2‐2 笹倉千十千
ヘリコプターに乗るのは初めてだ。
《ディヴィジョン》を寄せつけにくい特殊素材でコーティングされたそれは、《機関》が所持する航空機の中では比較的小さい機体とのことだが、それでも操縦士含めて七人乗ってもまだ余裕がある。そのため閉塞感はないが、向かっている場所や辿り着くまでの間に起こりうる事態を想像すると不安は尽きない。
「ふふっ、緊張していますの、神橋さん?」
「……はい。私が緊張してもしょうがないとは思うんですけど」
「あら、そんなことありませんわ。ほどよい緊張は警戒心を呼び、冷静さを保つために必要ですもの。気を抜くよりずっといいですわ」
「……というか」
隣に座る人物に目を向ける。
「あなたはどうしてこの状況でそんなに落ち着いていられるんですか」
時間の限られている中で五室からの支援を受けながら《ディヴィジョン》の極力少ないルートを選んでいるパイロットや、最終的な打ち合わせを行なっている琴羽と時幸、皆、冷静ながらも緊迫している。
「あら」
そんな中、同行する笹倉と彼女の部下は、クラシック音楽に身を委ねているかのように安らかで余裕のある表情だ。
「だって、私が心配したところで時間が伸びるわけでも、政府が協力的になるわけでもないでしょう? なら自分がいまできることを精一杯、そして思いきりやるだけですわ」
デートに向かう乙女がネイルをチェックするように、自身の得物の確認を行う。
“檻姫”の片割れである朝日メリサは現在、東日本一区の外壁から直線距離およそ六十キロの離島に位置する独立監獄に収監されている。
離島の牢屋なぞ、まず間違いなく脱獄はできない。人工のセキュリティではなく、周囲の環境がそれを拒む。飛行性、或いは海洋性の《ディヴィジョン》が跋扈し、それらに襲われなかったとしても毒素が蔓延した海を越えることは容易ではない。独立監獄というだけあって、看守はすべて半遠隔操作、半自動のアンドロイド。食事や生活品は島のプラントで自家生産されているため、船便や飛行便も皆無。新たな罪人を収監するときなど、ごく限られた場合にしか人の行き来のない、文字通り絶海の孤島である。
日本人とはいえ、国際的に大それたことを繰り返した犯罪者であることと、片割れがまだ野放しでいることから正式な判決は下されていないが、この状態を鑑みれば、彼女がどのような扱いなのか想像に難くない。今回の事件が起きなかったとしたら、そもそも政府は裁判するつもりがなかったのではと邪推したくなる。
そんな場所へと、そしてこれから岐阜へヘリを飛ばすのは、三室でも生え抜きの操縦士だという二人。さらにヘリの護衛と周辺の《ディヴィジョン》の露払いに、六室室長である笹倉が直々に立候補し、まさに万全の態勢である。必要な人材が本部に帰還していなかった一月前からは考えられない布陣だ。
「神橋さんも神橋さんにできることだけを考えて、それを行うことだけを見据えればいいのです。多少やらかしたとしても、お腹を切るのは上の仕事です」
「……そういうふうに考えられたらいいんですけど」
はっきりいって、目的地に着くまで、早梛の役割はない。琴羽からは「休めるときに休んでおけ」と言われはしたし、事実打ち合わせを終えた彼女は座席にふんぞり返って仮眠に入った様子だ。それでも早梛は、これからの任務のことを思うと、目が冴えてしまって仕方ない。
「そうですわね。いろいろ考えなくてはならないことが多すぎますものね」
笹倉は肩を竦めた。
「いかんせん、《機関》は非常事態に慣れ過ぎて、様々な歪みをあたりまえのものとして、あたりまえなものを特異なものとして扱い過ぎた。だからあなたにああ言ってもらえて、私、本当に嬉しかったんですの」
「? 何か言いましたっけ」
思い返してみても、生意気なことを言ってしまった恐れはあっても、好かれるような発言をした憶えはない。
「私ね、思いますのよ」
笹倉は武器を手に持ったまま、早梛に向き直った。眉をハの字に下げ、困っているようにも、懇願しているようにも見える。
「六室のメンバーの多くは、ユキにシンパシーを持ってますの。菊織さんの後輩である五室の皆さんほどではありませんけど、小さい頃からちょくちょく交流がありましてね。だって《調律の彼女》の在り方とあの子は、似通ってますもの」
そう言って、前方の座席に座る時幸に目を遣った。
《調律の彼女》化の手術は、一応終戦を迎えたいまでもほとんどの場合、家族の同意さえあれば施術される。本人の意思表明ができないケースが圧倒的に多いためだ。家族としては、生きていてほしい一心だったのかもしれない。だが、目覚めた後、変わってしまった自身の身体や、《マイナー》になることを推奨される環境に、拒絶反応を覚える女性は後を絶たないという。
好きでこんな身体になったわけじゃない。にもかかわらず、戦闘を強要され、成果を残さなければ迫害される。命懸けの討伐をこなしたとしても、褒められず、当然のこととして受け止められる。確かに、彼女達の在り方は、時幸の生き方に共通するものがあるかもしれない。
「《調律の彼女》は不自由が多くても、不幸と思ったことはない。それは本当です。戦う力を持っていること、都市を守ることに誇りを持っています。もちろん、いうほど単純なことではありませんわ。いままであたりまえに持っていたものを手放すこともあれば、謂れのない差別を受けることもありました。だから私は、新堂さんや渡瀬さん、麻生さんを責めることは致しません。巡り合わせが異なっていれば、私が彼女達のようになっていたでしょうから」
身体のことで気をつけなくてはならないこと、諦めなくてはならないことは多かった。だがそれ以上に辛かったのは、人の見る目だ。こんなに頑張っているのに、報われない。いつもでなくてもいいからたまには労ってほしい。少しでいいから感謝されたい。なのに、守ったはずの人から化け物と罵られる。守りたい人からいっそ共倒れになってほしいと願われる。
「ですが……その境遇を嘆いたまま被害者ぶって、もう過ぎてしまった過去を恨んで現実から逃げ続ける。それってかっこ悪いですし、それに、同じ境遇でそれでも必死に生きている人に対する侮辱だと思いません?」
胸を打つ、言葉だった。
「悔しいでしょう。奪われた上に自分から手放すなんて。だったら逃げてたまるか、ですわ。誰に石を投げられようと、誰にも必要とされなかろうと、私達は勝手に都市を守り、敵を討つ。私達に石を投げる人達のためではなく、私達自身の誇りを守る、ただそれだけのために。戦場に立つ理由なんて、それだけで充分じゃありませんの」
なんて、勁い人だろう。
「ですが……ユキの場合は少し違います。《調律の彼女》は、手術を受ける受けないを選べなくても、その後を選ぶことはできる。事実、戦いから遠ざかった暮らしをしている人もいますわ。でもあの子は、望んであの身体に生まれたわけでもなければ、《ディヴィジョン》に関わらなくてよい人生を選ぶことさえもできない。前部長や主任の尽力で、不幸と思い詰めずに済んではいます。でも、あの子は、制限が多いせいで、仕切りがないものにさえ自分で制限を設けてしまっている。幸福を知らないわけではないのですよ。むしろ、あの子は師に似て、とてもロマンチストなんです」
「はい。……ん?」
最後、早梛の抱く時幸の印象とはかけ離れたフレーズに、一瞬、意識が持っていかれる。
「確かに、一見するとむしろリアリストのようですわね。そういうところはお父様に……菊織さんに似ていますわ。そしてお父様と同じように、自分で自分を幸せから遠ざけようとしている」
笹倉は笑い、次いで悲しそうに言葉を接いだ。そして早梛に向き直ると、薄らと微笑んだ。
「自分に差し出せるものを差し出していれば、生きることを許される。それが最上の生き方ではないと、あの子は知っています。それをあの子自身が望むのを許されない、などということはない。そのことを、どうかあなたが気づかせてあげてくださいな」
「……できるでしょうか、私に」
「できますとも。だってあなたは世界にあの子と同じものを視ている。《機関》のあたりまえではなく、あなたのあたりまえを持っている。私、あなたのような人でよかったと思っていますわ」
「え、何がです?」
笹倉の評価がわからなくて問いかけるも、
「っと、もっとお話ししたかったのに。残念ですわ。では神橋さん、また後ほど」
突然、飛行中のヘリの扉が開いた。抉じ開けられたのではなく、パイロットの操作によって開閉された。吹き込んできた風に、シートベルトで座席に固定されていても、若干身体が煽られる。
しかし、風などなんのその、と言わんばかりに、そこから笹倉は身を躍らせた。
「‼」
着陸の安全性を高めるため、ある程度目的地に近づいたら六室のメンバーで周囲の《ディヴィジョン》を減らしておく、というのは打ち合わせ通りだ。だがあまりにもあっさりと、躊躇いなく、まさか生身のまま単身で自由落下するとは思わなかった。
「笹倉さん……」
彼女が消えた扉がするすると閉まっていく。急いで窓から外を見る。
笹倉の金髪が、翼のように舞っている。黄色い塊のように見える彼女から、一対の武具がジャキン、と生えるように突き出された。その身は赤黒く染まっている。《調律の彼女》特有の血液を注ぎ入れる溝の入った武器だ。風に撒かれて血液が飛び散る。それがまるで、線のように軌跡を描いていた。
遠巻きにヘリを狙っていた《ディヴィジョン》が、人間が落ちたことに気づきだした。気づくと同時に襲い掛かる。……だが、届かない。
彼女を中心に撒き散らされる赤線に触れた途端、《ディヴィジョン》は体勢を崩し、まともに空を飛ぶことができなくなり、殺虫剤をかけたコバエのようにぼとぼと落下していく。
落下する《ディヴィジョン》を足場にして、笹倉が跳んだ。得物……マスケット銃をモチーフにした巨大な銃剣を、目の前に迫っていた《ディヴィジョン》に向け、発砲。《ディヴィジョン》は体勢を大きく崩し、半回転して腹を見せた。その死体を盾にして他の敵を寄せつけないようにしつつ、さらに周囲の敵を撃ち倒していく。
「さすが室長、相変わらずお強いですわぁ」
笹倉と似た話し方、だがややおっとりとした響きに振り向くと、彼女の部下である皇花咲里がうっとりとした眼差しで見守っていた。
「あの、あれって……BMWS、ですか」
笹倉の銃から発せられた弾は、掠るだけで《ディヴィジョン》に不調を起こさせ、行動不能に陥らせている。
「いいえぇ。BMWSは稀少ですもの、そう易々とは使えませんわぁ」
「じゃあ、あれは……」
「うふふ、室長の血液を使った特殊弾ですわぁ。室長は対四型の《調律の彼女》ですのよぉ」
四型の《ディヴィジョン》による襲撃は日本では少なくない。当然、襲撃を受け、対四型の《調律の彼女》となった女性も大勢いる。だがその多くは能力を戦闘に活かせず、普通の暮らしをしていると聞く。それに、四型の性質を打ち消す、という情報と、笹倉の戦い方が結びつかない。
「早梛さん、悠さんのスタイルを思い出してください。彼女は対六型の《調律の彼女》です」
いつの間にか傍らに時幸が来ていた。
悠が自らの血液を塗った刃物で切りつけた敵は、運動能力が格段に落ちて動きがどんどん鈍くなった。それが“運動阻害”能力を持つ対六型の戦い方だ。
「同じことです。対四型も対六型同様、運動能力に干渉します」
「でも、逆だよね。対四型は動きを早くするんじゃないの? でもそれって……」
「運動、というのは身振りに限った話ではありませんわぁ。筋肉や内臓の働きだって、運動ですものぉ」
「ええ。……もっとも、千十千さんのような戦い方をする対四型の《調律の彼女》は珍しいですけど」
死体、或いはまだ生きているが痙攣する、落ちていく巨体を踏みつけつつ、笹倉は縦横無尽に跳んでいる。まさに鎧袖一触、彼女に近づいた敵は悉く崩れ落ちるが、後から後から湧いてくるため、足場には当面困りそうもない。
「生き物には固有の『生きやすい』体感リズムが存在します。生体である以上、《ディヴィジョン》であってもそれは変えられない。彼女は血を混ぜることで、そのペースを人為的に乱しているんです。それは象が突然鼠と同じ心拍数になるようなもの。あとは何もしなくても勝手に自滅していきます」
「故に“波紋の千十千”。“銀鎖の一期”、“防人の穣子”と並ぶ《機関》の三数エース。さすがですわぁ」
「その渾名、師匠は嫌がってましたけどね」
穣(ジョウ)は10の24乗、兆×京という、一応は数を表す単語だが、いささか無理やり過ぎないだろうか。そう早梛が思っている間も、笹倉は敵を薙ぎ倒していく。
「あっ」
一体の比較的大きな個体が死体を食い破った。その咢が届く前に笹倉は後退、だが、そこは何もない虚空の上。
「あぶないっ」
「平気ですわぁ」
彼女は無防備なまま落下する……ことはなかった。
空中に伸びる線、血液の跡のように思われたそれは、実体のあるワイヤーだった。その不安定な、それでも確かに在る足場を活用し、笹倉はさらに立体機動を生かした戦いで敵を翻弄する。
「都市最強は伊達ではありませんわぁ。室長はただの能力頼みの女ではありませんものぉ。もっと足場の不安定な場所で戦うことだって日常茶飯事ですわぁ」
「はい。都市内部に侵入する《ディヴィジョン》はそもそも飛行型が多いですし。千十千さんの敵ではありませんね。……一応落下傘もつけてるので、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」
いつの間にか笹倉の周囲に張り巡らされた幾本ものワイヤー……加工が施されているのか、鋭利なそれに触れた《ディヴィジョン》は次々と空の塵へと化していく。切られたダメージのせいではない。ワイヤーに塗られた笹倉の血液が混入したからだ。
ワイヤーの先端を少し離れた場所を飛んでいる《ディヴィジョン》に植えつけ、ピンと張ったそこに敵を誘導し、靴も特別製なのか、危うげなく踏んで駆け抜けながら周囲の敵を引きつけ、減らし、完全に意識をヘリから逸らしている。ワイヤーを張り替え、落下していく死体を足場にして、血塗られた戦場だというのに、青空を背景に緩急自在に動き回る笹倉は、舞でも舞っているかのように美しい。
「そろそろ着地します」
パイロットのアナウンスに振り返る。窓の外で笹倉が、ウィンクした気がした。




