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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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6‐2 相棒だから

『……はい、神橋。いま通話大丈夫です』

 一声聞いた瞬間、ほっと、肩が下がった。瞳が濡れ、知らず瞬きを繰り返す。

 そっと、口に出す。あのときのように。彼女が生きていてくれた歓喜に打ち震えた、あの夜と同じように。

「早梛さん」

『ん、時幸くん?』

「~~~~~」

 ここまで名前を呼ばれて嬉しかったことは、多分三回目だ。結構多い。

「よかった……よかった」

『……心配かけて、ごめん。でも私は大丈夫。ピンピンしてるよ』

 ぶんぶん、という音がした。通信状況が不安定なせいか、音声のみのやり取りしかできないが、どれだけ元気なのか証明するのに腕でも振っているのかもしれない。

「……早梛さん。いまどういう状況か、琴羽さんから聞いてますか」

『う、うん』

 時幸の雰囲気が変わったせいか、早梛の声に困ったような揺らぎが重なった。

「……あの人に、会ったんですか」

 氷のような声が出た。

『……わかんない。何があったか、憶えてないの』

「っ……」

 冷たい汗が頬を伝う。

 先ほどの、通信内容を思い出す。

 内臓を抜き取るのがあの女のやり口だが、早梛は身体に違和感はないという。脅されて言わされているような様子もない。

 それでも、あの女が早梛に触ったと思うと、生理的な恐怖と悪寒が背中を這い上った。

「そうですか……いま、どちらに?」

『えっ……あ、うん』

 数秒間、ごそごそと、何かを探るような音が届いた。

『三階の真ん中? 辺り。ちょうど二階に下りる階段を見つけたとこだよ。ここをずっと下りれば認証装置がありそう、かな? ちょっと自信ないから、一階に下りたら探してみるね』

「え、あっ……」

 この瞬間まで、時幸は当初の目的を忘れていた。大方、彼が研究者に運ばれている原因にもなっている、仁藤の命令のせいだ。

『もっとも、見つけても、いまの私にはどうしようもないんだけどね。メリサの偽装も、捕まったときに全部剥がされちゃったし』

「いえ、ご無事でよかったです。俺もすぐに向かいますから、一階に着いてもなるべく動き回らないでいてください」

『……やっぱり、あなたが来ることになってるんだね』

「ええ。俺以外に出入りできる人間はいませんから。ですから俺が行くまで、無理せず待っててください」

『……ごめん、足手まといになっちゃって』

「誰もあなたのこと、そんな風に思ってませんよ」

 むしろ……と、言いかけた言葉を飲み込む。彼女の身がいまも危険な状況下にある一因は、時幸の肉親が仕組んだことだ。おそらく早梛は、時幸が彼女に言ったように「時幸のせいじゃない」というだろう。けれども、怖かった。言ったところで何も彼女の援けにならない、という諦めもあり、結局口には出さなかった。

『ありがとう。あのね、時幸くん』

 そんな時幸の心境など知らないのだろう。早梛の声は依然として清かで、溌溂としていた。

『なんでも初めてで、なのに想定外のことが次から次へと起っちゃったけど……私、この任務に参加できてよかった』

「え……」

『悠さんや笹倉さん、皆みんな頑張ってる。私はその頑張りが報われる世界であってほしい。だから、やり遂げたい。できれば誰にも、傷ついてほしくない』

 柔らかくも力強い、若々しい青の響き。

 それはとても、早梛らしい言葉だった。

 時幸は胸を突かれた。【魔女】にばかり気を取られていた彼の心が、繋ぎ留められた心地がした。この任務の本来の目的。期限までにメリサを連れていけるかどうかに、すべての《調律の彼女》の未来が懸かっている。早梛の、そして彼の守るべき、帰るべき日常も。

「早梛さん、」

 言いかけた、刹那。

 紙を裁断するのに似た機械音と、少年の呻き声。

「時幸くんっ⁉」

 突然響いた相方の短い悲鳴に、早梛の心は掻き乱される。

「どうしたの? 声しか届かないんだけど……」

『……大丈夫っ、です……』

 全然大丈夫には思えない、汗ばんだ声だった。

「いったい何があったの? 怪我したの?」

『いえ……ちょっと、仁藤さんの保険が炸裂しただけです』

「???」

 不可解な一言に、ますます不安を募らせていく。

『それよりっ……』

 見舞客が来るときだけ空元気に振る舞う重病者のような声音で、時幸は告げる。

『俺は……ぜったい、あなたを無事に連れ帰ります、から……』

 こんなときだというのに。

 不覚にも、ときめいてしまった。

 それで、自覚がすとんと自分の中に落ち着いた。なんだかんだ、早梛自身も怯えていた。時幸や琴羽に心配をかけまいと、無理に振る舞う部分があった。

「うん……」

『だから……』

 だが。

 その後に続く言葉に、先ほどとは異なる意味で、胸を鷲掴まれた。

『あの人にだけは……けっして、近づかないでください。近づけば、あなたは殺されてしまう』

 依然として、お互いの表情は判らない。

『もし幼い少女を見かけても、話しかけようだなどと思ってはいけません。一秒前まで会話をしていた相手の、心臓を抜き放つのに躊躇のない人です。それ以外にも遠隔から人を害する術には長けています。こちらからの攻撃も効きません』

 それでもその声が、言葉が、痛々しくて。

「っ……」

『早梛さん?』

 黙り込んでしまったのに不安を抱いたのか、時幸の声にはこちらを慮る響きがあった。

「なんでもない」

 肩の力を抜いて、明るい声を出した。

「大丈夫。何も心配しないで。気負わなくていいから」

『?』

「また、すぐ会えるから」

『! ……え、ええ! 待っていてください。いまちょっと東海区で足止め喰らってるんですけど、終わったらヘリを用意してもらってるので、すぐに駆けつけます。あっ……駆けつける、っていうのは変ですね。飛んでいきます』

 早梛は吹き出すほどではなかったが、ちょっと笑う。

「うん。待ってるね」

 これ以上は時幸の準備にも、早梛の警戒にも差し障りが出る。名残惜しいが、通話を切った。

「……」

 声が聞こえなくなった瞬間。その場に、へたり込んだ。

「~~~~~っ」

 琴羽も、寺坂も、同じようなことを言っていた。だが、他でもない時幸の口から聞いた言葉は、重みが違っていた。……勝手な話ではあるが。時幸「には」言ってほしくない、などと、考えてすらいた。

 けれど、されたことを思えば、彼がそんなふうに言うのは、むしろ順当なことでもあり。

 実の母親を、まるで猛獣のように言う時幸。彼自身、恐れている。人生で最も柔らかな時期に、よりにもよって一番信じていた人物に、ズタズタに斬り裂かれた。そのせいで、彼の心はいつまでたっても未完成なまま。

 早梛に会わせたくないのも、危険だからという理由以外に……あんな母親から生まれたのだと、時幸を見る目が変わってしまうことを恐れているのかもしれない。

 時幸だって会うのが怖い。……でも、会わなくてはいけない。決別を迎えるためにも。

 おそらく時幸は、今日親との因縁を絶つつもりだ。そうでなければ、散り散りになった彼の心は元に戻らないし、先にも進めない。

 ――それは、駄目だ。

 時幸にとって必要なことかもしれない。彼の、母親に会って真相を、理由を聞き出したいという気持ちも、捨てたはずで熾火のように燻っている肉親への情も判っている。でも、早梛は嫌だ。理由はないけど、よくない予感がする。少なくとも……彼がこんな心でいる、いまは。

「……だめ」

 しかし彼女は、彼女だった。

 深く、深く、息を吐き出した。

「へこたれるな。考えろ!」

 手の平で両頬を叩いて、一気に立ち上がる。

「私が、時幸くんを守る。何からも。いつだって。……そう、誓ったんだ。時幸くんと、私が、私自身に」

 神橋早梛は、こんなところでは、まだ、折れない。

 答えはまだ出ない。けれど、歩みを再開した。

 鍛え上げた青い鋼のように、真っ直ぐ。揺るぎなく。


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