*第3章* 3‐1 潜入直前
壊れた荒野。
まるで世界中の人が死に絶えたように、どこまでも広がりを持った大地には何もない。ところどころ、打ち捨てられた砂色の廃墟が、辛うじてかつての名残を色づけしている。しかしそれも、ここに訪れた者を無理にもてなそうと取ってつけたかのように、寂しく違和感のあるものだった。いまの様相を見てしまえば、ここにかつてそれなりの町があり、人が住んでいたという事実の方が疑わしくなってくる。
特に珍しい景色でもない。都市を少し外に出ただけで、いくらでも同じような光景が広がっている。日本中どこも変わらない。どころか世界中で、見飽きた風景だ。
むしろ都市内部の賑わいの方が有難いものなのだろう。なるほど、各支部長達が合併や新都市設立に躍起になるのも頷ける。……会議はかったるいが。
ありふれた戦争の傷跡には以後、目は向けなかった。琴羽がいま注目しなければいけないものは、その向こうにある。
高さは十メートルを超えるだろう。東日本一区のビルに見慣れている身からすればそう大きいとは思わないが、それでもこの一面平たい景色の中、高く劣化の少ない建物というだけで嫌でも目立つ。遠目から見ると、全体的にずんぐりした印象を受ける。事前に確認した資料によると、下の階が広く作られており、塔となる三階部分には部屋が少ないはずだ。
胸元に下げた双眼鏡を持ち上げ、塔部分にピントを合わせる。確かに、総帥執務室で見せられたものと同じ、仁藤家の家紋をあしらった計器が確認できた。
腕時計と突き合わせる。やはり、表しているのは時刻ではない。何かの期限、または頃合いを指し示している? それは果たして、誰にとってどんな意味合いを持つのか。いや、そもそも、建設者である仁藤要がいなくなったいま、そもそも意味が残っているのか。
「あの……」
と、背後から呼びかけられて向き直ると、《機関》西日本一区支部の若者が立っていた。
「ああ、きみか。ありがとう」
借りていた双眼鏡を返す。まだ二十歳そこそこに見える青年は、おどおどとした様子で受け取った。
一行はいま、東海区支部が仮設営した偵察基地に滞在している。
三時間操縦し続けたパイロットと、《ディヴィジョン》からヘリを守り通した笹倉は、ヘリの中で仮眠を摂った琴羽達と入れ替わりになる形で休息に入っている。彼らの尽力のお陰で、パフォーマンスは上々だ。
対して、仮設基地で出迎えた職員は皆一様に落ち着きを欠いている。東海区支部も本部同様、支部長他、幹部は全員官僚や他組織への説明、内部の混乱収拾に奔走しており、時計塔の監視と本部職員のフォローを任されたのは経験の浅い者ばかりのようだ。
加えて、琴羽達が到着するよりも先に、西日本一区から臨時のバックアップ要員が数名送り込まれていた。はっきりいって要らない人員だったが、支部長直々の支援といわれれば、東海区のひよこどもに断ることはできなかった。かくして、ただでさえ慣れない任務であるにもかかわらず、まったく知らない相手と急遽組むことになった職員は東海も西も浮足立っている、というわけだ。
それでもさすがに、仮にも特務部の職員、それも直接塔に乗り込むわけでもないバックアップ要員が、これほど緊張しているのはさすがにどうなのか。この件が一段落したら新人教育のために沢村を送り込むのもいいかもしれない、と琴羽は思った。
まだ何か言いたげに突っ立っている、が何も言わない職員に業を煮やして、気になっていたことをこちらから尋ねる。
「にしても、静かだな。都市の外だっていうのに、《ディヴィジョン》の影も形もないなんて」
都市を囲む壁から一歩出れば、そこは《ディヴィジョン》犇めく暗黒の土地。それが世界共通のはずだ。実際、視界に映る廃墟は皆、《ディヴィジョン》の破壊の証である。だというのに、そもそも奴らの姿を見かけない。不自然な光景だ。
「ここは都市から遠く離れすぎている。習性的に人を襲うのが目的の《ディヴィジョン》にとって魅力的な土地ではない。とはいえ……何か他に、近くに奴らを惹きつけるようなものでもあるのか?」
「い、いえ、ありません」
若干訛ったイントネーションで、若者が答える。
「じゃああの塔の磁場か何かの影響か? もしそうなら厄介だが」
生まれながらに【魔女】の【眷属】である《ディヴィジョン》は飼育ができない。故に、誘導の手段は限られている。もし「不破の時計塔」に《ディヴィジョン》を操作できる仕掛けがあるのだとすれば、一刻も早くテロリストを排除しなくてはならない上に、できるだけ破壊は避けなくてはいけない。仁藤からは奪取できなければ破棄しろと言われてはいるが、夏来が知れば何としてでも確保しろとうるさいだろう。琴羽は心の中で溜息を吐いた。
「あ、いえ。あの塔は関係ないと思います」
しかし、若者は首を横に振った。
「数日前までは、ここにも普通に《ディヴィジョン》がいました。衛星情報で確認しただけで、直接見たわけじゃないですけど、間違いないです。それが、三日か四日前くらいに急に、こう、波が引くみたいに一斉に移動を開始したんです」
「なに?」
琴羽の目が険しくなる。
「うちと東海の研究者が言うには、何年か前にもこういうことがあったと。地球のどっか別のところで強い《ディヴィジョン》が何か行動を起こすと、それに影響されて逃げたり活発になったり……《ディヴィジョン》は突き詰めれば皆同じ群れ、分身みたいなものだから、動くときには一斉に動く、だから今回もそれだろうって……」
「……なるほど。そういえばそうだったな」
つい最近のことを思い出す。マカオで【第三魔女】直属の三型‐クラスⅠ“天権”が撃破された直後、周辺の三型が一斉に大移動を開始し、大陸へ向かったらしい。生物というより【魔女】の身体の一部に近い《ディヴィジョン》は、鳥や虫の群れ以上に統率の取れた行動をすることがあるようだ。
「まあ関係ないだろう。むしろ好都合だ。予定通り、作戦開始は一時間後。それまでに準備を整えておくよう、各員に伝えろ」
「は、はい……あ、あのぅ」
「なんだ?」
この期に及んで及び腰な職員に、やや苛立った声で問いかける。
「その……ほ、ほんとに、連れていくんですか」
「ああ、そのことか。……変更なしだ」
職員がちらちらと盗み見る小屋の方に目を向ける。ここからでは内部の様子は窺えない。が、先ほどヘリから降ろされた、全身を隈なく拘束具で覆われた小柄な人物が連れ込まれるのを、基地の誰もが目撃している。
「そもそもの目的である生体認証装置解除のために、不可欠なのはわかるだろ」
「はい。それは……で、でも、奪還されて、合流されたら」
「そのときは私の責任だ。自分の失態は自分でケリをつける。きみ達に迷惑はかからないし、テロリストを自由にするつもりなんてさらさらない」
強く光る瞳で、若者の汗ばんだ顔を睨みつける。まだ顔に幼さの残る青年は、容赦のない視線に竦み上がった。
各支部の幹部がいま手が放せない状況にあるのは事実だ。だがこの基地に東海区だけでなく、西日本からも新参者しか集められなかったのは他に理由がある。
一つは不仲である東日本への協力に消極的であるため。本部職員が作戦の主体を務める以上、失敗しても責任は九岡や、任命した仁藤がとることになる。東日本が今回の件で失墜すれば、武器・兵器の一大産業都市である東海区の吸収合併、延期されている広島周辺への西日本二区建設計画など、西日本にとって都合のいいように運ばせられるという目算だ。女狐と揶揄されるほどに狡猾な西日本支部長にとっては、《機関》として共通の敵に立ち向かう気持ちはあっても、優先するのは飽くまで自都市の利というわけだ。
そしてもう一つ。西日本一区にはそもそも、有事の際のエージェントがいない。一応特務部に所属する職員は一通りいるものの、非常時中の非常時に臨機応変に対処できる、本部における零室の職員がいない。土地柄、そういった役割の職員を揃える必要も、育てる必要もなかった。
対して、梅島琴羽は特務部前部長、現夜一期直々に鍛えられた後輩であり、十三歳で《機関》に所属して以来、幾度も死線を潜り抜け、何度か【魔女】とさえ相対した経験がある。その眼光一筋浴びただけで、耐性のない若造はメデューサの視線に晒されたかのようにその間で硬直した。
石像を捨て置いて、さっさと琴羽は小屋に入る。
急拵えの小屋の中は狭苦しかった。ぼんやりと黄ばんだ灯が、支度を急ぐ面々を照らしている。
「首尾はどうだ」
「上々ですわぁ」
慣れた手つきで装置を所定の位置に取りつけている皇に声を掛けると、相変わらずのおっとりした声が返ってきた。
「若干作戦に変更がある。車の護衛は不要だ」
「あらまぁ」
皇はゆっくりした動作で小首を傾げた。手は止めず、むしろますます速さを増している。
琴羽は端末を起動し、空中に周辺の警戒情報を表示させた。《ディヴィジョン》を示す赤点は、周囲少なくとも百キロ圏内に皆無だ。
話には聞いていたが、まさかこれほどとは、と内心で独り言ちる。《ディヴィジョン》の襲来に備えないときのない討伐班所属の皇も、目を丸くしている。その間も「トランペット吹きの休日」を指揮しているかのように目まぐるしく、白内障の手術を行うような精密さで、部屋を改造し、機材を設置している。
「でもでもぉ、もしもの可能性は持っておくべきですわぁ」
「まあな。でも、この距離なら襲撃されても、応援が来るまで私一人で対処可能だ」
時計塔まではまさに目と鼻の先。装甲付きのワゴン車を用意させたが、やろうと思えば歩いても行ける。しかし、皇の言うとおり襲撃に遭う可能性はゼロではないし、そもそも往路に何か罠が仕掛けられているかもしれない。せっかく用意させたのだし、塔内部での活動に向けて体力も温存しておきたい。ありがたく使わせてもらうとしよう。
「まあ、見てのとおりだ。襲撃の予測込みで大目に時間を取っていたが、往復にはそれほどかからないだろう。だからそんなに急がなくて大丈夫……」
そう言っている間に、みすぼらしい掘立小屋の中に、ちょっとした近未来チックなオペレーションルームが完成していた。さすがのスピードに、琴羽もちょっとぎょっとしたほどだ。これをほぼ一人で成し遂げたとは思えないほど涼しい顔で、皇は振り返った。
「あらまぁ、そうでしたの。では神橋さんはゆっくりできますわねぇ」
そこには存外落ち着いた様子の早梛がいた。
「ん、なんだか大人しいな。てっきりがちがちに震えてるかと」
茶化すように言うと、部下は肩を竦める。
「だって、基地でお留守番するはずの人達皆、この世の終わりみたいな顔で狼狽えてるんですもん。私がしっかりしなきゃって思って。何としてでも成功させたいんです。成功させて、安心させたい人がたくさんいます」
つい最近まで、実力がないわけではないとはいえ、《マイナー》ですらなかった普通の女の子が、つと顔を上げ、力強く頷いた。
琴羽の見立てでは、第一目標である生体装置の解除は二時間あれば遂行できる。だが、そこに至るまでも、その後のことも、まるっきり薄氷を踏むような、何が起こるか判らない不確定要素しかない。しかも、サポートするはずの支部の面々は慌てふためく若造揃いときた。
そのことも含めて、臆していてもおかしくない状況ではある。それでも早梛に不安の色は見られない。この短時間でよくもまあ、肝が据わったものだ。
いや、思い起こせば、初めて会ったときから、その矮躯に見合わない豪胆な娘ではあった。
確か初対面のときは、空砲とはいえ銃を手にしていた琴羽の前に単身飛び出してきた。その後、時幸に下した、仕置きも兼ねた若干きつい任務にも自ら同行を申し出たし、アクシデントがあった後も、臆することなく真相を追い続けた。
いまでは、琴羽にとって掛け替えのない部下の一人だ。
「よし。任せたぞ、サナ」
「はい。……頑張ります」
琴羽も返事に満足したように頷いた。皇に視線を戻す。
「おまえは車の警護の代わりに、この基地の警戒を頼む。いざとなったら笹倉を起こして対処に回れ」
西日本の連中は思いのほかひよっ子で頼りにならないが、皇が常に警戒していれば心強い。
「了解ですわぁ」
口調は相変わらずのんびりとしており、顏もほけほけと柔和な笑みを浮かべている。だが、彼女とて討伐班。実力は折り紙付きだ。笹倉も控えている。戦闘だけでなく、都市との通信や装置の扱いなど、この二人に任せておけば問題ないだろう。
と、上着の内側が僅かに振動した。
ポケットにしまった端末を取り出し、画面を見る。差出人は、彼女の恋人だ。
届いたメールには、本部の現状や、監獄側の様子などが連ねられていた。特務部の工作が功を奏したのか、《機関》の動きを放置しているのか、政府は随分大人しいらしい。さらに、「不破の時計塔」建設当初に《REIMEI》で研究されていたテーマや、ハッキングされた情報の傾向など、今回の作戦に役立つのかは判らないものの、細やかなことまでびっしりと書き連ねられていた。
普段の琴羽なら面倒臭がって即削除、まして変更なしの作戦決行直前に集中を乱しそうな余計な情報はシャットアウトするのだが、一行一行噛み締めるように目を通した。
最後に、それまでの事務的な文面とは異なる短い言葉が添えられていた。
それを見て、思わず相好を崩す。それは先ほど西日本の職員に垣間見せた、厳格で冷徹なエージェントの貌とは似ても似つかないものだった。
――どうか、無事でいて。
「……あたりまえだ」
不器用で精一杯なラブレターに、ただの一人の女性は、照れ笑いを浮かべた。




