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already dark, however still blue ‐血鎖絶ち斬れ不退の純青‐  作者: 浮城燈往
エピソード3 魔女の鳥籠
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*第2章* 2‐1 《機関》総帥

 漆喰を塗られたように真っ白な、病的なまでに白い廊下が続く。途中でカクカクと頻繁に折れ曲がり、複雑な本部の中でもさらに入り組んだ場所であることが窺えた。

「……そういえば、サナは総帥に会うのは初めてだったか」

 先頭を往く琴羽が、振り向きもせずに問いかけた。

「はい」

 緊張してカチコチになる脚を機械的に動かしながら、必要最低限の返事をする。

 《機関》に所属して約二か月。その間マカオ、九州へと赴いていた、戻ってきてからも下っ端である早梛が会う機会も理由もなかった総帥に、まさかこのような形で面会することになるとは。

 《REIMEI》の元研究者であり、日本における対《ディヴィジョン》研究の第一人者。日本における六つの人類生存可能領域に一つずつ設置された《機関》の支部と本部、そのすべてを束ねる最高責任者。その肩書だけで気後れしてしまう。

 しかも十九年間、度重なる《ディヴィジョン》の襲来からも国内外における人類同士のいざこざからも日本と《機関》を守り通した、酸いも甘いも噛み分けた傑物という触れ込みだ。

 緊張しない方が無理という話だろう。研究者としては夏来以上の経歴と業績の持ち主、というのも、様々な意味で不安を膨らませる。

「気さくな人ですから、緊張しなくて大丈夫ですよ」

「う、うん」

 すぐ前を歩く時幸が顔半分だけ振り向いて、緩く笑いかける。気を遣わせてしまった。

 ほんの数週間前のノーマン親子による襲撃の後始末もまだ途中だというのに、その件の背後にいたのがまさか数年間沈黙を貫いていたテロリスト。しかも《機関》の情報流出だけでも深刻だというのに、さらには全世界を巻き込む事態が起きかかっている。あまりにことが大きすぎて、むしろ早梛には現実味が湧かない。

 だから総帥に呼び出されたことも、なんで自分まで、と困惑しているくらいだ。却って、それが一番身近に迫っているせいか、無駄に肩に力が入ってしまっている。が、そういうわけにもいかないだろう。時幸は早梛よりずっと、事の重大さを判っている。討伐をメインの活動にしてきた早梛に、今回できることは少ない。それでも時幸の相棒として、できる限りのことをしなくてはならない。味方である《機関》の人間に会うのに気後れしている場合ではない。

「私は大丈夫」

 呼吸を整え、きりっと見つめ返す。時幸が目を瞬き、微かに安堵の色を見せた。

「ああ、そうだ」

 思い出したように一瞬、視線を横にやる。

「どうしたの?」

「いえ。……悪い人ではないんですが、ちょっと困ったところがありまして……早梛さん。もし何か勧められても、けして口をつけないでください」

「?」

 飲食物に薬を盛られるようなことでもあったのだろうか。一線から退いてはいるとはいえ、やはり研究者ということなのだろう。

「大丈夫だったの?」

 顔を覗き込む。

「え? ああ、はい。だいたい秘書の方が用意するので、そんなに警戒しなくて大丈夫ですよ」

 そんなやりとりをしているうちに、目的地へと辿り着いた。長い長い廊下の最奥、突き当たりにあるぽつんとした一部屋。扉は何の変哲もない、いままで歩いてきた廊下の左右にあったような真っ白で飾り気のないものだ。プレートも何もない、逆にここが何の部屋なのか、一見して判りかねるのは、もしかしたら外部からの襲撃を警戒してのことなのか。

 琴羽が四回ノックすると、音もなく、実に滑らかに左右の扉が壁に収納される形で開いた。

 やはり白みの強烈な部屋だった。それでいて殺風景には感じさせない。というより、全体的に慌ただしい。普段はそうではないのかもしれないが、いまは床に、空中に、机上に、紙の資料や電子書類が散乱し、複数の電話がひっきりなしに鳴っていた。

 机の傍らで、複数の受話器を抱え、お手玉のように代わるがわる応対しながら目の前に展開するモニターを操作する若い男が、口を止めずに小指と薬指の間に挟んだリモコンをこちらに向けた。再び、無音で扉が閉まる。

 彼の隣にいる人物もやはり同じような様相で、複数の電話対応に追われていたが、三人が入室したのに気づくと、それまで鳴りっぱなしだった電話線を乱暴に引き抜いた。

「久しぶり、梅島、それにトッキー! それと……ああ、君とは初対面かな?」

 周囲が白いからこそ一際映える、漆黒の執務机。そこに腰掛ける人物は、弾けんばかりの笑顔で三人を出迎えた。あまりにも疲れすぎて、一周回ってハイになった人の対応だった。

 早梛は呆然と、その人を見つめた。

 一房だけが初雪のように白い、黒い髪は落ち着いた髪型で、白衣を着てはいるものの、研究部のマッドサイエンティストの親玉というより学者を彷彿とさせる。丸眼鏡の奥の瞳は人懐こそうで、いまは疲れた光が淀んでいるが、一期のようにどこかこの状況をおもしろがるような興味の色も見てとれた。それ以外はこれといって特徴がない。道を歩いていてすれ違っても気づかないような、ごく普通の、朴訥とした男だった。

「ということは、君が零室で新しく採用した子なんだよね。話は聞いてるよ」

「は、はい。神橋早梛といいます」

 我に返り、頭を下げる。

「カンバシ?」

 と、一瞬男が目を見開いた。透き通った、子どものように無垢な瞳だった。

 だがすぐに目を逸らし、口元を曖昧に歪めた。

「いや、ちょっとね……ごめん。よく考えればそれほど珍しい苗字でもないし、うん、気にしないで」

 そう言って、座ったまま少し椅子を引いて、向き直る。

「じゃあ改めて。仁藤(にどう)(あまね)。一応は、《機関》の総帥ってことになってる。本職は研究者で、前任者の弟だったってだけのお飾りだけどね」

 そう言って笑いかける。人畜無害そうな外見のせいか、まったく裏表のない屈託のない笑顔のように見受けられた。

 その顔を信じられない思いで見つめていると、あたりまえだが、相手も気になったらしい。

「僕の顔に何かついてるかい?」

「い、いえ、そのっ、すみません……」

 頬を染め、縮こまる。

 仁藤は相変わらず、親し気な笑みを浮かべている。それが逆に、ほんとは何を考えてるのか、それ以外にもいろいろ、一切を窺わせない。どうしても気になって、訊いてしまった。

「あの、不躾で悪いんですけど…………おいくつですか」

「四十九だけど」

「よんじゅうきゅう……」

 この、せいぜい二十代にしか見えない、下手をすると琴羽や傍らの男よりも若輩に見える青年が、実はアラフィフ⁉

 いや、確かに、《REIMEI》が研究に着手したのは二十三年前で、当時既に実力を認められた研究者だったのだから、見た目通りの年齢であるはずがないのだが……あまりに衝撃の事実に、こんなときにもかかわらず、早梛は数秒フリーズした。

「ま、立ち話もなんだし、座りなよ」

 ひらひらと手を振った。その動作で初めて、仁藤の座る席と向かい合う形で、応接用のローテーブルと椅子が設置されていることに気がつく。やはり白で統一されており、完全に風景に溶け込んでいた。

「「「失礼します」」」

「うん……うっさいな。全部切って。あとコーヒー」

「はい」

 若い男が、先ほどの仁藤同様乱雑に電話回線を遮断し、奥へと向かう。

「さて……時間もないし、ささっと我々の目的を確認しようか。梅島」

「はい」

 琴羽がきびきびと、現状を整理する。

「結論から言うと、小里川志緒の要求を呑むことはできません。朝日メリサを送り届けたとして、それで本当に情報流出を止められるという保証もありませんし、止められたとしても、凶悪なテロリストを解放したことで日本には非難が集まるでしょう」

「ああ。かといって何もしないで情報が漏れるのを手を拱いて見ているわけにもいかない。動いても動かなくても日本の責任にされるだろう。五年前には予想できなかったとはいえ、こんなんなるんだったらアメリカかロシアに押しつけとけばよかったね」

 かつて七国合同、政府主導で進められた計画によって《ディヴィジョン》と、その源となる存在は生まれた。研究所では人間の女性を実験動物として扱い、非人道的な手段によって改造した。現在《ディヴィジョン》に対抗する勢力の多くはそれらの組織の後継であり、同じ技術を応用して《調律の彼女》は手術されている。

 各国政府では知らぬ者のいない事実。されどその多くは規制され、《マイナー》にさえすべて公開されてはいない。まして、ある日突然平穏を奪われ、正体不明の化け物に怯え、故郷にも帰れず閉鎖都市の中で暮らさざるをえない一般の人々には隠されていることで。

 それが白日の下に晒されれば、《機関》や政府がいままで築いてきた信頼は地に落ちるだろう。地上にある《機関》の施設や議事堂は襲撃され、さらに隔離壁や迎撃砲台などの防衛装置さえ破壊されるかもしれない。それだけでなく、暴徒と化した民衆は何をするかわからない。もしもそんな状態でクラスⅡ以上の大物や、群れでの襲来があったら……人類は、いともたやすく敗北する。

「どうぞ」

 それぞれの前にコーヒーが入ったカップが置かれた。早梛の前にはさらにミルクと砂糖の入った小壺が用意される。

「ありがとうございます」

 礼を言うと、総帥秘書は軽く頷いた。落ち着いた雰囲気を持つ、精悍な若者だ。

「対人外戦争に纏わるあれこれの規制は《機関》の管轄だけど、朝日メリサの身柄は政府預かりということになっている。でも、どうやら政府ははなから交渉に応じない構えのようだね。それだけじゃなく、《機関》にも一切の手出しを禁止してきた。強行した場合、然るべき措置をとるとも」

「なんですって⁉」

 琴羽が目を険しくする。傍から聞いていた時幸と早梛にも、政府の目論見は察せられた。

「……そうですか。メリサを一旦解放し、認証をクリアした後、志緒共々捕まえて収監し直すのはリスクが高い。でもやらなければ戦争、或いは暴動ですよね」

「それを見越してのことだろうね。《機関》による独断という形にすれば、成功しようと失敗しようと、いくらでも転嫁できる」

 《機関》は日本を拠点としてはいるが、日本政府とは完全に独立した組織である。前身組織である《REIMEI》の研究――非人道的なものも含めた――を水面下で指導、支援していた日本政府は、《REIMEI》潰滅後、その責を追われることを危惧して《機関》に対して一切の関係を絶つことを宣言した。

 ただでさえ【第一魔女】を生み出した国としての国際的立場は弱く、戦争により弱体化した政府では毅然とした態度で各国と渡り合うことは不可能に近かった。その業と責を代わりに請け負ったのが《機関》である。

 《機関》は逆に横暴ともいえる態度で各国に喧嘩を売るに等しい交渉を行なった。【魔女】の暴走は七国すべてに責があるとし、日本は一切謝らない。謝って賠償などで揉めている場合じゃない。媚び諂う気は一切ない代わりに、自分の国は自分で守る。誰に助けも求めないし、技術提供も受けない。だが有用な策が判明したときには他国にも公開する代わりに、無償ではなく《機関》に対して同盟を結んでもらう。政府は青くなったが、日本が人間同士の戦争に突入することも、占拠されることもなかった。

 国際社会に啖呵を切ってから約半年後、《機関》は《調律の彼女》を作り出すことに成功し、討伐不可能とされていた《ディヴィジョン》の一体である四型‐クラスⅠ“リーパ”を集団戦で撃破。さらに【魔女細胞】を用いずともクラスⅢを打ち破れることを証明し、国際的地位を上げた。結果として日本は土地の自治と自国への防衛権、及び各国からの不干渉条約を維持できている。

 しかし、一度無関係を宣言した日本政府には当然、功績のお零れはない。負い目もあるため、表向き《機関》の同盟相手であるものの、実質支配下に置かれているに等しい。事実、《機関》は積極的な干渉は行わないものの、いままで散々政府に圧力をかけ、専門家の立場から強硬な姿勢をとり続けてきた。日本の政府でありながら、自国における《ディヴィジョン》についての一切の手出し、口出しを禁止されているのである。

 つまり、今回の日本政府の回答はそのことへの嫌がらせのようなものである。或いは志緒による情報漏洩により、《機関》の技術や弱みを知りたいのかもしれない。どちらにしろ、緊急時にくだらないマウントの取り合いをしている場合じゃないだろう、あのゴリラめ、と琴羽は頭を抱えた。

「しかし、機密を握られているのは政府も同じでしょう。暴動が起きて困るのも」

「多分だけど、《機関》が動かなければミサイルなり何なりで片をつけるつもりらしい」

「仮にも“檻姫”が予測していないとは思えないのですが」

「僕も同じ意見だ。だから先手を打って、追加声明に見せかけて物理的手段での攻略を封じた。ミサイルやそれに類する兵器の使用が確認され次第、報復措置に出る、とね。“檻姫”が凄腕のハッカーなのは有名だし、“壊れた歯車(ニアベルツィー・ベルダージ)”みたく兵器管制システムを掌握される可能性もあるわけだから、政府も慎重になったと思う」

 仁藤の前にもコーヒーが置かれる。

 同時に、角砂糖が山盛りになった皿と、蜂蜜の満ちた瓶と、ガムシロップのチューブと、その他様々な甘味の詰まった容れ物が所狭しとばかりに並べられた。

「良くも悪くも、《機関》だけでケリをつけるつもりなんですね」

「時間的にも余裕はないしね。同じ理由で、海外や他組織の介入もないと見ていいだろう。続岩(つづくいわ)

「はい」

 給仕を済ませた秘書がタブレットを操作する。シャボン玉が弾けるように空中に表示されていた電子書類が散開し、新たなホロウィンドウが空いた場所を占拠した。

「特務部部長のコネときょうは……尽力により、政府に気づかれずにメリサを収監する監獄側との話し合いは済んでいます。あとの諸々は本人との交渉次第ですが。関ケ原までの輸送ヘリの手配と、運転士、護衛の選定もそれぞれ三室、六室より報告が上がっています」

「うん。順調だね」

 仁藤は角砂糖の山をむんずと掴み取ると、無造作にコーヒーに投入した。一気に五、六個ほどの砂糖が泳ぐ中、さらに蜂蜜を何杯もスプーンで掬って入れ、両手にそれぞれシロップとキャラメルソースのチューブを持って捻り出す。それをぐちゃぐちゃと掻き混ぜる。見ているだけで、早梛は胸焼けがしてきた。

「残る課題は、直接任務に参加するエージェントの選定です。今回の任務では特に現地での対処に予想がつきません」

「メリサとの交渉、岐阜への輸送、トラップの無力化と生体装置の解除。そして“檻姫”の二人を改めて捕縛。だいたいこんな流れだろ。何がそんなに問題なんだ」

 琴羽が、おそらく彼女よりも年下らしき秘書に砕けた口調で問う。

「そう、それこそが君らを僕の元へ呼んだ理由なんだよね」

 本来なら、情報流出を防ぐためとはいえ、たかが一介のテロリスト案件に《機関》総帥が指示を出す必要はない。最高責任者であろうと、所詮仁藤は研究者だ。情報流出の件がなければ、そもそも《機関》が動く案件でさえなかった。政府に丸投げし、ミサイルが飛ばされるのを黙認していただろう。

「東海区支部長によると、『不破の時計塔』が旧岐阜県にある通信施設というのは間違いないそうです。しかし、逆にそれ以外の情報が一切不明です。建設目的も、どういった原理で通信妨害を可能にしているのかも」

「は⁉ これだけ大掛かりなことをしでかせる施設のくせに、どこにも資料が残ってないだと?」

「ええ。ご存知のとおり、十九年前の開戦、及び一型‐クラスⅠ‐αの誕生の影響で、甲信越地方の大部分は物理的に立ち入りのできない不可干渉領域(ホワイトアウトゾーン)と化しています。そのせいで、こちら側の土地であっても境界ギリギリの地域はずっと調査が後回しにされていました。が、それ以外にも、どうやらこの施設は曰く付きだったみたいで……」

「ああ。というより、故意に記録が抹消された恐れがある。まだ確定ではないけど、施設の壁にはこれが刻まれているみたいなんだ」

 仁藤が手を、つ、と上げると、別のウィンドウが開き、写真が表示された。見えにくいが、意匠化された時計のような丸い文様が写っている。

「……これって」

 繊細なレリーフを背景に、幾つかの針が交差する。ただし示しているのは時刻ではない。文字盤がないせいで何を表しているのかは判らない。だがいま注目すべきはそこではなく、背景のレリーフだ。

 簡略化された杉の葉が五枚、巴文様のように渦を巻いている。ただしすべて大きさが異なるのが見ていて禍々しい。その下には藤の房が、踏み潰されるように咲いている。日本古来の文様を描いた後でわざと歪めたような、それでいて不思議と纏まっているそれは……まさに、とある一族を表す家紋だった。

「……総帥の」

「ああ。そして、《REIMEI》総督の家紋でもある」

 仁藤はカップに口をつけた。すぐに離すと、眉を寄せる。そして再びぼちゃぼちゃと砂糖を投げ入れた。

「《Reincarnation Elements Integrated Medical Enlargement Institution》――再生因子統合医療発展機関、通称《REIMEI》。二十三年前、政府の意向の下、【魔女細胞】の研究のために作られた組織。……仁藤(かなめ)は、その最高責任者だった」

 初めは名のとおり、医療の発展を目指し邁進する研究機関だった。後に人類の進歩を建前に、倫理に反する実験を行うようになり、その負の遺産として生まれたのが【魔女】と【眷属】だ。

「ほんとに要が建築したのなら、建設目的が隠されたことにも納得がいく。どんなえげつない仕組みで動いているか知れたもんじゃない」

 仁藤は目を細めた。その色を誰にも見せない、見せたくないかのように。その短い語りの中で、もういない彼の身内を仁藤がどう思っているのか。その胸の内が早梛にも察せられ、心苦しくなった。

「建築法に基づいて提出された設計図はあるけど、内部がどうなってるのかは入ってみないと判らない。だが、これだけは言える。テロリストだろうが他の組織だろうが、明け渡していい場所じゃない。必ず《機関》でけりをつける」

 仁藤は砂糖飽和でじゃりじゃり音を立てる液体を啜った。ようやく満足がいく味になったのか、にやりと仄かに笑う。

「今度こそ“檻姫”を再起不能にする。『不破の時計塔』も、他の誰にも渡さない。占拠、不可能であれば破棄。それが僕の方針だ」

「ええ」

 琴羽が力強く頷いた。三人がここに呼ばれた以上、仁藤は零室に今回の任務を預けるつもりなのだろう。

 五年前にメリサを拘束したのが一期であるのなら、同じように“檻姫”を捕縛するのは彼の技量を受け継いだ人間が適任だ。九岡や沢村は他組織の対応や混乱した指令系統のフォローで忙しい。いま自由に動けて、最も成功率の高いエージェントは琴羽と時幸だ。

「じゃ、早速作戦の説明に移ろう」

 もはやコーヒーとは呼べない代物を旨そうに口に運びながら、仁藤は新たなホロウィンドウを呼び出した。

 作戦概要を聴くにつれて、零室の若者二人の顔が徐々に血の気を失っていく。

「き、」

 堪えきれず、時幸が話を遮った。

「危険です! ただでさえ予測のつかない任務なのに……」

「まあまあ、落ち着けよ」

 思わずテーブルに手を突いて立ち上がった少年を、コーヒー片手に仁藤が制する。

「落ち着いていられますかっ、これが!」

「とは言っても、いま動かせるエージェントのうち、条件を満たせるのは早梛嬢だけだよ。梅島、彼女では役者不足だと思うかい?」

「いいえ」

 取り乱しかける時幸とは対照的に、琴羽の声は飽くまできびきびと事務的な調子だった。

「今回の任務にはマイナー序列に換算して二十位以内の実力、なおかつ少数精鋭が理想的です。その点、神橋は信頼がおける部下です。戦闘技能については九室室長より高い評価を受けていますし、状況判断力には特に秀でています。遊撃班の一員として、むしろ今回のような任務にこそ適任かと」

「え、あ、はい」

 不意打ちに、しかも普段人を褒めることのない琴羽から褒められて、いまいち気の抜けた返事になってしまう。

 だが時幸は、なおも食い下がろうとする。

「せめて、せめて俺も同行させてください。俺の任務には誰か他の人を」

「それはできない相談だぜ、トッキー。朝日メリサには既に相棒の声明もこっちの要望も伝わっている。彼女が考えることも予想がつく。協力を取りつける必要がある以上、同じ『現夜』である君が行くのが好ましい」

「ですがっ」

「君もなかなか強情だねえ。予防接種を嫌がる犬のようだ」

「っは」

「ふふっ」

 思わず零れた笑声に、仁藤の視線が早梛を捉えた。気恥ずかしくなって居住まいを正すも、笑ったのは早梛だけではなかったので、自然と意識がそちらを向く。と、目が合った。

 相手もばつが悪くなったのか、話題を逸らそうと上司の紹介を始める。

「時々こういう冗談を言う人なんだよ、一期さんと同じく。……そして一期さんと同じく、人にいたずらを仕掛けて愉しむふしがあるが、質は段違いに悪い」

「失礼な! 僕がいつ誰を陥れたっていうんだ、続岩!」

 途端、早梛を除く全員の、冷たく白い視線が仁藤に突き刺さる。さすがにこれほど恨まれているとは思っていなかったのだろう。旗色が悪いことを察した仁藤は「うっ」とたじろぐと、わざとらしく咳払いした。

「まあ、こういう事態になったのは僕の怠慢が原因でもある。なまじ現夜が何でもこなせるものだから、あれもこれも一任してたツケが、最近になって押し寄せてきた感じだね。それについては反省すべきだろうけど、それはこの事態を収束できてからだ。どこもかしこも、何が起こるのか判らない状況だからこそ、いま動かせる中で最高の布陣で臨みたい。頼むよ」

 組織の責任者はそう言って、一部が脱色した頭部を下げた。早梛は目を瞬き、時幸はそっぽを向く。

「……俺だって、早梛さんの実力を認めていないわけではありません。ただ今回は、いままで散々行なってきた討伐任務とは毛色が違いますから」

「判ってるさ。私が最大限カバーする。もちろんサナにも対人制圧用の武装は持たせる。いつもの刀は使えないしな」

 そこで思い至った。早梛の愛刀は、《ディヴィジョン》に対しては抜群の効果を持つ。しかし、人に振るえば簡単に命を奪えるものでもある。まして、男性に使えば、取り返しのつかないことになりかねない。

 時幸の懸念は、そういった意味でもあったのだ。早梛が傷つくのはもちろん、傷つけることに対しても。最悪の事態の引鉄を引かせたくないが故の、躊躇いだった。

「私は大丈夫」

 凛として涼やかに、そして力強く宣言した声に、時幸は早梛の顔を見た。

「私、時幸くんや琴羽さんみたいに、対人戦闘の経験はゼロじゃないけど、慣れてるわけでもない。でも、相手を傷つけずに、この事態を収めたい。収めなくちゃならない。それが私にできるのなら、私はやりたい」

 失敗すれば、全世界に《ディヴィジョン》に纏わる何もかもが発信されてしまう。そうなれば……《ディヴィジョン》の細胞を移植されたという事実が一般に広まれば、身を削って都市を守っているはずの《調律の彼女》が迫害の対象になる。

 ただでさえ対人外戦争よりこのかた、人類は終わりの見えない《ディヴィジョン》との攻防に疲弊しており、そのストレスの捌け口は弱者や異端に向けられている。そして改造人間であるという事実が、本来なら英雄として扱われて然るべき《調律の彼女》に白い目を向けさせている。

 けして楽ではなかった、それでも自らの正義や良識のために人を守るのだと語った、笹倉や星野の顔を思い浮かべる。これ以上、彼女達の立場を悪化させるわけにはいかない。

 それに……今後もし、何かの弾みで時幸の存在が外部に漏れることがあったら。

 確かなことはいえない。だが、それでも個人的な願いとして、阻止しなくてはならない。

「早梛さん……」

「決まりだね」

 仁藤はカップを揺らして中身を均一化し、残りを一気に飲み干した。

「時間も限られてる。すぐに各自、準備に取り掛かってくれ」

 そして、それまでのふざけた様子を一切拭い去り、きりりとした顔で、その場にいる全員に……そして、その場にいないすべての《機関》職員に向けて宣言した。

「責任はすべて僕がとる」


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