3‐2 潜入
ワゴン車から降り、一度建物を見上げた。
時計塔という名称に違わず、教会のような形をしているせいか、厳かで侵しがたい雰囲気がある。経年劣化、或いは《ディヴィジョン》によってつけられたであろう傷が尚更、静謐な印象を刻みつける。
スライドドアを全開にし、同乗者を促す。小柄な人物がよろよろと降り立った。
俯いている上に分厚いフードに隠され、どのような表情をしているのか、どの角度からも伺えない。基地到着時よりかは若干拘束着は簡素化されているが、それでもバンドは容赦なく若い女の身体を締めつけ、さらに全身を鎖で雁字搦めにされている。自分の脚で立っているものの、歩くのもやっとのように思われた。逃げることなんて到底できないだろうが、さらに駄目押しのように胴を縛る鎖をリードのように持つと、建物の正面へと向かう。
建物の規模に見合う大きさの、特に特徴のない扉。周囲に開閉装置の類は見当たらない。かといって、呼び鈴やカメラアイも見受けられない。それでも立て籠もっているであろうテロリストはこちらの到着を察しているはずだ。にもかかわらず向こうから招き入れる兆しがない。ということは、つまりは。
「勝手に抉じ開けて入っていいってことだな」
一旦鎖を放し、車に戻ると、躊躇いもなくアクセル全開で発進させた。距離がなかったためにあまり加速はつかなかったが、それでも巨大な金属塊のアタックに扉は悲鳴を上げ、内側に拉げた。二、三度突撃を繰り返しただけで、ボロボロになった扉は内側に倒れ込む。
「脆いな」
元は電子錠なり何なり設置されていたのかもしれないが、テロリストに無効化されたのか、それとも元から機能していないのか。ガバガバになった入り口から、鎖を引いて侵入する。……随分雑な開け方だ。車の整備係は泣いていい。
一変して、内部は電気とモーター音に満ちていた。窓が一切ないため太陽光は差し込まず、薄暗いが、夜道のネオンサイン程度の光量の灯が照らしてはいるので、真っ暗闇というわけではない。それだけでなく、周囲のあらゆる機器に活動している気配がある。
「……この階の中央、第一試験室が目的地だな」
総帥の見立てによると、そこに生体認証装置が設置されている。事前に入手できた建設情報が正しければ、途中で何度か分岐しているが、概ね廊下を真っ直ぐ突っ切った先にある。
だが、その廊下の入り口で……早くも、何かを擦り合わせるような鈍い音が聞こえてきた。
「……“籠の中の小鳥”」
鳥の羽音にも似たその響きに、挑戦的な笑みを浮かべる。
「……なるほど。早速おでましか」
“檻姫”の名前の由来にもなっている、小鳥を模した極小のドローン。その華奢な見た目にそぐわない高スペックで、金属の頑丈さと自然界の小鳥の習性や構造の利点を両立した、近未来型武装。形態によって得手不得手があり、それぞれポーン、ナイトなどの名称で区分されていたはずだ。
だが、絶えずモーター音は聞こえるものの、廊下に機械駒の姿はない。暗くて見えないわけではない。
「光学迷彩とか、また面倒なことを……」
ドローンは一体一体が周囲に溶け込むように細工が施されていた。おかげで、どんな武装を積んでいるかもわからない。が、闇雲に突っ込めばまず間違いなく大怪我を負うだろう。
「ま、志緒の奴はメリサが通れるように設計してるはずだしな。解き方の判ってる罠なんぞ容易い」
縦横無尽に飛び交っているドローンが不可視なこともあって、廊下は向こうまで見通せた。十メートルほど先に、いかにもなレバーが設置されている。周囲の壁や床とは明らかに年代の異なるそれは、ごく最近追加されたものに違いない。
あそこまで辿り着けばドローンを停止できるのだろうが、そのためにはまず、不可視のドローンの群れを掻い潜らなければいけない。
「待ってろ」
短く命じ、手頃な柱に鎖の端を巻きつけた。前方の廊下を見据える。低く唸るような音がしなければ、何の変哲もない場所だ。情報に乏しいその罠をよく分析する。モーター音の法則を見つけ出すと同時に、琴羽は一歩を踏み出した。
すぐさま一体のドローンが反応し、女に向けて銃弾を放つ。それを皮切りに、連鎖的に次々と他のドローンも攻撃を開始する。AIなど特に積んでいないのだろう、随分粗い。これなら、J・Rを使うまでもない。
「審判――“幽蛾”」
琴羽の姿が……溶けた。
そのまま、弾丸の降りしきる中を傘も差さずに進んでいく。その姿は透け、影のようにひらひらと動き回る。“幽蛾”は歩術を主体とした技の一つで、最低限の動作の連なりで連続攻撃を回避する。一見シンプルだが、複雑かつ変則的な動きに対応できる動体視力と、とっさの判断力、そして集中力を使い続ける。それでいて必死さを隠し、あたかも余裕があるように歩いてみせるべし、というのが現夜一期のモットーだった。
琴羽はまさに優雅に、翅があるかのように軽やかな、流れるような身のこなしで弾雨を掻い潜ると、こともなげにレバーまで辿り着き、下ろした。
光学迷彩の剥がれたドローンがゆっくりと、寿命を迎えた蝉のようにぼとぼと床に落下する。安全になった道を一旦戻り、大人しく待機していた人物を鎖で引いて悠然と進んでいく。
第二のトラップもドローンだった。だが今度は、先ほどのような単純な動きではない。
「ふん」
琴羽は腰に吊っていたJ・Rを一つ取った。しゃらしゃらと痩せた銀色が零れ落ちる。ランクは丁。アタッチメントは菱形の錘。指ほどの細さの喜平型の鎖で、強度はあまりないが、よく撓り、小回りが利くのが特徴だ。
すぐさま二歩後退り、同時に右手を振りかぶる。ひゅる、という空気を乱すか細い音がした。
「“審判”――“六花”」
鎖は降り注ぐ銃弾ではなく、ドローン本体を端から絡め取った。軌道が乱され、銃弾がばらばらと散らばる。捕えきれなかったドローンの攻撃と床に反射した弾をさらにバックステップで躱しつつ、攻撃が途絶えた隙に“ワールウィンド”、壁沿いを一気に駆け抜ける。
さらに反応した別のドローンに“鏡花”で絡め取った機体をぶつけて相殺。“花に風”で銃弾を弾きつつ一気に距離を詰め、廊下の奥に滑り込んだ。
服についた埃を叩いて落すと、同じようにドローンを無力化し、さらに奥へと向かう。
腕時計を確認し、前方の廊下を見据え、背後の人影を一瞥し。目まぐるしく視線は変えつつ、しかし、琴羽はその場で立ち止まっていた。
生体認証装置まではあと少し、ほんの五十メートルほどの距離だ。ただ、その間に仕掛けられた、おそらく最後のトラップがこのままだとクリアできない。
仕組みそのものはシンプルだ。天井、壁、床の複数箇所に同時に設置されたセンサーが物体を探知すると、三百六十度からレーザーが貫く、ということは、既にデコイを使って判明済みだ。突破した廊下の奥ではなく、センサー一つひとつに個別のスイッチが備わっているのも確認できた。
問題は、複数のセンサーの探知範囲が重なり合っているせいで、“幽蛾”のように歩術で切り抜けることも、これまでのように破壊しながら強行突破することもできないという点だ。
そして琴羽は、これを解決できる方法を既に導き出している。“ロイヤルストレートフラッシュ”であればセンサーすべてを同時に無効化できるだろう。
しかし、琴羽に“ロイヤルストレートフラッシュ”は使えない。“審判”の中でも、一期自身が最終にして究極の奥義と豪語していた、まさに神業である。どうやるのか、漠然とではあるが伝授されてはいる。だが結局、使えたのは一期だけだ。琴羽も、時幸も、《機関》内部で“審判”を伝授された誰もが、その域にまで達することはできなかった。
「……ちっ」
琴羽は苛立たしげに舌打ちした。荷物を漁ると、皮手袋を取り出して手に嵌める。
それからまた、後ろを顧みた。人物は相変わらず俯いたままで、どんな表情をしているかなどまるで判らない。数秒だけ、逡巡するように琴羽の目が揺れた。
吹っ切るように前を向く。腰に吊るしたJ・Rの中から、先ほどとは異なる一つを手に取った。
「すぅ、はぁ……」
一度深呼吸すると、意を決して一歩を踏み出す。
ヒュイィィィィ……ン
刃物同士を擦り合わせるような、凛と鋭い音が響き渡った。
床に、壁に、天井に。一瞬の間に、鎌鼬のような裂傷が幾つも刻まれていた。それらは余さずセンサーの切り替え装置を無効化している。
「……コレを、“審判”と言っていいものか。……いや、言いたくないな、私は」
刻まれた天井の破片がばらばらと降り注ぐのを肩を揺らして振り払いながら、苦々しく呟いた。
「だって、スズの発明品に頼るなんて癪じゃないか。ユキじゃあるまいし」
ぐちぐちと零しながらも、再度手はマジシャンがシルクハットを振るように大振りに動かし、その度に鼓膜を直に擦るようなオクターヴの音が辺りを駆け抜ける。
三分ほどかけて、最後の仕掛けを突破した。
ほっと息を吐きかけた、そのとき……。
何かが、嵌るような音がした。
とっさに振り向くが、遅かった。センサーと隣接するように嵌め込まれた、装飾用のタイルに見えるもの。それらが一斉に虚飾を剥ぎ取り、ハッチが開いて細やかなレーザーが廊下いっぱいに斉射された。対面側の壁や床を縦横無尽に斬り裂き、焼き削る。
「しまった!」
粉塵と煙がもうもうと立ち上り、向こう側が見えなくなる。
同時に、重量のある物体が動くぎぃぃぃ、という音が落下した。
「くそっ」
後戻りするも、それなりに長かったはずの廊下は、すぐに突き当たる。巨大な金属板によって、完全に断絶されていた。
やられた。渡り終わると同時に、分断する仕組み。これまでの廊下の床や天井にも同じようなタイルが等間隔で埋め込まれていた。軽く触ってみたが何の仕掛けも施されてはいなかったので、てっきり建設当初からあるただのデザインだと思い込んでいた。まさか、そう思わせることでこの仕掛けを成立させるものだったとは。歯噛みするが、時既に遅い。
聳え立つ金属板を仰ぎ見る。壁との境は焼け焦げていて、熱せられた金臭さが漂っている。潜り抜けられるような間隙は見当たらない。
「くっ」
拳を叩きつけるも、案の定びくともしない。
『……ゴゴ、ゴフン』
籠った音が、嘲笑う。
『……ははっ。まさかこんな初歩的な誘導に引っかかる奴を寄こすなんて、現夜一期、銀鎖の番人も錆びついたものだね。はは、いや、あれ? それともはなっから、ボクの過大評価だったのかな?』
頭上のスピーカーから、加工された音声が頭を叩く。声、口調、そして内容、すべてに神経を逆撫でされるとともに、自分の馬鹿さ加減に悔しくなる。
これまで通路に仕掛けられた罠、その悉くが、一定区画を通過した先に解除装置が設置されていた。琴羽一人であれば突破できなくない罠だった。故にまず攻撃を掻い潜り、解除してから後続の人物を迎えに行っていた。
しかも、設置されていたトラップは段階的に難度が上がり、それにつれて“審判”の技量を問われる内容だった。故に、いつしか罠を無力化することよりも、挑戦することを楽しんでしまっているきらいがあった。
それが、初めからこの断絶のために仕組まれていたとは。
焦りはしたものの、すぐに冷静さを取り戻す。聞こえているのかどうか知らないが、思ったことを率直に口にした。
「……ふん。こんなネアンデルタール人でも時代遅れと嗤うような仕掛けを見せびらかしておいて、随分得意げだな」
生体認証装置に辿り着く前に小里川志緒が何か仕掛けてくる可能性はもちろん考えていたし、幾つかパターンを予測してもいた。だが、こんな方法はあまりにもお粗末だ。
「見たところ、防火扉というわけでもなさそうだけど。まさかおまえが運び込んだのか? ご苦労なことだな」
施設に備え付けの設備にしては原始的に過ぎるし、イメージに合わない。琴羽は会ったことはないが、仁藤や一期から話を聞いた限り、仁藤要はこのような品も合理性もない仕掛けを張る人物ではない。つまり志緒の都合で後付けしたものと判別がつく。
だが放送の主は、安い挑発には乗らなかった。
『ボクもこんな「レベルを上げて物理で殴る」みたいな“檻姫”らしくない方法はとりたくなかったんだけどね。でも……実際、いま一番成果は出てるよね』
こっそり舌打ちした。確かに、厄介ではある。
壁をコンコンと、今度は軽く叩く。急拵えなだけあって、そこまで厚くはないようだ。が、それでも女一人の力でどうこうできる代物ではない。
視覚的・物理的な破壊工作によって物事を大規模に動かそうとする“壊れた歯車”とは異なり、どちらかというと精神に作用する手口を好み、恐慌を引き起こすのが“檻姫”というテロリストだった。琴羽は対人戦闘の準備はしてきたものの、《ディヴィジョン》討伐用のパイルバンカー他、力押しの武装を持ち合わせていない。入り口のように車で抉じ開けるわけにもいかない。
「『……さて』」
頭上の加工音声が、一段とノイズに塗れる。同時に、生の男声が重なった。
壁に向き直る。遠くから僅かに、足音が近づいてくる。
琴羽に……いや。
壁を隔てた向こう、拘束された、されど監視者のいなくなった女に向かって。




