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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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5‐3 焦燥と危惧

 緊急幹部会の前に、作戦行動中の関係者を集めての会合の時間を作ることができた。

 一度切った通信を含め、空中にホロウィンドウが浮かび上がる。

 仁藤は軽く眉を顰めただけだった。傍らにいた秘書は思わず息を飲んだ。同じく通信越しの琴羽は瞳を揺らし、それから、悔しさとも痛ましさともとれる舌打ちを洩らした。両者共に短い付き合いではないが、このような状態を見るのはそうそうない。

『……ユキ、その……大丈夫か』

『ええ。痛みももう引きましたし、問題ありません。琴羽さんこそ、怪我の具合はもういいんですか』

『あ、ああ……』

 一見、落ち着いて受け答えしている。震えてもいなければ、熱が籠ってもいない。

 それでいて、平時のそれとも異なる声。怖いくらいに冷静な――冴え冴えとした、感情が窺えないというより、感情に何回もナイフを刺して殺したような、ぞっとするほどに黒い声だった。

 東海区に着くまでの、泣いても笑っても進みようのない悶々とした時間が、焦りや後悔といったものを取っ払っていた。いまの時幸にあるのは、この、霜が降りるほど冷め切った決意だけだ。

 あれからしばらくして、眼の色は普段の、静かな黒に戻った。しかし、何も映されていない。擦り硝子のように光を消した、ただ暗いだけの瞳。おそらくそれを見て、琴羽達は連想せずにはいられなかったのだろう。彼の父親の……。

 独り、自らの破滅を望み、果たしてしまった実父を。

 親友を救えなかった事実に絶望し、後追いのように自身を擦り切らした養父を。

 本来なら手厚いケアが必要な案件だと、医師である仁藤の良心は告げていた。だが、時間がない上に早梛の安否も不明である以上、生半可な励ましも窘めも効果はない。故に、放置してはいけないと判っていながらも、時幸の惨状からは目を逸らす。代わりに、彼の後方に控える人物に投げかけた。

「それじゃあ早速、状況を報告してもらおうか」

『はいっす』

 時幸を列車から降ろし、東海区支部に用意した通信室まで連れてきた人物……《機関》東海区支部支部長、熱田(あつた)飛雁(ひかり)が口を開いた。

『ひとまず、朝日メリサは東海区(うち)のエージェントが見張ってるっす。いまのところ大人しくしてるみたいっす。当初の予定だと、このまま実働部隊がユキとともに仮設基地へ連行、梅島主任と合流して「不破の時計塔」に突入の予定だったんすけど、予期せぬ《ディヴィジョン》の出現で、実働部隊の「時計塔」内部への侵入難度が桁違いに上昇……つーか、事実上不可能になっちゃいました』

 口調はいまいち緊張感に欠けるものの、正確な報告に、仁藤は頷いた。

「うん。適切な判断だ。メリサを輸送して生体認証をクリアして、その後改めて小里川志緒もろとも捕縛するはずだったけど……よりにもよって彼女(・・)が干渉してきたせいで、まったく手が出せない。続岩」

「はい」

 秘書が端末を操作し、空中に立体映像を展開させる。

 形は、例えるならミノカサゴだろうか。全身が透き通るような冴えた青色で、やはり半透明の鰭を生やし、胴体は幾万、幾億もの鱗で覆われている。大きすぎて逆にスケールが判らないが、あの玩具のように飲み込まれている尖塔が、そこらのビル程度の大きさだとするならば、その《ディヴィジョン》の規格外さが伺い知れる。

「僕らのトラウマこと、【一型‐クラスⅠ‐α】、“青海波”。十九年前、《REIMEI》を壊滅させ、ミカくん達多くの人命を奪った未曽有の災害。クラスⅠっていうのはだいたいどれもクラスⅡ以下とは比較にならない大きさと能力を誇るけれど、その中でも一型は他の【魔女】の【眷属】と比べても破格の存在といっていい。その巨体と能力、何より対抗手段がないことから、四体とも国際規格で“天災”に指定されている」

 「積極的に関わろうとするな、もし向こうがたまたま通りがかったら、運が悪かったと諦めろ」。世界中の人々が匙を投げるレベルの、もはや《ディヴィジョン》の枠を越えた何か。

「一型、そして主である彼女が介入してきた時点で、本来ならこの件からは一切の手を引くべきだ。国際社会がいろいろ言ってくるだろうが、一型を相手に何かできる者はいない。それこそ文字通り(・・・・)手出しできない」

『ええ』

 琴羽が肩を竦めた。

『……一型の性質は“選別”。触れたいと思うものだけに触れることができ、それ以外を擦り抜け、あらゆる場所への侵入を可能にする。逆も然りで、触れたくないものだけ拒絶し、通さない。完全な隔離空間を生み出すことができる』

「そう。こちらから触ることができないのに、相手からは触れられる。どれを生かしどれを殺すか、彼女だけが決められる。一方的な干渉と淘汰。人類と他の【魔女】の系譜、それらを含めたこの世のありとあらゆるものに対して、一型は『選べる』という絶対的な権利を持つ。世界中に跋扈していた【魔女】と【眷属】をたった八人の系譜に絞るという大掛かりなものから、体内に注入した精細胞をⅩ染色体とY染色体に選り分けるといった繊細なものまで幅広くね」

 秘書が注いだコーヒーに無造作に角砂糖を投げ入れながら、仁藤は淡々と告げた。

「テロリストに占拠された時点で、ミサイルとかで施設ごと破壊する案も浮上してたけど、いまとなってはもう使えない。政府も、《機関》に全責任を擦り付ける大義名分ができたって内心喜んでるみたいだったしね」

 ぼちゃぼちゃと、甘味の塊が投げ入れられる度に水面が跳ね、黒い液体が飛び散って樫材の机を汚す。

「……あの施設が彼女の支配下に入ったことで、小里川志緒の仕掛けも機能しなくなった可能性もあるけど、そう楽観的には考えられないだろうね。といって、彼女が仕掛けを解いてくれてるなんて、見逃した番組を予約もしてないのに気を利かせて録画しておくビデオデッキくらい虫の良すぎる話だ。っていうかそんなのもはや不気味すぎる。それに……たとえ装置が停止していたとしても、あれだけ大掛かりで危険な施設を、テロリストや【魔女】に占拠されたままというわけにもいかない。逆に、彼女が現れたことで、あの塔が要にとって重要な意味を持つということが証明されたわけだしね」

 一度手を止める。揺らいでいた水面が徐々に落ち着き、仁藤の顔を映し出した。

「富良賀湖麻由は要の特にお気に入りだった。なんてったって、彼女が【魔女】になるまで、【魔女原細胞】によってもたらされる変化は七種類のみとされていたからね。彼女が覚醒した後も、一型の性質は稀少で、少なくとも日本では他に一型の因子を発現した【魔女】はいなかった。だから、彼女を含めた数人の実験体は特殊研究棟に隔離されていたんだ。僕でも、その全部までは踏み込むことを許されなかった要の城。その中で彼女が要とどんなやりとりを行なっていたのかはもう、いまさら調べることもできない。だって要は、他でもない彼女に殺されたから」

 塔の上に鎮座しながら、微睡むようにゆらゆらと色合いを変える“青海波”を見つめ、仁藤は呟いた。十九年前、この《ディヴィジョン》が彼の家族を始末した瞬間を、他でもない彼が、看取ったのだから。

『ええ。いまさら放置するわけにもいきません。【魔女】が絡んだことで、失敗したときの反動がむしろ高まったといえるでしょう』

 このまま制限時間を迎え、《調律の彼女》の機密事項が世間に漏れれば、そして、【魔女】と呼ばれる存在の関与が明るみに出ればどうなるか。【魔女細胞】を移植された彼女達と【魔女】を同一視し、排斥しようとする動きが活発化するのは目に見えている。迫害どころか、身の安全が日常的に脅かされるようになるかもしれない。

 都市内部には《調律の彼女》であるという事情を隠して、穏やかな生活を送っている者も大勢いる。今後都市に住まうすべての女性、たとえ《調律の彼女》であろうとなかろうと、謂れのないことで理不尽な目に遭うような世の中に変わってしまうかもしれない。

『それに……潜入した部下と、未だに連絡が取れません。生体反応はあるので、予備端末は没収されていないようなのですが……』

「わかってる。今回の件、《機関》が動かないわけにはいかない。一刻も早くエージェントを送り込まないといけない」

『だったら』

 いままで黙って聞いていた少年が、ここで声を上げた。叩き潰すように乱暴な声音だった。

『やることは一つでしょう。いま「時計塔」に送り込めるのは俺しかいない。この世界で俺だけが、“選別”を無効化できるんですから』

 仁藤以外の三者の視線が、一斉に時幸に注がれる。

 都市全体が巨大な工場といっても過言ではない東海区では、《機関》でも多くの武器の製造加工を行なっている。その中には一般にはけして流通しない特殊武装や大型《ディヴィジョン》対抗兵器も含まれており、支部の最高責任者である熱田は当然、時幸の素性を知っている。わざわざ隠し立てする必要もない。

 とはいえ複数箇所と通信の繋がった状態で「秘密」を洩らした少年に、ジトッとした眼差しを向けながら、仁藤はやや諦め気味に告げた。

「まあ、そうなるね」

『なら、話し合いはこれで終わりですね。時間の無駄です』

 黒目がちな瞳が、つい、と画面越しに仁藤を見た。

 仁藤周は回りくどいことをしない人間だ。時幸を送り込むしか選択肢がないのだから、それ以上の逡巡は無用のはず。

「落ち着けよトッキー。ことはそんなに単純じゃない」

 未だに並々とコーヒーの注がれたカップの底で、机を小突いて血気盛んな少年を諫める。

『そうだ、ユキ。サナの安否がわからなくて不安なのは判るが、【魔女】相手に闇雲に動くべきじゃない。部下を残して塔を離れた私にも落ち度はある』

「いえ、梅島主任のせいではありません。まさかあんなことになるとは誰も予測できるはずないですから」

「まあ、責任問題については後で話し合うとして」

 再び、カップを鳴らす。

「彼女には早梛嬢に危害を加える理由がない。梅島の言うとおり、慎重に行動しよう」

『そんな悠長なことを言ってる場合ですか』

 普段の穏やかな彼からは想像もつかないほどドスの利いた声が、少年の喉を震わした。

『……早梛さんを、傷つける理由がないとおっしゃいましたけど。五体満足で返す理由も持ち合わせてはいません。そういう人なんですよ……あの人は』

 少年は目をきつく細めた。

『あの人は……異常だ。人を殺すことに何の躊躇いもない。相手が誰だろうと、戯れに、それこそ理由もなしに殺めてきたのを何回も見てるんです』

 実際にそういった現場を何度も見てきたのだろうが……幼少期の頃からそうだが、時幸は件の人物について語るとき、このように冷たく暗い眼をする。「日だまりの聖」という名にふさわしく温かく物静かだった父に生き写しの顔が、このときばかりは氷の刃のように鋭く、警戒と拒絶の影に染まっていた。

「ああ」

 仁藤は即答した。その瞳もまた、苛立たしげに歪んでいる。

「知っているとも」

 自身が落ち着きを欠いていると自覚し、そのことに嫌悪し、《機関》総帥は残っていたコーヒーを呷った。充分すぎるほどに甘味を費やしたはずなのに、後味はひどく苦かった。

「……これまで十九年間、多くの国や組織が彼女に接触を試みて、誘拐や殺害を企ててきた。けど無事だった者は、故意に生かされた者を除けば一人もいない。《機関》でも四室前室長の美樹本(みきもと)をはじめとして五十三人が犠牲になってる。そこにいる梅島だって」

 秘書の若者が、びくりと肩を震わせた。

「過去二回彼女に接触して、いずれも半死半生で辛うじて命を拾ってる。状況を鑑みるに、十中八九『わざと見逃された』。だが今回も見逃されるとは限らない。彼女には、合理的な思想がない。梅島を殺すのに、それこそ理由は必要ない。【魔女】の中でも、彼女は最も気まぐれで、残酷だ」

 仁藤自身、尊敬できる人々ではなかったとはいえ、身内と同僚を大勢殺されている。それに、直接手を下さなかった場合でも、“青海波”が崩した建物の下敷きになって死亡した者も少なくない。月暦(つくよみ)望彼(みか)……一期の恋人も、その一人だ。

 殺人に忌避がないのだ。

 【第一魔女】は。

 富良賀湖麻由は。

 ――時幸の母親は。


「――だから、事を急く必要もないんだよ。現夜時幸」


 仁藤の雰囲気が、切り替わる。一度の瞬きと同時に、瞳が鏡のように澄んだ銀光を放ち、通信相手すべての鼓膜を震わす凛とした声で、告げる。

 時幸が、怯んだように身を引いた。

「富良賀湖麻由には早梛嬢に危害を加えない理由がない。だったらいくら君が取り乱そうが手遅れだ。そうなってないと信じているから焦ってもいるんだろうが、ならそもそも彼女に《機関》の小娘一匹にかかずらう必要性もない」

 その若々しい容姿に似つかわしくない威厳と老熟を湛え、《機関》総帥は言い捨てる。

『……っ、ですが、』

 理に適ってはいる。時幸の記憶の中の【魔女】は、邪魔立てするものを必ず殺していたわけではなかった。そもそも“選別”の性質を持つ彼女を妨害できる者などいないのだから、排除する必要も本来はなく、いままで手にかけた者は――全員がそうというわけでもないだろうが――つまりは、ただ単に目障りだったというだけだろう。

 もちろん早梛にだって【魔女】の行動を妨害する手立てはないし、いまのところその理由もない。ならば富良賀湖麻由にとって、捨て置いてかまわない存在のはずだ。

 しかし、時幸は食い下がる。心と身体に消えない傷を刻まれた彼だから、常に悪い想像ばかり優先する。

『そうだとしても……いまこの瞬間にも、状況が変化してる可能性があります』

「まあね。早梛嬢が何かちょっかいかけて彼女の逆鱗に触れないとも限らない」

 琴羽が口を挿む。

『一応、メッセージで警告はしました。無事なら読んでいると思いたいのですが……』

「うん」

 仁藤は頷いた。

「そこも含めて、とりあえずは話し合ってみようか」

『はい?』

 時幸は埴輪のように口を開けた。間の抜けた顔だ。日聖は呆けるときもどこか上品だったから、似たような顔でも個性が出るのだな、と、こんなときだというのにふと思い出に浸ってしまう。

「小里川志緒が遮断した通信回線はいまは開いてる。声明のとおり、対話の意志がないわけではないようだね。君にはまず、通信士として対応してもらう」

『……え』

「だーかーら、」

 秘書が新しく用意したコーヒーに、再び無造作に砂糖を放り込む。

「よくよく考えろよ。いきなり乗り込むよりずっと楽だぜ。そもそも『時計塔』が“青海波”と一体化してる以上、侵入した時点でまず間違いなく感づかれる。だったらいっそ、いまから行きますって宣言したっていいじゃないか」

 マドラーで掻き混ぜながら、なんてことないように続ける。

「早梛嬢の安否が心配なら、直接聞けばいい。その上でまだ生きてるなら、手出ししないでくださいってお願いする。向こうだって、私情は別として《機関》と事を構えるような事態はできるだけ回避したいはずだ。こっちにはコネもあるし、何より君がいる。生体認証や小里川志緒についても詳しいことが聞けるかもしれない。塔自体のことは、まあ、期待しても無理かな」

 仁藤は再び、風味もへったくれもなくなった液体に口をつけた。

「へらへらしているようでいて、現夜は食わせ者だったからね。《機関》以外にもいくつもの組織を掛け持ちしていた。でも結局、君がいまここに所属してるってことは彼女も知ってるはずだ。なら当然、今回《機関》が君を利用するってことも予測してる。だったら、僕らは敢えて利用する。君という札をとことん使い倒す」

 言い切って、時幸の返事は聞かず、視線をその向こうに遣る。

「熱田、マスコミにはまだ漏れてないんだよね」

『は、はいっす。非居住可能地区であったことが幸いして、まだ“天災”クラスの《ディヴィジョン》上陸の知らせは抑えられてるっす』

「ぎりぎりまで抑えろ。続岩、各地の反応は?」

「はい」

 秘書は、空中に展開したままだった各種資料の中から該当する項目を素早く選り分け、読み上げた。

「現在こちらに入ってきている情報によると、《禁断の果実》、《K&V》、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、そして日本政府が交渉を行おうとして無視されています。“選別”の【魔女】の名に違わない選り好みぶりですね。《魔女狩り》、《広州黒鉄党》、《赤の帝国》は、今回は様子見に徹するようです」

「まあ妥当なところか。彼女と交渉して情報を引き出せるような凄腕の交渉人は、僕の知る限りでも三人くらいだ。“継接の彼女(レディ・モザイク)”は、どこにいるかも何を考えてるのかも不明だから除外。“壊れた歯車”は現在ルビヤンカに拘留されている。《赤の帝国》が動かないと決めた以上、今回は出てこないだろう。もし仮に奴に出張られたら【魔女】以上に厄介だ、このまま黙っててもらいたいね」

 そして、最後の一人は――既に亡い。

「《薪の塔》の“クラブのエース(アスデアクロイツ)”はどうだろうね。最近売り出し中みたいだけど……彼女相手には荷が重いんじゃないかな」

 湯気で曇った眼鏡を一旦外す。いましがた喉に流し込んだものと同色の眼が、心揺らす少年に向けられる。

「悪いけど、今回君に交渉人としての役割は求めていない。ゆくゆくはその分野でも活躍してもらおうとは思ってるんだけど、いまはまだまだ未熟だ。だが、彼女相手なら、逆に駆け引きなしに会話に応じられる可能性がある」

 そのまま飾り気のないフレームを乗せて、仁藤は命じた。

『……情に訴えろっていうんですか』

「まあ、平たく言えばそうなるね」

 時幸はさっと目を逸らした。自分を見つめる眼差しから逃れた、というより、何も見たくない、と拒絶するように。駄々を捏ねる子どものような、些細な反逆。

 仁藤はこっそりと息を吐いた。つい先ほどまで乗り込む気満々だったように見えたのだが、少年は一見して狼狽えた様子だった。

 自分は親に棄てられた、だから自分も親とは縁を切った、と普段いくら口にしようが、富良賀湖麻由には時幸を棄てたつもりはないだろうし、時幸にしてもそうだろう。

 一方で、七年間という溝はけして浅くない。良くも悪くも保留にしてきた問題と想いが、一気に噴き出してしまったせいで、いざ母親と話せる状況になって、話すことに怯えている。

 訊きたいことはたくさんあって――聞きたくないこともいっぱいあって。

 逆に、母は自分に何を話すつもりなのか。それとも――話すことなんて、最早ないのか?

 相反する思考と感情が、幾つも穂先を突き合わせ、少年の中で競り合っている。

 その迷いを感じとり、仁藤は肩を竦めた。

「わかるよ、話すのが怖いのは。ただでさえ彼女は君に取り返しのつかないことをした。踏ん切りがつかないのは重々わかってる。君の事情とは違うけど、僕も家族とは折り合い悪いしね。でもこれは、君にしかできないことだから」

 そして深く息を吐き、先ほどと同じ、揺るぎない瞳で時幸を見据える。

「結果的に、今回は《機関》から彼女に話しかけられる状況が揃ったけど……たとえ今回の一件がなかったとしても、いずれ君が彼女と再会しなくちゃならない日が来ることは判ってたはずだ。だから言い訳をあげる。《機関》総帥及び最高責任者、並びに本部最終意思決定者・仁藤周の名に於いて、特務部遊撃班零室所属・現夜時幸に命ずる――『不破の時計塔』を不法占拠し、組織の業務を妨害する輩との交渉任務に当たれ。これは命令だ、拒否権はない」

『……』

 時幸は何かを言いたげに口を開きかけ、だが結局、何も言わずに閉じた。吐き出しかけた躊躇いを口の中で転がすようにもごつかせる。

 その態度がじれったくて……命令に従うか否かというよりも、大人に対して何も口答えしない、しても無駄だと諦めきっている様子に、腹が立った。

「ああもうっ、いまいち歯切れが悪いなぁ。話したいのか話したくないのかどっちなんだよ。母親との会話に戸惑う思春期の男子みたいだな君は」

 不意を突かれたように、時幸が目を瞬かせる。

『ちょっ……あなた、いまわかってて言ったでしょ!』

「ふっ、ばれたか」

 からからと笑うと、秘書も失笑を漏らした。熱田はもう少し豪快に肩を震わせた。琴羽はやれやれと首を振りつつも、口元はにやけている。

 青い少年は、大人達の反応に傷ついたようにそっぽを向いた。

「……とにかく」

 仁藤は一気にコーヒーを干した。強烈な甘みと、ごまかしきれない苦みが口の中を通過する。

「彼女以外に君だと判明するような会話は無しだ。民間に裏事情が漏れるのは何としてでも避けなくてはならないけど、それでも《機関》の『秘密』を守るに越したことはないからね。他所の傍受については二室総出で対処させる予定だよ」

 これまでの【魔女】の行いを見るに、このタイミングで自分に息子がいると全世界に暴露することはないだろう、というのが仁藤の見解だった。

「やってみるしかないだろ。案ずるより産むが安しってね。まあ、産むより育てる方が大変なんだけど」

 琴羽は今度こそ吹き出した。湖麻由への意趣返しのようなその一言に。


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