5‐6 塔との通信3
接続を意味するグリーンの灯と同時に、焦りの混じった低い声が聞こえた。
『サナ、サナなのか。いまどこにいる? 無事なのか』
本当は叫び出したいほどに興奮を帯びた、されど相手側が敵地であることを踏まえ、感情を抑えた声。いつも通りの、されど不安気な……早梛の身を案じてくれている、琴羽のアルト。数時間しか離れていなかったはずなのに、懐かしさで胸が熱くなる。
「はい。ご心配おかけしました」
『そうか。……無事なら無事ってさっさと連絡寄こせ、ばか』
一瞬、まだ薄らと残る頭痛の苛立ちも相まって、こんなときに叱責しなくてもいいじゃないか、とムッとする。とはいうものの、敵地で気を失っていたのは早梛の落ち度だ。それに、厳しい言葉の中にも、琴羽の声には彼女なりの照れ隠しが滲んでいた。
「すみません」
『いや……ちょっと言い過ぎた。……私の方こそ、置き去りにして悪かった。ユキにも散々気を揉ませたしな』
なるほど、と、腑に落ちた。琴羽は早梛に対して責任を感じているのだ。そこまで気づいて、はたと思い出す。
「そういえば、琴羽さんこそ大丈夫なんですか?」
『ん、ああ。問題ない。……とはいえ、しばらく実務には当たれないだろうがな』
それは大丈夫とはいわない。そう思いはしたが、上司が機嫌を損ねるとどうなるか知っているので、口には出さないようにする。
『……メッセージを入れておいたんだが、読んだか』
「はい。あ、ちょっと待ってください」
『?』
曲がり角に直面した早梛は、端末を一旦降ろして壁に背を貼りつける。人の気配はない。
それどころか、監視カメラや無人巡回機の類もない。元の施設はどうだったのか知らないが、少なくとも志緒が占拠していた間は侵入者の動向を探る仕掛けがされていると思ったのだが……。たまたまそういう道なのか、それとも、塔の支配権を強奪されて無力化されたのか。それにしても、残骸さえないのは不自然に思える。
隠れたまま、荷物の中から閃光弾を取り出した。対人武装の一つとして用意していたものだ。ピンを抜かずに、角の向こうにそっと放る。閃光弾はころころと転がり、通路の真ん中辺りで止まった。何も起こらない。罠の類もないようだ。角から出て、歩みを再開する。
何者かは定かでないが、早梛を医務室に運んだ誰かがいるはずで、いずれ戻って来る可能性があった。介抱の痕跡があるとはいえ、戦闘にならないとも限らない。そうでなくても、味方であると断言できない者の思惑に支配されるのは居心地が悪い。
「お待たせしました」
『サナ、おまえいま何やってるんだ』
「降りてます。んー……建物の西側、多分まだ三階だと思います」
荷物の中から方位磁石を出して確認する。志緒に捕らえられ、半ば引き摺られながら歩かされた二階の構造を思い起こすと、おそらく階は移動していないはずだ。
『そうか。ならやたらに動くな。奴は同じ階の管制室にいる。くれぐれも鉢合わせないようにしろ』
「……わかってます」
『わかってるならそれでいい。【魔女】というのは発現した能力を十全に使いこなせるよう、最適化された生き物の総称だ。奴に限った話でもないが、見かけたらまず死ぬ。常識が通じると思うな、会話しようなどもってのほかだ。話は通じるが、基本、人の形をした《ディヴィジョン》だと思え。……いや、《ディヴィジョン》より質が悪い』
人の形をした《ディヴィジョン》――一瞬、二年前の「彼女」の姿が脳裏を過ぎった。【魔女の娘】でさえ、あれほど能力を我がものとして扱っていた。セシリアとの戦いにしても、紙一重の状況の連続だった。
まして、早梛の倍以上の年齢を、それも陰謀渦巻く世界で重ねてきた【魔女】に、太刀打ちできるなどとは到底思えない。
『そうでなくても、おまえは自分で思ってる以上に危険な状況なんだ。そこはもはや《ディヴィジョン》の腹の中といっていい。呼吸はできてる以上、空気までは一体化してないようだが……それも、奴の匙加減一つで切り替えができないとも限らない。とにかく、自分の身を守ることを最優先に考えろ』
いままで幾度も彼女の身を助けてくれた、早梛の愛刀。しかしいま、ここにあの刀はない。飽くまで志緒の拘束を目的とした任務には不向きだったため、置いてきてしまった。よしんばあったとしても、今回ばかりは頼れない。一型は他の七つの型の因子を破壊する。鞘から抜いた時点で、高濃度の五型因子を含んだ刀は腐食し崩壊していただろう。
つまり早梛は、普段の大太刀回りが封じられている。死角からメタルウィップで狙えばテロリストの虚を突くことはできたかもしれない。が、【第一魔女】には通用しない。それどころか、下手に刺激して激昂させれば、死ぬより恐ろしい目に遭うかもしれない。
「……」
黙り込んだせいか、琴羽が少し口調を柔らかくする。
『そう緊張するな。奴におまえ個人への関心は多分ない。いまのところは、だがな。だからその隙に、できるだけ距離をとるんだ。もうすぐユキがそちらへ向かう。すぐ合流できる位置まで降りておけ』
「っ……」
引き結んだ唇に、歯の感触が当たった。
「……そう、なんですね。やっぱり……」
『ああ。その施設は完全に奴の【眷属】と癒着している。出入りできるのはユキだけだ』
そっと、通路の端に身を寄せる。
「……会いたいと、思ってると、思いますか」
『ああ』
琴羽の喉から、微かに息の漏れる音が聞こえた。
『逆にあいつは、おまえを【魔女】に会わせないつもりだろう。実の親子として負の感情ばかりじゃないのは私も知ってる。けど、それとは別に、ユキは母親を心の底から恐れている』
母親が大勢の人を殺める瞬間を、幼い時幸はすぐそばで見せつけられてきた、だけではない。必要とあれば、愛情をたっぷり注いだ息子の眼を抉るのにも容赦がない。いや、それどころか、初めから眼を抉ることを前提に育てた。……いっそ普段から手酷く扱われてたほうがましだったんじゃないか、と思うほどに、残酷なことに。
『おそらく、あの女に会っている間、おまえを極力遠ざけようとするつもりだろう。だが《機関》としては……私としても、あいつには極力接触させないでおきたい。何か吹き込まれるだとか、あいつ自身の身柄を押さえられる危険があるからな』
端末に寄せている耳の中で、ごそごそと何かを弄る気配がした。
やがて小さく、シュボ、というライターの音。
少し、間が空いた。心なしか、端末から紫煙が立ち上っているように見受けられる。
『これはまだユキには伝えてないが。メリサに生体認証を解除させた時点で、速やかに時計塔を破壊する手筈を整えている』
「……え?」
背中に当たる壁の冷たさではなく、純粋な悪寒が這い上る。
『【魔女】に掌握された以上、調査なんて悠長なことは言ってられない。利用される前に叩き潰すしかない。幸い……と、いうべきではないかもしれないが。一型の“青海波”と一体化したことで、その規模の施設だろうと瞬時に崩壊させられる』
詳しく聞かなくてもわかる。薄ら黒いもやもやが、早梛の胸中に沸き起こった。
『……だからおまえには、ユキが施設に到着次第合流してもらいたい。そうすればおそらく、あいつは母親との対話よりも、おまえの身の安全を優先する。そのままなし崩し的に脱出してしまえば、少なくとも今回あいつを奪われることはない。もちろん【魔女】側に執着する理由がある以上、一時的な措置に過ぎないがな』
深々とした息とともに、琴羽は自らの考えと命令の混ざった言葉を吐いた。
「……“檻姫”は、どうするんですか」
『メリサに関しては、今後も《機関》に協力する意向なら連れ帰る。小里川志緒は……諦めるしかないだろう。【魔女】と接触した以上、奴は死んだものと見做すべきだ。悪党とはいえ、若干気の毒ではあるが』
「そんなっ」
『サナ、まず自分が生きて戻ることを考えろ。おまえが戻らなきゃユキだって戻れない。わかってるだろ』
そうしてほしい、という切実な響きがあった。単に若くて無鉄砲な部下がやらかさないか、という不安ではなく。
実際に、見てきたのだ。知っているのだ。【第一魔女】に近づこうとして、干渉して、命を落としていった人々を。親しい人の多くが、殺された瞬間を。
『けして近づこうなどと思うな。あの女は多くの幹部をその手で殺してきた。その人数と手口は筆舌尽くしがたい。いいか、何があろうと、無事にユキと戻って来るんだ』
「…………わかりました」
未だ小里川志緒を見殺しにすることに抵抗感はあるものの、そんな琴羽の声を聞いては、呑むしかなかった。
『よし。……まずいな。そろそろ向こうの通信が終わる。与り知らぬ回線が開いていたら感づかれるかもしれない。一旦切るぞ』
「はい」
通話を表すランプが赤に切り替わり、通路に静寂が訪れる。
顔を上げる。真っ直ぐ伸びた背を覆う長い髪が、凛と青い光を伝わせる。
「……皆、勝手だ」
仄かに怒りを滲ませて。しかし鮮青の瞳に、淀みはない。
先ほど通信で言われたことを思い起こす。
琴羽ではなく、その前。寺坂との会話だった。
*
『状況はもう伝わってるかな』
「はい。でも、本当なんですか。時幸くんの……」
そこまで言って、咄嗟に、口を噤んだ。その事実を確認するのが、憚られた。
『うん。信じがたいことに、ね』
事態が事態なだけにか、寺坂の口調も普段よりかは緊迫している。
『一型の性質については知ってるかな』
「はい。“選別”ですよね」
『そう。それでさ、完全に【眷属】と一体化しちゃってるせいで、その塔に入れるのはゆきだけなんだよ』
「それじゃあ……」
『うん。ゆきがきみを迎えに行くことになると思う。どうにかしてメリサも連れて行って、生体認証を解除させたうえでね』
「……っ、大丈夫なんですか」
『いや、無理っしょ』
「‼」
思わずその場で凍りついた。
『言っただろ。ゆきは【魔女】を恨んじゃいないって。それに【第一魔女】は【魔女】の中でも最も老獪で危険な女だ。【眷属】を生み出し続けて若返っているけど、見た目に騙されちゃいけない。どんな手口であいつを篭絡するか知れたもんじゃない』
「でも、時幸くんは」
時幸は現夜一期に育てられた。たとえ母親であろうとも、明らかに間違っている人に、多くの人を傷つけた人に、賛同するとは思えない。確かに彼女と時幸には繋がりがあるだろう。だがいまの時幸にとって、繋がりはそれだけではない。
『甘いね』
寺坂はふん、と鼻で息を吐いた。
『ゆきが生まれたことをこの世で最も喜んでいるのは【第一魔女】であり、彼を必要としていると断言できるのも【第一魔女】だ』
その言葉に、早梛の瞳の奥で鋭い光が弾ける。
『この際だから隠さずに言うとね、母親に家族や故郷を奪われた人々、そして母親の計画の一部として産み落とされたと思っている人々にとって、ゆきは「なんで死んでくれないんだ、生まれてこなければよかったのに」と疎まれる存在だ。だからあいつは「生きていてくれたらそれでいい」っていう言葉を――きみにそう思われていることは知っていても――信用することができない。自分が嫌いだから。周りも自分を嫌っていると決めつけているから。理論立てて考える性格も相まって、無償の愛を受け取れないし、受け取ることに怯えてもいる。裏切られるのが怖いから』
ただより怖いものはない、とはよくいったものだ。散々迫害され、搾取されてきた時幸は、愛されることに理由を必要としてしまう。
『ある意味で「有償」な【第一魔女】の愛情は、ゆきにとって心地がいい。あいつに対して見返りを求めているという明確な動機がある。そのためにゆきは生かされている。生きることを母親から求められている』
人は誰しも、生きる意味を求めている。このために生まれてきたのだと思える何かを、或いは誰かを探している。特に時幸は、「何のために生まれてきたのだろう」と悩む日々を過ごしてきた。それは一期が励まし、諭し、周りに働きかけても、満たしきれなかった。
そんな中で母親と再会し、「あなたは××のために生まれてきたの。いままで辛くても生きてきたことにはちゃんと意味があったの」と肯定されれば……もしかしたら、受け入れてしまいかねない、と、寺坂は言う。
『よしんばゆきの気持ちに踏ん切りがついて、その上で改めて《機関》にいたいって言っても……【魔女】と話したあいつが、以前と同じ扱いを受けられるかは判らない』
《機関》が時幸を人として扱い、譲歩するのは、現夜一期の保護があったが故だ。後ろ盾を失った時幸は、いま《機関》内部で不安定な位置にいる。特に一部の研究者や、彼の性根を知らない者達は、自由と人権を剥奪できる名目があれば迷わず飛びつくだろう。
「っ……」
憤慨と、悲痛と、興奮と、名状しがたい激情が溢れ出して、息が詰まる。
しかし、続く寺坂の言葉が、沸き起こった思想を一色に塗り潰した。
『だからきみは……ゆきより先に、【魔女】と接触しろ』
心臓さえ止まったかのような空白。
『きみが【魔女】から情報を引き出すんだ。そうすればゆきも自分自身での会話にこだわらないよきっと。どうしても自分で話す! ってなっても、サシで会うよりずっといい』
転瞬、それまでの分を取り戻すかのように心臓が早鐘を打ち始める。
【魔女】と会う。それも、一対一で。自分の身を守るのは、頼りない金属板程度。
寺坂の言葉は理解できなくもないが、頷きたくなかった。
『【魔女】が何を話すつもりなのかわかんないけど、ゆきは《機関》を裏切ることはあっても、きみを裏切ることはないとぼくは思ってる。だから、きみにしか頼めないんだ』
*
迷っていた。
会うのが怖いという想いと、会って話がしてみたいという葛藤が、心中を目まぐるしく行き交っていた。同時に、時幸が会いたがっているのなら会わせてあげたい、という想いと、会わせたくない、という想いも鬩ぎ合っていた。……そんな迷いを抱くのは、まだ直接会ったことがないせいか。或いは時幸の肉親が、話に聞くような人物ではないと、信じたいからなのか。
だが、《機関》は、そもそも接触させないつもりであるという。時幸の意志も、覚悟も蔑ろにして。
「……私、どうすればいいのかな」
冷たく、埃の積もった廊下を、また、歩き始める。迷いは消えぬまま。
「……あっ、え?」
廊下の端まで来て、早梛は立ち止まった。というより、それ以上進みようがなかった。
通路の中ほどに、ぽっかりと穴が開いている。
古い施設だからだろうか、何かのきっかけで、崩落してしまったようだ。
「ええ……」
決意を固めた矢先で出鼻を挫かれ、肩を落とす。
こわごわと穴を覗いてみる。暗くて底が見えない。ここはおそらく三階だろうが、少なくとも一階か、もしくは地下まで抜けている可能性がある。とても早梛が飛び越えられる距離ではない。
「……仕方ない、か」
遠回りになるが、階段を使って迂回するしかないだろう。ふい、と身を翻した。
まるで、彼女の判断を先延ばすように現れた空白。
――その底に何があるのか、彼女が知るのは、もう少し後になってからだった。




