7‐2 侮りの代償
【魔女】は、志緒が思っていた以上にしつこく内部を彷徨っていたが、どうやら引き上げて戻って来るようだ。
或いは途中から、目的は少女ではなく、別のものに移っていたのかもしれない。ならば無駄な話だ。この塔の中枢は、この管制室を除き、地上のどこにも存在しない。
戻って来る小柄な影を一瞥した後、空中に映写していたウィンドウをすべて消し去る。
「……はあ。どこなのかしら」
直前まで視ていた情報と違わない姿で、湖麻由が再び現れた。
志緒は顔を合わせないように俯く。愛想よくしてやる必要など一片もない。
「一人で何してたのら?」
しかし、【魔女】はちょこちょこと近づくと、顔を覗き込んできた。
鬱陶しいので、別の話題を振ってやる。
「うろうろしてる間に、お互いお目当ての人物が来たよ」
「あらっ」
湖麻由は、ばつの悪い顔をした。先ほどの反応を見るに、てっきり再会を待ち望んでいるのかと思っていたが。
「嬉しくないわけ」
「そう……そういうわけじゃないのら」
落ち着きなさげに左だけの視線を下に向けている。やがて、溜息を吐くと、ふい、と背を向けた。
「来る前に済ませておくつもりだったのに……」
「手伝ってもらえば?」
「やなのら」
くるり、と再びこちら側を向く。歌を歌ったり、空中に浮かんだりと、落ち着きのない人物だということはこの短期間で把握した。
「……要がどういう形で保管してるか、だいたい見当がつくの。あんなもの、見せたくない。あの子には善いものだけを得てほしいの」
「見ざる、聞かざる、言わざる、か」
幼いときには、汚いものは見ない・見せない、聞かない・聞かせない、言わない・言わせない。そういうふうに育ちなさい・育てなさい、という教え。見たところ、湖麻由の息子はもうそれなりの年齢だが、それでもよくないものから遠ざけたい、というのは、やはり親心なのだろうか。
それはさておき、いまの一言で目的は察せられた。この塔の本来の機能……仁藤要の遺したアレを探しているのだろう。具体的にどういうことをするつもりなのかは判らないが、この女なら……と、そこまで思いついて。一つ、疑問が湧き出でた。
「もしかしてさ、」
再び半回転しようとしていた湖麻由は、話しかけられて思い留まる。
「そもそも十八年前の【紅鹿事変】……この塔を使うために、仕組んだとかない?」
この塔の用途を知っているのなら、起動するための条件が必要なことも知っているはずだ。……そしてこの女は、その条件を既に満たしている。
だが、
「いいえ」
湖麻由は、否定した。
「この塔の使い方は知ってる。でも、使うつもりはないの。目的は他にある」
スン、と目を伏せ、手を背中側に回す。あんなものを利用するような人間だと思われたことが、どうやら気に障ったらしい。
「あなたこそ、この塔の機能を知ってるってことは、アレの場所も判ってるはずなのら? 教えてほしいのら」
「使わないんじゃないの?」
「のら。この塔の仕掛けには興味がない。別件で野暮用があるの」
「残念だけど、無理だと思うよ」
「どうして……そう思うの」
「《機関》」
顔を俯けたまま、志緒は上目遣いで女を見た。
小一時間ほど前に覗いた、《機関》の少年の様子。塔に持ち込んだ武装の数々と、彼自身の素性から察せられる指令。
「この塔を、あんたの可愛いペットごと潰す目論見だ。あんたの息子を使ってね」
「……は?」
「だから、もうすぐあんたの目的ごと全部塵に還るだろうね。悔しい?」
彼自身が発掘した施設と《同盟》との交渉の末に引き出した情報、この日のために組み上げた計画。それらすべて乗っ取られた恨みもあって、もう失うものなどない無敵のテロリストはざまみろ、というように唇の端を上げて笑った。つい、油断してしまった。
「別に」
だから、見えていなかった。
「ユキちゃんのしたいようにすればいい。あの子の願いはできる限り叶えてあげたいの。それに比べれば、“青海波”がいなくなるのなんて何も問題はない。だからそれはいいの。問題は……」
女の貌が。
「おそらくそれを命じたのが、仁藤周だということ。そして、この塔がなくなるまでに目的を達する必要があるってこと」
「へえ。頑張って」
「そうはいかないの」
いきなり、むんず、と頭を掴まれた。見た目幼女とは思えないほどに素早く、きつく。
振りほどこうと藻掻くが、無理やり持ち上げられる。
「もう手段は選んでられない。無理にでも役立ってもらうの。わたしがいない間何をしてたのか、見てなかったとでも思ったの?」
そこでようやく、志緒には見えた。
近くで見ると、なかなかに愛らしい顔をしている。事情を知らない者が見たら、きっと十年後には麗しい女性に成長するだろう、と期待するような。そのような外見になることは二度とないのだが。
その美しい顔が、いまや、氷のように凍えている。好奇心に輝く子どもの外見とはかけ離れた無表情だ。されどその中心、一つしかない瞳が、黒い太陽のように沸々と燃えていた。
「いえ。見ていた、という表現はおかしいの。見なかった、だからこそ判ったというべきかしら」
頭を掴む腕が震えている。
「この塔の内部には監視装置がない。ざっと見回ったけど、監視カメラも、外部の様子を映写する装置の類も。要には必要がなかったから、そもそもつけなかったのでしょう。でも、」
とてつもない気迫ではあったものの、やはり、幼子の筋力では限界だったのだろう。するりと頭が抜け、志緒の髪が引っ張られる。
「あなたには、見えていた。映し出していた。さっきも言ったのら、『お目当ての人物が来た』って。少なくともそういうのを探知できる仕掛けを、あなたが独自に持ち込んだ。でも、この部屋にそんなものは見当たらない。なら、あなたが身に着けているもの……さっき通り抜けたとき、胴の中に違和感はなかったのら。それに、あなたずっと……目線を合わせるのを、頑なに嫌がってた」
男の隠されていた顔が明らかになった。
輝く、細やかな星の浮かぶ瞳も、何もかも。
「……っ」
外れかけた腕から強引に逃れると、志緒は電光石火の勢いで身を翻した。部屋の出口を目指し、かけ、だが…………。
「がっ……?」
膝をついて床に転がる。とっさに起き上がろうとする。左膝は立つが、もう片方の脚に力が入らない。
「わたし、逃げるのも得意だけど、逃がさないのにも定評があるの」
怖いものなどなかった。すべて失ったと思っていた。だが、違った。
その気になれば【魔女】は、人間から、信じがたいあらゆるものを強奪することができる。たとえ灰の一握になろうとも、奪えるものが残っている限り、どこまでも。
「ごめんね、とっちゃって。でも、大人しくしてくれるのなら、なるべく痛くしないって約束するのら」
【魔女】は、手に持っていたものを手放した。
志緒の脚から抜き取られたものが床に落ち、ごつ、と固い音を立てた。




