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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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*第7章* 7‐1 潜入2

  インド神話において、世界は四頭の巨大な象によって支えられ、やはり巨大な亀の上に乗っているらしい。

 別の場所では、地下には巨大な鯰が眠っていると信じられ、また、星々を飲み込むほどの巨人が登場する伝説も各地に存在する。

 だが、話に聞くのとこの目で見るのとではまったく違う。

 まさしく世界を抱いているといわれても納得してしまいそうな、並々でないその威容。

 まだ距離があるにもかかわらず、ひしひしと肌を打つ威圧感。

 あの巨体が少し身動きするだけで、当たらずともその衝撃だけで、周囲の建物はたちまち震え、崩壊するだろう。十九年前と同じように。

 だというのに。まさしく怪獣と称する以外にない大きさに反し、自身を窺う人類の緊張も不安も、或いは畏怖も高揚も意に介さず、“青海波”は悠然と微睡んでいる。

 薄ら青く透き通る身体は、ゆったりと波打つようにその濃度を変化させ、無数の鰭が優雅にたなびく。きらきらした星灯に照らされたその様は、さながら映画のラストシーンのように静謐な迫力があった。

 ヘリから降り立った時幸は、呆然とその姿を見つめていた。元は同じ「母」から生まれた者。それこそ、彼がいままで携わってきたどの人間よりも、彼に近しいかもしれない生き物。

「……さすがに、これ以上の接近は」

「充分です。あなたはこのまま、基地の方へ飛んでください。……監督主任はお冠になるかもしれません。損な役割を押しつけることになってしまいますね。ごめんなさい」

 東海区支部を出発した後、琴羽の待機する仮設基地へと一旦向かうはずだった。それを、時幸の独断で直接塔への接近に変更してもらった。琴羽には事後報告になってしまうが、認証装置に加え、いまは爆弾のタイムリミットもある。少しでもロスは減らしたかった。

 それに……早梛を置き去りにしたことに責任を感じている琴羽は、自分も同行すると言い出しかねない。ぼろぼろの彼女を連れていくわけにはいかない。――これ以上、時幸の大切な人々を、湖麻由に近づけたくない。

「それはいいんだけどよ……本当に、一人で行くつもりか? 坊主」

「ええ」

 ヘリのパイロットに向けて、時幸はにっこり笑いかけた。

「俺、こう見えて、遊撃班零室の所属ですから」

「ってことは……現夜前部長の……!」

「はい」

 時幸の素性を知らない者には、技術班の試作武装でもって塔内部への潜入を行うと伝えてある。十五の若造一人だけで向かうと聞かされて皆目を瞠ったが、現夜の名を聞くと勝手に納得したようでそれ以上追求してこなかった。故人の威を借るのはきまりが悪いが、余計な説明の手間を省けるのはありがたい。

「ほれ、できたぞ。飽くまで一時的なものだがな」

「ありがとうございます」

 話しているうちに、パイロットはメリサの乗る電動車椅子に簡易拘束を施し終えた。目標は目視できる距離、周囲には他に《ディヴィジョン》はいない。車椅子を押しながらでも、そうかからないだろう。

「……坊主、無事に戻ってこいよ」

 短い付き合いではあったが、研究者よりもずっと親近感の湧く男だった。

「ええ」

 電動車椅子のエンジンを入れ、後部に足を掛ける。出発すると同時に、ヘリも離陸準備を始めた。


 満天の星の下、見失うはずもない巨体を目指す。

 前方の《ディヴィジョン》は、半透明とはいえ、その巨体で僅かな星影すらも遮っており、その分だけ翳った地帯を車椅子は進んでいく。

 通信越しに、或いは遠くから見ていたときと比べて、“青海波”の漠然とした大きさは具体的な質量として迫りつつある。接近したことで、遠くからでは判らなかったことが見え始めた。

 まるで世界が平和であるかのように煌く星座の下微睡むそれは、ミノカサゴというより、美しい熱帯魚に擬態した虫か植物のようなちぐはぐしたイメージを抱かせる。全身はその名の由来通り、寄せては帰す波のような無数の鱗に覆われているが、遠目には宝石か鏡のように見えたそれは、実のところ、死んだ魚の眼のように、表面のみが澄んでいて、奥は淀んだ中に舌の裏のようなてらてらとした紫や碧が紛れていた。優雅な鰭のように揺蕩う器官は触手を依り合わせたよう。まるで、身体の一部が透けていて内臓が見えている深海の生き物のような、グロテスクな姿をしていた。

 もちろん、迫力はあるし、あれだけ大きな生き物が動くということに驚きもある。内部に侵入する恐怖や嫌悪も感じている。だが、大きいというそれだけで泰然とした、ある種の神々しさに対する畏敬は湧かない。自然界に存在する美しい調和が、その生き物には適用されない。周囲の景色、かつて人の暮らしていた跡が残る、胸が締めつけられるような廃墟の点在する荒野にとって、あまりに不釣り合いだった。

 ごてごてと肥大しただけの、それだけの、不完全な生き物。確かに大きさも、能力も尋常ではないが、そのアンバランスで非効率的な印象は、そのまま普段相手取っている《ディヴィジョン》に他ならない。

 すぐ傍まで、触れようと思えば触れられる……逆に、向こうからもあっという間に飲み込めるような距離まで来てやっと、時幸は車椅子を停止させた。メリサの拘束具はそのままに、シートベルトを外し、降ろしてやる。

「“青海波”」

 静かに、別段緊張してもいない、軽い声音で呼びかける。元は他人が付けた識別名だが、湖麻由も気に入ってこの名で呼んでいた。

 “青海波”は、魚類特有のぎょろりとした、やはり巨大な目玉をぐりん、と動かした。じっと、時幸を見つめる。

 と。

「……ふしゅぅるるるるるる」

 敢えて例えるならミミズクに似た啼き声が、耳朶を震わせた。

「……俺のこと、憶えてたんだ」

「ふぅるるるるる♪」

「通ってもいいかな」

「ふふるるるるるぅ♪」

 その巨体に欠片もそぐわない控えめな、かわいいとさえ思える声で“青海波”が、巨大な頭部をずずっ……と押し下げた。

 一瞬、時幸に突進したかと思われた。しかしその大きさに似合わず、優しく触れた《ディヴィジョン》は、すりすりと頭を擦りつけるに留めた。スケールが違い過ぎるが、久方ぶりに会う飼い主に甘える仔犬のような仕草だ。

 一頻り再会を喜んだ“青海波”を宥めると、時幸は自身の右腕に巻いたバンドをメリサの拘束具の金具に繋ぎ、さらに後ろから抱えるように手を回した。

「もっと近づいて。俺の身体の延長だと認識させるように」

 ぴたりと寄り添い合う。歩きにくいが、施設の入り口までは視認できる距離だ。

 “青海波”の薄青くでろでろした表面を潜る。

 特に、感触はなかった。一秒前までいた場所と同じ視界、同じ静寂、同じ空気。歩きながら、周囲を窺う。上方は一面波のような青色の鱗に覆われているが、透明度が高いのでその向こうの空の色が透けていた。なんてことはない。硝子張りの天井か蚊帳の中にでもいるようだ。水の中でも、まして体内にいる実感もない。

「……」

「……」

「……」

「……何も、訊かないんですね」

 メリサは終始無言だった。

 監獄で「秘密」を明かした以上、時幸の素性もある程度予測はついていただろう。先ほどの“青海波”の反応で確信したはずだ。が、それについての言及も、何か脅迫する意欲も、《ディヴィジョン》の内部を潜るというそうそうできない体験への感想もない。

 続岩のように、感情の動きがあっても仕事の上では隠している人には大勢会ってきた。だがメリサからは、隠している気配さえ窺えない。

「意外」

 と、不意に口を開き、思わず身構える。

「問い質されても面倒と思っていると予想。それとも、メリサとの会話を楽しむ意志があるのか? 疑問」

「おっしゃるとおりです……」

 メリサが何か言ったとしても、否、言っていたとしたら、時幸は無視していただろう。逆にこの状況下でも何の反応も示さないからこそ、却って時幸は彼女が気になった。

「訊いてもいいですか? ……もし仮に。小里川志緒が既に【魔女】に殺されていたとしたら、あなたは何を思いますか」

 かつて、メリサは言った。自身への扱いには、何をされても、喜びも悲しみも、怒りも退屈さえも感じなかったと。

 なら、自分の相棒に何かされたら、この女はどう思うのだろう。

 或いは。自分を支配する者がいなくなったら、自由になったら、どう感じるのだろう。

 疑問心と、仄かな期待でもって、時幸は尋ねた。しかし。

「糸が切れたな、って思案」

「……は」

「途方。メリサは操り人形だから、糸が切れたら動けない。そこでお終い」

「……志緒に何かされていたとしても、どうでもいい、と?」

「肯定。メリサに主体性はない。人形は主人に使われるもの。主人が使っていないのに動いたら、それこそ在り方に反すると断言。解放。志緒がいなくなるなら、放りだされるだけ。したいことも、しなくて済むようになって嬉しいことも、皆目見当、不可」

 本当に、何も思ってなどいないのだ。

 志緒のことも。

 志緒がいなくなった後の、自分のことも。

 人形。

 セシリアも自己意識が乏しかったが、それはおそらく幼さや、父や組織が絶対であるという刷り込みによるものだ。それでも、役に立ちたいとか、親に呼ばれて嬉しい、みたいな、感情の揺らぎは感じ取れた。

 メリサは……人間として大事な「魂」が欠けている。

「――っ」

 似ている(・・・・)

 初めてこの女と会話したときから薄々ひっついていた気持ちの悪さが、具体性を持った脅威として目の前に現れた。

 ――脅威。ベルトと鎖で封じられた痩せぽっちの女に、時幸は怯えている。

 何をされても何も感じない。その在りようは、同じだった。

 感じる機能を無くさなければ存在することさえできなかった、幼い頃の時幸と。


 《機関》に来たばかりの頃、捨てられたショックをまだ引き摺っていた時幸は抜け殻のようで、何をされてもされるがままだった。捨てられた自分に価値はなく、自分で自分を大事にすることを放棄していた。

 彼と接する大人の中にもまた、彼の幼さや親との確執を配慮せず、ただ【魔女の息子】というラベルから、化け物、ないし実験動物としか見なさない者も少なくなかった。故に、高圧的に、そうでなければそれこそ猛獣を扱うように恐々と接せられた。だからますます、彼の中で「自分」というものが、希釈されていった。

 或いはそれが、壮絶な経験の連続から心を守るための処世術だったのかもしれない。

 だがそんな、子どもらしくない時幸を、周囲はますます不気味に思ったことだろう。

 一期が引き上げてくれなければ。人らしく生きられる道と気骨を、示してくれなければ。

 布と綿の代わりに皮と腸を使っているだけの、人形が一つできあがっていたかもしれなかった。

 メリサもまた、この精神性を獲得するに至るまでの人生があったのかもしれない。先天性の障害かもしれない。

 しかし時幸は、これ以上踏み込みたくなかった。彼女に、自分のIFを重ねてしまった以上は、もう。

「……」

 ただただやり場のない悔しさだけが、胸中を占める。

 いまは任務が優先だ。自分(かんがえ)から逃げるように、塔内部に足を踏み入れた。


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