いままでよく働いてくれたの。自分が何をすべきか、わかってるのら?」

 言葉とは裏腹に、淡々として冷徹な、まるでこれが(・・・)最適解だ(・・・・)といわん(・・・・)ばかりの(・・・・)響きで、頭上の【眷属】に告げる。

「ふしゅるるるるるるるる」

 頷くように、“青海波”は唸った。

 誇らしげに。まるでこれが持って生まれた役目だと、任命されて光栄だといわんばかりに、嬉し気に。

 唸りながら、うねった。

 半透明の躰が、漏斗に垂らした水のように窄まっていく。胴も鱗も鰭も巻き込まれ、ドリルの如き形状へと姿を変えていく。

「…………ごふぁっ」

 何を、と呟こうとして、血の泡を吹いた。

 先ほどまで悠然とした熱帯魚だったフォルムが、さながら鉄砲魚にメタモルフォーゼを遂げていた。そういう機能が備わっていたというのも知らなかったが……その変化の意図が汲み取れない。

 地表に覆い被さる巨体の先端が、狙いを定める。身動きのとれない少年に向けて。

 何かをされる、というのは判った。判っていても、抵抗できるだけの力がもはやない。……いや、たとえ時幸が健常だったとしても、その巨体と速度から、逃れられるはずもなかっただろう。

 細く鋭い“青海波”の一端が、依然として回転を続けるそれが、そのままの速度で落下した。

「……っ~~~~~~~~~~」

 純粋な生存本能の最後の足掻き。反抗ではなく反射として、自身を飲み込む膨大な質量に対してじたばたと暴れる。まだこんな力が残っていたとは驚きだ。が、数十メートルあった巨体をそのまま液状に変質させた“青海波”はもはや小型の海といっても過言ではなく、抵抗する手足丸ごと少年を溺れさせた。

 もろに口の中に入り、吐き出そうとするも、次から次へと押し寄せるそれは口内に含み続けることさえ許さない。成すすべなく嚥下させられ、さらに追加といわんばかりに穴という穴から体内に侵入される。見た目はどう見ても水だが、不思議なことに飲み込んでも呼吸に問題はなく、ただ時幸の身体に染み渡っていく。

 肌にプチプチとした炭酸の泡に似た刺激が奔った。一型に限らずすべての【魔女細胞】に対して特効の毒となる時幸そのものに触れた場所から、“青海波”は溶解を始めている。特に体内に入った部分はあっという間に崩壊し、身体のあちこちで先ほどの爆弾など比にもならないほどの熱と衝撃が炸裂した。それでも、死ぬことなど顧みもせず、“青海波”は時幸に自らを浴びせ続けた。

 滝のように降りかかった後、ゼリーのように揺蕩い包み込み、溶けて徐々に小さくなり……消えた。

 一型‐クラスⅠ‐α。

 対人外戦争最初期に発生し、以来世界各地で人類の抵抗を嘲笑うように戦況をひっくり返し、多くの人々と地形に消えぬ傷を残した、怪獣の中の怪獣。あらゆる方法で滅することができぬと判断され、“天災”認定された、伝説の《ディヴィジョン》の内の一体。

 【魔女(ひと)】の作ったものでありながら、星の神秘が齎したように超自然的なものとして在り続けたその存在は、だが、ほんの六、七分で、世界から永遠にその姿を消した。その膨大な質量はホログラムか、もしくは霞でした、といわんばかりに、いずこかへ消え去った。

 当然、今後《機関》に限らず多くの組織と国家を巻き込む騒動が発生するのだが……それはまだ、少し先の話である。

 なんにせよ、“青海波”は死んだ。

 命じられるままに生まれ、働き、在り続け、そしていま、命じられるままに、使い潰された。

 その跡地、まるで萎んでいくように《ディヴィジョン》が沈み込んだ、中心に。

 雪原で倒れていたときと同様に、一人の少年が倒れていた。

 “青海波”の巨象には見合わない、小さな小さな、この世界の大きさに比べたらほんとうにちっぽけな、ちびゆきくんが。

 その全身はあますところなく粘液に塗れている。まるで生まれ落ちたばかりの赤子のごとく。

「……かは、」

 そしてやはり、産声のような、咳をした。

 それをきっかけに、げほげほと、気管にも入ったのか激しく咳き込みながら、薄く碧がかった水を吐き散らかした。

 吐きながら、身を起こす。気持ちが悪い。服にも肌にもべったりと凭れつく感触も気色悪いが、根本的に、体内を侵食された心理的抵抗を感じていた。

 それだけだった。

 出血の曇りも、四肢が砕ける恐怖も、内臓圧迫の苦しさも、何の痛みも、感じない。

 瞼の中に入り込む粘液を何度も振り払いながら、おそるおそる目を開ける。

 腕がある。欠損のない、どころか傷一つない肌が、目の前にあった。骨折どころか、ワイヤーで擦れた傷も、銃が暴発して負った火傷痕も、そんなもの初めからなかったといわんばかりの、生まれたてのような皮膚がついている。信じられない気持ちで、握ったり開いたりを繰り返す。

 腰を見た。脚は両方ともちゃんとついている。腹は破れていないし、あばらも元の位置に収まっている。

「……なにを、した……ん、ですか」

 驚きよりも、警戒や怒りの籠った声音で、振り仰いだ。

 視線の先には湖麻由がいる。

 彼女は答えない。

 睨みつけたまま、膝をつき、近場の瓦礫を支えにして、どうにか立ち上がる。

 粘液で重く、億劫な感覚はしたが、筋肉や骨に異常が見当たらない。あたりまえのように身体が動く。

 それがとても、気持ち悪い。

 この短期間でどうにかなるような故障では、けしてなかった。常人なら致命傷となっているはずの。時幸でなかったなら、彼でももう少し運が悪ければ――いや、運がよかったなら、だろうか――とっくに死んでいてもおかしくなかった。

 自分の身体なのに、自分の意志で動き、湖麻由から距離を置こうと後退ることも、身構えることもできる、それなのに。却ってそれが、自分の身は己のものではないのだという感覚を与えた。

 湖麻由の【眷属】を取り込んだこの身は、果たして本当に時幸のもの、といえるのだろうか。何か仕込まれたのでは? “青海波”を吸収したこの身体は、それまでの時幸と、まったく同じではないのでは?

「……あ、」

 ――否、そうではない。

 そもそもの前提が異なる。

 いくら人のように振る舞ったところで。

 いくら人に尽くしたところで。

 この身は元より……半分は、“青海波”と同じ成分で、できている。その巨体に見合うだけの質量という名の暴力と、現存するどんな兵器も無効化するというチートを持ち合わせた怪物を、その身から生み出せる存在と、同じ子宮から、自分は生まれ落ちた。

「――う」

 身体の機能に異常などないのに……だからこそ、吐き気が込み上げる。

 時幸の正常な内臓は、抱いた生理的嫌悪感をそのまま吐き出した。喉を逆流した粘ついた液体が胸に、腹に、膝に被さった。かかって既に濡れている同じ液体に合流した。不快という感覚と、それと自分を構成する細胞に大して差がないのだという、それまで平気だった「自分」が、一気に汚いもののように思われる拒絶。その場で吐けるだけ吐いた。

 盗み見ると、やはり湖麻由は、時幸を見ていて。

 目を離さなくて。

 まっすぐ、時幸を見るその眼が。

 何も語っていない、ただ見つめるだけの瞳が、苦しかった。

 責められているわけじゃない。喜ばれているわけでもない。

 【眷属】を一体潰したことを、彼女は一切悔いていない。

 代償に何も手に入らなかったとしても、満足している。

 独りよがりでも、救ってよかったと、安堵している。

 あなたは何も気にしなくていいの。何も求めない、と。

 ただ、あなたが傷つくのは悲しい、と。

 当然のように、あたりまえのように、普遍であるかのように……

 ただ、「■している」と。

 その眼が……その眼で見られるのが、ひどく、ばつが悪い。

 怯えるでもなく、ただ、いたたまれない。

 銃弾を擦り抜けたりとか、人体から臓器を抜き取るとか、そういう次元ではない。既存の生態系のどの系統にも位置しない化け物――時幸も含めた――を生み出せるという超常の存在。そんなものが、ヒトに限らず多くの生き物に共通の「■性」なんてものを備えている違和感。なのに、不思議と安心している自分が、やっぱり、嫌で。

「……はぁ……はぁ」

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 任務続行中という緊張感と、まだ継続できるという余裕で、抱いた安心感を上書きする。

 自分が人間でない、なんて、いまさらだ。

 それに、時幸を時幸たらしめるのは肉体だけではない、と……自分でも、見出したばかりだ。

「はぁ……」

 未だ溢れる唾を無理やり飲み込み、眼差しに強い光を宿す。切り替わったことを向こうも察したのか、ようやく時幸から視線を外した。こちらを窺う気配は変わらない。

 《機関》に所属している以上――今回のいざこざで処遇がどうなるのかわからないが、正式な解雇通知はないし多分まだ籍はあるだろう――【魔女】は、時幸の敵だ。この場でさらに何か干渉してくるにしろ、「時計塔」が消し去ったことで目的を失して再び行方を眩ますにしろ、相対するための手段が必要だ。

 はっきりいってもう関わりたくない、関わるのが怖いという気持ちはあるものの、一方で、まだ訊き足りないことも言いたいことも山ほどある。捕えておける気はしない。湖麻由とて、みすみす仁藤周に身を委ねはしないだろう。それでも、取り逃がすわけにいかない。

 塔の崩壊やら激流やらに巻き込まれて、銃もJ・Rもどこかへ行ってしまった。それでも利用できるものがあれば利用できるのが“審判”の強みだ。後じさりつつ、けれど一定の距離を保ったまま、周囲の瓦礫に目を巡らせる。

「……ん?」

 時幸が挟まっていた瓦礫の奥に、きらりと光るものを見た気がした。覗き込んで……一気に血の気が引いた。

「――早梛、さんっ!」

 途端に、相対している湖麻由のことなど頭から抜けたように、半狂乱の様相で瓦礫に手を突っ込んだ。治ったばかりの肌が裂けるのも厭わず、全身の筋肉に鞭打って瓦礫を持ち上げる。

 見つけたのは、早梛の腕輪型武装だった。研究部武器開発班の中で意見が割れていて未だに名称が決まらないが、そんなことはいまはどうでもいい。これがつっかえになっていて、時幸を圧し潰す瓦礫に僅かに隙間ができていて、自力での脱出を助けてくれた。

 あの土壇場で。メリサが高笑い、それに気を取られている隙に一気に建物が崩落した、あの一瞬のうちに。咄嗟に早梛は、腕を伸ばして、この金属板を張り巡らした。自分ではなく、時幸を守るために。

 持ち上げた瓦礫の下に早梛の姿はない。金属板の端を追い、別の瓦礫を持ち上げ、そこにも彼女がいないと判るとまた移動した。

「どこに、早梛さんっ、どこにいるんですか、早梛さん、早梛さん!」

 考えれば考えるほどにいくらでも沸いてくる不安。

 時間だけが徒に過ぎていく焦燥。

 自分のやっていることは無駄ではないのか、という恐れ。

 それらすべてを抱えて、目を背けて。

 狂ったように名前を呼びながら、駆けずり回って。

 腕がまた、ぼろぼろになってもコンクリート塊を動かし、ジャンクになった機器を蹴り飛ばして。

 そこら中の瓦礫をひっくり返して、ようやく……。


 時幸は、早梛を見つけた。


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