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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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5‐5 塔との通信2

 覚悟を決めて席に着いた時幸に、モニター越しに見守る面々から軽い感嘆の声が漏れる。

『似てるね、やっぱり。様になるよ』

 それが誰のことだか察せられて、時幸は目を伏せた。

『こちら総帥執務室、五室、応答せよ』

赤羽根(あかばね)です。室長と副室長がパンクしてるので、恐れながら担当させていただきます』

『まじか。いったい何があった』

『総帥が回線遮断したせいでそのお鉢が全部こっちに回ってきてます。政府他各所からの問い合わせと通信室の阿鼻叫喚……聞きたいですか?』

『……いや、いい。わかった。そうだね、あの二人に頼んだらむしろややこしくなりそうだし。うん、よろしく頼むよ』

『……信号、良好。呼び出しています』

 座席前方、一際大きく表示された、されど何も映らない画面が振動する。

「……《機関》東海区支部特別通信室より『不破の時計塔』、応答を要請。繰り返します、こちらは《機関》、応答を要請」

 心情を一切感じさせない、事務的だが深みのある、淡々としてそれでいて堂々とした態度だった。思っていたよりもしっかり務めている様子に、琴羽は感嘆する。思い返してみれば確かに、討伐任務などの際、現場の早梛をオペレーションでサポートすることが多々あった。時幸には、やはり通信士の素養があるのかもしれない。

 いや、むしろこれが彼の正しい在り方なのではないだろうか。前線に立つ度深く傷つく彼は、後方支援に徹するのがふさわしいのではないのか。ふと考えが浮かんだ。

 時幸が話す度、画面を波が横切るも、相手側からの返答はない。

『ちょっと借りるよ』

 定型的な文句で、仁藤が通信に割り込んだ。

『やあ、聞こえてるよね、富良賀湖麻由。僕は仁藤周。ああ、君を化け物にした仁藤要の弟だ、と名乗った方がいいかな? 久しぶり、といっても僕のことなんて忘れてるかな。そうだね、君を弄繰り回した研究者のことなんて一々憶えてないし、むしろ積極的に忘れたいだろうしね』

 口にマイクを当てると同時に、すらすらと流れ出す挑発の数々。仁藤は遠慮も臆した様子もなく、さらに煽っていく。

『じゃあ、まあ言っちゃうけどさ、君とその建物についての対応はすべて《機関》が担うことになったんだよね。裏を返せば日本政府だろうが他の国だろうが君と話すことは何一つないってさ。モテてないねえ。僕らもぶっちゃけ話さなくて済むならそうしたいんだけどね、大人の事情ってやつでそうも言ってられないんだよね。というのも、君も知ってるかもしれないけど、どこぞのいたずらっ子がその建物に細工したらしくてね、僕らが尻拭いを押し付けられたってわけさ。いやあ、大人っていうのは辛いよ、まったく』

 わざとらしく肩を竦めた。その仕草までは相手に届いていないだろうが、真意とは真逆の言葉を、声の調子だけであたかも本物のように伝えている。なまじ仁藤の素の言動と似通っているせいか、傍から見ている続岩ですら、【魔女】を相手になどしたくない、と思わせるような口ぶりだった。

 とはいえ、相手は海千山千の【魔女】だ。仁藤自身得体の知れない人物で言っていることのどこまでが本気か判らないが、さすがにこの状況下でわざわざ通信してきた相手が、ただ悪ふざけを語っているとは思わないだろう。

 とは思うものの、一向に動きがない。通信状況を表す画面の表記には問題ないので、聞こえてはいるはずだし通信を断絶されてもいないはず。だが、返答も呆れも、息遣い一つ届いてこない。

『まあ、君の意志なんて関係ないんだけどね。君がどれだけ引き籠ろうと、僕らはそこへ行って、施設を占領する。既に、一型を攻略する手段は擁しているんだよ。ふふっ、驚いたかい。我が《機関》を甘く見ないことだね。いったいどうやるのか、知りたいかい? ふふっ、どうしようかな……。いや、か弱い女の子にいじわるだったかな? ごめんね、じゃあ教えてあげるけど……要の手記にそのヒントがあったんだよね。そう、そうなんだよ。十六年前、《機関》に不法侵入した君は、要の研究成果の多くを抹消したもんね。でも残念、消しきれてなかったんだよ。現に《機関》はこの数年でクラスⅠを含めた数多くの“至難”レベルの《ディヴィジョン》を討伐してきた。対一型対抗兵器も開発済みだ。なんなら、ちょうどその“青海波”で試してもいいんだよ?』

 依然として画面の向こうからの反応はない。

『だんまりを決め込んじゃって、実は怖くて震えてるのかな。ハッタリじゃないよ。現に手記はここにある。……さあ、君、読み上げてあげるといい』

 本部から転送されたテキストデータがポップアップされる。どうやらこれが、【魔女】に時幸であると知らせるための原稿であるらしい。

 だが、極度に緊張していた時幸は、あろうことか、内容を確認せずに読み上げてしまった。


「『俺は天空寺タ●ル! 18歳の誕生日に襲ってきた●魔によって倒され、生き返るために仮面ラ●ダー●ーストとなって英雄の●魂を集めている!』…………仁藤さあぁぁぁぁん!」


 我に返った、否、我を忘れた少年の盛大なシャウトが通信室に限らず、《機関》本部……を飛び越えた全世界に響き渡った。

「これが原稿ってどういうことですかっ! いったい何をどうしたらこうなるんですか‼ っていうかこんな状況下でよくもこんなことができますねっ‼ いままであなたの嫌がらせには散々堪えてきましたけど、さすがにこの場面で趣味全開のこんなことしますか普通⁉ あなた《機関》の総帥でしょうが⁉ しかもいくつですか‼ 四十九にもなってこんなこと、さすがに大人げないと思わないんですかー‼」

 テレビ電話の向こうで、実に清々しい笑顔を浮かべる仁藤。その胸倉掴んでゆさゆさ揺さぶりたいと心の底から思った。

『いやいや、落ち着けよ。おかげで君の緊張も解けただろ?』

「代償が大きすぎますっ、もう二度と交渉任務できないじゃないですかあぁ……」

 興奮が収まってきて、取り返しのつかないことをした後悔が押し寄せてきたらしい。時幸は項垂れておいおい嘆き始めた。


『へえ、●ーストなんていたの。●ォーゼまでしか観てなかったから知らなかったの』


 突如降りかかる声に、聞いていた全員が弾かれたようにモニターに目を向けた。

 もちろん画面上に変化はないわけだが……いまはその向こう側に、確かに気配を感じる。

 釣れた。

 よもや、母国のサブカルチャーの話題に食いついた……わけでは、けしてあるまい。

『にき、にき』

 【魔女】は例のあの、不思議な声を上げた。まさかこれが、この女特有の笑い声なのだろうか。

 常人ならば、くすくす、といったところだろうか。特徴的な語感であることを除けば上品で可愛らしい笑声を収めた【魔女】は、少し言葉を切った。

 躊躇うように。或いは、万感の想いを込めて。

『ユキちゃん。とっても久しぶり、なの』


 回線が、水を打ったように静まり返る。

『お母さん、もっとユキちゃんの声聞かせてほしいな』

 【魔女】との関係性を隠して通信士として振る舞わせようとした《機関》の思惑など知ってか知らずか、いともたやすく認知を明かした。……まあ、たとえ「秘密」が暴かれなかったとしても、時幸は既にいろいろ失ってしまったといえなくもないが。

『……ほら、そう言ってるし。何か話してあげたらどうなんだよ』

 努めて平然としているようだが、仁藤もさすがに気を引き締めているらしい。状況をおもしろがる普段の余裕が欠けている。

「……」

 時幸は俯き、唇を噛んでいる。顔は胸の辺りに向いているが、昏い瞳は何も映してなどいなかった。

『なに、また思春期特有の母親とは話したくない病かい? そりゃ仕方がないね、もう十五歳だもの』

『え、なーに、恥ずかしいの? なら大丈夫なの。そこ以外への電波の送受信は正規非正規に関わらず完全に遮断しておいたのら。最初の「《機関》東海区支部~」ってところからね』

 初めから時幸だということは見抜かれていたらしい。【魔女】に対して底知れない恐怖と警戒を新たにすると同時に、時幸の出自(と仁藤の笑えない冗談)が全世界に傍受されていなかったと知って、琴羽は密かに胸を撫で下ろした。

 と、同時に、音声機能をオフにしていた端末に通知が入る。送り先を見た彼女の顔色が変わった。

 一度、ちらりとウィンドウの向こうの時幸に顔を向ける。いっぱいいっぱいなせいか、琴羽の視線には気がつかない。だから当然、彼女がこっそりと回線から離脱したことにも、感づかなかった。

 話せない……話したくない、話すことに未だに抵抗がある時幸の様子を置き去りに、【魔女】は勝手に話を進めていく。

『ユキちゃん、ちっちゃかった頃「大きくなったら●ィリップになる」って言ってたのら。どう? なれた?』

 先ほどの沈黙は何だったのかと思うくらい饒舌に、息子との思い出を語っている。

 傍から見たら、まるで何の確執もない親子の会話を行おうとでもいうかのような。

 そんなことはもはや不可能だ、というような、気まずい空気が通信室を席巻しているのを、遠く離れた場所にいる彼女だけは、読めていないように。

『ほら、君も何か話したらどうだ。話題ならいっぱいあるだろ、ゼク●スのスーツデザインの秀逸さとか、ゼク●スの脚本の素晴らしさとか、ゼク●スの演出の魅せ方とか』

「……その異常なまでのゼク●ス推しは何なんですか……あなたほんとはおいくつなんですか……」

 時幸はやっと、声を出した。

「残念ですが……俺はどちらかというと●団X側の所属になりましてね。もう二人で一人の探偵には、なれそうにありません」

『そっかぁ』

 それが、実に八年越しの、親子の最初の会話だった。

『そういえば君、幼少期の私服がだいたい袖の余ったボーダーニットとフードだったね』

 だん、とそこそこいい音がした。時幸が通信席のデスクを思いきり叩いたのだ。

「……俺は、とっくに卒業した趣味について、いまでもそれが好きだろうと馬鹿の一つ覚えみたいに話題に上らせる人が一番大嫌いなんですよ」

 声を荒らげこそしなかったが、沸々とした怒気が滲んでいた。ただでさえ緊迫する状況で、周囲が不真面目な態度をとり続けていたら怒りもするだろう。

「……それで」

 瞳にまだ薄らとかかった靄を振り払うように、時幸は頭を振って、通信機に向き直る。

「この四年間消息不明だった人が、いまさら何の目的があって日本に戻ってきたんですか」

『そんなの、どうでもいいの』

 声だけなので真意は測れないが、まるで興が削がれた、と言いたげな語調。

『それより、お母さんユキちゃんともっと楽しいお話がしたいな』

「はぐらかさないでください」

 静かに、されど確かな、炎の迸るような声音で。

 自分を放っておいた母親への激昂。なぜこんな仕打ちをした、という慟哭。どうしていまさら、という拒絶と、内心が読めないことへの惶惑。

「なにもかも散々引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、いったい何がしたいんですか。何が欲しくて、何が気に入らないんですか。何のためにこんなことを続けるんですか。いつまで続けるつもりですか。何をどうすれば気が済むんですか。頼むから、教えてくださいよ……俺は、あなたがわからない」

 常軌を逸した思考に対する嫌悪と――理解できない断絶。

 自分とは違う。親子であってもわかり合えない。

 わからない。理解できない。気持ち悪い。もどかしい。

 ――自分が生まれた意味さえ、得体が知れない。

『僕も同じだ。理解が及ばない』

 再び真面目モードになった仁藤が、昂った少年を宥めるように目配せしてから通信に合流した。

『君の行動には一貫性がない。理解できないものには敵意を抱きたくもなるものだ。たとえ、実の親子だとしてもね。……けど、もう充分だ、そうだろ? 十五年は長すぎる。君の中ではあどけないちびゆきくんのままかもしれないけど、もう彼も善悪の判る大人になりかかった男だ。いいかげん、話してはくれないかな』

『……』

『十八年前、君は【紅鹿事変】によって《ディヴィジョン》の系譜を自分を含めた八人に絞り、その他の【魔女】を皆殺した。なのに、四年前、【第二魔女】ドロシーをその手で殺めた。殺すのならそもそも生かさなければよかった。彼女は君のどんな逆鱗に触れた? それに、十一年前、現夜に【第五魔女】ウッラの娘を攫ったのはドロシーの娘だという情報を流したのはなぜだ? 現夜に何をさせたかった? 見返りを求めたとして、彼は……やり遂げたのか?』

 予期せぬ言葉に、時幸は目を見開いた。

 一期と湖麻由が接触し、取引を行なっていたかもしれない。それも気になるが、【第五魔女】の娘の消息……それは早梛がずっと欲していた情報だった。まさか、こんなところで、それも彼女のいない場で、その一片が開示されることになろうとは。安否不明の彼女のことを想い、歯噛みする。

『答えてくれ。僕らはずっと君に踊らされてきた。もううんざりだ。たとえどんな奇天烈な動機だろうと理由があるのなら僕は尊重する。テロリストに比べれば紳士的なつもりでもある。けど、君が手の内を何一つ明かさないというのなら……ただ「気に食わない」という理由で、計画の一端をぶち壊すのもやぶさかじゃない』

 仁藤の執務室から一切の色が消えた。

 白に染められた部屋の、さらに空気からも一切の色彩が剥ぎ取られたような冴えた感覚が全身を支配する。

 どこか透き通るようだった、掴みどころのない人物だとは思っていた。だが、善人だとは思っていた。ふざけたように振る舞ってはいても、慈愛と責任のある人なのだと。

 確かに、仁藤周は無駄な犠牲は出さない。どうしても取り零してしまうものがあれば、失ったという事実を背負って生き続ける。だが、裏を返せば。

 失うことで活路が切り開けるのであれば、容赦なく切り捨てる。

 かつて、あらゆる悪逆を容認した……そしてこれからも、必要があれば躊躇いもなく屠殺を命じる組織の長が、そこにいた。

『やってみなさい、できるものならね』

 相手もまた、その声質を一変させた。

 それまでの真剣味に欠けた、本心を探らせない幼女のような調子が消えた。けして幸福とはいえない、激動の人生をいまだ戦い続ける女の凍えた響きがあった。

 僅かに軋む、自信と嘲笑。そして、さらにその中に混じる……憎悪。

 仁藤には、《機関》にはそれを「選べない」と判っているからか。

 時幸には「人質の価値がない」と知っているからか。

 それでいて、息子を脅迫の道具にされた怒りが込められていると思うのは、思い過ごしだろうか。

『……』

『……』

 刃を滑らすような、銃口を突きつけ合うような沈黙が降りる。

『……言っても理解なんてできないの』

 先に破ったのは、【魔女】だった。

『その基盤を作ったのはあなた達なの。わたし達を「人語を話すモルモット」として扱い、一切の対話を遮断したのは科学者が先。閉鎖された空間で肉体も精神も弄られた者がどんな発想に至るかなんて、想像に及びもしなかったくせに。いまさら教えてほしいは虫が良すぎるんじゃないの。人でなくなって、自分からも人であることを捨てた身だけれど、それでも、されたことを忘れられるはずがない』

『……そうか』

 仁藤は少しだけ、頭を傾けた。色彩のなくなった空間の中、彼の瞳だけが徐々に黒を取り戻しかけている。

『それならば、こちらからはもう何も言わない。でも、その塔のことだけは譲歩してほしい。明日の午前九時までに“檻姫”が仕掛けた罠を突破しないと、可愛い新米通信士の誰にも知られたくない秘密が全世界にばら撒かれることになるんだ』

 通信の向こうで、女が溜息を吐いたのが窺えた。

『現夜一期……賢い男だと思っていたけど、仕える相手を間違えたのら。どれだけ優れた部下がいようと長が無能なら腐っていく……人間同士の戦争の時代から、この国は何一つ変わってはいないの』

『現夜が僕に仕えてたっていうのは難しいラインかなぁ。彼には組織への忠誠心なんて欠片もなかったしね。実際、僕に打ち明けてない秘密もたくさんあった』

『ええ、実力者ではあったの。わたしさえ知らない情報を握っていた……そのせいで消されたけれど』

「⁉ どういうことですかっ」

 弾かれたように時幸が顔を上げた。

「知ってるんですか、あなたは……師匠が、殺された理由を……師匠を殺したのが誰かを!」

 食いつかんばかりに身を乗り出した時幸に、それまで見守るだけだった熱田が駆け寄り、首根っこをぐいっと引っ掴んで椅子に引き戻した。

『ユキちゃん……』

 時幸を案じるような声音に、神経が揺さぶられる。

『……ここでは言えないわ』

「いい加減にしてください。言ったでしょう、あなたの秘密主義にはうんざりだと」

 なおも興奮冷めやらない時幸は、押さえつけられながらも叫ぶように告げた。

『落ち着いて。ここでは、と言ったのら』

 画面に映る波が、ぶつぶつと途切れる。

 この女は――識っている。《機関》内部に内通者がいることを。現夜一期が、身内によって消された事実を。

「仁藤さん……総帥や《機関》の誰が聞いているとも知れない状況では話せない、と。あなたならそんなのお構いなしでしょうに」

『……いいえ(・・・)

 予期せぬ返答に、目を瞬いた。

「なぜです?」

『ごめんなさい。言えない、としかいまは言えないの』

「……っ」

 はぐらかすような答えにますます気が昂る。が、同時に、胸に湧き上がる不審が氷水のように気を冷ましていく。

 ありとあらゆるものに殺されない、という優位性を持つはずの女の声音には、演技かもしれないが、苛立ちと、そして微かに怯えの気配があった。その理由が何なのかも、いまは判らない。

『…………』

 どれだけ待っても、もう彼女は口を開かない。業を煮やした時幸は、深々と溜息を吐き、「もう大丈夫です」と熱田の拘束を解くと、マイクに向き直った。

「……わかりました。直接会ってお話ししましょう」

『ほんと?』

 【魔女】の声は、通信越しでも判るほど、黄色い歓喜に色付けされていた。

『いずれ迎えに行くつもりだったけど、ユキちゃんから会いに来てくれるなんて。お母さんとーってもうれしいのら♪』

 ばんざーい、と小さなかけ声が漏れ聞こえた。

『うん、ただしいくつか条件がある』

 仁藤がしっかりと交渉の席に着かせる。

『先ほど言ったとおり、その施設に仕掛けられた罠を解除しない限り、僕ら全員にとって非常に好ましくないことになる。少なくとも装置の解除が済むまで、君からの妨害、及び干渉の一切を禁じる』

『……は』

 【魔女】はあからさまに不服のようだった。

『聞こえなかったかい? 君からの一切の接触を禁じる、と言ったんだ』

『……あなたに、そんなことを言われる、筋合いが?』

「そりゃあ、彼は思春期の恥ずかしがり屋のオトコノコだからね☆……というのもあるけど、いまの身分は現夜の養子だ。干渉があったと外部、それどころか《機関》の他の部署だろうと、ばれれば立場が危うくなる。塔内部のことはしらばっくれれても、道筋や輸送情報までは誤魔化しきれない。彼が《機関》の一員である以上、そして彼自身もそれを望んでいる限り、帰る場所を守るのが僕の務めでもある」

『……』

 【魔女】は、何を思ったのか。

 今日、時幸を連れ戻すつもりなのか。

 時幸にはまだ《機関》にいさせるつもりなのか。

 そもそも。一期に預けた目的は、何なのか。彼がどこに所属し、どう育つのを見越していたのか。

 ――いまの時幸は、果たして彼女が望んだとおりの息子なのか。

『……もっとも、仕掛けを張ったテロリストはその場にいるわけだし、君が先に解除しておいてくれるっていうんだったらこっちもいくらか譲歩はしよう』

 相手を量る意味合いも兼ねて、餌をぶら下げる。

『うーん、ちょっと待ってなの』

 数秒間、無言の間が続いた。

『無理みたい。ユキちゃんがどうしてもっていうなら頑張るけど……』

 元々、小里川志緒の目的が、朝日メリサを「不破の時計塔」に呼び寄せることである以上、あまり期待はしていない。

『……わかったわ。お話のタイミングは、ユキちゃんの好きなときに』

「ええ。それと、もう一つ」

『なあに?』

 息子と話せることが嬉しくてたまらない、といった調子で、湖麻由が促す。

「そちらに……《機関》のエージェントが一人、先行しているはずです」

『《機関》の、エージェント? 知らないの』

「小柄な女性です。まだ十代の、髪の長い」

『ああ、あの子』

 どくん、と、心臓が鳴った。

『いまは休ませてるのら』

「……そこにはいないんですか」

 焦る気持ちを抑え、努めて平坦な声を出す。感づかれてはならない。もしも早梛が時幸にとって特別な存在だと、この女にばれたら……多分、よくないことが起こる。

『気を失っているようだったから、医務室に運んだのら。外傷は見当たらなかったけど……女の子だもの、顔に傷ができなくてよかったのら』

 早梛は無事……どっと押し寄せた安堵に、椅子ごとマイクから背を向けて、深々と息を吐いた。

『じゃあ、僕の部下に危害は加えてないってことだね』

『ええ。あの子が《機関》のエージェントだっていうのもいま知ったのら。あんな若い子が頑張ってるなんて偉いのら』

『介抱してくれたことについては礼を述べさせてもらう。人の礼儀としてね』

『……まだ、人間のつもりなの? 仁藤周』

『……どうだろうね。でも言っておくよ、心身奇形云々より、純粋なモラルの話として。ありがとう』

 どす黒い腹の探り合いのような、大人同士の会話は続く。

『できればこれからも危害は加えないでいてもらいたいな。彼女はほんと下っ端で、テロリストに殺されてもいい人材を選んだ。とはいえ、だからこそ残機は多いほうがいいからね』

『……やっぱりあなた、最低なの』

 早梛には殺す価値さえない。【魔女】がそう思ったのかどうかは不明だ。少なくとも、仁藤が手酷く扱う少女への憐憫くらいは植えつけられたかもしれない。時幸が言いたいことを代弁してくれたおかげで、二人の関係性もばれることはなかった。

『なら決まりだ』

『ええ』

 含みを持たせた声音、まさしく【魔女】の甘言とでもいうべき響きで、彼女は言った。

『待ってるわ、ユキちゃん』


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