8‐5 隠し玉
「ふわわわわ! な、なに、なんなの⁉」
備わっている権能はあらゆる攻撃を無効化するが、それでも弱いものがいくつかある。
特に特殊な眼を持ち、視覚に頼ることの多い彼女にとって、閃光弾は抜群の効果を発揮する。仁藤周の入れ知恵だろう。相も変わらず食えない男だ。
ようやく目が利くようになり安堵したのも束の間、部屋の四方を揺るがすような衝撃につんのめった。床に四つん這いになり、怯えたように周囲を見回す。その姿は災害を怖がる幼女のように無防備で、とても人間を辞めた超越者には見えなかった。
揺れが収まり、こわごわと立ち上がる。よしんば建物がぺしゃんこになったとしても無傷だろうに、驚くのは、人間だった頃の名残だろうか。
「ああん、ぐしゃぐしゃ」
乱れた髪から一度カチューシャを外し、手櫛で整える。
「はあ、なんだったのら」
既に、時幸の血の散らばった箇所は切り離してあるものの、小刻みな震えは収まらない。どうやら原因は“青海波”ではなく、建物側にあるようだ。
胸を押さえる。
「……大丈夫かしら」
ユキちゃん――時幸。
大事な息子は戦地に出て、仁藤周や現夜一期の命令で危険なことを行い、怪我までしてしまっている。《機関》に預けた時点である程度覚悟していたこととはいえ、やはり間近で目撃すると、気が気でない。
「あんなに、血が出て。痛そうなのら。早く、何とかしてあげないと」
ぱちぱちと、数回瞬きした後……薄ら開いたときには、その虹彩は緑に瞬いている。
「……見つけたのら」
すぐにでも息子の元へ馳せ参じたかったが、先ほど半端に会話を打ち切られてしまった。いま彼女が現れたとしても、却って興奮させ、また無茶をさせてしまうかもしれない。
幸い、彼はいま一人ではない。信頼できるお友達が傍にいるのなら、少し放っておいても大丈夫だろう。男の子なんだから。こんな危険な場所に、時幸だけでなく、あんな小さな女の子を寄こした仁藤には、やはり良い感情は抱けないけど。
瞳をさらに加速させる。連動して時幸の右眼も翔けているだろう。まだ覚醒していない彼には辛いだろうが、痛みが何度も訪れるよりかは、一度で済ませてしまった方が負担は少なくて済む。果たして、目当てのものは見つかった。
「ふうん」
地下か。どうりで上がって来るまでに見当たらなかったわけだ。
時幸に辛い思いをさせたくない、そして《機関》、延いては仁藤周にこの塔の仕組みを開示してしまう危険性から、ぎりぎりまで眼を使わなかったことを、少しだけ後悔した。こうもあっさり見つかるのなら、わざわざ回りくどい方法を使わなくてよかったものを。徒労感に肩を落とす。
だが休んでいる暇はない。「視た」ところ、時幸達も地下へと向かっている。あのような悍ましいもの、できれば息子には、見せたくない。
あと一人、見覚えのない女も向かっている。どうやらこの揺れの原因はこいつらしい。なるほど、破壊ではなく分解……塔本来の機能として組み込まれた手段を用いたのか。複雑な建造物であれば必ずあるその弱点によって、“青海波”の不可侵性を突破するとは驚きだ。
だが、些末な問題だ。だって湖麻由自身が、この塔は最終的に完膚なきまでに壊す予定だったのだから。それまでに目的が達成できさえすれば、壊す役は誰でもいい。
「……ん」
閃光弾の光で目が眩んでいたとき、落とさないようとっさに握り込んだ掌を広げる。
透き通った薄青い目玉が、無言で見つめ返してきた。
その眼差しは鋭い、比喩でなく。スターサファイアのように、虹彩を横切る線が奔っている。
「んー……こう、なの?」
視神経乳頭に当たる部位を、指で押す。特に変化は見受けられ……否。放射状に刻まれた瞳の奥が、僅かに揺れ動いた。目を細めて覗き込む。
狭い覗き穴の向こうには、まさに万華鏡のような景色が広がっていた。
階段、通路、各部屋……彼女の眼が通過した場所の様子が、同時に映し出されていた。本来、彼女の頭の中にしかないはずの映像が。
「すごいのね、これ。あなたが作ったの?」
返事はない。
「人間辞めさせられた一期や、文句のつけようのない化け物のルスランと違って、よくもまあ、人の形を保ったままここまでの領域に至れたものね……あら」
志緒を振り返り、目を瞬いて小首を傾げ、苦笑した。
「ごめんなさい、もう人の形じゃなかったのら」
そう言うと、遊びに飽きた小学生が置き去りにしたボールのように打ち捨てられていた男の頭部を、小さな手で鷲掴んだ。頭蓋も脳も詰まったままのヒトの頭部はボーリングの球ほどの重さがあり、八歳児程度の力しかない湖麻由の手には少し余る。ぶちぶちと、頭皮ごと頭髪の剥がれる音がした。
「さ、あなたにはもう一仕事してもらう予定なのら」
何の前触れもなく。
湖麻由の靴と、それに覆われていた小さな足が、消失する。
ゆっくりと、床に沈み込んでいく。底なし沼に嵌る人のように、膝、腰、胸と、順々に。
数十メートルの高さも、崩壊の揺れも、彼女には関係がない。直線距離そのままに、地下へと潜っていった。




